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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第80話 中間報告

 翌日の放課後。


 ルシエとノエルは、完成したばかりの論文と試作十号機を抱え、アルベルトの研究室を訪れていた。


 扉の前に立ったルシエが、小さく息を整える。


「緊張してる?」


 隣に立つノエルが尋ねた。


「少しだけ」


「論文を誰かに読んでいただくのは、初めてなので」


「大丈夫だよ」


「実験したことを、そのまま書いたんだろ?」


「はい」


「だったら、あとは教授に見てもらおう」


 ルシエは静かに頷き、扉を叩いた。


「失礼します」


「ルシエ・フローレンスです」


「ノエル・アルヴィンも一緒です」


「入りなさい」


 部屋の中から、アルベルトの声が返ってくる。


 二人が研究室へ入ると、アルベルトは机に広げていた資料から顔を上げた。


「二人揃って来るとは珍しいな」


「研究の中間報告に参りました」


 ルシエは両手で論文を差し出す。


「これまでの研究結果を、論文としてまとめました」


 アルベルトは分厚い原稿を受け取った。


「中間報告にしては、随分と立派なものを持ってきたな」


 表紙へ視線を落とす。


『火属性魔法による温度操作と、その魔導具への応用可能性について』


 題名を読んだアルベルトの目が、わずかに細められた。


「火属性魔法による温度操作……」


「はい」


 ルシエは緊張しながら説明する。


「火属性魔法の本質は、炎を生み出すことではなく、温度へ干渉することではないかと考えました」


「その仮説を利用して、火属性魔法だけで室温を下げる魔導冷房機を研究しています」


 アルベルトは、二人が運んできた試作十号機へ目を向けた。


「完成したのか?」


「いいえ」


 ルシエは正直に首を横へ振る。


「室温を下げることには成功しました」


「ですが、しばらくすると温度が元へ戻ってしまいます」


「低い温度を維持できないため、魔導冷房機としては未完成です」


「なるほど」


 アルベルトは二人へ席を勧めると、その場で論文を開いた。


 研究の仮説。


 既存の魔導冷房機との比較。


 試作一号機から十号機までの実験記録。


 使用した魔法式。


 投入した魔力量。


 室温の変化。


 魔石への負荷。


 それぞれの試作機が失敗した原因。


 アルベルトは一言も発することなく、ページをめくっていく。


 静かな研究室に、紙の擦れる音だけが響いていた。


 ルシエは膝の上で、両手を強く握り締める。


 自分たちが考えたこと。


 試したこと。


 失敗したこと。


 まだ分からないこと。


 そのすべてが、あの論文には記されている。


 やがて。


 アルベルトが最後のページまで読み終えた。


「一つ確認する」


「はい」


「君たちは、火属性魔法によって室温を下げることに成功したのだな?」


「はい」


「試作七号機以降、すべての実験で室温の低下を確認しています」


 ノエルが補足する。


「ただし、低下した温度を維持できたのは数十秒程度です」


「その後は、どの試作機も元の室温へ戻りました」


 アルベルトは静かに頷く。


「では、この一文は修正すべきだ」


 論文の一節を指差した。


『火属性魔法による冷却に成功した』


 ルシエが首を傾げる。


「間違っているのでしょうか」


「完全な間違いではない」


「だが、正確でもない」


 アルベルトは机の引き出しから赤いペンを取り出した。


「君たちが実験によって確認したのは、室温が一時的に低下したという事実だ」


「冷却に成功したと書けば、温度を継続して維持できたようにも読める」


 赤い線を引き、その横へ書き加える。


『火属性魔法の発動中、一時的な室温低下を確認した』


「観測した事実と、そこから導き出した解釈を混同してはいけない」


「論文では、僅かな言葉の違いが結論を変える」


 ルシエは急いでノートへ書き留めた。


「確認できた事実だけを、正確に書く……」


「ああ」


「自分たちの仮説が正しいと思うほど、人は結果を都合よく解釈する」


「だからこそ、研究者は言葉を慎重に選ばなければならない」


 アルベルトは、次のページを開く。


「この表も不十分だ」


 試作一号機から十号機までの、魔力消費量をまとめた表。


「使用した魔石の品質が記載されていない」


 ノエルが表を覗き込む。


「同じ大きさの魔石を使いました」


「大きさが同じでも、含まれる魔力量や純度まで同じとは限らない」


「あ……」


「魔石の個体差で結果が変わった可能性を否定できない」


 アルベルトはさらに赤い文字を書き込んでいく。


「実験室の広さ」


「実験開始時の室温」


「使用した魔石の品質」


「投入した魔力量」


「術式を発動させた時間」


「比較するなら、条件を可能な限り統一しなさい」


「条件を揃えられない場合は、その違いをすべて記録する」


 ルシエは頷く。


「同じ実験でも、条件が違えば比較できないのですね」


「その通りだ」


「一度成功しただけでは、偶然かもしれない」


「誰が、いつ、同じ条件で行っても、同じ結果になる」


「そこまで確認して初めて、再現性があると言える」


 ノエルが考え込む。


「試作七号機から十号機までは、それぞれ魔法式が違います」


「同じ試作機を使った実験も、最低三回は繰り返した方がいいですね」


「できれば、それ以上だ」


「僕たち以外の人にも発動してもらう必要がありますか?」


「最終的には必要になる」


 アルベルトは二人を見渡す。


「君たちにしか再現できないのであれば、新しい魔法理論ではなく、個人の特殊な技術と判断される可能性がある」


「魔法理論として発表するなら、第三者にも再現できることを示さなければならない」


 ルシエは試作十号機へ目を向ける。


 自分たちが動かせる。


 それだけでは足りない。


 誰かが同じ論文を読み、同じ魔法式を使い、同じ結果へ辿り着ける。


 そこまで証明して初めて、自分たちの研究は世界へ渡せるものになる。


「分かりました」


「実験条件を揃えて、最初から測定し直します」


 アルベルトは頷き、再び論文へ目を落とす。


「他にも修正すべき点は多い」


 測定回数。


 使用した測定器具。


 実験ごとの誤差。


 既存の魔導冷房機との比較条件。


 魔法式を変更した理由。


 アルベルトは細かな不足を、一つずつ指摘していった。


 論文は瞬く間に、赤い文字で埋め尽くされていく。


 ルシエはその光景を見つめながら、次第に不安になっていった。


「教授」


「何だ?」


「この論文は……本当に論文と呼べるものなのでしょうか」


 アルベルトの手が止まる。


「なぜ、そう思う?」


「私たちは、まだ魔導冷房機を完成させていません」


「温度が元へ戻る原因も、その解決方法も分かっていません」


 ルシエは膝の上で手を握る。


「最後まで成功していない研究を、論文にする意味があるのかと……」


 アルベルトはしばらく黙ったまま、ルシエを見つめていた。


「論文とは、成功を自慢するためのものではない」


 静かな声が、研究室へ響く。


「何を疑ったのか」


「どのような仮説を立てたのか」


「何を試し、どのような結果が得られたのか」


「そして、何がまだ分かっていないのか」


「それを他者へ伝えるためのものだ」


 アルベルトは試作七号機の記録を指差した。


「君たちは、火属性魔法によって室温を下げられる可能性を示した」


「魔導冷房機が完成していなくとも、その事実まで失われるわけではない」


「では……」


「この研究にも意味があるのでしょうか」


「もちろんだ」


 アルベルトは迷うことなく答える。


「既存の火属性魔法を使い、従来とは反対の現象を起こした」


「それだけでも、これまでの魔法理論へ新たな問いを投げかける成果だ」


「ただし」


 赤い文字で埋まった論文を持ち上げる。


「改善すべき点は多い」


「表現は曖昧」


「実験条件も統一されていない」


「測定回数も不足している」


「考察には、まだ根拠のない推測が混じっている」


「はい……」


 ルシエの表情が曇る。


 しかし。


「それでも」


「良い論文だ」


 ルシエが目を瞬かせた。


「良い……論文?」


「ああ」


「成功した結果だけではなく、失敗した結果も記録している」


「都合の悪い数値を隠していない」


「分からないことを、分かったふりもしていない」


 アルベルトは最後の考察を指差す。


『現時点では、熱の逆流を防ぐ方法は確立できていない』


「研究者にとって、分からないと認めることは容易ではない」


「だが、分からないものを明確にするからこそ、次の研究が始まる」


 ノエルが小さく笑った。


「では、俺たちの最初の論文としては合格ですか?」


 アルベルトは少し考えたあと、静かに頷く。


「学生の中間報告としては、十分に合格だ」


「ただし、魔法協会へ提出できる水準には遠い」


「はい」


 ルシエは力強く答えた。


「必ず直します」


「その意気だ」


 アルベルトは、赤い書き込みの入った論文を差し出す。


 ルシエはそれを、両手で大切に受け取った。


 研究室を出ようとしたところで。


「ルシエ」


 アルベルトに呼び止められる。


「はい」


「入学試験で、君が提出した小論文を覚えているか?」


「もちろんです」


 四大属性に適性を持たない自分が。


 魔法とは何か。


 魔力とは何か。


 誰も疑わない常識へ、初めて疑問を投げかけた小論文。


「あの時の君は、魔法の常識へ疑問を投げかけただけだった」


 アルベルトは、試作十号機へ視線を向ける。


「だが、今は違う」


「自ら仮説を立て」


「実験し」


「数値を記録し」


「結果を考察している」


 ルシエは胸元の論文を見つめた。


「君の疑問は、研究になった」


「まだ、答えには届いていません」


「それでいい」


 アルベルトは穏やかに告げる。


「真理へ至る者は、最初から答えを知っている者ではない」


「答えが見つからなくとも、問い続けられる者だ」


 そして。


 いつもの言葉を口にする。


「真理への執念を失うな」


 ルシエは大きく頷いた。


「はい」


     ◇


 研究室を出た二人は、廊下を歩きながら論文を開いた。


 見開きいっぱいに並ぶ、赤い修正箇所。


 新たに必要となった測定。


 もう一度行わなければならない実験。


 調べるべきことは、昨日よりも遥かに増えていた。


 それでも。


 ルシエの足取りは軽かった。


「まずは、実験条件をすべて揃えましょう」


「ああ」


「使う魔石も、同じ品質のものを用意しないとな」


「測定回数は最低三回」


「既存の魔導冷房機との比較も、同じ部屋で行いましょう」


 二人は顔を見合わせる。


 やるべきことは多い。


 答えは、まだ見つかっていない。


 けれど。


 進むべき道は、はっきりと見えていた。


「今度は」


 ルシエは、赤い文字で埋まった論文を胸元へ抱える。


「誰が読んでも、同じ結果へ辿り着ける論文にします」


 ノエルは迷うことなく頷いた。


「ああ」


「二人だけの発見で終わらせないために」


 二人の最初の論文は、完成した答えではなかった。


 だが、それは。


 新しい問いを、いつか世界へ渡すための第一歩となった。

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