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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第79話 最初の論文

 翌日。


 王立魔法学校・魔法実験室。


 机の上には、これまで作り上げた試作機と、何冊もの失敗ノートが並べられていた。


 火属性魔法だけで、室内の温度を下げる。


 そこまでは実現できた。


 しかし、移動させた熱が戻ってきてしまう。


 冷却した温度を維持できない以上、魔導冷房機として完成したとは言えない。


 ルシエは試作十号機を見つめながら、悔しそうに唇を結んだ。


「あと少しだと思うんです」


「ああ」


 隣に立つノエルも、同じように試作機へ目を向ける。


「理論は間違っていない。実際に室温は下がった」


「ですが、実用化には届いていません」


 ルシエは机の上に広げられた魔法式を見る。


 熱を消すのではなく、移動させる。


 その考え自体は正しいはずだった。


 実験によって、熱を移動させられることも証明できた。


 だが、最後の一歩が見つからない。


 ノエルは少し考えたあと、失敗ノートの一冊を手に取った。


「一度、ここまでの研究をまとめないか?」


「まとめる……?」


「今のまま実験を続けても、同じところを回り続けるかもしれない」


 ノエルはノートを開く。


 そこには、試作一号機から十号機までの実験記録が細かく書き込まれていた。


 使用した魔法式。


 魔力量。


 温度変化。


 魔石への負荷。


 失敗した原因。


 そのすべてを、ルシエは一つも漏らさず記録していた。


「最初から順番に整理すれば、見落としているものが見つかるかもしれない」


 ルシエは少しだけ考え、静かに頷く。


「そうですね」


「一度、論文にまとめましょう」


「論文?」


「はい」


 ルシエは新しい紙を取り出した。


「私たちが何を考え、何を調べ、何に失敗したのか」


「それを最初から整理します」


 完成してから書くものだと思っていた。


 正しい答えへ辿り着いた研究だけが、論文になるのだと。


 けれど、研究は完成した成果だけではない。


 どのような仮説を立てたのか。


 何を試し、どんな結果が得られたのか。


 何が分かり、何がまだ分からないのか。


 そこまで含めて、研究なのだ。


「やろう」


 ノエルは椅子を引き、ルシエの向かいへ座った。


     ◇


 最初にまとめたのは、研究の仮説だった。


『火属性魔法の本質は、炎の生成ではなく温度への干渉である』


 ルシエが文章を書き、ノエルが内容を確認する。


「ここは、ジョルジュ先生の講義にも触れた方がいいと思う」


「土属性魔法の例ですね」


「ああ。現象ではなく、何へ干渉しているかという考えに至った経緯が分かりやすくなる」


 ルシエは頷き、文章を書き加える。


 次は、既存の魔導冷房機について。


 水属性によって冷気を生み出し、風属性によって室内へ循環させる。


 二つの属性を同時に維持するため、魔力消費が大きい。


 構造が複雑で、魔石も二種類必要になる。


 これまで調べた構造図と測定結果を、表へまとめていく。


「魔力消費量は、試作前に測定した数値を使いますか?」


「いや、三回分の平均を出そう。一度だけだと、測定誤差だと思われるかもしれない」


「分かりました」


 続いて、最初の実験。


 既存の火属性魔法式を冷房機へ組み込み、熱暴走を起こした試作一号機。


 魔石が割れ、実験室を煙だらけにした失敗だった。


 その次。


 試作二号機。


 三号機。


 四号機。


 何度書き換えても、火属性魔法式は熱を生み出した。


 そこで気付いた。


 自分たちは、熱を下げようとしていた。


 熱そのものを消そうとしていた。


 しかし、熱は消えない。


 別の場所へ移動する。


 ルシエはペンを止め、そこまで書き上げた文章を読み返した。


「こうして並べてみると……」


「うん?」


「無駄な実験は、一つもなかったんですね」


 最初の爆発がなければ、従来の魔法式では冷却できないと分からなかった。


 何度も熱暴走を繰り返さなければ、すべての実験で熱が残っていることにも気付かなかった。


 一つ一つの失敗が、次の問いへ繋がっていた。


 ノエルは小さく笑う。


「ルシエが言ったんだろ」


「成功しない方法が一つ分かったって」


「そうでしたね」


 ルシエも、ほんの少しだけ笑った。


     ◇


 昼を過ぎても、二人の作業は続いた。


 実験結果。


 温度変化。


 魔力消費量。


 魔石への負荷。


 試作七号機では、初めて室温を下げることに成功した。


 だが、数十秒後には熱が戻った。


 八号機も。


 九号機も。


 十号機も。


 結果は変わらなかった。


 ルシエは最後の考察を書き始める。


『火属性魔法による熱移動は可能である』


『しかし、現在の魔法式では移動させた熱の逆流を防げず、温度を一定に維持することができない』


 そこでペンが止まる。


 成功していない。


 完成もしていない。


 こんな研究を、論文と呼んでよいのだろうか。


「ノエル」


「どうした?」


「この論文を読んだ人は、どう思うでしょうか」


 ノエルは首を傾げる。


「どういう意味だ?」


「私たちは、まだ魔導冷房機を完成させていません」


「最後まで成功していない研究を発表しても、意味があるのでしょうか」


 ノエルはすぐには答えなかった。


 机の上へ並べられた失敗ノートへ視線を落とす。


「俺は、あると思う」


「ですが……」


「火魔法で温度を下げられることは証明できた」


 ノエルは試作七号機の記録を指差す。


「実用化できていないだけで、理論まで間違っているわけじゃない」


「それに、俺たちが分からなかったことを、別の誰かが見つけるかもしれない」


 別の誰か。


 その言葉に、ルシエは目を瞬かせる。


「研究は一人ですべて完成させなければならないものじゃないだろ?」


「私たちの研究が、誰かの研究に繋がる……」


「ああ」


「逆に、誰かの研究が俺たちを助けることだってある」


 ルシエは、書きかけの論文へ視線を戻した。


 研究とは、答えを独占することではない。


 自分が見つけたものを残し、次の誰かへ渡すこと。


 たとえ完成していなくても、ここまで辿り着いた道のりには価値がある。


 ルシエは再びペンを握った。


『本研究は、火属性魔法による温度操作の可能性を示すものである』


『現時点では、熱の逆流を防ぐ方法は確立できていない』


『今後、魔法式および魔導具構造の両面から、さらなる検証が必要である』


 一文字ずつ、丁寧に書き上げる。


 最後に、研究の題名を記した。


『火属性魔法による温度操作と、その魔導具への応用可能性について』


 ルシエは完成した原稿を持ち上げた。


 何度も見直す。


 書き間違いはない。


 数値にも矛盾はない。


 実験結果を誇張してもいない。


 成功していないことも、正直に記してある。


「できました」


 ノエルが隣から論文を覗き込む。


「これが、俺たちの最初の論文か」


「はい」


 ルシエは論文を胸元へ抱えた。


 まだ魔導冷房機は完成していない。


 最後の答えも見つかっていない。


 それでも。


 ここには、二人が積み重ねたすべてが詰まっている。


「まだ完成していません」


 ルシエは静かに告げる。


「ですが、この理論は必ず未来へ繋がります」


 ノエルは迷うことなく頷いた。


「ああ」


「絶対にな」


 二人の最初の論文。


 それは完成した答えではない。


 誰も見つけていなかった、新しい問いだった。

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