第39話 理由
昼休み。
教室では、生徒たちが思い思いに昼食を楽しんでいた。
そんな中、一人の教師が教室へ入ってくる。
「ルシエ・フローレンス」
「アルベルト教授がお呼びだ」
「はい」
ルシエは返事をすると、慌てて席を立った。
机の上には、一冊の分厚い研究ノートが置かれたままだ。
「失礼します」
そのまま教室を後にする。
ノエルは何気なく、その後ろ姿を見送っていた。
ふと視線が、ルシエの机へ向く。
そこには、使い込まれた研究ノートが置かれていた。
教師たちは皆、ルシエを高く評価している。
主席入学。
授業では誰よりも鋭い考察を口にし、教授たちからも一目置かれる存在。
(でも……)
ノエルは小さく息を吐いた。
(本当に、それは全部ルシエ自身の力なのかな)
ルシエの父は、賢者アルフォンス・フローレンス。
魔法を学ぶ者なら、誰もが知る伝説の研究者だ。
(賢者の娘だから評価されているだけじゃないのか)
(お父さんの論文を読んで覚えているだけじゃないのか)
(知識を暗記しているだけなんじゃないのか)
そんな考えが頭をよぎる。
周囲の生徒たちは昼食や雑談に夢中で、誰もこちらを見ていない。
「……少しだけ」
ノエルは小さく呟き、研究ノートへそっと手を伸ばした。
静かに表紙を開く。
しかし、そこに書かれていたものは、想像していた内容とはまるで違っていた。
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【母・エレーヌ観察記録】
発症から一年。
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ページをめくる。
さらにめくる。
魔素濃度。
魔力回路。
体温。
食事量。
睡眠時間。
倦怠感。
その日の体調。
一日も欠かすことなく、びっしりと記録されている。
「……一年間」
思わず声が漏れた。
さらにページをめくる。
⸻
【考察】
魔素濃度に大きな変化なし。
原因は魔素ではなく、魔力回路の機能低下である可能性。
父の論文、第十二節との整合性を検証。
結果、不一致。
仮説を修正。
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次のページ。
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【治療法案 第十八案】
失敗。
魔力循環の改善を確認できず。
原因を再考察。
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さらにページをめくる。
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【治療法案 第二十三案】
失敗。
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【治療法案 第二十九案】
失敗。
⸻
失敗。
考察。
修正。
また失敗。
そして、また考える。
そこには、父の論文を丸写しにした形跡など一つもなかった。
あるのは、母を救うためだけに積み重ねられた一年間の研究。
ノエルは夢中になってページをめくる。
その時だった。
「やめて!」
研究ノートが勢いよく引き抜かれた。
顔を上げると、ルシエが震える手で研究ノートを胸に抱き締めていた。
肩が小刻みに震えている。
いつも冷静で穏やかな彼女からは想像もできない表情だった。
「勝手に見ないでください……!」
その声には、はっきりと怒りが滲んでいた。
ノエルは息を呑む。
初めてだった。
ルシエがこれほど感情を露わにした姿を見るのは。
「ご、ごめんなさい」
「勝手に見てしまった……本当にごめん」
ノエルは深く頭を下げた。
ルシエは研究ノートを胸に抱き締めたまま、荒くなった呼吸をゆっくり整える。
しばらく沈黙が流れた。
「……私も」
「大きな声を出してしまって、ごめんなさい」
ノエルは首を横に振る。
「違う」
「謝るのは僕だ」
もう一度、深く頭を下げる。
「本当に、ごめんなさい」
「僕は……今までルシエを誤解してた」
ルシエは驚いたように目を見開く。
「賢者の娘だから、とか」
「先生たちに評価されているから、とか」
「そんなことばかり考えていた」
一度言葉を切り、小さく首を振る。
「……いや、違う」
「知識とか才能とか、そういうことじゃない」
「僕は……ルシエ自身を見ようとしていなかった」
「勝手な思い込みだけで、ルシエを決めつけていた」
「本当に、ごめんなさい」
ルシエはしばらく黙っていた。
やがて、胸に抱いた研究ノートへ視線を落とし、小さく息を吐く。
「……全部」
「お母さんを救うためです」
その一言に、迷いはなかった。
ノエルは静かに目を伏せる。
誰かに認められるためでもない。
称号を得るためでもない。
ただ、大切な母を救いたい。
その一心だけで研究を続けてきた少女。
僕は、その努力も、その想いも知らずに、勝手な偏見だけで決めつけていた。
「……ルシエ」
「ありがとう」
「気付かせてくれて」
ルシエは少し驚いたように目を瞬かせる。
「こちらこそ」
「……ありがとうございます」
二人は、まだ友達ではない。
けれど、この日。
ノエルの中にあった偏見は、静かに崩れ去っていた。




