第38話 研究ノート
その日の夕方。
ルシエは学校から帰宅すると、真っ先に母の部屋へ向かった。
コンコン。
「お母さん、ただいま」
「おかえり、ルシエ」
ベッドで身体を休めていたエレーヌが、優しく微笑む。
「学校はどう?」
ルシエも自然と笑顔になる。
「楽しいよ」
「毎日、新しいことばかり教わるの」
「先生方もすごい人ばかりで、本当に充実してる」
エレーヌは嬉しそうに頷いた。
「そう」
「あなたが楽しそうで、お母さんも嬉しいわ」
その笑顔を見届けると、ルシエは静かに部屋を後にした。
向かった先は、自分の部屋。
机の引き出しを開き、一冊の分厚いノートを取り出す。
革表紙は色褪せ、角は擦り切れていた。
魔素汚染を発症した日から一年。
毎日欠かさず書き続けてきた研究ノートだった。
ルシエは慣れた手つきでページを開く。
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【観察記録】
発症から三百六十五日。
魔素濃度 前回との差異なし。
魔力回路循環速度 前回比〇・二%低下。
右腕魔力回路反応 前回比〇・三%低下。
倦怠感 増加傾向。
発熱 継続。
食欲 少量。
睡眠時間 約十二時間。
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ルシエは静かにペンを走らせる。
今日見た母の表情。
歩けた距離。
食事量。
咳の回数。
呼吸の乱れ。
どんな小さな変化も書き漏らさない。
書き終えると、次のページを開いた。
そこには、一年間積み重ねてきた観察から導き出した考察が並んでいた。
⸻
【考察】
魔素濃度に大きな変化は認められない。
症状悪化の原因は、魔素量ではなく魔力回路機能の低下である可能性が高い。
魔力回路機能を回復できれば、症状の改善が期待できる。
継続観察。
⸻
ルシエはペンを止めた。
一年間。
毎日観察し。
毎日考え。
毎日仮説を立て続けた。
それでも、治療法は見つからない。
昨日、父の論文を読んだ。
今日、アルベルトから父の話を聞いた。
父もまた、答えのない問いを追い続けた研究者だった。
ルシエは研究ノートへそっと手を置く。
「お父さん……」
小さく呟く。
「私も諦めません」
視線は隣の部屋へ向いた。
静かに眠る母。
一年前。
自分を守るために魔素災害の中へ飛び込み、その日から病と闘い続けている母。
あの日から、もう一年。
「何年かかっても」
「必ず、お母さんを治してみせます」
静かな決意とともに、新しいページを開く。
まだ答えは見えない。
それでも問い続ける。
研究とは、分からないことを諦めず、問い続けること。
それを父も、今日出会った先生たちも教えてくれた。
ルシエは再びペンを握り、未来へ繋がる一行を書き始めた。




