第36話 真理への執念
数日後。
魔法理論学の講義が終わり、教室には帰り支度を始める生徒たちの声が広がっていた。
アルベルト・ローエンは教科書を閉じると、一人の生徒へ視線を向ける。
「ルシエ・フローレンスくん」
「はい」
「放課後、少し研究室へ来なさい」
「話がある」
「分かりました」
ルシエは静かに頷いた。
その様子を見ていたレオンが鼻で笑う。
「また呼び出しか」
「主席だからって、いい気になりやがって」
「教授に気に入られたつもりか?」
周囲からも小さな笑い声が漏れる。
ルシエは何も言い返さず、静かに教室を後にした。
◇
魔法理論学研究室。
本棚には古今東西の魔法理論書が隙間なく並び、机の上には論文や研究資料が山積みになっている。
アルベルトは穏やかに微笑んだ。
「入りなさい」
「失礼します」
ルシエは一礼し、静かに部屋へ入る。
「そこの椅子へ」
「はい」
向かい合って腰を下ろす。
しばらく静かな時間が流れた。
やがて、アルベルトが口を開く。
「先日、ギデオン先生から興味深い話を聞いてね」
ルシエは顔を上げる。
「大学院レベルの複合魔法式を、一年生が解いたそうだ」
「しかも、その術式に欠陥があることまで見抜いたという」
ルシエは少し照れくさそうに頷いた。
「たまたま気付いただけです」
アルベルトは静かに首を横へ振る。
「いや、たまたまではない」
「その話を聞いて、私はぜひ一度、君と話してみたいと思ったのだよ」
一拍置く。
「君のことを悪く言う学生も少なくないらしいね」
ルシエは少し驚いたように目を瞬かせた。
「属性魔法が使えない」
「無能だ」
「そんな言葉を耳にすることもあるだろう」
ルシエは小さく俯く。
「……はい」
「慣れているつもりですが」
「やっぱり、少しだけ落ち込むことはあります」
アルベルトは静かに頷く。
「そうだろう」
「人の言葉というものは、ときに魔法よりも鋭い」
一呼吸置き、穏やかな声で続ける。
「だが、気にする必要はない」
ルシエは顔を上げた。
「研究とは、才能を誇ることではない」
「真理へ辿り着くまで考え続ける執念なのだよ」
その言葉は静かだった。
だが、不思議と胸の奥へ深く染み渡っていく。
「ギデオン先生の話を聞いて、私は一つ確信した」
「君は問題を解いて満足しなかった」
「その術式は、本当に正しいのか」
「そこまで考えた」
「普通の学生なら、そこで思考を止めてしまう」
アルベルトは静かに微笑む。
「研究とは、教科書を信じることではない」
「教科書さえ疑い、本当に正しいのかと問い続けることだ」
「君には、その資質がある」
ルシエは言葉を失った。
努力を認められたことはあった。
成績を褒められたこともあった。
しかし。
研究者として認められたのは、初めてだった。
胸の奥が熱くなる。
「……ありがとうございます」
思わず声が震えた。
アルベルトは立ち上がると、本棚へ歩み寄る。
数え切れないほど並ぶ魔法理論書の中から、一冊の古びた論文を取り出し、丁寧に埃を払った。
「これを持って行きなさい」
「君なら、きっと得るものがあるはずだ」
ルシエは両手で受け取る。
「ありがとうございます」
表紙には、かすれた文字で論文名だけが記されている。
ルシエは大切そうに胸へ抱いた。
アルベルトは穏やかに頷く。
「これから先、多くの者が君を否定するだろう」
「常識を疑う者は、いつの時代も理解されにくいものだからね」
一拍置く。
「それでも、考えることをやめてはいけない」
「誰かに笑われても」
「失敗を繰り返しても」
「真理とは、考え続けた者だけが辿り着ける場所にある」
ルシエは力強く頷いた。
「はい」
「私、もっと勉強します」
アルベルトは満足そうに微笑む。
「期待しているよ」
「ルシエ・フローレンスくん」
ルシエは深く一礼すると、論文を抱えたまま研究室を後にした。
廊下を歩きながら、胸の中を温かな想いが満たしていく。
今日まで、自分はただ魔法を知りたくて学んできた。
けれど今、その歩みを理解し、認めてくれる教師がいる。
その事実だけで、胸の奥に小さな勇気が灯っていた。
腕の中の論文へ、そっと視線を落とす。
(今日は帰ったら、ゆっくり読んでみましょう)
そんな小さな期待を胸に、ルシエは夕暮れの校舎を後にした。




