第1話 千年の魔王
初めまして。Atelier Lotusです。
本作を手に取っていただき、ありがとうございます。
この作品は、「魔法を研究する物語」をテーマにしたファンタジーです。
主人公は魔法が使えない少女。
しかし、誰よりも魔法を理解しようとする知識と探究心を武器に、仲間と共に世界の魔法理論へ挑んでいきます。
派手な俺TUEEEではなく、仮説を立て、実験を繰り返し、失敗から学びながら少しずつ真理へ近づいていく――そんな研究者たちの成長を楽しんでいただければ嬉しいです。
もちろん、研究だけではありません。
ルシエとノエルの少しずつ距離が縮まっていく関係も、本作の見どころの一つです。
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それでは、『無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます』をよろしくお願いいたします。
魔王ニコラスが現れてから、およそ千年。
世界は、後に「魔王時代」と呼ばれる長い災厄の中にあった。
魔王。
その言葉を聞けば、多くの者は恐ろしい征服者を思い浮かべるだろう。
無数の軍勢を率いて他国へ攻め込み、町を焼き、人々を服従させる暴君。
あるいは、世界のすべてを支配しようとする欲深き王。
しかし、ニコラスはそのどちらでもなかった。
広大な領土も。
莫大な財宝も。
人々からの忠誠も、崇拝も。
彼は何一つ求めていなかった。
ニコラスが望んだものは、ただ一つ。
自らの死を克服し、永遠に生き続けることだった。
人は生まれ、成長し、老い、やがて死ぬ。
王も。
英雄も。
偉大な魔術師も。
どれほど大きな功績を残そうとも、最後には必ず命を失う。
多くの者は、それを自然の摂理として受け入れていた。
死後は神の御許へ召される。
魂は生まれ変わる。
あるいは永遠の眠りにつく。
人々はそれぞれの信仰や思想によって死を説明した。
だが、誰一人としてそれを証明した者はいない。
死者が戻り、その先に何があったのかを語ったことは、一度もなかった。
ニコラスは、その事実を何より恐れた。
自分は、いったい何処から来たのか。
無から突然生まれたわけではあるまい。
生まれる以前にも、自分という存在へ繋がる何かがあったはずだ。
では、死んだ後は何処へ行くのか。
魂は残るのか。
別の命へ生まれ変わるのか。
それとも、自分という存在は跡形もなく消えてしまうのか。
どれほど古代の文献を読み漁っても。
どれほど高名な聖職者へ尋ねても。
どれほど偉大な魔術師へ問いかけても。
返ってくる答えは、いつも同じだった。
――分からない。
その未知が、ニコラスには耐えられなかった。
死とは、生命活動が止まることではない。
何処から来たのかも分からないまま。
何処へ行くのかも分からない場所へ。
強制的に送り出されることだった。
そこに救いがあるのか。
苦痛が待っているのか。
自分という意識は残るのか。
それとも、すべてが消えてしまうのか。
何一つ分からない。
そして一度死ねば、たとえ答えを知ったとしても二度と戻ることはできない。
だからこそ、ニコラスは魔術を研究した。
死後の世界が分からないのなら、そこへ行かなければいい。
魂の行方が分からないのなら、肉体から離れなければいい。
死そのものを克服すればいい。
病を治すためでもない。
人々の暮らしを豊かにするためでもない。
ただ、自分が死なないために。
昼も夜もなく研究を続けた。
古代の文献を読み漁り。
失われた術式を復元し。
魔素と魔粒子の性質を解き明かす。
幾度失敗しても。
どれほど多くの犠牲を出しても。
ニコラスは止まらなかった。
そして、ついに彼は辿り着く。
老化しない肉体。
傷ついても瞬時に再生する身体。
心臓が止まっても。
肺が朽ちても。
魔法によって無理やり機能を維持し続ける生命。
ニコラスは、自らの肉体を不死へと変貌させた。
人々は、彼を魔王と呼んだ。
だが、魔王となった後も、ニコラスは軍勢を率いて世界へ攻め込むことはなかった。
人間の国を奪おうともせず。
王として民の上へ立とうともしない。
彼はナルシス王国の一角に形成された魔王領、その中心に築かれた魔王城へ引きこもる。
城門は閉ざされ、人前へ姿を現すこともほとんどない。
ただ一人。
さらなる魔術研究を続けていた。
それだけだった。
しかし。
ニコラスが何もしなくとも、世界は少しずつ壊れていく。
魔王城を中心として、魔素は増え続けた。
空気は重く淀み。
川の水は濁り。
大地は黒ずんでいく。
森の木々は異常な速度で成長し、互いの幹を押し潰すほど密集した。
草花は人の背丈を超え、蔓は建物へ絡みつく。
動物たちもまた、過剰な魔素によって姿を変えた。
狼はガルムへ。
豚はオークへ。
霊長類はゴブリンやオーガへ。
魔物となった彼らは、魔王の命令で動いていたわけではない。
ただ、変質した本能のまま人々へ牙を剥いた。
さらに、高濃度の魔素が長期間集まった土地では、地形そのものが変質する。
昨日まで何もなかった丘に巨大な洞窟が生まれ、地下深くまで続く迷宮が形成される。
内部では魔鉱石が育ち、魔物が巣食い、人知を超えた構造を持つ空間となった。
人々は、それをダンジョンと呼んだ。
人間もまた例外ではない。
高濃度の魔素を浴びた者は発熱、呼吸困難、痙攣、意識障害を起こし、魔力回路が暴走する。
命を取り留めても、体内へ残留した魔素が少しずつ魔力回路を侵食していく。
魔素汚染。
そう呼ばれる病に、有効な治療法は存在しなかった。
魔王ニコラスは、自ら人を殺して回ったわけではない。
国を滅ぼせと命じたこともない。
それでも、彼が生き続けるために生み出したものが、世界中の命を奪っていた。
一年。
十年。
百年。
そして千年。
世界は増え続ける魔物と魔素災害に苦しみ続けた。
幾度となく魔王討伐隊が編成された。
各国の騎士団。
高名な冒険者。
歴史に名を刻む魔術師。
数え切れない英雄たちが魔王領へ挑んだ。
しかし、誰一人として魔王城へ辿り着くことはできなかった。
魔物に襲われ。
濃密な魔素に身体を侵され。
あるいは迷宮の奥深くへ消えていった。
人々はやがて思うようになる。
魔王は倒せない。
魔王時代は永遠に続く。
子どもたちは、それを当たり前の歴史として教えられて育った。
それでも世界は諦めなかった。
千年にわたる災厄へ終止符を打つため。
各国、各種族から五人の英雄が選ばれる。
ナルシス王国と魔王領の境界。
かつて豊かな草原だったその場所は、今では黒く変色した大地と異形の森に覆われていた。
空には分厚い雲が垂れ込め、昼なお薄暗い。
魔王領から吹き付ける風には、息苦しいほど濃密な魔素が混ざっている。
その境界に、五つの人影が立っていた。
白き聖衣をまとった大聖女ミュゲ。
聖剣を携えた聖騎士アーサー。
黒剣を背負う暗黒騎士アデラーン。
分厚い書物を抱えた学者クロエ。
そして長杖を手にしたエルフの魔術師サンセリテ。
五人は無言で、遥か彼方にそびえる巨大な城を見つめていた。
魔王城。
千年間、誰一人として攻略できなかった災厄の中心。
五人は静かに歩き始める。
千年続いた魔王時代へ、終止符を打つために。




