第18話 主席
翌日。
新入生たちは、それぞれの教室へ集まっていた。
普段ならば賑やかに言葉を交わしているはずの生徒たちも、今日ばかりはどこか落ち着かない。
これから行われるのは、入学試験の成績発表。
そして、属性適性検査だった。
やがて担任教師が教室へ入り、手にしていた名簿を教卓へ置く。
「それでは、入学試験の成績を発表する」
教室の空気が一変した。
「本校では、筆記試験、実技試験、提出された小論文を総合して入学時の順位を決定している」
主席は誰なのか。
誰もが固唾を呑み、教師の言葉を待っていた。
「今年度の主席は――」
教師が名簿へ視線を落とす。
「ルシエ・フローレンス」
一瞬、教室が静まり返った。
次の瞬間、あちこちから戸惑いの声が上がる。
「ルシエ?」
「誰だ?」
「実技試験で見たか?」
教室中の視線が、一人の少女へ集まった。
窓際の席に座っていたルシエは、驚いたように目を見開く。
自分なりに手応えはあった。
座学試験も、小論文も、持てる知識のすべてを注ぎ込んだ。
それでも、まさか主席になるとは思っていなかった。
ルシエは静かに立ち上がり、一礼する。
「ルシエ・フローレンスです。よろしくお願いします」
しかし、拍手は起こらなかった。
向けられたのは賞賛ではない。
戸惑い。
好奇。
そして、わずかな疑念だった。
◇
数日前。
教授棟の会議室では、入学試験の最終講評会が開かれていた。
一人の教授が、分厚い小論文を机の上へ置く。
「筆記試験満点。小論文も最高評価です」
「題目は『魔粒子循環に関する独自仮説』」
教授たちは論文を手に取り、静かにページをめくり始めた。
そこには、既存の魔粒子循環理論が簡潔に整理されていた。
ただ先人の研究を並べただけではない。
それぞれの学説を比較し、現在の理論では説明できない現象を抽出している。
そのうえで、ルシエは一つの仮説を提示していた。
魔素濃度の変化によって、魔粒子の流れにも局地的な偏りが生じるのではないか。
さらに、その仮説を検証するための実験方法まで記されていた。
異なる魔素濃度の環境を人工的に再現する。
同一の魔水晶を設置し、内部へ流入する魔粒子の量を一定時間ごとに観測する。
気温、湿度、魔鉱物の有無といった条件を統一し、複数回の実験によって再現性を確認する。
一人の教授が、ゆっくりと顔を上げた。
「……学生の論文ではない」
「仮説を述べるだけでなく、反証される可能性まで考慮している」
別の教授も深く頷く。
「実験条件も細かい」
「この手順なら、他の研究者でも同じ検証を行えるだろう」
「大学院博士課程でも、ここまで論理立てて書ける者はそう多くない」
感嘆の声が上がる中、一人の教授が険しい表情を浮かべた。
「しかし、彼女はアルフォンス・フローレンス先生の娘だろう」
会議室が静まり返る。
「アルフォンス先生の未発表論文を参考にした可能性はないのか?」
アルフォンス・フローレンス。
賢者の称号に加え、希少な紫色号を授かった魔術界屈指の研究者。
その名を知らない教授は、この場に一人もいなかった。
「確認しましょう」
書庫からアルフォンスの論文が運び込まれ、教授たちはルシエの小論文と慎重に照合していく。
既存理論の引用箇所。
使用されている観測記録。
論理の組み立て方。
実験手法。
やがて、一人の教授が首を横へ振った。
「違う」
「アルフォンス先生の研究を写したものではない」
別の教授が、二つの論文を机へ並べる。
「アルフォンス先生は、既存理論を組み合わせ、さらに発展させることを得意としていた」
「だが、この少女は違う」
「既存理論が正しいことを前提にしていない」
教授はルシエの論文へ指を置く。
「なぜ、そうなるのか」
「そもそも、その前提は正しいのか」
「この論文は、そこから始まっている」
「引用した研究は多い」
「だが、仮説も検証方法も本人のものだ」
再び、会議室へ静寂が訪れた。
父の論文を借りたのではない。
父の名によって評価されたのでもない。
ルシエ・フローレンスは、自らの視点で既存理論を疑い、自らの頭で新たな仮説を組み立てていた。
その時、一人の教授が静かに口を開く。
「しかし……」
「実技試験は最下位です」
会議室に緊張が走る。
「総合評価なら、実技首席のノエル・アルヴィンを主席とするべきではありませんか」
別の教授も頷いた。
「実技も評価対象です」
「筆記と小論文だけで主席とするのは前例がありません」
試験委員長は静かに論文へ手を置いた。
「もちろん、その点は承知している」
「しかし、この小論文は配点では測れない」
「筆記試験は満点」
「そして、この小論文は他の受験者と比較するまでもない」
委員長は教授たちを見渡す。
「既存理論を整理し、矛盾を見つけ、独自の仮説を立て、さらに第三者が再現可能な実験方法まで示している」
「これは受験答案ではない」
「すでに一本の研究論文だ」
誰も言葉を発しない。
「実技は努力で伸ばせる」
「だが、この発想力と研究能力は教えて身につくものではない」
「本校は魔法学校であると同時に、世界最高峰の研究機関でもある」
「研究者として突出した才能を持つ者を評価しないのであれば、本校の理念に反する」
やがて、一人の教授が静かに頷いた。
「……異論ありません」
続いて、また一人。
全員が賛同する。
試験委員長は静かに結論を告げた。
「総合主席は、ルシエ・フローレンスとする」
◇
発表を終えた教師は、二位以下の名前を順番に読み上げていく。
教室の最後列では、黒髪の少年が腕を組んでいた。
ノエル・アルヴィン。
入学試験では実技最高点を記録している。
筆記試験にも自信があった。
主席は自分だと疑っていなかった。
だが、呼ばれた名前は聞いたこともない少女のものだった。
「……なんであいつが主席なんだ」
ノエルの視線が、窓際のルシエへ向けられる。
その近くでは、レオン・ヴァルハイトが悔しそうに奥歯を噛み締めていた。
入学前から何度も模擬試験で上位に入り、誰よりも努力を積み重ねてきた秀才。
彼もまた、主席の座を狙っていた。
「あんな奴が……?」
ルシエは二人の視線に気付かないまま、静かに席へ座っていた。
彼女が最高評価を受けたのは、既存の答えを誰より多く知っていたからではない。
誰も疑わなかった前提へ疑問を抱き、新たな仮説を生み出した。
その研究者としての才能こそが、世界最高峰の魔法学校に主席として認められた理由だった。




