第16話 私がお母さんを救う
夜。
ルシエは、寝台へ横たわる母の細い手を握っていた。
エレーヌは衰弱しながらも、娘へ穏やかに微笑む。
「そんな顔をしないで」
「あなたまで無理をしなくていいのよ」
しかし、ルシエは首を横へ振る。
「でも……治療法がないって」
「今は、でしょう?」
エレーヌは優しく答えた。
「あなたのお父さんも、昔は治せなかった病気を、いくつも治せるようにしたわ」
「研究というのは、まだ誰も知らない答えを探すことなのでしょう?」
その言葉に、ルシエは顔を上げる。
「……私がお母さんを救う」
少女の、無謀とも思える決意。
それでもエレーヌは微笑んだ。
「ええ」
「楽しみに待っているわ」
◇
その夜。
ルシエは父アルフォンスの書斎へ向かった。
初めて入る部屋ではない。
幼い頃から、父の目を盗んでは勝手に書斎へ忍び込み、本棚から専門書を引き抜いてはページをめくっていた。
読めない言葉は辞書で調べる。
父の真似をして、ノートへ書き写す。
アルフォンスは、それに気付いていた。
それでも叱らなかった。
いつの間にか机の上には、幼いルシエでも読める入門書が置かれるようになっていた。
父が亡くなった後も、ルシエは書斎へ通い続けた。
父が見ていた世界を知りたかった。
いつか父のような研究者になりたかった。
書斎には今も、父が遺した本が並んでいる。
魔法理論。
魔法物理学。
魔粒子学。
魔法医学。
魔法薬学。
そして壁には、賢者にして紫色号を授かった父が生涯愛用した、ルーデル=カルテ製の長杖が静かに立て掛けられていた。
だが、その日から。
本を読む理由は変わった。
父への憧れではない。
純粋な知的好奇心でもない。
母を救うためだった。
分からない言葉があれば辞書を引く。
理解できなければ、何度でも読み返す。
一冊で分からなければ、別の本を開く。
どこにも答えがないのなら、自分で見つけ出す。
研究とは、まだ誰も知らない答えを探すこと。
母の言葉は、ルシエの胸へ深く刻まれていた。
◇
それから一年後。
ルシエ・フローレンスは、王立魔法学校へ入学する。
ルシエの研究者としての人生は、父の書斎から始まった。
だが、自らの研究で誰かを救うと決めたのは、この夜だった。




