表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
160/161

SS 第4話 共同研究者

 放課後。


 研究室には。


 ペンが紙の上を走る音だけが響いていた。


 ルシエとノエルは、同じ机へ向かっている。


 無属性魔法は完成した。


 母を苦しめていた魔素汚染も治療できた。


 研究は魔法協会に認められ。


 二人の名は、魔法史へ刻まれることになった。


 それでも。


 二人の日常は、ほとんど変わっていない。


 放課後になれば研究室へ集まり。


 新しい魔法式について考え。


 気付いたことを伝え合う。


 今日も。


 いつもと同じ時間が流れていた。


「ルシエ」


 ノエルが、手元の資料を指差す。


「ここの変換式だけど」


「魔素の流入量に応じて、回路の負荷が変わるんじゃないか?」


 ルシエは、指し示された式を確認する。


「確かに」


「一定量を超えた時だけ、変換効率が急激に低下しています」


「安全装置が作動する前に、負荷を分散させた方がいいかもしれない」


「では、回路を二つに分けてみましょう」


「ああ」


 ノエルは小さく笑った。


「やっぱり、ルシエならすぐ分かると思った」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ルシエの胸の奥が、ほんの少し温かくなった。


(またです)


 最近。


 ノエルの言葉や表情に。


 身体が反応することが増えている。


 以前であれば。


 研究中に、そのような変化を気にする余裕などなかった。


 母を救う。


 その目的だけで、頭の中は埋め尽くされていた。


 だが。


 今は違う。


 母は救われた。


 研究も認められた。


 長い間、胸の中にあった焦りが消え。


 ようやく。


 周囲を見る余裕が生まれた。


 そして。


 隣にいるノエルのことも。


 以前より、よく見えるようになった。


 ルシエの視線が。


 ノエルの右手へ向かう。


 今では、何の問題もなく動いている。


 ペンを握り。


 魔法式を書き。


 新しい研究の可能性を示してくれる手。


 しかし。


 その手を含めたノエルの身体が。


 一度、自分たちの研究によって傷ついたことがあった。


 そのことを思い出すと。


 さらに前の出来事まで、次々と蘇ってきた。



 無属性魔法へ至るために行った。


 小さな暗黒の再現実験。


 周囲の魔素を、ごく微量だけ体内へ取り込み。


 魔力回路によって。


 術者固有の魔力へ変換する。


 これまでの魔法史が築いてきた安全の原則から外れた。


 極めて危険な実験だった。


 被験者には。


 四大属性への適性を持たないルシエが、最も適していた。


 余計な属性反応を排除できる。


 理論上は。


 ルシエが実験を行うべきだった。


 だが。


 ノエルは、最後まで納得していなかった。


『やっぱり』


『俺がやった方がいいんじゃないか?』


 ルシエが危険性を説明しても。


 不安そうな表情は消えなかった。


『それでも』


『危なくなったら、すぐに止めろ』


『はい』


『成功していてもだ』


『分かっています』


『本当に?』


『本当です』


 何度も。


 何度も確認された。


 当時のルシエは。


 それを共同研究者として当然の安全確認だと思っていた。


 だが。


 実験が成功し。


 魔素から固有魔力への変換が確認された直後。


 ルシエの魔力回路は、急激な負荷へ耐えられなくなった。


 腕から肩へ。


 肩から胸へ。


 全身を激しい痛みと熱が襲った。


 呼吸ができず。


 その場へ崩れ落ちた。


 その時。


 ノエルは。


 観測器より先に、ルシエのもとへ駆けつけた。


『ルシエ!』


 倒れかけた身体を支え。


 必死に呼び掛けてくれた。


 それでもルシエは。


 観測記録のことばかり考えていた。


『記録……』


『何?』


『観測記録を……』


『今は、そんなことどうでもいい!』


 ノエルは。


 いつも穏やかな彼からは想像できないほど、強い声を上げた。


『記録は俺が回収する!』


『全部、ちゃんと残すから』


『だから今は』


『自分のことだけ考えてくれ……!』


 あの時。


 ノエルの腕の中で見上げた顔は。


 研究が成功した者の顔ではなかった。


 青ざめ。


 苦しそうに眉を寄せ。


 ただ。


 ルシエのことだけを心配していた。


 実験の成功よりも。


 貴重な観測記録よりも。


 ルシエの安全を優先してくれた。



 それから。


 二人は、危険な変換処理を人間の身体から切り離すため。


 外部魔力回路の研究を始めた。


 魔素の誘引。


 濃度調整。


 術者固有の魔力への変換。


 安定化。


 保持。


 出力制御。


 逆流防止。


 人間の魔力回路が無意識に行っている処理を。


 一つずつ、身体の外へ再現しようとした。


 最初の変換実験では。


 基準として、ルシエの魔力を使う予定だった。


『最初の基準には』


『私の魔力を使います』


 ルシエが測定器へ手を伸ばすと。


 ノエルは、その手を止めた。


『いや』


『俺の魔力を使おう』


『ですが』


『今回は、身体の外で変換するんだろ?』


『はい』


『被験者の身体へ魔素を通すわけでもない』


『測定のために、ごく少量の魔力を外へ出すだけです』


『だったら、危険はないんだな?』


『これまでの実験と比べれば』


『危険性は、ほとんどありません』


 それを確認してから。


 ノエルは当然のように言った。


『なら、俺でいい』


『ルシエは休め』


 ルシエが疲れていないと答えても。


 ノエルは譲らなかった。


『身体を使う実験は』


『ずっとルシエがやってきただろ』


『今回は俺がやる』


 当時は。


 ノエルの魔力が安定していること。


 四大属性すべてに適性を持ち、基準値として測定しやすいこと。


 実験上の利点にばかり意識が向いていた。


 だが。


 今なら分かる。


 ノエルは。


 単に、自分の魔力が実験へ適しているから申し出たのではない。


 これ以上。


 ルシエ一人に危険な役目を背負わせたくなかったのだ。


 自分も同じ研究者として。


 危険も。


 負担も。


 引き受けようとしてくれていた。



 そして。


 外部魔力回路の実験中。


 魔力が逆流した。


 今度は。


 ノエルが傷ついた。


 魔力回路だけではない。


 筋肉や内臓にまで損傷を負い。


 一人で歩くことさえ難しくなった。


 その姿を見て。


 ルシエは研究をやめようとした。


 自分の研究によって。


 ノエルを傷つけてしまった。


 これ以上続ければ。


 次は、本当に取り返しのつかないことになるかもしれない。


 研究資料を箱へしまい。


 観測記録を片づけ。


 壁へ描いた魔法式も、すべて消した。


 それで。


 終わらせるつもりだった。


 だが。


 数日後。


 ノエルは、松葉杖をつきながら研究室へ戻ってきた。


 歩くだけでも苦しいはずなのに。


 研究を続けるために。


 戻ってきた。


『研究は……中止します』


 ルシエが告げると。


 ノエルは怒った。


『勝手に終わらせるな』


 静かな声だった。


 だが。


 その一言には。


 はっきりとした怒りが込められていた。


『私の研究で』


『ノエルが傷つきました』


 ノエルは首を横へ振った。


『君だけの研究じゃない』


『俺は』


『君に付き合わされていたんじゃない』


『自分で考えて』


『自分で危険性を理解して』


『自分の意思で』


『この研究に参加した』


 そして。


 真っ直ぐにルシエを見つめた。


『俺は』


『君の共同研究者だ』


 あの言葉に。


 ルシエは救われた。


 自分一人が。


 すべての責任を背負わなくてもいいのだと。


 失敗したなら。


 なぜ失敗したのかを調べればいい。


 逆流しない術式を考える。


 安全装置を増やす。


 そうやって。


 少しずつ完成へ近づけばいい。


 ノエルは、そう言ってくれた。


 そして。


 箱へしまった資料を机へ戻し。


 もう一度、研究を始めようとした時。


 ノエルは。


 ルシエの頭を、そっと撫でた。


『一人で背負うな』


『共同研究者だろ』


 優しい手だった。


 温かくて。


 安心して。


 涙が止まらなくなった。


 けれど。


 あの時のルシエには。


 その優しさについて、深く考える余裕がなかった。


 母を助けたい。


 無属性魔法を完成させたい。


 ただ、それだけで。


 胸の中はいっぱいだった。


 ノエルが。


 どれほど自分を心配してくれていたのか。


 傷ついた身体で。


 なぜ研究室へ戻ってきてくれたのか。


 あの言葉に。


 どれほどの覚悟が込められていたのか。


 考えようともしなかった。



「ルシエ?」


 名前を呼ばれ。


 ルシエは我に返った。


 ノエルが、不思議そうにこちらを見ている。


「どうした?」


「さっきから、俺の手を見てるけど」


「……見ていましたか?」


「ああ」


 ノエルは自分の右手を確認する。


「何か付いてる?」


「いいえ」


「では、どうして?」


 ルシエは少し迷ってから答える。


「以前」


「その手が傷ついたことを思い出していました」


 ノエルは一瞬だけ目を丸くした。


 それから。


 何でもないことのように、右手を動かしてみせる。


「もう治ってる」


「問題なく動くよ」


「はい」


「それに」


 ノエルは穏やかに笑った。


「あの失敗があったから」


「逆流防止の術式も、安全装置も完成させられた」


「無駄じゃなかった」


 やはり。


 ノエルは後悔していない。


 危険性を理解したうえで研究へ参加し。


 失敗さえも。


 次の成功へつながるものとして受け入れている。


「ノエル」


「何?」


「あの時」


「研究をやめようとした私を、止めてくれましたね」


「ああ」


「覚えています」


「かなり怒られましたので」


「それは……」


 ノエルは少し気まずそうに視線を逸らした。


「勝手に全部片づけていたから」


「腹が立ったんだ」


「ごめんなさい」


「今さら謝らなくていい」


 ノエルは苦笑する。


「ルシエが一人で責任を背負おうとするのは」


「今に始まったことじゃないから」


「気をつけます」


「本当に?」


「努力します」


「それならいいけど」


 ルシエは。


 目の前にいるノエルを見つめる。


 この人は。


 自分が危険な目に遭えば、本気で心配してくれる。


 自分ばかりが被験者になろうとすれば。


 今度は自分がやると言ってくれる。


 研究によって傷ついても。


 責めることなく、隣へ戻ってきてくれる。


 自分がすべてを諦めようとすれば。


 勝手に終わらせるなと怒ってくれる。


 そして。


 一人で背負うなと言ってくれる。


(共同研究者)


 二人の関係を示す言葉。


 これまで。


 何度も口にしてきた。


 だが。


 それは単に。


 一緒に研究をする相手という意味ではなかったのかもしれない。


 成功を分かち合い。


 失敗も引き受け。


 危険な時には支え合い。


 どちらかが一人で背負おうとすれば。


 もう一人が、その荷物を半分持つ。


 ノエルにとって。


 共同研究者とは。


 きっと、そういう存在だった。


 ルシエは。


 ようやく、その意味を理解し始めていた。


「ノエル」


「何?」


「これからも」


「私と研究を続けてくれますか?」


 ノエルは首を傾げる。


「急にどうした?」


「確認です」


「確認?」


「はい」


 ノエルは少し考えてから。


 当然のことのように答えた。


「続けるよ」


「まだ調べたいことは、いくらでもあるから」


「ルシエもそうだろ?」


「はい」


 ルシエは頷く。


 だが。


 次の言葉は。


 自分でも考えるより先に口から出た。


「ですが」


「研究したいことがなくなったとしても」


「ノエルには、研究室へ来てほしいです」


「え?」


 ノエルが目を瞬かせる。


 ルシエ自身も。


 口にしてから、その言葉の意味を考えた。


 研究することがなくても。


 隣にいてほしい。


 新しい発見をしなくても。


 同じ机へ向かってほしい。


 ノエルの声を聞き。


 ノエルと話し。


 同じ時間を過ごしたい。


 それは。


 共同研究者として。


 当然の感情なのだろうか。


「ルシエ?」


「……分かりません」


「何が?」


「なぜ今の発言をしたのかです」


「自分で言ったのに?」


「はい」


 ノエルはしばらく黙ったあと。


 少しだけ嬉しそうに笑った。


「じゃあ」


「研究することがなくなっても、来るよ」


「本当ですか?」


「ああ」


「約束する」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥に。


 強い安心感が広がった。


(胸部圧迫感なし)


(心拍数、やや上昇)


(体温上昇)


(ただし、不快感なし)


 これまでとは違う反応だった。


 苦しくない。


 苛立ちもない。


 ただ。


 嬉しくて。


 温かい。


 ルシエは。


 ノエルが研究室へ来なくなる未来を想像する。


 ノエルと一緒に考えられなくなる。


 新しい発見を。


 最初にノエルへ伝えられなくなる。


 同じ机へ向かうことも。


 何気ない言葉を交わすこともなくなる。


 そのような未来を想像しただけで。


 胸の奥に。


 ぽっかりと穴が開いたような感覚が生まれた。


(私は)


(ノエルがいなくなると)


(とても寂しいです)


 ルシエは。


 初めて。


 その感情を、はっきりと言葉にできた。


 しかし。


 なぜ寂しいのかまでは。


 まだ分からない。


「どうした?」


 ノエルが尋ねる。


 ルシエは小さく首を横へ振った。


「何でもありません」


「本当に?」


「はい」


 少しだけ考えてから。


 言葉を付け加える。


「共同研究者について」


「再評価していただけです」


「俺を?」


「はい」


「結果は?」


 ルシエはノエルを見る。


 誰も自分を信じなかった時から。


 自分の目で見てくれた人。


 危険な時には心配し。


 自分の代わりに危険を引き受けようとし。


 傷ついても隣へ戻り。


 一人で背負うなと言ってくれた人。


 そして。


 いなくなると。


 とても寂しい人。


「まだ」


「観察中です」


 ノエルは苦笑した。


「またそれ?」


「重要な観察ですので」


「そう」


 ノエルは再び論文へ視線を戻す。


「結果が出たら、教えてくれ」


「……はい」


 ルシエも。


 机の上の研究ノートを開いた。


 新しいページへ。


 一行だけ書き加える。


『ノエルがいなくなることを想像すると、強い寂しさを感じる』


 さらに。


 少し迷ったあと。


 その下へ続けた。


『共同研究者という言葉だけでは、説明が不十分である可能性』


 ルシエは。


 しばらくその一文を見つめる。


 だが。


 答えは、まだ書けなかった。


 隣では。


 何も知らないノエルが。


 いつものように研究を続けている。


 その姿がここにあるだけで。


 胸の奥は。


 不思議なほど満たされていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ