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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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SS 第5話 大切な人

 放課後。


 ルシエとノエルは、並んで帰り道を歩いていた。


 空は夕焼けに染まり。


 長く伸びた二人の影が、石畳の上で重なっている。


 研究室を出てから。


 二人の間には、どこか落ち着かない空気が流れていた。


 普段なら。


 帰り道でも研究の話をしている。


 次に試す魔法式。


 新しく読む予定の文献。


 観測方法の改善点。


 話題が尽きることはない。


 だが。


 今日は二人とも、ほとんど話していなかった。


 ルシエは。


 隣を歩くノエルを、時折横目で見る。


 数日前から続けてきた観察。


 胸部圧迫感。


 心拍数上昇。


 体温上昇。


 女生徒と話している時にだけ現れる、明確な反応差。


 ノエルが。


 誰も自分を見てくれなかった時から。


 自分の目で、ルシエを見ていてくれたこと。


 危険な実験では。


 何度もルシエを止めようとしてくれたこと。


 自分が傷ついても。


 共同研究者として、隣へ戻ってきてくれたこと。


 そして。


 ノエルがいなくなる未来を想像すると。


 強い寂しさを感じること。


 そこまでは分かった。


 だが。


 その感情が何なのか。


 まだ結論は出ていない。


 ルシエが考え込んでいると。


 不意に。


 二人の手が触れ合った。


「……っ」


「……!」


 同時に手を引く。


 ほんの一瞬。


 指先が触れただけだった。


 それなのに。


 ルシエの心臓は、大きく跳ねた。


(心拍数急上昇)


(体温上昇)


(特に顔面部)


 隣を見ると。


 ノエルも顔を赤くしていた。


「ご、ごめん」


「いいえ」


「こちらこそ」


 短いやり取りのあと。


 再び沈黙が訪れる。


 互いに前を向いたまま。


 手だけが。


 先ほどより少し離れた位置で揺れていた。


 ルシエは、胸元へ手を当てる。


 心拍は、なかなか元へ戻らない。


 ノエルと手が触れた。


 ただ、それだけ。


 危険はない。


 身体への悪影響もない。


 逃げる必要もない。


 それなのに。


 どうして、これほど動揺するのだろう。


 しばらく考えたあと。


 ルシエは、突然足を止めた。


「ノエル」


 ノエルも足を止める。


「何?」


 ルシエは真っ直ぐ、ノエルを見つめた。


「私のことを」


「どう思っていますか?」


「……え?」


 ノエルの顔が。


 先ほど以上に赤くなる。


「どうって……」


「どのような存在だと思っているのか」


「確認したいです」


「急だな……」


「以前から、確認する必要があると考えていました」


「そういうことを」


「そんな真剣な顔で聞くのか?」


「重要な質問ですので」


 ノエルは困ったように視線を逸らす。


 耳まで赤くなっている。


 しばらく黙ったあと。


 小さな声で答えた。


「大切な人だと思ってる」


 ルシエは目を瞬かせる。


「大切な人」


「ああ」


「それは」


「どのように大切なのですか?」


「どのようにって……」


 ノエルは言葉に詰まる。


「大切は、大切だよ」


「説明になっていません」


「僕にも、うまく説明できないんだ」


「研究仲間として大切なのですか?」


「それだけじゃないと思う」


「では、友人として?」


「それもあるけど」


「他には?」


「そんなに細かく聞かないでくれ」


 ノエルは顔を覆いたくなるのを堪えるように、額へ手を当てた。


「自分でも」


「まだ整理できてないんだ」


「そうですか」


 ルシエは真剣に頷く。


「ノエルにも、説明できない感情があるのですね」


「あるよ」


「むしろ」


「今はルシエのせいで、かなり混乱してる」


「私のせいですか?」


「ああ」


「それは申し訳ありません」


「謝らなくていい」


 ノエルは小さく息を吐く。


 そして。


 今度は、ルシエを見つめ返した。


「じゃあ」


「ルシエにとって」


「僕は、どんな存在なんだ?」


「ノエルは」


 ルシエは、いつものように答えようとした。


「共同研究者です」


 その瞬間。


 ノエルの肩が、目に見えて落ちた。


「……そう」


 分かりやすく落ち込んでいる。


 ルシエは、その反応を不思議そうに見る。


「どうしましたか?」


「何でもない」


「急に元気がなくなりました」


「気のせいだよ」


「明確な変化が確認できます」


「観察しないでくれ」


 ノエルは、深いため息をつく。


 だが。


 ルシエの言葉は、まだ終わっていなかった。


「ですが」


 ノエルが顔を上げる。


「以前は」


「一人で研究することが楽しかったです」


 幼い頃から。


 本を読み。


 分からないことを考え。


 自分なりの答えを探す。


 一人でいることを。


 苦しいとは思わなかった。


 むしろ。


 誰にも邪魔されず。


 静かに研究できる時間が好きだった。


「ですが、今は」


 ルシエは、ゆっくりと言葉を続ける。


「ノエルが研究室にいない」


「ノエルと一緒に考えられない」


「新しい発見を、最初にノエルへ伝えられない」


「そう考えると」


「とても寂しいです」


 ノエルの目が、大きく見開かれる。


 ルシエも。


 自分の言葉を確かめるように、胸元へ手を置いた。


「研究室に入った時」


「ノエルがいると、安心します」


「難しい問題があっても」


「一緒に考えれば、答えへ近づけると思えます」


「それだけではなく」


「研究と関係のない話でも」


「ノエルに聞いてほしいと思います」


「何か嬉しいことがあれば」


「最初に伝えたいです」


「反対に」


「辛いことがあった時も」


「隣にいてほしいと思います」


 口にするたび。


 これまで曖昧だった感情が。


 少しずつ、形を持っていく。


「ですから」


 ルシエは真っ直ぐ、ノエルを見つめる。


「ノエルは」


「私にとっても、大切な人です」


 ノエルの顔が。


 一瞬で真っ赤になった。


 それを見たルシエも。


 自分が何を言ったのか理解し。


 遅れて顔を赤くする。


 二人は。


 しばらく何も言えなかった。


 夕暮れの道で。


 ただ向かい合い。


 互いに視線を逸らしている。


 やがて。


 ノエルが、おそるおそる尋ねた。


「それは」


「研究者として?」


 ルシエは答えようとする。


 だが。


 言葉が出なかった。


 共同研究者だから。


 ノエルがいなくなると寂しい。


 それだけなら。


 研究をする場所でだけ、隣にいてほしいはずだ。


 だが。


 ルシエは先ほど。


 研究と関係のない話も聞いてほしいと言った。


 嬉しい時も。


 辛い時も。


 隣にいてほしいと思っている。


 それを。


 研究者としての感情だけで説明できるのだろうか。


「……分かりません」


 ルシエは正直に答えた。


「共同研究者として大切なのか」


「友人として大切なのか」


「それ以外の意味があるのか」


「現時点では」


「正確に判断できません」


「そうか」


 ノエルは。


 少し残念そうで。


 それでも、どこか安心したように笑った。


「ですが」


 ルシエは続ける。


「これから調べます」


「調べる?」


「はい」


「この感情が何なのか」


「観察と検証を続けます」


「感情を研究するの?」


「はい」


 ルシエは真剣に頷いた。


「これまで」


「自分の感情を詳しく調べたことはありませんでした」


「ですが」


「原因不明の状態を放置することは」


「研究者として望ましくありません」


 ノエルは。


 思わず吹き出した。


「ルシエらしいな」


「笑うところではありません」


「ごめん」


「でも」


 ノエルは、少し照れたように頬をかく。


「その研究なら」


「僕も共同研究者になっていい?」


 ルシエは目を瞬かせる。


「ノエルも?」


「ああ」


「その感情には」


「たぶん、僕も関係してるから」


 再び。


 ルシエの胸が大きく跳ねた。


(心拍数上昇)


(体温上昇)


(原因は、ノエルの発言である可能性が高い)


 ルシエは数秒考えてから。


 小さく頷いた。


「ノエルにも関係がありそうですから」


「共同研究者としての参加を許可します」


「ありがとう」


「ただし」


「観察結果は、正確に報告してください」


「分かった」


「都合の悪いことを隠すのも禁止です」


「それはルシエもだろ?」


「もちろんです」


「では」


 ノエルは笑いながら、右手を差し出した。


「これからもよろしく」


 ルシエは。


 差し出された手を見る。


 先ほど。


 偶然触れただけで。


 二人とも顔を赤くしてしまった手。


 一瞬だけ迷ったあと。


 ルシエも、自分の手を差し出す。


 ゆっくりと。


 二人の手が重なった。


「……」


「……」


 互いの顔が。


 また同時に赤くなる。


 それでも。


 今度は、すぐに手を離さなかった。


「心拍数が上昇しています」


「報告しなくていい」


「観察結果です」


「僕も同じだから」


「ノエルも?」


「ああ」


「では」


「再現性がありますね」


「そういう問題なのかな……」


 二人は手を離し。


 再び並んで歩き始める。


 距離は。


 これまでと変わらないはずだった。


 だが。


 先ほどよりも。


 少しだけ近くなっていた。


 世界の魔法理論を書き換えた少女は。


 自分の感情だけは。


 まだ正しく理解できていなかった。


 そして。


 その研究へ参加した少年も。


 答えを知っているわけではなかった。


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