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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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SS 第3話 自分の目

 数日後。


 昼休み。


 ルシエは廊下を歩きながら、これまで記録してきた観察内容を整理していた。


(胸部圧迫感)


(心拍数上昇)


(体温上昇)


(集中力低下)


(原因不明)


 症状が現れる条件は、まだ特定できていない。


 そこで今日は。


 ノエルと周囲の人間との接触によって、自分の反応が変化するか確かめることにした。


 その時だった。


「ノエル!」


 前方から、一人の男子生徒が声を掛ける。


「今度の論文も期待してるぞ!」


「ああ、ありがとう」


「完成したら読ませてくれよ」


「もちろん」


 二人は少しだけ話をして別れた。


 ルシエは、自分の身体の変化を確認する。


(異常なし)


(胸部圧迫感なし)


(心拍数正常)


 特に問題はない。


 ところが。


「ノエル様!」


 今度は、数人の女生徒が駆け寄ってきた。


「この前のお話、とても勉強になりました!」


「今度、無属性魔法について詳しく教えていただけませんか?」


 ノエルは少し困ったように笑う。


「僕でよければ」


 その瞬間。


 ルシエの胸が、ぎゅっと締め付けられた。


(胸部圧迫感を確認)


(心拍数上昇)


(軽度の苛立ち)


(ノエルをこちらへ連れて来たい衝動)


 さらに。


 これまで記録していなかった感情まで浮かんでくる。


(自分を優先して欲しい)


(他の女生徒へ、その笑顔を向けて欲しくない)


 ルシエは足を止めた。


(明確な反応差を確認)


 男子生徒と話していた時には、何も起きなかった。


 しかし。


 女生徒と話している時だけ、症状が現れる。


(なぜでしょう)


 話している相手の性別によって。


 これほど明確な差が生じる理由が分からない。


 ルシエは、女生徒たちと話しているノエルを見つめる。


 考えているうちに。


 一つ。


 また一つと。


 これまでの出来事が脳裏へ浮かんできた。


 最初に言葉を交わした日。


 護身魔法の実技授業。


 レオンが放った風弾を前に。


 ルシエは、自分の身を守ることができなかった。


 その時。


『――《呪文返し》』


 静かな声とともに。


 ノエルは、発動済みの攻撃魔法を崩壊させた。


 ルシエが礼を伝えると。


 ノエルは振り返ることもなく言った。


『君を助けたわけじゃない』


『次は、自分で身を守れる方法を考えろ』


 優しい言葉ではなかった。


 冷たくさえ聞こえた。


 けれど。


 見下されているとは感じなかった。


 誰もがルシエを無能と呼ぶ中で。


 ノエルだけは。


 できないことを笑うのではなく。


 次にどうすればできるようになるかを考えろと言った。


 初めから。


 ルシエを、自分で考えられる人間として扱ってくれていた。


 さらに思い出す。


 魔導冷房機の論文が却下された翌日。


 レオンたちから笑われ。


 ルシエは、自分がいたせいでノエルの未来まで傷つけてしまったのだと思った。


『私さえいなければ――』


 そう口にした瞬間。


 ノエルは、声を張り上げた。


『違う!』


 いつも冷静なノエルが。


 拳を固く握り。


 本気で怒っていた。


『火属性魔法の本質に気づいたのは、ルシエだ』


『研究を始めたのも君だ。何度失敗しても諦めなかったのも君だ』


『実験方法を見直して、失敗も隠さず論文へ残した。条件を統一して、第三者による再現実験まで成功させた』


 ただ慰めるのではなく。


 ルシエが研究へ何を残したのか。


 一つずつ。


 具体的に言葉へしてくれた。


『君がいなかったら、あの魔導冷房機は完成しなかった』


『君がいなかったら、あの論文は存在すらしていない』


 あの時。


 ルシエは初めて。


 自分がノエルの邪魔ではなかったのだと思えた。


 それだけではない。


 以前。


 廊下で、数人の生徒が話しているのを偶然耳にしたことがある。


『この前、レオンがノエルに絡んでいたらしいぞ』


『主席と研究するのをやめろって言ってたんだろ?』


『ああ。あんな無能と一緒にいても、何も得られないって』


 聞き慣れた言葉だった。


 四大属性魔法を使えない無能。


 座学だけの主席。


 知識を詰め込んでいるだけ。


 何度も聞いてきた。


 今さら傷つくような言葉ではない。


 そのはずだった。


 だが。


 続いて聞こえてきた言葉に。


 ルシエは足を止めた。


『でも、ノエルが全部否定したらしい』


『ルシエが無能かどうかは、お前たちの評価だって』


『僕は、自分の目で判断するってさ』


 ルシエは。


 その場で何も言えなくなった。


 ノエル本人から聞いた話ではない。


 誰かが見聞きした出来事が。


 噂となって伝わってきただけだった。


 それでも。


 嘘だとは思わなかった。


 ノエルなら。


 きっと本当に、そう言ったのだと思えた。


『僕は彼女と研究していて、何度も教わったことがある』


『魔法の見方をね』


 その言葉まで聞いた時。


 ルシエの胸の奥に、小さな温かさが生まれた。


 自分のいないところで。


 本人へ知られることもない場所で。


 ノエルは、ルシエの価値を認めてくれていた。


 周囲が何と言おうと。


 ルシエへどのような評価を付けようと。


 ノエルは。


 自分で考え。


 自分で見て。


 ルシエという人間を判断していた。


「……そうでしたね」


 ルシエは小さく呟く。


 誰も。


 自分の理論を信じてくれなかった時も。


 誰も。


 自分を研究者として認めてくれなかった時も。


 ノエルだけは違った。


 最初から。


 肩書きでも。


 魔法適性でも。


 周囲の評価でもなく。


 ルシエ自身を見てくれていた。


 ずっと前から。


 自分の目で。


 それなのに。


 ルシエは。


 母を救うことだけで精一杯だった。


 研究を完成させることだけで頭がいっぱいだった。


 ノエルが何を考え。


 どのような顔で自分を見ていたのか。


 ちゃんと見ようとしていなかったのかもしれない。


 少し前を歩くノエルを見る。


 女生徒たちとの話を終えたノエルが、こちらへ振り返った。


「ルシエ?」


 目が合う。


 いつもと変わらない。


 穏やかな瞳。


 だが。


 今日は、以前とは違って見えた。


(私は)


(ノエルのことを、ほとんど知りません)


 毎日のように一緒にいた。


 何度も研究について話した。


 誰より長く、同じ机へ向かってきた。


 それでも。


 研究以外のノエルを。


 自分は、どれほど見てきただろう。


(観察対象を再評価する必要があります)


 ルシエは研究ノートを開いた。


『ノエル・アルヴィン』


 少し考えてから。


 その下へ、新しい一行を書き加える。


『誰も私を見てくれなかった時から、自分の目で私を見ていてくれた人』


 書き終えた瞬間。


 胸の奥が、少しだけ温かくなった。


 先ほどまで感じていた苦しさとは違う。


 穏やかで。


 どこか懐かしい温かさだった。


「何を書いてるんだ?」


 いつの間にか。


 ノエルがすぐ目の前まで来ていた。


「秘密です」


 ルシエは素早く研究ノートを閉じる。


「また秘密?」


「はい」


「最近、秘密が増えたね」


「私にも、まだ説明できませんので」


「自分でも分からないの?」


「分かりません」


 ルシエは閉じた研究ノートを胸へ抱える。


 しかし。


 一つだけ。


 分かったことがある。


 ノエルは。


 ずっと前から、自分を見てくれていた。


 ならば今度は。


 自分が、ノエルを見る番なのかもしれない。


 その感情の名前を。


 ルシエは、まだ知らなかった。

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