第152話 正当な評価
魔法師認定から。
数日後。
ルシエとノエルは。
研究へ協力してくれた人々のもとへ。
改めて挨拶に回っていた。
最初に訪れたのは。
アルベルトの研究室だった。
「失礼します」
「入りたまえ」
二人が扉を開けると。
アルベルトは。
いつものように。
大量の論文に囲まれていた。
ルシエとノエルは。
机の前へ並び。
深く頭を下げる。
「アルベルト教授」
「これまで」
「本当にありがとうございました」
アルベルトは。
手にしていた論文を置いた。
「何の礼だね?」
「実験室を貸していただいたこと」
「研究へ協力していただいたこと」
「論文の監修をしていただいたことです」
ノエルも頷く。
「教授がいなかったら」
「研究を続けることすら」
「できなかったかもしれません」
アルベルトは。
しばらく二人を見つめる。
そして。
静かに首を横へ振った。
「私は」
「場所を貸し」
「質問へ答え」
「研究が正しく進んでいるか」
「確認しただけだ」
「仮説を立て」
「実験し」
「失敗し」
「それでも諦めず」
「答えへ辿り着いたのは」
「君たちだ」
ルシエが。
少しだけ目を伏せる。
「ですが」
「教授から教えていただいたことは」
「たくさんあります」
「それもまた」
「教師の役目だ」
アルベルトは。
僅かに笑った。
「教師にとって」
「教え子に追いつかれることは」
「誇らしい」
「そして」
「追い抜かれる瞬間こそ」
「最も幸せな時だ」
ルシエとノエルは。
驚いたようにアルベルトを見る。
「君たちは」
「私が一生をかけても」
「辿り着けなかった場所へ」
「もう立っている」
「だから」
「胸を張りたまえ」
「これは」
「君たちの成果だ」
二人は。
もう一度。
深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
アルベルトは。
静かに頷く。
「これからも」
「真理への執念を」
「忘れないことだ」
「はい」
◇
研究室を出た二人は。
次に。
ホルトンのもとを訪れた。
「ホルトン先生」
「フランソワ先生」
「ありがとうございました」
部屋の中では。
ホルトンとフランソワが。
お茶を飲んでいた。
そして。
その隣には。
ブッシャーも座っている。
「ルシエちゃん」
「ノエルちゃん」
「おめでとう」
ホルトンは。
いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「本当によく頑張ったね」
「ありがとうございます」
「治療を実施できたのは」
「ホルトン先生が」
「医学的な安全性を」
「確認してくださったからです」
ホルトンは。
ゆっくり首を横へ振る。
「私は」
「危険がないかを確認しただけだよ」
「お母さんを救うために」
「ここまで頑張ったのは」
「ルシエちゃんとノエルちゃんだ」
「だから今は」
「自分たちを褒めてあげてね」
「はい」
フランソワは。
焼き菓子を食べながら。
にこにこと笑っている。
「二人とも」
「すごいねー」
「世界の魔法理論」
「変えちゃったねー」
「フランソワ先生にも」
「計算式を確認していただきました」
「うん」
「計算しただけだよー」
「間違ってなかったよー」
「すごかったー」
相変わらず。
驚くほど軽い。
だが。
フランソワが確認したという事実だけで。
計算上の信頼性は。
十分すぎるほど保証されていた。
その隣で。
ブッシャーは。
黙ったまま論文を読んでいる。
顔色は悪い。
目の下には。
濃い隈ができていた。
しかし。
頁をめくる手だけは。
異様に速い。
「ブッシャー先生?」
ルシエが声をかける。
ブッシャーは。
ゆっくり顔を上げた。
「面白い」
「え?」
「この式」
「無属性変換回路」
「普通は」
「こんな発想にならない」
そして。
すぐに論文へ視線を戻す。
「外部魔素を」
「術者固有の魔力へ変換せず」
「目的現象へ直接接続する」
「従来理論の前提を」
「根本から外している」
言葉は淡々としている。
しかし。
その声には。
隠しきれない熱があった。
「安全機構もいい」
「停止」
「循環」
「出力制限」
「緊急遮断」
「すべて揃っている」
「臨床へ進めた理由が分かる」
フランソワが。
嬉しそうに笑う。
「ブッシャー」
「昨日から」
「ずっと読んでるんだよー」
「久しぶりに」
「楽しそうだよー」
「楽しくない」
ブッシャーは即答した。
「寝ていないだけだ」
「それ」
「だめなやつだよー」
ホルトンも。
困ったように笑う。
「ちゃんと休もうね」
「あとで」
「今」
「一番重要なところ」
ブッシャーは。
再び論文へ顔を近づけた。
心を病み。
多くの人を避けるようになった彼が。
今は。
一人の研究者として。
新しい理論へ夢中になっている。
ルシエは。
少しだけ嬉しくなった。
「読んでいただいて」
「ありがとうございます」
「礼はいらない」
「勝手に読んでいる」
それだけ言うと。
ブッシャーは。
また論文の世界へ戻っていった。
◇
最後に。
二人が訪れたのは。
マイヤーの研究室だった。
「失礼します」
「帰れ」
扉の向こうから。
即答が返ってきた。
ルシエとノエルは。
思わず顔を見合わせる。
「まだ」
「用件を伝えていません」
「お前たちが来る理由など」
「礼以外にないだろう」
どうやら。
訪ねてくることを予想していたらしい。
「入れ」
二人が研究室へ入ると。
マイヤーは。
机へ向かったまま。
振り返ろうともしなかった。
「お礼を伝えに来ました」
「いらん」
「まだ何も言っていません」
「だから」
「礼はいらんと言っている」
相変わらずだった。
ルシエは。
それでも深く頭を下げる。
「論文を審査していただいたこと」
「私たちの研究を」
「正しく評価していただいたことです」
マイヤーの手が止まる。
そして。
不機嫌そうに振り返った。
「礼を言われる筋合いはない」
「私は」
「研究者として」
「正しい評価を下しただけだ」
「ですが」
「マイヤー先生が」
「火属性魔法の研究から」
「無属性魔法へ至った道筋を」
「学会で示してくださらなければ」
「三つの成果が」
「一つの研究から生まれたものだと」
「理解されなかったかもしれません」
「黙れ」
マイヤーは。
苛立ったように眉を寄せる。
「そもそも」
「お前たちは」
「私を超えた」
「実に忌々しい」
「腹立たしい」
「学生の分際で」
「新しい魔法作用理論を作り」
「新しい魔法体系を完成させ」
「治療法まで確立した」
「順序というものを知らないのか」
ルシエとノエルは。
顔を見合わせる。
「褒められているのでしょうか」
「さあ」
「聞こえているぞ」
二人は。
思わず口を閉じた。
マイヤーは。
しばらく二人を睨んでいたが。
やがて。
深く息を吐く。
「初めて」
「お前たちの研究資料を読んだ時」
「私は言ったな」
「完成まで」
「少なくとも数十年は必要だと」
「はい」
あの日。
理論は間違っていないと認められた。
だが。
エレーヌには。
完成を待つ時間が残されていなかった。
「私は」
「間違ったつもりはない」
「完全な複製を目指していれば」
「本当に数十年かかっていただろう」
「お前たちは」
「私の示した道を」
「そのまま進まなかった」
「術者の魔力を」
「完全に複製するのではなく」
「必要な作用だけを」
「外部魔素へ再現した」
「原理を探し」
「別の答えを見つけた」
マイヤーは。
忌々しそうに顔を歪める。
「それが」
「腹立たしい」
「私が数十年必要だと判断した問題を」
「学生二人が」
「別の方法で解決した」
ノエルが。
小さく尋ねる。
「やっぱり」
「褒めてくれているんですか?」
「違う」
「文句を言っている」
「違いが分かりません」
「なら黙っていろ」
マイヤーは。
ぶつぶつと文句を続ける。
「私は」
「才能のある者が嫌いだ」
突然の言葉に。
ルシエが目を瞬く。
「才能のある者は」
「少し学べば理解する」
「少し試せば成功する」
「周囲から期待され」
「失敗しても許される」
「実に腹立たしい」
マイヤーは。
自分の胸元へ手を伸ばした。
そこには。
黒色号がある。
「私の色号は」
「黒だ」
「色号は」
「研究者が魔法学へ残した功績を」
「象徴するものだと言われている」
「だが」
「黒は」
「最もありふれた色号だ」
「魔法大学を卒業し」
「大学院へ進み」
「定められた課程を終え」
「研究成果を積み重ねた者へ」
「順当に授与される」
「特別な逸話も」
「華々しい意味もない」
ルシエは。
マイヤーの胸元で輝く。
黒色号を見つめた。
「私は」
「学生の頃」
「無能と呼ばれていた」
「理解が遅い」
「発想が平凡」
「研究者には向いていない」
「何度もそう言われた」
ルシエの胸が。
僅かに痛む。
属性魔法を使えない。
実技ができない。
知識だけの無能。
自分も。
何度も。
同じような言葉を浴びてきた。
「それでも」
「私は学んだ」
「一つずつ」
「分からないものを理解し」
「できないものを」
「できるようにした」
「何百回も計算し」
「何千枚も記録を残し」
「間違いを一つずつ潰した」
「大学を卒業し」
「大学院を修了し」
「研究を続け」
「この色を得た」
マイヤーは。
黒色号を強く握る。
「だから」
「私は天才が嫌いだ」
「だが」
その声が。
さらに低くなった。
「努力している者が」
「正当な評価を受けられないことは」
「それ以上に嫌いだ」
ルシエが。
静かに顔を上げる。
「火属性魔法で」
「温度を下げる」
「学生の悪ふざけだと」
「誰もが笑った」
「論文は」
「最後まで読まれることすらなかった」
「だが」
「お前たちは」
「必要な実験を行った」
「条件を揃え」
「反復し」
「第三者による再現を成功させ」
「すべてを記録として残した」
「ならば」
「評価されるべきだ」
「年齢も」
「立場も」
「属性適性も」
「関係ない」
「研究は」
「誰が行ったかではなく」
「何を示したかによって」
「評価されるべきものだ」
マイヤーは。
ルシエとノエルを睨む。
「勘違いするな」
「お前たちが好きだから」
「認めたわけではない」
「私は」
「正しい研究を」
「正しく評価しただけだ」
ルシエは。
小さく笑った。
「はい」
「それでも」
「ありがとうございます」
「だから!」
「礼はいらないと言っている!」
マイヤーの怒鳴り声が。
研究室へ響いた。
ノエルが。
ルシエへ小声で囁く。
「やっぱり」
「褒めてくれてるよね」
「たぶん」
「聞こえているぞ!」
二人は。
思わず背筋を伸ばす。
マイヤーは。
苛立たしそうに机へ向き直った。
「用が済んだなら帰れ」
「研究の邪魔だ」
「はい」
「失礼しました」
二人が。
扉へ向かう。
その背中へ。
マイヤーが声をかけた。
「ルシエ・フローレンス」
ルシエが振り返る。
「はい」
「赤色号」
「悪くない色だ」
ルシエは。
胸元の赤色号へ触れた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん!」
再び。
怒鳴り声が響く。
二人は。
研究室をあとにした。
扉が閉まったあと。
ノエルが小さく笑う。
「最後まで」
「素直じゃなかったね」
「はい」
ルシエも笑った。
「でも」
「少しだけ」
「マイヤー先生のことが」
「分かった気がします」
黒色号。
最もありふれた色。
特別な才能によって。
一足飛びに得たものではない。
長い年月をかけ。
一歩ずつ。
積み重ねてきた者の証。
それは決して。
何の意味も持たない色ではなかった。
誰よりも。
努力が報われない苦しさを知っているからこそ。
マイヤーは。
学生の悪ふざけと笑われた研究を。
誰よりも厳しく問い。
誰よりも正しく評価した。
天才を嫌う研究者は。
誰よりも。
努力する者の味方だった。




