第142話 三人の監修者
二本の論文を書き上げる。
そう決めたルシエとノエルだったが。
すぐに、一つの問題へ突き当たった。
「私たちだけでは」
「完成させられません」
ルシエは原稿を見つめながら言う。
研究は二人で行った。
だからこそ。
理論の穴も。
実験の偏りも。
自分たちでは気付けない可能性がある。
世界へ発表する論文なら。
なおさらだった。
「監修をお願いしましょう」
「三人に?」
「はい」
ルシエは頷く。
「それぞれ」
「専門が違いますから」
最初に訪れたのは。
アルベルトの研究室だった。
机へ論文を置くと。
アルベルトは静かに読み始める。
確認するのは。
魔法作用理論。
無属性魔法式。
実験条件。
再現性。
観測と解釈の分離。
そして。
研究倫理。
読み終えたアルベルトは。
赤いペンを置いた。
「内容は悪くない」
「だが」
「このままでは論文にならない」
ルシエが姿勢を正す。
「どこでしょうか」
「ここだ」
アルベルトは一文を指差した。
『魔素は魔法を成立させるエネルギーである』
「これは」
「実験によって証明された事実ではない」
「君たちの理論だ」
ルシエは息を呑む。
「実験で確認できたことと」
「君たちが推測したことを」
「混ぜてはいけない」
「はい」
「実験が示した事実を積み上げ」
「その結果として」
「この理論が最も矛盾なく説明できる」
「そう書くんだ」
その言葉を聞き。
ルシエは思い出していた。
火属性冷房機の研究。
あの時も。
アルベルトは同じことを教えてくれた。
観測した事実。
そこから導かれる解釈。
研究者は。
その二つを決して混同してはならない。
「ありがとうございます」
「書き直します」
アルベルトは満足そうに頷いた。
「真理は」
「願いではなく」
「証拠によって示される」
「それを忘れるな」
次に向かったのは。
ホルトンの研究室だった。
ホルトンが確認するのは。
魔素汚染の病理。
臨床記録。
患者への身体的負担。
魔力回路の損傷。
治療後の経過。
医療倫理。
そして。
適応条件と禁忌。
しばらく読み進めた後。
ホルトンは原稿を閉じた。
「成功例しか書いていないな」
「……はい」
「それでは医学にならん」
二人は顔を上げる。
「治療できた患者が一人いる」
「それだけで」
「すべての患者へ安全に使えるとは限らない」
ホルトンは静かに続けた。
「どのような患者なら治療できるのか」
「どのような患者には危険なのか」
「何が未解明なのか」
「追加検証が必要な部分はどこなのか」
「そこまで書いて初めて」
「医学論文になる」
ルシエは。
自分の原稿を見つめた。
成功したことが嬉しくて。
危険性の記述が薄くなっていた。
「すみません」
「いい」
「気付けたなら十分だ」
ホルトンは微笑む。
「患者を救うための論文なら」
「患者を危険へ晒す可能性も」
「必ず書き残せ」
「それが医師の責任だ」
「はい」
最後に訪れたのは。
フランソワの研究室だった。
論文を受け取った彼女は。
露骨に嫌そうな顔をする。
「論文って長いから」
「あんまり好きじゃないんだけど」
ノエルが苦笑する。
「やっぱり?」
「うん」
フランソワは肩をすくめた。
「でも」
「お父さんが困るなら手伝うよ」
そう言って。
何気なく原稿を読み始める。
確認するのは。
生成魔素。
魔素変換。
魔王因子との理論的比較。
術式暴走時の計算。
安全上限。
同期率の補正式。
読み始めて。
わずか数分。
「ここ」
フランソワが。
ページを指差した。
「三十二行目と」
「八十七行目で」
「前提が違うよ」
「え?」
ルシエとノエルが駆け寄る。
「同期率が九十二を超えた時だけ」
「この計算」
「少しずれる」
二人は計算式を見直す。
「……本当だ」
「気付かなかった」
フランソワは。
さらりと言った。
「暴走はしないよ」
「でも」
「理論としては間違い」
「直した方がいいかな」
二人は思わず顔を見合わせる。
興味は薄い。
だが。
能力だけは。
やはり怪物だった。
それから数日。
三人の監修を受けながら。
論文は何度も書き直された。
表現を修正し。
実験記録を追加し。
危険性を明記し。
計算式を見直す。
そのたびに。
論文は少しずつ完成形へ近づいていく。
そして。
最後の一枚を書き終えた日。
二人は静かに表紙を見つめていた。
そこには。
論文題名の下へ。
監修者として三つの名前が記されている。
アルベルト・ローエン。
ホルトン・ラヴォワジエ。
フランソワ・ラヴォワジエ。
三人が協力した理由は、それぞれ違っていた。
アルベルトは。
教授として。
ただ真理を探究するために。
ホルトンは。
医師として。
未来の患者たちを救う医学を残すために。
そしてフランソワは。
少し照れくさそうに笑う。
「私は」
「お父さんのお手伝い」
その一言に。
ホルトンは苦笑し。
ルシエとノエルも思わず笑みをこぼした。
二本の論文は。
三人の知識と経験を受け継ぎ。
ついに完成した。




