第141話 研究を残す
エレーヌの治療から、数日が過ぎた。
長い間。
魔素汚染によって塞がれていた魔力回路は、正常な循環を取り戻している。
発熱も治まり。
魔力回路を襲っていた痛みも消えた。
治療直後は、体力を大きく消耗していたが。
食事も少しずつ取れるようになり。
短い時間であれば、自分の力で起き上がれるまでに回復していた。
ホルトンによる診察でも。
魔力回路に新たな閉塞や損傷は確認されていない。
治療は。
成功した。
ルシエが、ずっと望んでいたこと。
母を救う。
その目的は果たされた。
しかし。
それで研究を終わらせることはできなかった。
王立魔法学校。
アルベルトの研究室。
机の上には。
これまでの実験記録。
魔法式。
観測結果。
治療中の数値。
回収した魔素量。
そして。
エレーヌの治療前後の診察記録が並べられている。
ルシエは。
一枚ずつ記録を確認しながら言った。
「お母さんを治療できたことは」
「本当に嬉しいです」
向かいに座るノエルが頷く。
「うん」
「けど」
「これで終わりじゃないんだよね」
「はい」
今回。
魔素汚染の治療に成功した患者は。
まだ、エレーヌ一人だけ。
治療術式を扱えるのも。
研究へ最初から関わってきた、ルシエとノエルだけだった。
このままでは。
同じ病気に苦しむ患者がいても。
二人が直接治療しなければ、救うことができない。
それでは。
治療法が完成したとは言えなかった。
「私たちにしか使えない術式では」
「お母さん以外の患者さんを救えません」
「誰が読んでも理解できるように」
「そして」
「ほかの研究者や魔法医師が」
「同じ条件で」
「同じ結果へ辿り着けるように」
「研究を残す必要があります」
ノエルは。
机の上へ積まれた紙の山を見る。
「つまり」
「論文にする」
「はい」
ルシエは頷いた。
無属性魔法は。
偶然生まれた奇跡ではない。
魔素。
魔粒子。
魔力。
伝統魔法。
魔王因子。
それまでに得た知識と。
積み重ねてきた実験結果。
そのすべてが繋がった末に完成した。
魔素汚染治療術式も同じだった。
患者本人の魔力へ同期させた生成魔素を流し。
閉塞していた魔素を。
新たな循環へ引き戻す。
処理できる魔素は。
患者自身の魔力回路によって、魔力へ変換する。
処理しきれない余剰分は。
体外へ誘導し。
空の魔水晶へ回収する。
治療中に異常が起きた場合には。
循環を遮断する。
緊急停止術式も組み込んだ。
すべて。
理論と記録によって。
ほかの者が再現できる形にしなければならない。
「二本に分けましょう」
ルシエは。
新しい紙の一枚目へ、題名を書く。
『魔素直接変換による無属性魔法体系の構築』
ノエルが。
その文字を覗き込む。
「無属性魔法だけで一本?」
「はい」
「無属性魔法は」
「治療術式のためだけに作った魔法ではありません」
「新しい魔法体系として」
「独立して説明する必要があります」
一つ目の論文。
記すべき内容は多い。
まず。
魔法を成立させる根源的なエネルギーは。
魔素そのものに存在していること。
従来。
魔法現象を起こすための力は。
魔素から特定属性の魔粒子を抽出した際に発生すると考えられていた。
しかし。
属性魔粒子を抽出しない伝統魔法も。
魔素を四属性へ分解しない無属性魔法も。
実際に魔法現象を起こしている。
その二つを。
一つの理論で説明するためには。
魔法を成立させる力は。
初めから魔素そのものに内包されていると考える必要がある。
そして。
火。
水。
風。
土。
四つの魔粒子が担っているのは。
魔法を動かすエネルギーとしての役割ではない。
魔法が。
何へ。
どのように干渉するのか。
その性質を決定する。
媒体としての役割だった。
魔法を成立させるエネルギーは。
魔素にある。
魔粒子は。
魔法現象の性質を決める媒体である。
この新しい魔法作用理論を。
実験結果とともに示す。
さらに。
外部魔素を。
術者固有の魔力へ直接変換する方法。
変換した魔力を。
無属性魔法式へ供給する工程。
伝統魔法との共通点と相違点。
無属性魔法式の構造。
反復実験の記録。
そして。
第三者による再現結果。
そのすべてを。
一つ目の論文へ記載する。
「火属性冷房機の研究も」
「先行研究として書きます」
ルシエは。
以前完成させた論文へ視線を向けた。
『火属性魔法を利用した冷房理論』
火属性魔法は。
ただ炎を生み出す魔法ではない。
火の魔粒子を媒体として。
温度へ干渉する魔法である。
その研究を通じて。
ルシエは。
魔法の本質が。
目に見える現象ではなく。
何へ干渉しているかによって決まると知った。
その発想が。
魔素と魔粒子の役割を分けて考える。
無属性魔法の研究へ繋がった。
だが。
「冷房機の論文も」
「一緒に出すことはできないんだよね」
ノエルが尋ねる。
ルシエは頷いた。
「はい」
「同一年度内に」
「同一内容の論文を再提出することは禁止されています」
火属性冷房機の論文は。
すでにギデオンによる教授査読で不合格となっている。
別の教授へ持ち込み。
同じ年度のうちに。
もう一度審査してもらうことはできない。
それは。
アルベルトの名前を監修者として加えたとしても変わらない。
だから。
火属性冷房機の研究成果そのものを。
今回の審査対象として再提出することはできない。
無属性魔法へ至った経緯を説明する。
先行研究として参照するだけだった。
ルシエは。
冷房機の論文を丁寧に机の端へ置く。
「この論文は」
「来年度」
「改めて提出します」
「もっと実験を増やして」
「今より良い論文にして」
ノエルは。
少しだけ悔しそうに論文を見る。
「一年も待たないといけないのか」
「制度ですから」
「そこは真面目に守るんだね」
「研究者が制度を破ってはいけません」
ルシエは。
新しい紙を取り出した。
そして。
二つ目の題名を書く。
『同期生成魔素を用いた魔素汚染治療術式と臨床結果』
こちらは。
無属性魔法を。
魔法医学へ応用した論文となる。
まず。
魔素汚染の病理。
短時間に大量の魔素を取り込んだことで。
魔力へ変換できなかった魔素が。
魔力回路内へ残留する。
残留した魔素同士が引き合い。
次第に大きな塊となって。
魔力回路の流れを塞いでいく。
流れが滞れば。
新たに取り込まれた魔素も。
閉塞部分へ引き寄せられる。
魔素が魔素を呼び。
閉塞が閉塞を生む。
その仕組みを。
観測結果とともに記載する。
次に。
患者本人の魔力と同期した生成魔素。
魔力回路や生命活動の律動へ合わせる同期方法。
治療用魔法陣の内部だけで魔素を循環させる。
閉じた治療回路。
体外へ排出された余剰魔素を回収する。
空の魔水晶。
魔素の逆流を防ぐ術式。
循環や同期に異常が生じた場合。
治療を中断する。
緊急停止術式。
さらに。
エレーヌへ治療を行った際の。
治療前の症状。
魔力回路の閉塞箇所。
同期率の変化。
循環させた魔素量。
排出した余剰魔素。
回収に使用した魔水晶の本数。
治療中に発生した問題。
治療後の魔力回路。
数日間の経過観察。
そのすべてを記録する。
治療が成功したという結果だけではない。
想定よりも閉塞が深かったこと。
魔素の循環量が安全上限へ近づいたこと。
緊急停止を検討したこと。
治療途中で同期率を調整したこと。
危険だった記録も。
隠さず残す。
「これ」
「全部文章にするの?」
ノエルが。
治療記録の束を持ち上げる。
「はい」
「数値表も必要です」
「使用した術式も」
「治療前後の比較図も」
「安全装置の構造も」
「全部?」
「全部です」
ノエルは。
持ち上げていた記録を。
静かに机へ戻した。
机の端には。
これまで積み重ねてきた資料。
中央には。
これから論文へまとめるための記録。
そして。
反対側には。
まだ何も書かれていない紙が積み上がっている。
二人は。
しばらく無言で。
その量を見つめていた。
母の治療は。
一刻を争うものだった。
失敗すれば。
命を失う可能性もあった。
それに比べれば。
論文を書くことなど。
危険ではない。
ただ。
ルシエは。
机を覆い尽くす紙の山を見ながら。
小さく呟いた。
「治療より」
「論文を書く方が大変かもしれません」
ノエルは。
即座に首を横へ振った。
「それは絶対にない」
「そうでしょうか」
「絶対にない」
けれど。
二人の前には。
治療装置よりも大きく見える。
大量の記録が積み上がっていた。




