第126話 私にも魔法が使えた
実験室。
ルシエとノエルは。
完成した同期理論を、一つの術式として組み上げていた。
自然界の魔素を。
術者と直接繋げない。
まず、中間領域へ取り込む。
そこで術者の魔力と感応させ。
必要量が集まった時点で、自然界との接続を遮断する。
残されるのは。
術者と性質の近い生成魔素だけ。
その生成魔素を。
術者の自律神経へ接続する。
術者の身体が変化すれば。
生成魔素も同時に変化する。
互いを追いかける必要はない。
最初から。
同じ変化を共有する。
そして。
生成魔素は術者の身体へ戻さず。
外部魔法式へ直接供給する。
それが。
二人の辿り着いた無属性魔法理論だった。
◇
最後の術式を書き終え。
ノエルが静かにペンを置いた。
「これで」
「理論上は完成だ」
ルシエも頷く。
「はい」
「あとは」
「実際に発動できるか確かめるだけです」
だが。
実験室にいるのは、二人だけではなかった。
壁際には。
アルベルト教授と。
治療用の杖を持った治療術師が立っている。
先日の事故を受け。
今回の実験は。
アルベルトの監督と。
治療術師の立ち会いを条件に、許可されていた。
アルベルトは。
完成した魔法陣を厳しい目で見つめる。
「先に言っておく」
「少しでも異常が確認されれば」
「その時点で実験を中断する」
「そして」
「再び負傷者が出れば」
ルシエとノエルを見る。
「この研究は」
「私の権限で中止させる」
実験室に。
重い沈黙が落ちた。
「真理への執念は必要だ」
「だが」
「研究者の命を使い潰すことを」
「執念とは呼ばない」
ルシエは静かに頭を下げた。
「分かりました」
ノエルも頷く。
「異常があれば」
「即座に中断します」
「よろしい」
アルベルトは。
緊急遮断装置の前へ立った。
「では」
「被験者を決めろ」
ノエルは完成した魔法陣を見下ろす。
「僕が入る」
「駄目です」
ルシエは即座に答えた。
ノエルが顔を上げる。
「でも」
「前回も僕が被験者だった」
「だからです」
ルシエは。
ノエルの右腕へ視線を落とした。
「魔力回路は」
「まだ完全には治っていないでしょう?」
ノエルは何も答えなかった。
外見上。
傷はほとんど消えている。
日常生活にも支障はない。
だが。
暴走した魔素によって損傷した魔力回路は。
未だ完全には回復していなかった。
治療術師も静かに告げる。
「魔力回路の損傷は」
「まだ残っています」
「同じ箇所へ負荷がかかれば」
「今度は後遺症が残る可能性があります」
「それでも――」
ノエルが反論しようとする。
「駄目です」
ルシエは。
ノエルを真っ直ぐに見つめた。
「これ以上」
「ノエルを危険な目に遭わせることはできません」
「この術式は」
「自律神経へ接続します」
「前回より安全対策を増やしたとはいえ」
「何が起こるか分かりません」
「だからこそ」
ルシエは。
魔法陣の中央へ歩み出た。
「今回は」
「私が被験者になります」
ノエルの表情が変わる。
「駄目だ」
「君がやる必要はない」
「あります」
ルシエは静かに答えた。
「これは」
「私の研究です」
「私の母を救うために始めた研究です」
「それに」
「この魔法が完成すれば」
「四大属性へ適性を持たない私でも」
「使える可能性があります」
ノエルは唇を結ぶ。
「だからといって」
「君が危険を負う理由にはならない」
「ノエルが危険を負う理由にもなりません」
実験室が静まり返る。
ルシエは。
少しだけ声を和らげた。
「お願いします」
「今回は」
「私にやらせてください」
ノエルはしばらく黙っていた。
やがて。
深く息を吐く。
「……分かった」
「ただし」
「少しでも異常があれば」
「僕の判断で即座に術式を切る」
「はい」
「君が続けられると言っても切る」
「分かりました」
「絶対に無理はしないでくれ」
ルシエは小さく笑う。
「ノエルも」
「前回は同じことを言われていましたよ」
「だから言ってるんだ」
アルベルトは。
二人のやり取りを黙って聞いていた。
「被験者はルシエ」
「ノエルは術式全体の管理」
「私は緊急遮断を担当する」
「治療術師は」
「ルシエの身体に異常が確認された時点で治療を開始」
四人が頷く。
「一度しか言わない」
「成功よりも」
「生還を優先しろ」
◇
実験室には。
幾重もの安全術式が展開されていた。
中間領域安定術式。
自然界遮断術式。
魔素濃度制限。
逆流防止術式。
緊急切断術式。
術者と魔法陣を瞬時に切り離す分離回路。
複数の観測器は。
生成魔素の状態。
自律神経との同期。
術式全体の安定性。
そして。
ルシエの生命反応を監視している。
ノエルは全ての装置を。
一つずつ確認していった。
「逆流防止術式」
「正常」
「緊急切断術式」
「正常」
「分離回路」
「正常」
「生命反応」
「異常なし」
治療術師も。
ルシエの身体を確認する。
「心拍」
「呼吸」
「魔力回路」
「全て正常です」
ノエルは最後に。
魔法陣の中央へ立つルシエを見た。
「準備はいい?」
ルシエは。
父から受け継いだ長杖を握る。
「はい」
ノエルが深く息を吐いた。
「では」
「最終実験を開始します」
◇
魔法陣が起動した。
淡い光が床一面へ広がる。
「中間領域」
「形成開始」
ノエルが術式を確認する。
周囲の魔素が。
静かに中間領域へ集まっていく。
「生成魔素」
「形成開始」
ルシエが。
ごく少量の魔力を外へ放つ。
術者固有の魔力が。
中間領域へ取り込まれた魔素へ。
静かに感応する。
「生成魔素」
「必要量へ到達」
「自然界との接続を遮断する」
ノエルが術式を切り替えた。
魔法陣が。
一度だけ強く輝く。
次の瞬間。
外界との繋がりが断たれた。
中間領域に残されたのは。
ルシエと性質の近い生成魔素だけ。
「外部との接続」
「完全遮断を確認」
「魔素濃度」
「規定値以内」
アルベルトの手が。
緊急遮断装置へ添えられる。
「続けろ」
「はい」
◇
「自律神経との同期」
「開始する」
ルシエは目を閉じた。
ゆっくりと呼吸する。
生成魔素へ。
自律神経との接続術式が伸びていく。
だが。
その瞬間。
観測器が赤く点滅した。
「同期に乱れ!」
生成魔素が僅かに揺らぐ。
ルシエの鼓動が速くなった。
初めての人体実験。
前回の事故。
失敗した時の恐怖。
そして。
今度こそ研究を失うかもしれないという不安。
その緊張が。
自律神経を通して。
そのまま生成魔素へ伝わっている。
治療術師が一歩前へ出た。
アルベルトも。
緊急遮断装置へ力を込める。
「ルシエ!」
ノエルが叫ぶ。
「呼吸を整えて!」
「術式じゃない!」
「君自身を落ち着かせるんだ!」
ルシエは小さく頷いた。
父から受け継いだ長杖を。
強く握りしめる。
(お父さん……)
ゆっくりと息を吸う。
静かに吐く。
一度。
もう一度。
鼓動が落ち着いていく。
呼吸が整う。
乱れていた自律神経が。
少しずつ安定していく。
それと同時に。
揺れていた生成魔素も。
まるで鏡のように。
同じ速度で穏やかになっていった。
ノエルが観測器を見つめる。
「同期率」
「上昇してる」
「八十五」
「九十」
「九十五……」
数値が。
少しずつ上がっていく。
「同期」
「安定した!」
治療術師が生命反応を確認する。
「身体への逆流」
「ありません」
「魔力回路にも」
「異常は確認できません」
アルベルトは。
緊急遮断装置から手を離さないまま告げた。
「外部魔法式へ供給しろ」
「はい」
◇
ルシエは目を開いた。
生成魔素が。
術者の身体へ逆流することなく。
外部魔法式へ流れ込んでいく。
暴走はない。
拒絶反応もない。
術式は。
静かに安定していた。
「ルシエ」
ノエルが静かに呼びかける。
「魔法を」
「発動して」
ルシエは。
ゆっくりと右手を前へ差し出した。
外部魔法式が起動する。
生成魔素が。
術式を満たしていく。
そして。
掌の上へ。
ふわりと。
小さな光が灯った。
淡い白色。
暗黒によって生み出される魔力は。
深い黒色を帯びる。
火。
水。
風。
土。
属性魔法によって生み出される力も。
それぞれの属性に応じた色を持つ。
だが。
ルシエの掌に浮かぶ光は。
どの属性にも染まっていなかった。
光魔法による。
魔素の完全分解で生まれた輝きでもない。
属性魔粒子へ変換される前。
何ものにも染まっていない。
魔素本来の。
淡い白色。
熱はない。
冷たくもない。
風も起こさない。
重さもない。
火ではない。
水でもない。
風でもない。
土でもない。
四大属性。
その、どれにも属さない。
無属性の光だった。
◇
ルシエの唇が震えた。
「私にも……」
ルシエは。
全く魔法を使えなかったわけではない。
古くから伝わる伝統魔法なら。
長い準備と。
複雑な術式を用いることで。
かろうじて現象を起こすことはできた。
だが。
それは。
四大属性へ適性を持つ者たちが。
自らの魔力で。
当たり前のように魔法を使う姿とは違っていた。
幼い日。
四大属性。
すべて適性なし。
そう告げられた。
魔法は使えない。
無能だ。
知識しか持たない。
何度も。
何度も笑われた。
それでも。
研究だけはやめなかった。
母を救うため。
魔法を諦めないため。
考え続けた。
学び続けた。
歩き続けた。
そして今。
誰かが作った術式へ。
かろうじて手を伸ばしたのではない。
自分が考え。
自分が組み上げた。
世界に存在しなかった魔法が。
自分の魔力によって。
確かに発動している。
初めて。
本当の意味で。
魔法を使うことができた。
その全てが。
掌の上で。
淡い白色に輝いている。
涙が。
一筋、頬を伝った。
「私にも……」
「魔法が使えた……」
◇
ノエルも。
隣で静かに笑っていた。
「できたな」
ルシエは涙を拭いながら頷く。
「はい……!」
治療術師も。
安堵したように息を吐く。
アルベルトは。
淡い白色の光と。
観測器に並ぶ数値を。
何度も見比べていた。
逆流なし。
拒絶反応なし。
魔力回路への損傷なし。
自律神経との同期。
安定。
そして。
四大属性を介さない現象の発生。
アルベルトは。
ゆっくりと緊急遮断装置から手を離した。
「記録しろ」
震えを抑えるように。
静かな声で告げる。
「最終実験」
「成功だ」
この日。
世界で初めて。
四大属性に属さない。
新たな魔法体系が誕生した。
無属性魔法。
無能と呼ばれた少女は。
世界に存在しなかった魔法を。
その手で完成させた。




