第124話 難しく考えすぎてない?
数十年。
マイヤーから告げられた言葉が。
ルシエの頭から離れなかった。
研究方法は間違っていない。
理論も成立する可能性がある。
だが。
完成までには。
少なくとも数十年かかる。
エレーヌには。
そんな時間は残されていない。
だからといって。
諦めることなどできなかった。
◇
ルシエとノエルは。
再び研究室へ籠もっていた。
魔力の密度。
流速。
周期。
位相。
心拍。
呼吸。
神経活動。
体温。
疲労。
感情。
術者固有の魔力を。
完全に複製するため。
必要だと思われる測定項目を、一つずつ増やしていく。
そのたびに。
術式は、以前よりも複雑になった。
魔法陣は何重にも重なり。
計算式は壁を埋め尽くす。
一つの数値を修正すれば。
別の部分にずれが生じる。
そのずれを直せば。
さらに別の数値が狂う。
「……駄目」
ルシエは机へ手をついた。
「また位相がずれています」
ノエルも観測記録を確認する。
「心拍に合わせて補正したせいだ」
「呼吸の変化に、演算が追いついていない」
「なら」
「呼吸専用の補助術式を追加します」
「でも」
「それを入れたら、神経活動との接続が不安定になる」
ルシエは唇を噛んだ。
「それでも」
「やるしかありません」
「測定項目を増やして」
「もっと正確に」
「もっと完全に」
「同じ魔力を作らないと」
ノエルは何も言えなかった。
二人とも。
この方法では間に合わないと分かっている。
それでも。
他に道が見つからなかった。
その時。
研究室の扉が開いた。
「やっほー」
場違いなほど明るい声が響く。
ルシエとノエルが振り返った。
そこには。
紙袋を片手に持ったフランソワが立っていた。
「フランソワ先生?」
「なんか」
「二人とも研究中に怪我したって聞いたから来たよー」
フランソワは二人を順番に眺める。
「もう大丈夫?」
「はい」
「ご心配をおかけしました」
「よかったー」
フランソワは安心したように笑う。
そして。
研究室の中を見渡した。
床へ広がる巨大な魔法陣。
幾重にも重なった術式。
壁を埋め尽くす計算式。
机や床へ積み上げられた観測記録。
「ふーん」
魔法陣の周囲を歩く。
「なるほどねー」
ルシエは少し緊張しながら、フランソワの反応を待った。
やがて。
フランソワが尋ねる。
「これ」
「何の研究?」
ルシエは固まった。
「……今」
「なるほど、と言いませんでしたか?」
「魔法陣がすごく複雑だなーって」
「内容は全然分かってないよ」
ノエルが小さくため息を吐く。
ルシエは気を取り直した。
「無属性魔法の研究です」
「外部にある魔素を」
「術者固有の魔力と同じ性質へ変化させます」
「完成すれば」
「体内へ入り込んだ魔素だけを分解できるはずです」
「お母様の治療に必要なんです」
「へー」
フランソワは壁へ書かれた計算式を見る。
「面白くなさそう」
研究室が静まり返った。
「……面白くなさそう、ですか?」
「うん」
「すっごく面倒くさそうだし」
「つまんなそう」
あまりにも率直だった。
ノエルは何とも言えない顔をする。
ルシエも反応に困った。
フランソワは気にせず。
床へ広がる魔法陣の中央を覗き込む。
「でも」
首を傾げた。
「これ」
「難しく考えすぎてない?」
ルシエの表情が変わる。
「どういう意味ですか?」
「だって」
「外部魔素を」
「術者固有の魔力と」
「完全に同じものへ変える必要ってある?」
ルシエはすぐに答えた。
「あります」
「同じ魔力でなければ」
「術者の身体や魔法式が」
「正常に受け入れられません」
「異なる性質の魔力が触れれば」
「互いを異物として判断し」
「衝突します」
「実際に」
「ノエルの身体でも事故が起きました」
フランソワは事故記録を手に取る。
「これ?」
「はい」
記録へ目を通す。
魔力波の複製。
外部魔素の変換。
術者の魔力との接触。
そして。
僅かなずれによって起きた衝突。
「ふーん」
フランソワは数枚の記録をめくった。
「でも」
「これって」
「同じものを作ろうとしたから」
「ぶつかったんじゃないの?」
ルシエとノエルは。
同時に言葉を止めた。
「……どういうことですか?」
フランソワは事故記録を指差す。
「だって」
「ノエル君の魔力と」
「外から作った魔力」
「最初は同じだったんでしょ?」
「はい」
「でも」
「ノエル君の魔力だけ」
「少しずつ変わった」
「だから」
「同じだった二つが」
「途中で違うものになってぶつかった」
ルシエは小さく頷く。
「その通りです」
「だから」
「術者の魔力が変化するたびに」
「外部魔素も測定し直して」
「同じ状態へ補正する必要があります」
フランソワは首を傾げた。
「それ」
「間に合わないよね?」
「……はい」
「測って」
「計算して」
「作り直してる間に」
「また変わるんでしょ?」
「はい」
フランソワは二人を見比べる。
「頭硬いねー」
研究室が静まり返った。
「……頭が硬い?」
「うん」
「同じものを作らないと駄目」
「変わったら測り直さないと駄目」
「ずっと、それしか考えてないでしょ?」
ルシエは反論しようとする。
「ですが」
「異なる魔力は、身体に受け入れられません」
「だから」
「同じものにしなければ――」
「だから」
フランソワは、机の上に置かれていた二本のペンを手に取った。
「同じものを」
「二つ作るのをやめればいいんじゃない?」
ルシエの言葉が止まる。
フランソワは。
二本のペンを並べた。
「こっちがノエル君の魔力」
「こっちが外から作った魔力」
「同じ形にした」
片方のペンだけを少しずらす。
「でも」
「ノエル君の魔力だけ変わった」
「だから」
「二つが違うものになってぶつかった」
続いて。
二本のペンを重ねるように持った。
「だったら」
「あとから同じ形を作って追いかけるんじゃなくて」
「最初から」
「一緒に変わるようにすればいいんじゃない?」
ルシエは目を見開いた。
ノエルも息を呑む。
「一緒に……変わる?」
「うん」
フランソワは机の上へ二本のペンを置いた。
「医学のことは」
「あんまり分かんないけど」
「お父さんが言ってたよ」
「人の身体って」
「ずっと同じ状態じゃないんだって」
「心拍も」
「呼吸も」
「体温も」
「神経も」
「本人が意識してなくても」
「勝手に変わり続ける」
ルシエは小さく呟く。
「自律神経……」
「そう、それ」
フランソワは頷いた。
「一つずつ測って」
「変わるたびに追いかけるより」
「最初から自律神経へ繋いじゃえばいいんじゃない?」
「身体が変わったら」
「作った魔素も」
「一緒に変わるようにするの」
ルシエとノエルは。
床へ広がる魔法陣を見下ろした。
術者の魔力を。
一瞬ごとに観測する。
変化を測定する。
同じ状態を作り直す。
それが。
これまで二人が考えていた方法だった。
だが。
それでは必ず遅れる。
術者の変化を確認してから。
生成魔素へ反映させるまでの間に。
術者の魔力は、さらに変化している。
どれほど演算を速めても。
追いつくことはできない。
ルシエは呟く。
「後から合わせるのではなく」
「最初から」
「変化する仕組みそのものへ組み込む……」
ノエルも資料へ視線を落とす。
「術者と生成魔素を」
「同じ自律神経へ接続する」
「そうすれば」
「術者の身体状態が変化した瞬間」
「双方の魔力が同時に変化する」
「観測も」
「再演算も必要ない」
フランソワは笑った。
「そうそう」
「たぶん、そんな感じ」
ルシエは魔法陣の中央へ歩み寄る。
「でも」
「自然界の魔素を直接、自律神経へ接続すれば」
「外部魔素が流れ込み続けます」
「量を制御できません」
「それに」
「外部魔素は常に周囲の魔素と感応しています」
ノエルが続ける。
「術者の魔力へ感応させても」
「外部との接続が残ったままなら」
「周囲の魔素の影響を受け続ける」
「性質が変化する可能性がある」
僅かに変化した魔素は。
完全な異物とは判断されない。
術者の魔力に近いまま。
身体の拒絶反応をすり抜ける。
そして。
内部へ入り込んだあとで衝突する。
それが。
今回の事故を引き起こした。
「なら」
ルシエは。
新しい紙を机へ広げた。
「術者の魔力と」
「自然界の魔素を直接繋げない」
「一度」
「両者の間に」
「中間となる空間を作る」
ノエルの表情が変わる。
「感応させた魔素を」
「その空間へ保存する」
「必要量が溜まった時点で」
「自然界との接続を遮断する」
「はい」
「外部から完全に切り離された状態で」
「術者の魔力と」
「生成した魔素だけを残します」
ルシエは。
新しい魔法陣を書き始める。
「生成魔素は」
「術者と完全に同じものではない」
「似ているけれど」
「別の魔素」
「だから」
「変化によって同一性が崩れることもない」
ノエルも隣へ座り。
計算式を書き加える。
「その生成魔素を」
「術者の自律神経へ接続する」
「術者の状態が変われば」
「術者の魔力と生成魔素が」
「同時に変化する」
「互いを追いかけるのではない」
「最初から」
「同じ変化へ同期させる」
二人の手が止まらない。
何重にも重ねていた補助術式。
壁を埋め尽くした測定項目。
膨大な演算式。
その大半が。
必要なくなっていく。
フランソワは。
新しく描かれていく魔法陣を眺めた。
「簡単になったねー」
ルシエは顔を上げる。
「簡単ではありません」
「まだ」
「中間空間の安定化」
「外部魔素の遮断」
「自律神経との接続」
「生成魔素の保存」
「解決すべき問題が――」
「ほら」
「また難しくしてる」
フランソワは笑った。
「一個ずつやればいいじゃん」
ルシエは言葉を止める。
ノエルが思わず苦笑した。
「……マイヤー先生が嫌う理由」
「少し分かった気がします」
「マイヤー先生?」
「昨日」
「あなたとホルトン先生の研究への向き合い方が」
「どうしても気に入らないと言っていました」
「えー」
フランソワは頬を膨らませる。
「マイヤー先生」
「まだ怒ってるの?」
「一年かけた理論を」
「三十分で理解した件だと思います」
「あれ」
「褒めたのに」
ルシエとノエルは。
同時に黙った。
「悪意がないから」
「余計に腹が立つそうです」
「難しいねー」
フランソワは机へ紙袋を置いた。
「じゃあ」
「お見舞いのお菓子置いて帰るね」
「もう帰るんですか?」
「うん」
「研究、つまんなそうだし」
そう言い残し。
フランソワは。
いつもの軽い足取りで研究室を出ていった。
残された二人は。
しばらく閉じた扉を見つめる。
やがて。
ノエルが静かに口を開いた。
「……頭が硬かったのかもしれない」
ルシエは。
新しく描き始めた魔法陣へ視線を落とす。
「はい」
「私たちはずっと」
「同じ魔力を作ることしか考えていませんでした」
完全に複製するのではない。
変化を追い続けるのでもない。
術者と。
生成した新しい魔素を。
同じ変化へ同期させる。
行き止まりだったはずの研究に。
新しい道が現れた。
ルシエの瞳には。
数日ぶりに。
確かな光が戻っていた。




