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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第123話 何十年

 エレーヌの容体は、再び悪化していた。


 ミュゲの治療によって、一時的に症状は落ち着いていた。


 だが。


 体内深くへ残った魔素は、再び周囲の魔素を引き寄せ始める。


 胸の痛み。


 呼吸困難。


 発熱。


 少しずつ。


 確実に。


 病は元の姿を取り戻しつつあった。


 残された時間は、もう多くない。



 ルシエとノエルは、アルベルトの研究室を訪れていた。


「先生」


「もう時間がありません」


 ルシエは研究資料を差し出した。


「どうすれば、この魔法式を完成できますか」


 アルベルトは静かに資料を受け取る。


 事故記録。


 観測記録。


 新しい術式。


 一枚ずつ。


 丁寧に目を通していく。


 やがて。


 資料を閉じ、静かに机へ置いた。


「……分からない」


 ルシエの肩が小さく震える。


「すまない」


「私の専門だけでは、この先へ進めない」


 重い沈黙が流れる。


 アルベルトはしばらく考え込むと、机の引き出しから便箋を取り出した。


 さらさらと紹介状を書き始める。


「一人だけ」


「心当たりがある」


 ルシエが顔を上げた。


「私の元教え子だ」


「今では」


「魔法理論学では、私以上の研究者になった」


 紹介状を封筒へ入れ、ルシエへ差し出す。


「マイヤー・ブランシュ」


 その名前を聞き、ルシエとノエルは顔を見合わせた。


「以前」


「特別講義をしてくださった先生ですよね」


「ああ」


「原理を探せ、と教えてくれた……」


 アルベルトは小さく頷く。


「覚えているなら話は早い」


「彼は魔法式そのものではなく」


「その奥にある原理を研究している」


「今回の問題について」


「私より正確な答えを出せるとすれば、彼だろう」


 そこで。


 アルベルトは苦笑した。


「ただし」


「かなり気難しい」


「紹介状があっても、追い返されるかもしれない」


「だが」


「話だけは聞いてくれる可能性がある」


 ルシエは封筒を胸へ抱いた。


「ありがとうございます」



 数日後。


 二人は王立魔法研究院を訪れた。


 研究棟の最奥。


 重厚な扉には、『魔法理論研究室』とだけ刻まれている。


 ルシエは深呼吸し、扉を叩いた。


「失礼します」


「帰れ」


 即答だった。


 ルシエとノエルは顔を見合わせる。


 まだ用件すら伝えていない。


「アルベルト教授から紹介状を預かっています」


 部屋の奥から、小さく舌打ちが聞こえた。


「……先生か」


 しばらく沈黙が続く。


「仕方ない」


「入れ」


 二人は恐る恐る扉を開けた。


 部屋には論文と魔導書が山積みになっていた。


 床にも資料。


 机にも資料。


 本棚は隙間なく埋まり、壁際には読み終えた論文が塔のように積み上げられている。


 白衣姿の男は、紹介状へ目を通すと立ち上がった。


「先生も」


「厄介事ばかり持ってくる」


「研究者に学生の世話をさせるな」


「私は教師ではない」


 ぶつぶつと文句を言いながら、部屋の奥へ歩いていく。


「だいたい」


「紹介状を書けば私が断らないと思っている」


「昔から変わらん」


 足元に積まれた本を避ける。


「そこへ座れ」


 ルシエとノエルは、資料を崩さないよう注意しながら椅子へ腰掛けた。


 マイヤーは紹介状を机へ置く。


 そして。


 二人の顔を順番に見た。


「ルシエ・フローレンス」


「ノエル・アルヴィン」


 二人は目を丸くした。


「覚えていらっしゃるんですか?」


「ああ」


「以前の講義にいた」


 ルシエは驚きながら尋ねる。


「ですが」


「私たちは質問もしていませんでしたよね?」


「質問した者しか覚えないとでも思ったか」


 マイヤーは不機嫌そうに答える。


「講義に出席した生徒の顔は、すべて覚えている」


 ノエルが素直に感心する。


「すごいですね」


「褒めるな」


「講義を聞いていない生徒がいた場合」


「後で担当教授へ文句を言うためだ」


「……そういう理由ですか」


「当然だ」


「こちらが時間を使って講義をしているのに」


「寝ている者」


「窓の外を見ている者」


「別の教科書を読んでいる者」


「すべて覚えている」


 マイヤーは真顔で続ける。


「次に会った時」


「担当教授へ、教育がなっていないと伝える」


 ルシエとノエルは何も言えなかった。


 マイヤーはルシエへ視線を戻す。


「それに」


「君のことは、講義以外でも知っている」


「火属性魔法による冷房理論」


「査読却下」


「その後も研究を続けていたらしいな」


「良くも悪くも」


「魔法学会では有名だ」


 ルシエは苦笑する。


「不名誉ですね」


「いや」


 マイヤーは首を横へ振った。


「理論を諦めない研究者は嫌いではない」


「ここまで記録を残す学生も珍しい」


 差し出された資料を数枚めくる。


「……勤勉だ」


 そのまま読み進めていたが。


 ふと、手を止める。


「ただ」


「一つだけ気に入らない」


「君たちは」


「ホルトンとフランソワに、随分可愛がられているようだな」


 ノエルが首を傾げる。


「先生方をご存じなんですか?」


「知っている」


「ホルトンは私の後輩だ」


「そしてフランソワは、その弟子」


 マイヤーは深いため息を吐いた。


「二人とも」


「私には理解できない研究者だ」


 ルシエが尋ねる。


「理解できない……ですか?」


「ホルトンは昔」


「手術中の痛みを軽減する魔法を研究した」


「理由を聞いた」


 マイヤーは無表情のまま続ける。


「『手術する時に痛いと可哀想だし』」


「『手術する側も、ゆっくりできて楽だよね』」


「そう言った」


 ルシエとノエルは黙った。


「それだけの理由で」


「短期間のうちに術式を完成させた」


「現在では」


「世界中の医療現場で使われている」


 ノエルが苦笑する。


「すごい成果ですね」


「成果は認めている」


「理論にも誤りはない」


「だが」


「本人には、歴史を変えたという自覚がほとんどない」


 マイヤーは不機嫌そうに資料をめくった。


「フランソワはさらに酷い」


「昔」


「私が一年かけて完成させた理論を」


「三十分で理解した」


「そして第一声が」


「『すごーい。私なら三十分もかかっちゃう!』」


 部屋が静まり返る。


 ノエルは思わず吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。


 ルシエも必死に笑いを堪える。


 マイヤーだけは真顔だった。


「悪意はない」


「だから余計に腹が立つ」


 資料を片手に、再び部屋の中を歩き始める。


「卒業論文もそうだ」


「提出一か月前まで」


「研究題材すら決めていなかった」


 ルシエが目を丸くする。


「魔王因子の研究ですよね」


「ああ」


「魔王ニコラスが遺した」


「人類史上最大級の禁忌だ」


「それを」


「卒業論文を忘れていたからという理由で選んだ」


 ノエルが少し引いた顔をする。


「そんな理由で……?」


「他にも理由はあったらしい」


「養父であるホルトンが解明できずに悩んでいた」


「魔王を倒せば旅行へ行ける」


「海を見たい」


「温泉へ入りたい」


「美味しいものを食べたい」


 マイヤーは淡々と並べていく。


「その程度だ」


「その程度の動機で」


「一か月後には」


「魔王因子の欠陥をすべて取り除いた」


「完全制御型魔核融合体を完成させた」


「卒業と同時に大魔法師」


「そして紫色号」


 ルシエたちは、その研究についてホルトンから聞いていた。


 人類の魔法史を書き換えた卒業論文。


 危険性を指摘されると。


 フランソワとブッシャーは、その場で試作品を解体した。


「本人は」


「作れそうだったから作っただけ、と言った」


「危険だと指摘されれば」


「また作れるから、と迷わず壊した」


 マイヤーは額へ手を当てた。


「研究者というものは」


「普通」


「人生をかけて完成させた研究へ愛着を持つ」


「だが、あれにはない」


「必要だから作る」


「危険だから壊す」


「面倒だから、もう作らない」


「理解できない」


 ルシエは小さく尋ねる。


「お二人が嫌いなんですか?」


「嫌いだ」


 即答だった。


「ホルトンは、いつも穏やかに笑っている」


「フランソワは、いつも楽しそうに遊んでいる」


「二人とも」


「何となく思い付いたような顔で研究を始める」


「そして」


「我々が何年もかけて辿り着く場所へ」


「あっという間に到達する」


 マイヤーは静かに息を吐いた。


「私は」


「魔法へ人生を捧げてきた」


「一つの理論を完成させるために」


「何百回も計算し」


「何千枚も記録を残し」


「間違いを一つずつ潰してきた」


「だから」


「あの二人の魔法への向き合い方が」


「どうしても気に入らない」


 しばらく。


 部屋には、紙をめくる音だけが響いた。


「……もっとも」


 マイヤーは研究資料へ視線を戻す。


「私情と研究は別だ」


「二人の実力は認めている」


「そして」


「君たちの研究も面白い」


「だから助言しよう」


 アデラーンの暗黒という実例。


 ルシエが再現した小規模な急速変換。


 補助術式による負担の軽減。


 外部魔素の部分的変化。


 魔力波を利用した擬似的な複製。


 そして。


 ノエルの事故。


 マイヤーは、すべての記録を時間をかけて検討していく。


 時折。


 数式を書き加える。


 観測値を照合する。


 事故発生時の魔力波を、何度も見直す。


 やがて。


 マイヤーは静かに口を開いた。


「理論そのものは」


「成立する可能性がある」


 ルシエの表情が明るくなる。


「本当ですか?」


「ああ」


「外部魔素へ術者の魔力波を与え」


「同一の性質へ変化させる」


「発想に誤りはない」


 初めて。


 魔法理論学の最高権威が。


 ルシエたちの研究を、正面から認めた。


 だが。


 次の言葉は、あまりにも重かった。


「ただし」


「術者の魔力を」


「完全に同一の状態で複製するのであれば」


「心拍」


「呼吸」


「神経活動」


「疲労」


「感情」


「そのすべてを」


「常に測定し続けなければならない」


 マイヤーは資料へ目を落としたまま続ける。


「人間の魔力は固定されたものではない」


「生きている限り」


「常に僅かに変化している」


「一度測定し」


「同じ魔力を作ったとしても」


「次の瞬間には」


「術者自身の魔力が変化している」


 ルシエはノエルの事故を思い出した。


 同一だったはずの二つの魔力。


 しかし。


 僅かなずれが生じた瞬間。


 互いを異物と判断し。


 激しく衝突した。


「完全な複製を目指すなら」


「術者の身体を常時観測し」


「変化する魔力を、一瞬ごとに計算し直す必要がある」


「観測器」


「演算術式」


「補正回路」


「安全装置」


「必要な技術は、まだ存在していない」


 マイヤーは結論を告げる。


「完成まで」


「少なくとも数十年は必要だろう」


 研究方法は間違っていない。


 理論も成立する可能性がある。


 時間さえあれば。


 いつか完成へ辿り着ける。


 しかし。


 エレーヌには。


 その時間が残されていなかった。

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