第119話 魔素暴走
ノエルが、その場へ倒れた。
全身の発熱。
魔力回路を焼くような激痛。
乱れる呼吸。
薄れていく意識。
短時間に。
外部魔力と、変換途中の魔素が魔力回路へ逆流した。
「ノエル!」
ルシエが駆け寄る。
だが。
ノエルは返事をしない。
「治療術師!」
「すぐに医療術式を!」
アルベルトの指示が飛ぶ。
治療術師が駆け寄り。
複数の治療術式を展開する。
暴走した魔力を抑え。
体内へ流入した魔素を排出する。
研究室は、一瞬で騒然となった。
◇
数時間後。
ノエルは医務室の寝台で眠っていた。
治療は成功した。
幸い。
魔力回路への損傷は軽度。
長期的な後遺症も残らないという。
それでも。
ルシエは寝台の傍から離れられなかった。
眠るノエルを見つめたまま。
身体が小さく震えている。
「私が……」
声にならない。
喉が締め付けられる。
頭の中が真っ白になる。
(いや……)
(いや……)
(なんで……)
(なんで……)
母を救うために始めた研究だった。
魔素汚染をなくすための研究だった。
それなのに。
自分は。
最も大切な共同研究者を。
母と同じ病気へ近づけてしまった。
「私が……」
「ノエルを……」
その先の言葉だけは。
どうしても口にできなかった。
◇
「ルシエ」
静かな声だった。
振り返ると。
アルベルトが立っていた。
「……教授」
「今回の事故は」
「外部魔力が、ノエル君の魔力と違いすぎたから起きたのではない」
ルシエはゆっくりと顔を上げる。
「反対だ」
「あまりにも似すぎていた」
アルベルトは観測記録を机へ広げた。
「術式も」
「人体も」
「外部魔力を異物として認識できなかった」
「だから、安全術式を通過した」
ルシエは記録へ目を落とす。
そこに並ぶ数値は。
百パーセント。
百パーセント。
百パーセント。
観測器は。
最後まで成功を示していた。
「だが」
「完全に同じではなかった」
アルベルトは静かに続ける。
「周期」
「位相」
「揺らぎ」
「観測器では捉えきれない、ごく僅かな差が残っていた」
「その差が」
「ノエル君自身の魔力と共振した」
似ていたから。
拒絶されなかった。
違っていたから。
暴走した。
「……そんな」
ルシエは呟く。
観測器では成功だった。
理論上も成功だった。
それでも。
現実は。
ノエルを傷つけた。
アルベルトは記録を閉じる。
「だが」
「ノエル君が助かった理由もある」
ルシエは顔を上げる。
「外部魔力は」
「限りなくノエル君の魔力へ近づいていた」
「最初は、その僅かな差によって魔素暴走を起こした」
「しかし」
「その性質は、あくまでもノエル君の魔力に極めて近い」
「だからこそ」
「時間とともに、ノエル君自身の魔力回路へ順応した」
ルシエは息を呑む。
「順応……」
「君たちの仮説どおりだ」
「魔素は、術者固有の魔力へ応じる性質を持っている」
「暴走した力も」
「最終的には、その性質に従った」
「さらに」
「ノエル君自身の魔力回路が非常に強靱だったことも大きい」
「その二つが重なったからこそ」
「命を取り留めることができた」
アルベルトは一拍置いた。
「もし」
「逆流したのが」
「今回のような、ノエル君へ同調した魔素ではなく」
「自然界に存在する、変換前の魔素だったなら」
静かな声で告げる。
「ノエル君は、助からなかった」
ルシエの肩が大きく震えた。
あと少し。
ほんの少し条件が違っていたら。
ノエルは、もうここにはいなかった。
ルシエは震える手で。
眠るノエルの手を握る。
温かい。
その温もりが。
胸を締め付けた。
「……ごめんなさい」
小さな声だった。
返事はない。
ノエルは静かに眠り続けている。
その姿が。
かえってルシエの心を抉った。
「私のせいで……」
唇が震える。
「私のせいで……」
視界が滲む。
ぽたり。
ぽたりと。
涙がノエルの手へ落ちた。
「私のせいで……!」
堪えていた感情が、一気に溢れ出す。
「私が……」
「私が、こんな研究を始めたから……!」
「私が……!」
「ノエルを……!」
言葉にならない。
嗚咽だけが漏れる。
「ごめんなさい……」
「ごめんなさい……!」
「私のせいで……!」
何度も。
何度も。
謝り続ける。
涙は止まらなかった。
医務室には。
ルシエのすすり泣く声だけが、静かに響いていた。




