第114話 混ざるだけ
翌日。
ルシエとノエルは、大賢者サイオスの記述を確かめるため、再び研究室へ集まった。
『内なる魔素が命の律を得る時』
『外なる魔素もまた、その律へ応ずる』
命の律が、何を意味するのかは分からない。
だが。
体内で変換を終えた術者固有の魔力は、外部の魔素へ何らかの影響を与える。
二人は、そう仮定した。
基準とするのは。
前日に引き続き、ノエルの魔力。
流れが安定しており。
細かな変化を比較しやすい。
「まずは」
「最も単純な方法から試します」
実験台の上には、密閉された小型の容器が置かれている。
容器の外側には。
魔素の誘引。
濃度調整。
流入停止。
緊急排出。
複数の魔法式が重ねられていた。
外部から取り込む魔素は、ごく少量。
万が一、予想外の変化が起きた場合は。
即座に術式を停止させる。
「俺の魔力を、先に入れるんだな」
「はい」
「その後で」
「外部から集めた魔素を接触させます」
「分かった」
ノエルは右手を容器へ向けた。
体内を巡る魔力を、ゆっくりと掌へ集める。
そして。
ごく少量だけ。
容器の内部へ放出した。
淡い光が、器具の中へ流れ込む。
「魔力量、安定しています」
「性質にも変化はありません」
ルシエは観測器を確認する。
容器の内部にあるのは。
既に変換を終えた、ノエル固有の魔力。
次に。
ルシエは外部魔素の誘引術式を起動した。
周囲に存在する魔素が、ゆっくりと集まる。
濃度を一定に保ちながら。
容器の内部へ流れ込んでいく。
ノエルの魔力と。
外部から集めた魔素が接触する。
二人は息を止め、観測器を見つめた。
『外なる魔素もまた、その律へ応ずる』
サイオスの記述が正しいなら。
外部魔素は、ノエルの魔力から何らかの影響を受けるはずだった。
密度。
流速。
内部配列。
何か一つでも。
ノエル固有の魔力へ近づく変化が現れるはずだった。
だが。
「……変化がありません」
ルシエが呟く。
容器の内部では。
ノエルの魔力と、外部から集めた魔素が入り交じっている。
魔素の流れは、僅かに乱れていた。
ノエルの魔力も。
接触した魔素の中へ、ゆっくりと広がっている。
だが。
それだけだった。
魔素が、ノエル固有の魔力へ変換されることはない。
ノエルの魔力が、外部魔素の中へ薄く拡散し。
魔素の流れが、僅かに乱れる。
ただ。
二つの力が混ざっただけ。
「変換率は?」
「零です」
「配列の変化は?」
「観測できません」
「俺の魔力へ近づいた数値は?」
「ありません」
ルシエは何度も観測器を確認する。
だが。
どの項目にも。
変換を示す変化は現れていなかった。
時間が経つにつれて。
容器の中へ放出したノエルの魔力だけが、少しずつ弱くなっていく。
外部魔素の中へ薄く広がり。
やがて、観測できないほど小さくなる。
一方。
外部から集めた魔素は。
最後まで、魔素のままだった。
「停止します」
ルシエは術式を止める。
容器内部の魔素を、外部へ安全に排出した。
「失敗ですね」
「ああ」
ノエルは、自分の掌を見つめる。
「俺の魔力が減って」
「魔素が少し乱れただけだ」
「はい」
「変換は、まったく起きていません」
ルシエは研究ノートへ、結果を書き込む。
実験条件。
使用した魔力量。
外部魔素の濃度。
接触時間。
観測された変化。
そして。
『術者固有の魔力と外部魔素を接触させたが、変換は発生しなかった』
そう記した。
「サイオスの記述が」
「間違っていたのでしょうか」
「いや」
ノエルは、机の上に開かれた写本を見る。
「俺たちのやり方が違うのかもしれない」
「やり方……」
「この記述には」
「魔力と魔素を混ぜれば変換できるとは書いてない」
ルシエは、写本へ視線を落とす。
『内なる魔素が命の律を得る時』
『外なる魔素もまた、その律へ応ずる』
「命の律を得る時……」
ルシエは、その一文をゆっくりと読み返した。
既に変換を終えた魔力へ。
後から外部魔素を触れさせる。
今回行ったのは、それだけだった。
完成した魔力と。
変換されていない魔素。
二つを、同じ容器へ入れただけ。
「食物と栄養素を」
「同じ器へ入れても」
「食物が栄養素へ変わるわけではありません」
ルシエは、前日の説明を思い出す。
「分解と」
「選別と」
「再配列」
「その処理が起きていないからか」
「はい」
「完成した魔力は」
「既に、魔力回路による処理を終えています」
「外部魔素と接触させても」
「処理を終えた結果しか示すことができません」
ノエルは眉を寄せる。
「じゃあ」
「外の魔素へ伝えるべきなのは」
「完成した結果じゃない?」
「その可能性があります」
魔素が。
術者固有の魔力へ変わる。
その過程で。
魔力回路の中では。
分解。
選別。
再配列。
安定化。
複数の処理が、連続して行われている。
変換を終えてから時間の経った魔力には。
その過程を生み出した何かが、既に失われているのかもしれない。
「サイオスは」
「内なる魔素が、命の律を得る時と記しています」
「命の律を得た後ではありません」
ルシエの指が。
写本の一文をなぞる。
「変換を終えて」
「安定した後の魔力ではなく」
「魔力回路によって変換された直後……」
「まだ、その変化の影響が残っている瞬間なら」
ノエルが続ける。
「外の魔素も」
「同じ変化へ引き込まれるかもしれない」
「はい」
先にノエルの魔力を取り出し。
その後で、外部魔素を混ぜるのではない。
ノエルの魔力が体外へ放出される瞬間と。
外部魔素を術式へ取り込む瞬間。
二つを一致させる。
魔力回路によって変換された直後の力が。
体外へ流れ出る。
その瞬間へ。
外部魔素を接触させる。
「次は」
「二つを同時に行いましょう」
ルシエは研究ノートへ、新たな実験案を書き込む。
『術者の魔力放出と、外部魔素の誘引を同時に行う』
変換を終え。
安定した後ではなく。
変換された直後。
そこに。
サイオスが記した。
『命の律』
その手掛かりがあるのかもしれない。




