第112話 身体の外へ
翌日。
ルシエとノエルは。
前回の実験記録を、研究室の机へ広げていた。
補助術式によって。
魔力回路へかかる負担は、確かに軽減された。
魔素の流入量。
変換速度。
変換後の魔力が流れる方向。
それらを。
外部の魔法式によって、ある程度まで制御することもできた。
だが。
危険性は、完全には消えなかった。
変換しきれなかった魔素は。
ごく微量ながら、魔力回路へ残留する。
術式が僅かに乱れれば。
急激に生み出された魔力が、身体へ逆流する。
原因は。
明らかだった。
「人体を使い続ける限り」
「暗黒の危険性は、完全には取り除けません」
ルシエは。
研究ノートへ、四つの項目を書き出した。
『魔素の取り込み』
『魔力への変換』
『変換した魔力の保持』
『出力の制御』
暗黒は。
これらすべてを。
術者の肉体によって行っている。
魔素を体内へ取り込み。
魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換する。
変換した魔力を、肉体へ巡らせ。
必要に応じて。
剣や、周囲の魔素へ力を伝える。
それが。
暗黒という技術だった。
ルシエは。
四つの項目を、大きな線で囲む。
「このすべてを」
「術者の身体から、切り離します」
ノエルが、顔を上げる。
「切り離す?」
「はい」
ルシエは。
新しい実験計画書を、机の中央へ置いた。
密閉された実験器具。
その内部へ集められた、ごく少量の魔素。
そして。
器具の周囲へ描かれた、複雑な魔法式。
「密閉した実験器具の内部へ」
「ごく少量の魔素を集めます」
「その周囲へ」
「人間の魔力回路を模倣した魔法式を構築します」
「体外にある魔素を」
「体外で、術者固有の魔力へ変換するのです」
「それが成功すれば」
「術者の身体へ、魔素を通す必要がなくなります」
ノエルは。
しばらく黙ったまま。
計画書へ描かれた術式を見つめていた。
やがて。
「……理屈は分かる」
低い声で告げる。
「身体が危険なら」
「変換そのものを、身体の外へ出す」
「考え方としては分かる」
だが。
ノエルの表情は、納得していなかった。
「でも」
「そんなこと、本当にできるのか?」
ルシエは、顔を上げる。
「そもそも」
「暗黒は」
「体内へ取り込んだ魔素を」
「本人の魔力回路によって、本人固有の魔力へ変える技術なんだろ?」
「はい」
「提案している無属性魔法も」
「そこが根幹にあるんだよな?」
「魔素を」
「術者固有の魔力へ変換して」
「その魔力を、属性魔粒子を介さず使う」
「そうです」
ノエルは。
計画書の中央を指差した。
「だったら」
「論点が、ずれてないか?」
ルシエは。
言葉を止める。
「身体の外へ出した時点で」
「本人の魔力回路は、使えない」
「それなのに」
「どうやって」
「外にある魔素を、本人と同じ魔力へ変えるんだ?」
術者固有の魔力。
それは。
魔素が、人間の魔力回路によって変換されたもの。
同じ魔素を取り込んでも。
生み出される魔力の性質は、術者によって異なる。
密度。
流れる速度。
強弱。
細かな揺らぎ。
魔力の性質には。
一人ひとり、明確な違いが存在する。
「例えば」
「俺が被験者なら」
「外の魔素を、俺の魔力と同じものへ変えなきゃいけない」
「ルシエなら」
「ルシエ固有の魔力へ変えなきゃいけない」
「でも」
「本人の魔力回路を使わないのに」
「何を基準に、同じ魔力を作る?」
ノエルは。
さらに問いを重ねる。
「魔力回路そのものを」
「身体の外へ作るのか?」
「人間の臓器と同じ働きをする魔法式を」
「一から作るつもりなのか?」
研究室へ。
静かな時間が流れた。
ルシエは。
すぐに答えることができなかった。
ノエルの指摘は、正しい。
人体を使わなければ。
魔素を安全に扱うことはできる。
だが。
人体を使わなければ。
術者固有の魔力を作り出す機能も、失われる。
暗黒から。
危険な部分だけを取り除こうとして。
その根幹となる機能まで、取り除いてしまっている。
「……現時点では」
「方法は、分かりません」
ルシエは。
正直に答えた。
「ですが」
「人体を使う方法では」
「無属性魔法を、誰でも安全に使える技術にはできません」
「なら」
「人体が行っている変換を」
「別の方法で、再現するしかありません」
「別の方法って」
「どんな方法だ?」
「それを」
「これから調べます」
ルシエは。
研究ノートへ、新たな問いを書き記す。
『術者固有の魔力とは何か』
『魔力回路は、何を基準に魔素を変換しているのか』
『人体を使わず、同じ変換結果を再現できるか』
これまでは。
暗黒の構造を調べていた。
魔素を。
どのように体内へ取り込み。
どのように魔力へ変換し。
どのように肉体へ巡らせているのか。
だが。
これから解明しなければならないのは。
さらに根本的な問題だった。
そもそも。
術者固有の魔力とは、何なのか。
人間の魔力回路は。
何をして。
魔素を、その人だけの魔力へ変えているのか。
その仕組みが分からなければ。
身体の外で。
同じ変換を再現することはできない。
「体外にある魔素を」
「体外で、術者固有の魔力へ変換する」
ルシエは。
自分たちが目指すものを、改めて口にする。
「言葉にすれば」
「とても単純です」
「でも」
「実際には」
「人間の魔力回路そのものを」
「魔法式によって再現する必要があるかもしれません」
「そんなこと」
「できるのか?」
「分かりません」
ルシエは。
それでも、研究ノートを閉じなかった。
「ですが」
「できなければ」
「無属性魔法は完成しません」
暗黒の危険性を減らすだけではない。
暗黒の構造を、そのまま模倣するだけでもない。
魔素の取り込み。
魔力への変換。
変換した魔力の保持。
出力の制御。
そのすべてを。
術者の身体から切り離す。
そして。
身体を使わずに。
術者固有の魔力を生み出す。
それは。
人間の魔力回路が持つ機能を。
一から解明し。
魔法式へ置き換えるということだった。
ここからが。
本当の意味での、無属性魔法研究だった。




