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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第109話 小さな暗黒

 数日後。


 王立魔法学校の実験室には。


 普段とは異なる、張り詰めた空気が流れていた。


 室内の中央には。


 一人分の実験区画が、結界によって隔離されている。


 その内側には。


 魔素濃度を測定する観測器。


 魔力回路の活動を記録する魔導具。


 緊急時に、周囲の魔素を遮断する術式。


 そして。


 異常が発生した瞬間に。


 実験区画への魔素の流入を、完全に断つための装置が並べられていた。


 室内の魔素濃度も。


 通常より低い状態へ、あらかじめ調整されている。


 実験区画の外には。


 アルベルトが、腕を組んで立っていた。


 その隣には。


 魔力回路の損傷を診ることのできる、学校付きの治療術師が待機している。


「もう一度、確認する」


 アルベルトは。


 ルシエとノエルへ、厳しい視線を向けた。


「今回行うのは」


「魔剣流の暗黒を、完全に再現する実験ではない」


「はい」


 ルシエが答える。


「周囲の魔素を、ごく微量だけ意図的に体内へ取り込み」


「魔力回路によって」


「術者固有の魔力へ、急速に変換できるかを確認します」


「肉体強化は?」


「行いません」


「剣への魔力供給は?」


「行いません」


「体外に残る魔素への干渉も?」


「行いません」


 アルベルトは。


 実験計画書へ、もう一度目を落とした。


「観測器が規定値を超えた場合」


「私の判断で、即座に実験を中止する」


「君たちの意思は関係ない」


「分かっています」


「特に、ルシエ」


 名を呼ばれ。


 ルシエは、真っ直ぐにアルベルトを見つめた。


「成功を確認するために」


「限界を超えて実験を続けることは許さない」


「はい」


「返事だけではなく」


「本当に理解しているな?」


「理解しています」


 アルベルトは。


 しばらくルシエを見つめたあと。


 小さく息を吐いた。


「人類が使う魔法は」


「基本的に、身体の外で現象を制御するものだ」


 術者の体内で作られた魔力を、燃料として外へ送り出す。


 自然界の魔素から、必要な属性魔粒子を抽出する。


 そして。


 身体の外へ展開した魔法式によって、現象を制御する。


 危険な力を。


 術者の肉体から、可能な限り遠ざける。


 それが。


 長い魔法史の中で築かれてきた、安全の原則だった。


「君が今から行うのは」


「その原則から外れた実験だ」


「魔素を、自らの身体へ引き込み」


「魔力回路そのものを、変換器として急速に稼働させる」


「前代未聞というだけではない」


「普通に考えれば、危険すぎる行為だ」


「はい」


「それでも、行うのか?」


 ルシエは。


 迷うことなく頷いた。


「仮説を確かめなければ」


「先へは進めません」


「それも理解している」


 アルベルトは。


 机の上へ、実験計画書を置いた。


「だからこそ」


「君たち二人だけで行わせるわけにはいかない」


 本来なら。


 学生へ許可するような実験ではない。


 だが。


 仮説には、検証するだけの価値がある。


 何より。


 二人だけで隠れて実験を行われるより。


 自分の監督下で、可能な限り危険を減らした方がよい。


 アルベルトは。


 そう判断し、立ち会いを引き受けていた。


 ノエルは。


 実験区画の中にいるルシエへ、視線を向ける。


「やっぱり」


「俺がやった方がいいんじゃないか?」


「いいえ」


 ルシエは、首を横へ振った。


「ノエルは」


「四大属性すべてに、高い適性を持っています」


「実験中に」


「いずれかの属性魔粒子が反応すれば」


「魔素から魔力への変換だけを、正確に観測できない可能性があります」


「でも」


「観測結果へ影響するだけだろ?」


「それだけではありません」


 ルシエは。


 実験区画の外に置かれた観測器へ、目を向けた。


「体内へ取り込んだ魔素から」


「ノエルの適性に反応した属性魔粒子が、抽出されてしまった場合」


「身体の中で、どのような現象が起きるのか分かりません」


 通常の属性魔法では。


 自然界の魔素から、必要な属性魔粒子を抽出し。


 術者固有の魔力を燃料として。


 体外の魔法式によって制御する。


 だが。


 体内へ取り込んだ魔素を、急速に変換している最中に。


 魔素から属性魔粒子まで抽出されてしまえば。


 身体の内部で。


 属性現象へ繋がる反応が、起きる可能性がある。


 何が起きるのか。


 現在の魔法学では、予測できない。


「四大属性への適性を持たない私なら」


「余計な属性反応を、可能な限り排除できます」


「それに」


 ルシエは。


 アデラーンの講義記録へ、視線を落とした。


「アデラーン様は」


「歴代の魔剣流宗家には」


「属性魔法を不得手とする者が多かったと仰っていました」


「暗黒が」


「属性適性を必要としない技術なら」


「私の方が、被験者としての条件に近いはずです」


 ノエルは。


 すぐには、言い返せなかった。


 理論としては。


 ルシエの方が、被験者に適している。


 だが。


 正しいことと。


 納得できることは、別だった。


「それでも」


「危なくなったら、すぐに止めろ」


「はい」


「成功していてもだ」


「分かっています」


「本当に?」


「本当です」


 ルシエは、真剣な顔で頷いた。


 ノエルは。


 まだ不安そうな表情を浮かべていたが。


 それ以上は、何も言わなかった。


 アルベルトが。


 実験室全体を見渡す。


「観測器を起動」


「はい」


 ノエルが。


 複数の観測器へ、順番に魔力を流した。


 針が動き。


 現在の魔素濃度と。


 ルシエの魔力回路の状態を示し始める。


「緊急遮断術式」


「正常です」


「治療術式は?」


「準備できています」


 待機していた治療術師が答える。


「実験前の魔力回路にも」


「異常はありません」


 アルベルトは頷き。


 最後に、ルシエへ視線を向けた。


「始めろ」


「はい」


 ルシエは。


 実験区画の中央で、静かに目を閉じた。


 あの日見たアデラーンの姿。


 重心の位置。


 背筋の伸ばし方。


 足の開き。


 肩から力を抜く方法。


 そして。


 独特な呼吸。


 大きく吸い込むのではない。


 ゆっくりと。


 身体の奥へ、空気を落とす。


 吸う。


 止める。


 吐く。


 それに合わせて。


 体内を巡る自らの魔力を、わずかに変化させる。


「周囲の魔素に、変化」


 ノエルが。


 観測器を確認する。


「ほんの少しだけ」


「ルシエの方へ動いてる」


 ルシエは。


 呼吸を乱さない。


 周囲の魔素を。


 力ずくで引き寄せようとはしなかった。


 普段なら。


 意識することなく、身体へ取り込まれている魔素。


 その流れを。


 ほんの僅かだけ、広げる。


 目に見えないほど小さな魔素の流れが。


 少しずつ。


 ルシエの身体へ向かっていく。


「取り込み量」


「規定値以内です」


 ノエルが告げる。


「ルシエ」


「そのまま維持して」


「はい」


 ルシエは。


 引き寄せた魔素を。


 意識的に、体内へ取り込んだ。


 次の瞬間。


「――っ!」


 腕の内側へ。


 鋭い痛みが走った。


 細い針を。


 魔力回路の内側から、何本も突き刺されたような痛み。


 ルシエの指先が。


 小さく痙攣する。


「魔力回路の活動が上昇!」


 ノエルが声を上げた。


「予定値を超えかけています!」


「まだ規定内だ」


 アルベルトは。


 観測器から目を逸らさずに答える。


「ルシエ」


「続けられるか?」


「はい……」


 声が、僅かに震える。


 だが。


 ルシエは、呼吸を維持した。


 体内へ入った魔素が。


 魔力回路へ流れ込む。


 普段とは、まったく異なる速度で。


 回路の内部を通過していく。


 痛みが。


 腕から肩へ。


 肩から胸へと広がった。


 魔力回路を。


 内側から、無理やり押し広げられている。


 そんな感覚。


 全身が。


 急激に熱を持つ。


 額から汗が流れ。


 呼吸が浅くなっていく。


「体内の魔素反応が減少」


 ノエルが。


 観測器の針を、食い入るように見つめる。


「代わりに」


「ルシエの固有魔力が増えています」


「変換されている……?」


 アルベルトが。


 別の観測器を確認した。


 体内へ取り込まれた魔素。


 その反応が、急激に小さくなっている。


 同時に。


 ルシエが元から持っていた魔力と。


 同じ性質を示す反応が、増大していた。


「間違いない」


 アルベルトが、低い声で告げる。


「外部から取り込まれた魔素が」


「彼女固有の魔力へ、変換されている」


 ルシエの目が。


 大きく見開かれた。


「成功……」


 痛みの中で。


 僅かに、口元を緩める。


「成功しています……!」


 二人が立てた仮説は。


 正しかった。


 暗黒は。


 周囲の魔素を、意図的に体内へ取り込み。


 魔力回路を急速に稼働させることで。


 術者固有の魔力へ変換している。


 属性魔粒子を媒体として用いることなく。


 新たな魔力を、その場で生み出している。


 それが。


 初めて、実験によって確認された。


 だが。


 成功を確信した、その直後。


 ルシエの身体が、大きく揺れた。


「ルシエ?」


 ノエルが叫ぶ。


 指先だけだった痙攣が。


 腕全体へ広がる。


 全身を襲う熱。


 込み上げる、激しい吐き気。


 息を吸おうとしても。


 胸が引きつり、空気が入ってこない。


 視界が歪み。


 床が、大きく傾いて見えた。


「実験中止!」


 アルベルトの声が、実験室へ響く。


「遮断術式を起動しろ!」


「はい!」


 ノエルが。


 緊急遮断術式へ魔力を流す。


 実験区画を覆う結界が変化し。


 周囲からの魔素の流入が、完全に遮断された。


 同時に。


 ルシエの魔力回路を読み取っていた、測定術式も切断される。


 だが。


 すでに体内へ取り込まれた魔素と。


 急速に生み出された魔力までは、消えない。


「うっ……」


 ルシエは。


 その場へ膝をついた。


 胃の中の物を。


 床へ、すべて吐き出す。


「ルシエ!」


 ノエルが、実験区画へ駆け込む。


 倒れかけた身体を。


 両腕で支えた。


「息をして!」


「ゆっくりでいいから!」


「ノ、エル……」


 返事をしようとする。


 だが。


 まともに声が出ない。


 治療術師が。


 すぐに、ルシエの腕へ触れた。


 診断用の魔法式が展開され。


 体内の魔力回路が、淡い光として浮かび上がる。


「魔力回路が損傷しています!」


「どの程度だ?」


「ここでは判断できません!」


「すぐに、医務室へ運びます!」


 ノエルは。


 ルシエの身体を抱き上げようとする。


 だが。


 ルシエは、震える手を伸ばし。


 ノエルの制服を掴んだ。


「記録……」


「何?」


「観測記録を……」


「今は、そんなことどうでもいい!」


「ですが……」


「成功、したのです……」


 ルシエは。


 苦しそうに息を吐きながら。


 それでも。


 僅かに笑っていた。


「記録が、残っていなければ……」


「もう喋るな!」


「でも……」


「記録は俺が回収する!」


 ノエルは。


 ルシエの身体を、強く抱き締める。


「全部、ちゃんと残すから」


「だから今は」


「自分のことだけ考えてくれ……!」


 ルシエは。


 ノエルの顔を見上げる。


 そして。


 小さく、頷いた。


 取り込んだ魔素は。


 アデラーンが暗黒で扱った量と比べれば。


 ほんの僅か。


 観測器で確認できる。


 最低限の量にすぎなかった。


 それにもかかわらず。


 ルシエの魔力回路は。


 耐え難いほどの負荷を受けていた。


 小さな暗黒。


 その実験によって。


 二人の仮説は、証明された。


 同時に。


 人類が長い魔法史の中で。


 なぜ。


 危険な力を、身体の外で制御してきたのか。


 その理由もまた。


 ルシエ自身の身体によって。


 明確に示されることになった。

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