第107話 新しい共同研究
翌日。
放課後になると。
ルシエとノエルは、いつもの実験室へ集まっていた。
机の上には。
新しい研究ノート。
魔素濃度を測定する観測器。
そして。
昨日の特別講義で記録した、大量の資料が広げられている。
壁には。
ルシエが、大きな紙を四枚並べて貼っていた。
『通常の属性魔法』
『伝統魔法』
『魔剣流・暗黒』
『無属性魔法・仮説』
ノエルは。
四枚の紙を、順番に眺めた。
「始める前に、確認してもいい?」
「はい」
ルシエは。
研究ノートを開いたまま、顔を上げる。
「普通の属性魔法を基準にすると」
「伝統魔法と、暗黒と」
「それから、俺たちが作ろうとしている無属性魔法」
「この三つは、何が違うんだ?」
似ているようで。
それぞれ。
魔素と魔力の扱い方が異なる。
その違いを曖昧にしたまま研究を進めれば。
途中で、理論そのものが崩れてしまう。
「そうですね」
ルシエは立ち上がると。
最初の紙の前へ移動した。
「まずは」
「現在、一般的に使われている属性魔法から整理しましょう」
ルシエはペンを持ち。
紙へ、二つの流れを書き込んでいく。
『周囲の魔素』
そこから。
二本の矢印を伸ばす。
一方は。
『体内へ少量ずつ取り込む』
そして。
『魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換』
もう一方は。
『必要な属性魔粒子を抽出』
最後に。
二つの矢印を、同じ魔法式へ繋げる。
「人間を含む生物は」
「普段から、周囲の魔素を少しずつ体内へ取り込んでいます」
「取り込まれた魔素は」
「魔力回路によって、時間をかけて術者固有の魔力へ変換されます」
「その魔力が」
「魔法式を動かすための燃料になる」
ノエルが続ける。
「はい」
「そして同時に」
「自然界の魔素から、必要な属性魔粒子を抽出します」
火魔法なら、火の魔粒子。
水魔法なら、水の魔粒子。
風魔法なら、風の魔粒子。
土魔法なら、土の魔粒子。
「術者固有の魔力を燃料」
「属性魔粒子を媒体として」
「魔法式を駆動します」
「それによって」
「火、水、風、土の属性現象を起こす」
ノエルは。
図を見つめながら、頷いた。
「魔力が」
「属性魔粒子へ変わるわけじゃない」
「はい」
「魔力は、魔法式を動かすための燃料です」
「属性魔粒子は」
「何へ、どのように干渉するのかを決める媒体です」
通常の属性魔法では。
術者固有の魔力と、属性魔粒子。
二つが並行して、魔法式へ供給される。
「つまり」
「人間の魔法は、基本的に身体の外で現象を起こすものなんだな」
ノエルが呟いた。
「はい」
ルシエは頷く。
「術者の身体は」
「周囲の魔素を少しずつ取り込み」
「自らの魔力を作るために使われます」
「ですが」
「火、水、風、土の属性魔粒子を大量に体内へ取り込み」
「身体の中で、属性現象を起こすわけではありません」
属性魔粒子は。
自然界の魔素から抽出され。
体外へ展開された魔法式によって制御される。
火を生み出すのも。
水を操るのも。
風を起こすのも。
土へ働きかけるのも。
すべて。
術者の身体の外で行われる。
「危険な現象を」
「自分の身体の中へ持ち込まない」
「それは」
「現在の魔法における、大前提です」
「当たり前すぎて」
「教科書にも、ほとんど書かれていないけどな」
「はい」
人間の肉体は。
魔法現象を発生させるための実験場ではない。
魔力回路も。
戦闘中に大量の魔素を取り込み。
その場で急速に処理するために作られた器官ではない。
術者は。
体内へ蓄えた魔力を、身体の外へ送り出す。
そして。
外部へ展開した魔法式を通して、自然界へ干渉する。
それが。
長い魔法史の中で築かれてきた、安全の原則だった。
続いて。
ルシエは、二枚目の紙へ移動した。
『伝統魔法』
「伝統魔法でも」
「力を扱う場所は、基本的に身体の外です」
「ただし」
「属性魔粒子を媒体として使用しません」
術者は。
自らの魔力を媒介として。
体外に存在する魔素へ、そのまま働きかける。
魔素を。
火や水へ変えるわけではない。
術者固有の魔力へ変換するわけでもない。
魔素は。
魔素のまま。
その内部にある力へ、方向を与える。
「押す」
「引く」
「浮かせる」
「衝撃を与える」
「魔素が内包する力を」
「単純な運動として利用します」
「だから」
「属性魔法より、細かい現象を起こすのが難しい」
ノエルが言った。
「はい」
「属性魔粒子という、明確な媒体がありませんから」
「術者自身の魔力によって」
「体外の魔素へ、力の向きを伝え続けなければなりません」
再現性が低く。
繊細な制御も難しい。
しかし。
魔素を、魔素のまま利用できる。
それが。
伝統魔法だった。
ルシエは。
三枚目の紙へ視線を移した。
『魔剣流・暗黒』
「ですが」
「暗黒は、その大前提から外れています」
ノエルの表情が、少し引き締まった。
昨日。
アデラーンが見せた、異様な魔力の流れ。
大講堂へ満ちていた魔素が。
一瞬で、その巨体へ流れ込んだ。
「暗黒は」
「周囲の魔素を、意図的かつ急速に体内へ取り込みます」
「そして」
「術者自身の魔力回路を」
「魔力を作り出すための変換器として、急激に稼働させます」
「本来なら」
「身体の外で扱うほどの大量の魔素を」
「自分の身体の中へ、直接引き込んでいるのです」
ノエルは。
暗黒について書かれた図を見つめる。
「燃料を外から供給するんじゃない」
「燃料の原料を飲み込んで」
「自分の身体の中で、急いで作ってるのか」
「はい」
取り込んだ魔素を。
魔力回路によって、術者固有の魔力へ急速に変換する。
そして。
火、水、風、土。
いずれの属性魔粒子も介さず。
生み出した魔力を、肉体へ直接巡らせる。
その結果。
身体能力が、大幅に引き上げられる。
「普通の属性魔法も」
「伝統魔法も」
「普段から体内へ蓄えられている魔力を使う」
ノエルが言った。
「はい」
「ですが、暗黒は」
「使用する直前に、周囲の魔素を大量に取り込み」
「その場で、新たな魔力を作り出します」
「魔素を身体へ取り込むこと自体は」
「普段から行われているんだよな?」
「はい」
「異なるのは」
「取り込む量と、変換する速度です」
生物は普段から。
周囲の魔素を、少しずつ体内へ取り込んでいる。
魔力回路へ大きな負担をかけない速度で。
時間をかけて、自らの魔力へ変えていく。
だが。
暗黒は。
その生命活動を、意図的に加速させる。
「本来なら」
「長い時間をかけて処理するはずの魔素を」
「一瞬で体内へ取り込み」
「魔力回路を急速に稼働させます」
「これほど大量の魔素を」
「戦闘中に、意図的に体内へ取り込み」
「その場で魔力へ変換する技術は」
「少なくとも、現在の魔法体系には存在しません」
「前代未聞どころか」
「普通に考えれば、危険すぎるな」
「そのはずです」
普通の人間が。
同じことを行えば、どうなるのか。
どれほどの負担が。
実際に身体へかかっているのか。
魔素を取り込んだ瞬間。
魔力回路の中で、何が起きているのか。
二人には。
まだ、分からない。
それでも。
アデラーンは。
大量の魔素を、短時間で魔力へ変換し。
その力を、完全に制御していた。
「だからこそ」
「魔剣流の使い手は」
「長い年月をかけて、鍛錬を積むのでしょう」
「身体そのものを」
「暗黒に耐えられるよう、作り変えているのか」
「おそらく」
確かなのは。
暗黒が。
通常の魔法とは、まったく異なる方法で。
大量の魔力を生み出しているということだけだった。
ノエルは。
最後の紙へ視線を移した。
『無属性魔法・仮説』
「それで」
「俺たちが作ろうとしている無属性魔法は?」
「暗黒そのものを」
「誰にでも使えるようにするものではありません」
ルシエは、はっきりと答えた。
「暗黒が起こしている現象の中に」
「無属性魔法の原型となる原理があると考えています」
「原型?」
「はい」
ルシエは。
暗黒について書かれた紙へ、二つの印をつける。
『魔素を、術者固有の魔力へ変換する』
『属性魔粒子を介さず、術者固有の魔力を利用する』
「この二つです」
「魔素を」
「属性魔粒子へ分けることなく、術者固有の魔力へ変換する」
「そして」
「属性魔粒子を媒体として使わず」
「生み出した魔力そのものを利用する」
そこに。
無属性魔法へ繋がる可能性がある。
だが。
暗黒と同じ方法を、そのまま採用することはできない。
「暗黒は」
「術者の身体そのものを、変換器として使っています」
「だから」
「長い鍛錬を積んだ人間にしか、使うことができない」
ノエルが言った。
「はい」
「私たちが作ろうとしているのは」
「身体と鍛錬へ依存しない技術です」
ルシエは。
最後の紙へ、現時点での仮説を書き込んでいく。
『体外の魔素』
↓
『外部へ構築した魔力変換用の魔法式』
↓
『術者固有の魔力へ変換』
↓
『属性魔粒子を介さず、外部魔法式へ供給』
「暗黒が、身体の中で行っている変換を」
「外部の魔法式によって再現します」
「術者の身体へ」
「大量の魔素を取り込まない」
「周囲の魔素を」
「身体の外で、術者固有の魔力へ変換する」
「そして」
「変換した魔力を」
「属性魔粒子を介さず、別の魔法式へ供給する」
「それが」
「現時点で私たちが考えている、無属性魔法です」
ノエルは。
四枚の紙を、改めて見比べた。
通常の属性魔法。
伝統魔法。
魔剣流の暗黒。
そして。
まだ、世界に存在していない無属性魔法。
「暗黒が身体の中で行っている変換だけを」
「身体の外で再現するのか」
「はい」
「暗黒は」
「肉体を強化するために生み出された技術です」
「私たちが作るのは」
「その変換原理を利用した、新しい魔法体系です」
暗黒を、そのまま再現するのではない。
暗黒が証明した可能性を。
誰もが利用できる理論へ、作り替える。
「暗黒そのものが」
「無属性魔法というわけではありません」
ルシエは告げる。
「暗黒が起こしている現象の中に」
「無属性魔法の原型となる、確かな原理があるのです」
「でも」
ノエルは。
暗黒について書かれた紙を見つめる。
「俺たちは」
「暗黒が、本当にこの理論どおりに動いているのか」
「まだ、確かめていない」
「はい」
二人が知っているのは。
大講堂で。
完成された暗黒を、外側から観測した結果だけ。
魔素を取り込んだ瞬間。
体内で、何が起きていたのか。
魔力回路が。
どのような順序で働いたのか。
なぜ。
あれほど大量の魔素を、短時間で変換できたのか。
そのすべてを。
本当の意味では、理解していない。
「外部へ再現するには」
「まず」
「暗黒そのものを、理解しなければなりません」
ルシエは。
新しい研究ノートを、机の中央へ置いた。
その表紙へ。
ゆっくりと、題名を書き記す。
『無属性魔法に関する基礎研究』
その下へ。
二人の名前を書く。
『共同研究者』
『ルシエ・フローレンス』
『ノエル・アルヴィン』
ノエルは。
並んだ二人の名前を見て、小さく笑った。
「今度は」
「教授査読まで届かせよう」
「はい」
ルシエも、微笑む。
「そして」
「必ず、お母さんを救います」
人類の魔法が。
長い歴史の中で守り続けてきた、身体の外で力を制御するという原則。
その原則から外れた。
魔剣流の秘伝。
暗黒。
その中に存在する。
まだ誰にも解き明かされていない原理を。
肉体と鍛錬へ依存する技術から。
誰もが再現できる、新たな魔法体系へ。
二人の新しい共同研究が。
静かに、始まった。




