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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第106話 それでも諦めない

 ミュゲたちが帰ったあと。


 ルシエの家には、静かな夜が戻っていた。


 寝台では、エレーヌが穏やかな寝息を立てている。


 大聖女ミュゲの治療によって、体内へ蓄積していた魔素の一部が分解された。


 青白かった頬には、わずかに血色が戻り。


 苦しげだった呼吸も、今は落ち着いている。


 これほど安らかな母の寝顔を見るのは、いつ以来だろう。


 ルシエは寝台の横へ椅子を置き、一人で腰を下ろしていた。


 膝の上には、研究ノートが開かれている。


『光魔法』


『魔素を四大属性の魔粒子へ完全分解する』


 ルシエは、先ほど目にした治療を思い返す。


 ミュゲの光魔法は。


 確かに、母の体内へ蓄積した魔素を分解した。


 その結果。


 末端の魔力回路は流れを取り戻し、症状も大きく改善した。


 しかし。


 主要な魔力回路の奥へ蓄積した魔素には、手を出すことができなかった。


 分解する力が足りなかったのではない。


 むしろ。


 強すぎるからこそ、使うことができなかった。


 光魔法によって魔素を完全に分解すれば、その瞬間に大きなエネルギーが発生する。


 蓄積した魔素が、魔力回路や肉体へ深く癒着している以上。


 発生した力は、母の身体にも直接伝わってしまう。


(光魔法なら、魔素を分解することはできます)


(ですが)


(母の身体を傷つけずに、分解することはできません)


 ルシエは、ノートへ新たな言葉を書き加えた。


『問題は、出力ではない』


『分解という方法そのものが、根本治療には適していない可能性』


 大聖女ミュゲでさえ。


 母を完治させることはできなかった。


 世界最高峰の光魔法でも不可能なら。


 それ以上に強い光を求めても、意味はない。


 強い力で押し切るのではなく。


 まったく別の方法を、探さなければならない。


 ルシエは、これまで研究ノートへ書きためてきた内容を遡った。


 魔法歴史学の権威、マリゴーから学んだ伝統魔法。


 伝統魔法は。


 術者自身の魔力を媒介として、体外に存在する魔素へ働きかける。


 魔素を、術者固有の魔力へ変換するわけではない。


 魔素は、魔素のまま。


 その内部にある力の向きを変え。


 押す。


 引く。


 浮かせる。


 衝撃を与える。


 そうした単純な運動として利用する。


『伝統魔法』


『術者の魔力を媒介として、体外の魔素へ干渉する』


『魔素が内包する力を、単純な運動として利用する』


 続いて。


 サンセリテから学んだ、妖精誘導法。


 妖精や精霊は。


 魔素や魔粒子が自然に引き寄せ合い、流れていく性質を利用する。


 術者の力で、無理に動かすのではない。


 本来生まれようとしている流れへ。


 わずかに、道を与える。


『妖精誘導法』


『魔素や魔粒子が持つ性質を利用し、自然な流れを導く』


 そして。


 暗黒騎士アデラーンが見せた、魔剣流。


 魔剣流初伝――暗黒。


 アデラーンは、周囲の魔素を意図的に体内へ取り込んだ。


 取り込まれた魔素は。


 魔力回路を通り、アデラーン固有の魔力へ変換される。


 その魔力を。


 火、水、風、土の属性魔粒子を媒体として用いることなく。


 肉体と黒剣へ、直接巡らせていた。


 さらに。


 自身の魔力を媒介として、周囲の魔素へ精密に力を伝えていた。


『魔剣流・暗黒』


『魔素を、魔力回路によって術者固有の魔力へ変換』


『属性魔粒子を媒体として用いず、肉体や剣へ直接流す』


『術者固有の魔力を媒介として、周囲の魔素へ干渉する』


 暗黒は。


 属性魔粒子を使わなくても、魔力そのものを利用できることを証明している。


 だが。


 同時に、極めて危険な技術でもあった。


 大量の魔素を体内へ取り込み。


 魔力回路によって、急速に術者固有の魔力へ変換する。


 変換が追いつかなければ。


 未変換の魔素が、体内へ残る。


 魔力の流れを誤れば。


 逆流や暴走を引き起こす。


 だからこそ。


 魔剣流の歴代宗家は。


 何万回もの鍛錬によって、魔素と魔力の急激な流れへ耐えられる身体を作り上げてきた。


(暗黒を、そのままお母さんへ使うことはできません)


 エレーヌの魔力回路は。


 既に、魔素によって傷ついている。


 そこへ新たな魔素を取り込み。


 無理に変換させれば。


 治療どころか、魔素汚染をさらに悪化させてしまう。


 けれど。


 暗黒が行っている変換そのものは。


 母を救う手掛かりになるかもしれない。


 ルシエは。


 大講堂で口にした仮説を書いた頁を開いた。


『人間の魔力回路は、取り込んだ魔素を術者固有の魔力へ変換する』


『その働きを、魔法式によって体外で再現できないか』


 人間は。


 常に、周囲の魔素を体内へ取り込んでいる。


 体内へ入った魔素は。


 魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換される。


 その魔力が全身を巡り。


 魔法式を動かすための、燃料となる。


 エレーヌの体内へ蓄積している魔素も。


 本来ならば。


 魔力回路によって、処理されるはずだった。


 だが。


 短時間に、あまりにも大量の魔素を取り込んだことで。


 変換が追いつかなかった。


 未変換のまま残った魔素が、魔力回路を塞ぐ。


 回路が塞がれたことで。


 新たに取り込んだ魔素も、正常に変換できなくなる。


 そして。


 処理されない魔素が、さらに蓄積していく。


 悪循環。


 それが。


 母を長年苦しめ続けている、魔素汚染の正体だった。


「分解する必要はない……?」


 ルシエの唇から。


 小さな声が漏れた。


 光魔法のように。


 蓄積した魔素を完全に分解しようとするから、周囲の肉体まで傷つけてしまう。


 だが。


 魔素そのものは、毒ではない。


 世界中に存在し。


 あらゆる生命が日常的に取り込み。


 魔力として利用している、根源物質だ。


 問題なのは。


 魔素そのものではない。


 変換されないまま。


 魔力回路の中へ、長期間留まり続けていること。


「それなら……」


 汚染として蓄積した魔素を。


 分解して消すのではなく。


 母の身体が受け入れられるものへ、変えればよい。


 本来。


 母の魔力回路が行うはずだった変換を。


 外部から、魔法式によって代行する。


 魔力回路の壁や。


 周囲の肉体へ深く癒着した魔素を。


 エレーヌ固有の魔力へ変換する。


 そうすることができれば。


 光魔法のような完全分解による、大きなエネルギーを発生させることなく。


 肉体や魔力回路を傷つけずに。


 癒着した魔素を。


 母の身体が利用できる魔力へ、変えられるかもしれない。


 ルシエは。


 勢いよく、ノートへ書き始めた。


『治療対象』


『魔力回路や肉体へ癒着した、未変換の魔素』


『仮説』


『患者固有の魔力を基準とする』


『癒着した魔素を、患者固有の魔力へ変換する』


『変換は、患者自身の魔力回路ではなく、外部から重ねた魔法式によって行う』


 そこで。


 ルシエのペンが止まった。


 患者固有の魔力へ変換する。


 言葉にすれば、簡単だった。


 だが。


 実際に、何をすればよいのか。


 人によって異なる魔力の性質とは、何なのか。


 それを、どのように測定するのか。


 魔力回路は。


 魔素へ何を行うことで、術者固有の魔力へ変えているのか。


 何一つ。


 分からない。


(何へ変えればよいのかは、分かりました)


(ですが)


(どうすれば変えられるのかが、分かりません)


 それでも。


 目指すべき方向は、初めて見えた。


 ルシエは、さらに思考を進める。


(すべてを一度に魔力へ変えてはいけません)


 エレーヌの体内には。


 魔力回路や肉体へ癒着したものだけでなく。


 処理しきれないほど、大量の魔素が蓄積している。


 そのすべてを一度に、エレーヌの魔力へ変えれば。


 今度は。


 急激に増加した魔力が、母の身体を圧迫する。


 魔素汚染を治療するために。


 魔力過多を、引き起こしてしまう。


「癒着した魔素を変えたあと」


「残った魔素を、どうするか……」


 ルシエの手が止まった。


 魔力回路や肉体へ癒着した部分は。


 無理に剥がさず。


 母固有の魔力へ変換する。


 しかし。


 回路の内部へ滞留している、余分な魔素は。


 体外へ排出しなければならない。


 伝統魔法で押し出す。


 だが。


 傷ついた魔力回路へ、外側から力を加えれば。


 新たな損傷を与えるかもしれない。


 光魔法で分解する。


 それでは。


 先ほどと同じ問題が起きる。


 魔力として消費させる。


 今のエレーヌには。


 大量の魔力を安全に使い切るだけの体力がない。


 ルシエは、研究ノートを見つめた。


 答えは出ない。


 それでも。


 考えることだけは、やめなかった。


 その時。


 玄関の扉が、控えめに叩かれた。


 エレーヌを起こさないように。


 ルシエは静かに部屋を出る。


 扉を開けると。


 そこには、ノエルが立っていた。


「こんばんは」


「ノエル?」


 ルシエは、目を瞬かせる。


「どうして、ここに?」


「さっき別れたあとも、治療の結果が気になって」


 ノエルは、少し気まずそうに頬を掻いた。


「でも、治療中に訪ねたら邪魔になるだろ?」


「だから、大聖女様たちが帰るまで待ってた」


「待っていたのですか?」


「ずっと家の前にいたわけじゃないよ」


 ノエルは慌てて否定する。


「近くの通りを歩いてたら、大聖女様たちが帰るのが見えたんだ」


 おそらく。


 本当に何度も、近くを歩いていたのだろう。


「こんな時間に来て、迷惑だった?」


「いいえ」


 ルシエは、首を横へ振った。


「来てくださって、ありがとうございます」


「お母さんは?」


「眠っています」


「治療は、どうだった?」


 ルシエは。


 すぐには、答えられなかった。


「症状は、かなり改善しました」


「久しぶりに、苦しくないと笑っていました」


「そっか」


 ノエルは、安心したように息を吐く。


 しかし。


 ルシエの表情を見て。


 続きがあることを察した。


「治らなかったんだな」


「はい」


 ルシエは、小さく頷いた。


「大聖女様の光魔法でも」


「奥深くへ蓄積した魔素は、取り除けませんでした」


「無理に分解すれば」


「魔力回路や肉体まで、傷つけてしまうそうです」


「そうか……」


 ノエルは、俯きかける。


 だが。


 ルシエは。


 研究ノートを、胸元へ抱えていた。


 その瞳には。


 絶望ではなく、強い光が宿っている。


「何か見つけた?」


「まだ、仮説です」


 ルシエはノエルを部屋へ招き。


 机の上へ、研究ノートを広げた。


 寝台では。


 エレーヌが、変わらず静かな寝息を立てている。


 ノエルは、声を抑えながら。


 書き込まれた理論を読み始めた。


『魔力回路へ癒着した魔素を、患者固有の魔力へ変換する』


『患者本人の魔力を基準とする』


『魔力回路の働きを、外部魔法式によって代行する』


 読み進めるうちに。


 ノエルの表情が、変わった。


「魔素を消すんじゃない」


「お母さんの魔力へ変えるのか」


「はい」


「魔素そのものは」


「誰の身体にも存在するものです」


「正常に魔力へ変換できれば」


「身体を蝕む異物ではなくなります」


「でも」


「お母さんの魔力回路は、傷ついている」


「だから」


「母自身の魔力回路には、変換させません」


 ルシエは。


 研究ノートに描いた図へ、指を置いた。


「母自身の魔力を基準として」


「外部から重ねた魔法式によって」


「癒着している魔素だけを、母固有の魔力へ変換するのです」


「アデラーン様の暗黒を」


「身体の外で、再現する?」


「原理としては、近いと思います」


 暗黒は。


 魔素を、体内へ取り込み。


 魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換する。


 ルシエが目指しているのは。


 患者の体内へ、新たな魔素を取り込むことではない。


 既に蓄積している魔素へ、外部から働きかけ。


 患者固有の魔力へ変換する方法だった。


「暗黒と同じように」


「身体へ大量の魔素を通せば、危険です」


「母の魔力回路では、耐えられません」


「だから」


「変換を、体外の魔法式に任せるのか」


「はい」


「術者の身体を」


「変換器として使わない方法が必要です」


「それが成功すれば……」


 ノエルが。


 寝台へ、視線を向ける。


「お母さんの魔力回路を」


「傷つけずに済むかもしれない」


「はい」


 ルシエは。


 はっきりと答えた。


 ノエルは、もう一度。


 研究ノートへ視線を戻す。


 そして。


 変換後の流れを、指で追った。


「でも」


「はい?」


「癒着している魔素を変えられても」


「残りは、どうする?」


 ルシエの表情が止まる。


「お母さんの体内には」


「まだ、大量の魔素が残っているんだろ?」


「はい」


「それも全部」


「お母さんの魔力へ変えるのか?」


「いいえ」


 ルシエは、首を横へ振った。


「それでは」


「母の身体が、耐えられません」


「癒着した部分だけを魔力へ変え」


「それ以外の過剰な魔素は」


「体外へ排出する必要があります」


「どうやって?」


「それが、まだ……」


 伝統魔法で押し出せば。


 回路へ負担がかかる。


 光魔法で分解すれば。


 肉体まで傷つける。


 無理に引き剥がすことも、できない。


 ノエルは。


 研究ノートの別の頁へ、目を留めた。


『魔素には、互いに引き合う性質がある』


「なあ、ルシエ」


「はい」


「魔素は」


「濃度の高い場所へ、集まるんだよな?」


 ルシエの目が見開かれた。


「はい」


「魔素濃度の高い場所には」


「周囲から、魔素が集まります」


「だったら」


 ノエルは。


 机の上に置かれていた、小さな魔水晶を手に取った。


 内部の魔素を使い切った。


 ほとんど空の魔水晶。


「この中に」


「魔素を引き寄せる場所を作ればいいんじゃないか?」


 ルシエは。


 ノエルが持つ魔水晶を見つめる。


 空の魔水晶は。


 新たな魔素を蓄えるための、大きな余地を残している。


 その内部へ。


 ごく少量の、高濃度な魔素を集める。


 周囲の魔素を引き寄せるための。


 小さな核だけを作る。


 そして。


 母の体内に滞留している魔素と。


 その核を。


 外部の術式によって繋ぐことができれば。


「体外へ、誘導できる……?」


 ルシエが立ち上がった。


「母の魔力回路と」


「回収用の魔水晶の間へ」


「閉じた誘導路を作るのです」


「誘導路?」


「はい」


 ルシエは急いで。


 研究ノートへ、新しい図を描き始める。


 人間の身体。


 体内を走る、魔力回路。


 そこから、体外へ伸びる細い術式。


 そして。


 その先に置かれた、空の魔水晶。


「魔水晶の中心へ」


「魔素を引き寄せるための、小さな核を作ります」


「魔水晶の大部分は、空のまま残し」


「そこへ」


「母の体内から引き出した魔素を、蓄積するのです」


「身体の中より」


「魔水晶の中へ、集まりやすくするのか」


「はい」


「魔素が」


「濃度の高い場所へ集まろうとする性質を利用します」


「そこへ」


「母の魔力回路から伸ばした、誘導路を繋ぐ」


「そうすれば」


「体内へ滞留している魔素が」


「魔水晶へ引かれて、移動する……?」


「可能性はあります」


 だが。


 ただ魔水晶を、身体へ近づけるだけでは。


 周囲の自然界に存在する魔素まで、引き寄せてしまう。


 それでは。


 母の体内から魔素を排出するどころか。


 さらに、新しい魔素を呼び込む危険がある。


「治療範囲を」


「外界の魔素循環から、隔離する必要があります」


「大聖女様が使っていた」


「聖光結界みたいに?」


「はい」


「周囲から」


「新しい魔素が流入することを防ぎ」


「母の魔力回路と、回収用の魔水晶だけを」


「閉じた術式で繋ぎます」


 さらに。


 魔素を一気に引き出せば。


 魔力回路の内部で、急激な変化が起きる。


 傷ついた回路が。


 内側から崩れる可能性もある。


「流量の制御も、必要です」


「少しずつ、引き出すのか」


「はい」


「魔力回路へ負担がかからない量だけを」


「一定の速度で、誘導します」


 ノエルが。


 図の途中を、指さした。


「逆流は?」


「遮断術式を、組み込みます」


「回収用の魔水晶から」


「身体へ魔素が戻らないように」


「逆流防止と、流量制御か」


「さらに」


「魔水晶の容量が、限界へ達する前に」


「術式を停止させる、安全装置も必要です」


 二人は。


 完成したばかりの図を見つめた。


 魔力回路や肉体へ癒着した魔素は。


 無理に剥がさない。


 患者固有の魔力へ変換し。


 身体が利用できる状態へ変える。


 それ以外の。


 回路内へ滞留している過剰な魔素は、魔力へ変えない。


 魔素が互いに引き合う性質を利用し。


 体外の魔水晶へ導いて、回収する。


 分解しない。


 力任せに、押し出さない。


 魔素自身が動こうとする性質を利用し。


 流れる方向だけを、整える。


「妖精誘導法と」


「似ています」


 ルシエが呟いた。


「術者の力で」


「無理に動かすのではありません」


「魔素が本来持つ性質を利用する」


「自然な流れを、導くのか」


 ノエルは。


 サンセリテの講義を思い返した。


「はい」


「それなら」


「伝統魔法によって、外側から押し出すよりも」


「少ない力で、誘導できるはずです」


「魔力回路への負担も」


「抑えられる可能性があります」


 治療法の形が。


 少しずつ、見え始めている。


 だが。


 まだ。


 紙の上へ描かれただけの、仮説にすぎない。


 患者固有の魔力とは。


 具体的に、どのようなものなのか。


 それを。


 どのように調べるのか。


 魔力回路が行っている変換を。


 どうやって、体外の魔法式へ置き換えるのか。


 魔素を、患者固有の魔力へ。


 どのように変換するのか。


 癒着した魔素だけを。


 どうやって、選び出すのか。


 外界から新たな魔素が入り込むことを。


 どうやって、防ぐのか。


 変換によって生まれた魔力が。


 患者の身体へ一度に流れ込まないよう、制御するには。


 どうすればよいのか。


 外界との隔離。


 流量制御。


 逆流防止。


 魔水晶の容量管理。


 安全に止めるための、遮断機構。


 分からないことばかりだった。


「いきなり」


「治療用の術式を作るのは、無理そうだな」


 ノエルが呟く。


「はい」


 ルシエも頷いた。


「まずは」


「もっと基本的な現象から、確かめる必要があります」


 母の体内へ蓄積した魔素へ。


 すぐに、触れてはならない。


 まずは。


 周囲に存在する、ごく少量の魔素を使う。


 魔素を。


 体外で、術者固有の魔力へ変換できるのか。


 変換した魔力を。


 属性魔粒子を媒体として使わず、利用できるのか。


 そして。


 その力を、安全に制御できるのか。


「魔剣流の暗黒は」


「魔素を、身体の中へ取り込みます」


 ルシエは。


 ノートへ、書き加えていく。


「私たちは」


「同じ原理を、身体の外で再現する方法を作らなければなりません」


「暗黒が、体内で行っている変換を」


「魔法式へ置き換える」


「はい」


「術者の身体を」


「変換器として使わない方法を、作ります」


 それが完成しなければ。


 母の治療へ進むことは、できない。


 ルシエは。


 ノートの新しい頁を開いた。


『基礎研究』


『体外の魔素を、術者固有の魔力へ変換できるか』


『属性魔粒子を媒体として用いず、変換した魔力を利用できるか』


『術者の身体へ魔素を通さず、変換を行えるか』


『暴走、逆流、過剰出力を防げるか』


 これまで。


 魔法は。


 術者の魔力を燃料として魔法式を動かし。


 属性魔粒子を媒体として、現象を起こすものだと考えられてきた。


 だが。


 魔剣流の暗黒は。


 属性魔粒子を使わずに、術者固有の魔力を利用している。


 同じことを。


 身体と剣ではなく。


 魔法式によって再現することができれば。


 四大属性への適性を持たない者でも、使用できる。


 新たな魔法体系になるかもしれない。


「難しいな」


 ノエルが呟く。


「はい」


「今までより、ずっと」


「はい」


「完成する保証もない」


「ありません」


 ルシエは、否定しなかった。


 魔導冷房機の論文は。


 最初の一頁で閉じられた。


 研究として審査する価値さえないと、判断された。


 属性を持たない魔法という考えも。


 大講堂で、笑われた。


 魔力回路の働きを、魔法式で体外へ再現するなど。


 不可能だと、否定された。


 これから始める研究も。


 きっと、簡単には理解されない。


 協力を求めても。


 断られるかもしれない。


 危険な空想だと。


 再び、切り捨てられるかもしれない。


 それでも。


 ルシエは。


 眠る母を見つめた。


 亡き父に代わり。


 一人でルシエを育て。


 苦しい時も、優しく笑い続けてくれた人。


 その母は。


 自分のことはいいと言った。


 ルシエが幸せなら。


 それでよいと。


 けれど。


 母を失って得る幸せなど。


 ルシエには、想像できなかった。


「私は、諦めません」


 静かな声。


 だが。


 そこに、迷いはなかった。


「誰にも、認めてもらえなくても」


「また、空想だと笑われても」


「お母さんを救える可能性が」


「少しでも、残っている限り」


「私は、この研究を続けます」


 ノエルは。


 ルシエを、真っ直ぐに見つめた。


 そして。


 力強く頷く。


「今度も、一緒にやろう」


「ですが」


「これは、魔導冷房機よりも危険な研究です」


「知ってる」


「魔素暴走を、起こす可能性もあります」


「それも分かってる」


「完成するかどうかも、分かりません」


「それも聞いた」


「ノエルの」


「研究者としての評価まで」


「また、下がるかもしれません」


「それは困るな」


 ノエルは。


 真剣な顔で答えた。


 ルシエの表情が、曇りかける。


「だから」


「成功させよう」


 ノエルは笑った。


「無理だって言われたまま終わるのは」


「悔しいだろ?」


 ルシエは、目を見開く。


 そして。


 小さく笑った。


「はい」


 二人は。


 机へ並んで座った。


「まずは」


「俺たちが知っている魔素の使い方を」


「もう一度、整理しよう」


 ノエルが言った。


「伝統魔法」


「魔剣流の暗黒」


「それから」


「君が無属性魔法と名づけた、新しい仮説」


「はい」


「伝統魔法は」


「魔素を魔素のまま、体外で利用する」


「暗黒は」


「魔素を体内へ取り込み、自分の魔力へ変えて利用する」


「そして、無属性魔法は」


 ノエルは。


 そこで一度、言葉を止めた。


「暗黒と同じ変換を」


「身体の外に作った魔法式で行う」


「それが」


「現時点での仮説です」


「原理が同じなら」


「暗黒を理解しないと、始まらないな」


「はい」


 ルシエは。


 研究ノートに書かれた、『暗黒』の文字を見つめた。


 自分たちは。


 完成された暗黒を、外側から見ただけだ。


 アデラーンが魔素を取り込んだ瞬間。


 魔力回路の内部で、何が起きていたのか。


 どれほどの負荷が。


 肉体へかかっていたのか。


 その力を、どのように制御していたのか。


 何一つ。


 本当の意味では、理解していない。


「体外へ再現する前に」


「元となる現象そのものを、調べる必要があります」


「でも」


 ノエルは、少し表情を曇らせた。


「暗黒は」


「長い鍛錬を積んだ魔剣流の使い手が扱う技術だろ?」


「はい」


「簡単に試せるものじゃない」


「分かっています」


 ルシエは答えた。


 その声は、静かだった。


 だが。


 研究ノートを握る指には。


 確かな力が込められていた。


 問題点を挙げるたび。


 新しい疑問が生まれる。


 必要な実験も。


 調べるべき資料も。


 考えなければならない危険も。


 次々と、増えていく。


 それでも。


 二人の手は、止まらなかった。


 光魔法による、魔素の完全分解。


 伝統魔法による、体外の魔素への干渉。


 妖精誘導法による、魔素が持つ性質を利用した誘導。


 魔剣流の暗黒による、属性魔粒子を介さない魔力運用。


 人間の魔力回路が持つ。


 魔素を、術者固有の魔力へ変換する機能。


 これまで。


 別々に存在していた知識が。


 一人の命を救うという目的のため。


 初めて。


 一つへ結びつこうとしていた。


 こうして二人は。


 暗黒の原理を、魔法式によって体外へ再現する研究。


 属性適性を必要としない、新たな魔法。


 そして。


 世界の常識そのものへ挑む研究を。


 始めることになった。

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