第104話 研究以外の話
英雄たちによる特別講義が終わった頃には、空はすっかり暗くなっていた。
王立魔法学校の正門から、次々と生徒たちが出ていく。
誰もが興奮した様子で、今日の講義について語り合っていた。
大聖女ミュゲが明かした、光魔法の本質。
聖騎士アーサーが見せた、剣術と複数の術式を組み合わせる戦闘技術。
サンセリテによる、妖精誘導法の講義。
クロエが語った、魔王因子と魔王ニコラスの真実。
そして。
暗黒騎士アデラーンが披露した、魔剣流。
どれも。
普段の授業では、決して学ぶことのできない知識だった。
「英雄たち、すごかったな」
ノエルが、隣を歩くルシエへ話しかける。
「はい」
ルシエは胸元へ研究ノートを抱えながら、大きく頷いた。
「これまで別々に学んできた魔法理論が、すべて繋がっているように感じました」
「光魔法による、魔素の完全分解」
「闇魔法による、魔粒子の融合」
「魔素や魔粒子の自然な流れを利用する、妖精誘導法」
「そして、属性魔粒子を介さずに魔力を利用する魔剣流」
歩きながらも。
ルシエの口から、次々と言葉が溢れてくる。
「特に、魔剣流の暗黒剣は――」
「ちょっと待った」
ノエルが、片手を上げた。
ルシエは、不思議そうに首を傾げる。
「どうしました?」
「講義の感想を聞いた俺が悪かった」
ノエルは、小さく苦笑した。
「そのままだと、家へ着くまで研究の話だけで終わる」
「いけませんか?」
「いけなくはないけど」
ノエルは、夜空を見上げた。
「今日は、いろんなことがあっただろ」
「はい」
朝から、レオンに呼び止められた。
魔導冷房機の研究を馬鹿にされ。
論文が教授査読へ送られなかったのは、ルシエが共同研究者だったからではないかと言われた。
自分のせいで。
ノエルの研究まで、否定された。
そう思いかけた時。
ノエルが、庇ってくれた。
そして。
五人の英雄が、学校を訪れた。
世界の魔法理論を揺るがすような講義を受け。
最後には。
大講堂の中で、属性を持たない魔法という新しい仮説を口にした。
生徒たちに笑われ。
教授たちにも否定され。
ギデオンからは、また空想だと切り捨てられた。
たった一日の出来事とは思えないほど。
様々なことがあった。
「疲れてないか?」
ノエルが尋ねる。
ルシエは、少し考えた。
「身体は疲れています」
「頭は?」
「研究したいです」
「元気だな」
「はい」
即答するルシエに。
ノエルは、呆れたように笑った。
二人は、いつもの帰路から外れ。
街へ続く道を歩いていく。
ルシエは、周囲を見回した。
「こちらは、家へ帰る道ではありませんよね?」
「ああ」
「どこへ行くのですか?」
「少し寄り道する」
「図書館ですか?」
「違う」
「魔導具店?」
「違う」
「書店でしょうか?」
「どうして、研究に関係する場所しか出てこないんだ」
ノエルは、深いため息を吐いた。
「着けば分かるよ」
学校から、しばらく歩き。
二人は、街外れにある高台へ辿り着いた。
緩やかな丘の上には、小さな公園が造られている。
木々の間を抜けると。
その先に、街全体を見渡せる場所があった。
眼下には、夜の街並みが広がっている。
家々の窓から漏れる明かり。
大通りを照らす魔導街灯。
遠くに見える、王立魔法学校の尖塔。
無数の光が。
夜の中で、星のように輝いていた。
「綺麗……」
ルシエが、小さく呟く。
「だろ?」
ノエルは、少し得意そうに笑った。
「昔、偶然見つけたんだ」
「こんな場所があったのですね」
「学校と家と図書館しか往復してなかったら、知らないだろうな」
「研究室にも行っています」
「行動範囲が一つ増えただけじゃないか」
高台には。
街の方角へ向けて、木製のベンチが置かれていた。
ノエルは、そこへ腰を下ろす。
ルシエも、隣へ座った。
涼しい夜風が吹き抜け。
ルシエの髪を揺らす。
空には、大きな月が浮かび。
その淡い光が、横顔を照らしていた。
普段のルシエは。
研究ノートや、資料の山へ埋もれている。
制服の袖へインクをつけ。
髪が乱れていることにも気づかず。
新しい仮説を思いつけば。
周囲の声さえ、聞こえなくなる。
けれど。
月明かりに照らされた今のルシエは。
いつもより少しだけ、大人びて見えた。
ノエルは、思わずその横顔を見つめる。
「ノエル?」
「え?」
「どうかしましたか?」
「いや」
ノエルは慌てて、街へ視線を戻した。
「何でもない」
ルシエは、少し不思議そうにしていたが。
それ以上は、追及しなかった。
「どうして、ここへ?」
「たまには、研究以外の話もしたいと思って」
「研究以外の話……」
ルシエは、難しい課題を出されたような顔をした。
「何を話せばよいのでしょうか?」
「そんなに悩むことか?」
「研究以外となると、範囲が広すぎます」
「日常会話に範囲を設定するなよ」
ノエルは笑いながら、背もたれへ身体を預ける。
「今日のことでもいい」
「レオンに言われたこととか」
ルシエの表情が、少しだけ曇った。
「ごめん」
ノエルは、すぐに言い直す。
「嫌なら、話さなくてもいい」
「いいえ」
ルシエは、首を横へ振った。
「今でも、少し怖いです」
教授に論文を読んでもらえなかったのは。
自分のせいではないか。
ノエルと共同研究をしたからではないか。
その不安が。
完全に消えたわけではない。
「ですが」
「ノエルが、違うと言ってくれました」
「うん」
「クロエ様も」
「疑問を捨てるなと、言ってくださいました」
ルシエは。
胸元の研究ノートへ、そっと手を触れる。
「だから」
「もう一度、調べたいと思います」
「また、研究の話に戻ってない?」
「まだ戻っていません」
「本当に?」
「はい」
ルシエは、真剣な顔で答えた。
そして。
ベンチへ座ったまま、研究ノートを開く。
「アデラーン様は、自分の魔力を媒介として、周囲の魔素へ干渉していました」
「戻ってるじゃないか!」
ノエルの声が。
静かな高台へ響いた。
「ですが」
「今日の出来事について、話しているだけです」
「研究以外の、今日の出来事を話したかったんだよ」
「先に言っていただければ」
「研究以外って言っただろ!」
ルシエは。
ノエルの訴えを聞きながら、ノートの新しい頁を開いた。
『魔力回路の働きを、体外へ再現できるか』
先ほど。
大講堂で思いついた疑問。
人間の魔力回路は。
体内へ取り込んだ魔素を、術者固有の魔力へ変換する。
ならば。
その働きを。
魔法式によって、身体の外へ再現できないだろうか。
「ルシエ」
「はい?」
「夜景、見えてる?」
「はい」
「綺麗ですね」
そう答えるルシエの目は。
研究ノートへ向けられたままだった。
「絶対に見てないだろ」
「先ほど、見ました」
「もう過去の話になってる」
「夜景は、急に変化しませんので」
「研究ノートは、閉じても逃げないよ」
「仮説は逃げます」
「逃げるんだ……」
「思いついた時に書き留めなければ、細部を忘れてしまいます」
ルシエは、真剣だった。
ノエルは。
しばらく、彼女を見つめる。
そして。
諦めたように、息を吐いた。
「それでこそ、ルシエか」
「何か言いましたか?」
「何でもない」
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
今夜は。
研究以外の時間を過ごせるのではないかと、期待していた。
夜景を眺めながら。
学校での出来事を話して。
研究とは関係のない。
好きな物や。
行ってみたい場所について、聞く。
そんな時間を、思い描いていた。
けれど。
研究ノートへ夢中になっているルシエの横顔を見ていると。
怒る気には、なれなかった。
月明かりに照らされたルシエは。
いつもより、綺麗に見える。
本人は。
そんなことに、まったく気づいていない。
「ノエル」
「何?」
「ここが分かりません」
「景色じゃなくて?」
「魔力回路の変換部分です」
「だろうな」
ノエルは苦笑しながら。
ルシエの研究ノートを覗き込んだ。
『自然界の魔素』
『体外に構築した魔法式』
『術者固有の魔力へ変換』
図は、そこまでしか書かれていない。
「魔力回路が、魔素に何をしてるのか」
「それ自体が、完全には分かってないんだよな?」
「はい」
ルシエは頷いた。
「魔力回路が」
「体内へ取り込んだ魔素を、術者固有の魔力へ変換していることは分かっています」
「ですが」
「どのような構造によって」
「どのような過程を経て、変換しているのか」
「すべてが解明されているわけではありません」
「じゃあ」
「外で再現する方法も分からないか」
「はい」
ルシエは。
研究ノートへ書いた矢印を見つめる。
何をしたいのかは、分かっている。
体外の魔素を。
術者が制御できる、自分自身の魔力へ変えたい。
けれど。
そこへ至る方法が、まったく分からない。
「何から調べればよいのかも」
「まだ、分かりません」
ルシエが、静かに呟く。
大講堂で仮説を口にした時は。
ただ、可能性が見えた。
魔剣流が。
属性魔粒子を介さずに、魔力を利用していた。
ならば。
同じことを、魔法式によって再現できるのではないか。
しかし。
実際に研究しようとすれば。
分からないことばかりだった。
「本当に、やるつもり?」
ノエルが尋ねる。
「はい」
ルシエは即答した。
「魔力回路の構造も」
「魔素が魔力へ変わる過程も」
「変換した魔力を、属性魔粒子を使わずに制御する方法も」
「何一つ、分かっていません」
「分からないことだらけだな」
「はい」
「完成しないかもしれない」
「はい」
「今日みたいに、また笑われるかもしれない」
「はい」
「ギデオン教授にも」
「また、空想だと言われるかもしれない」
ルシエの指が。
研究ノートの上で、わずかに止まった。
けれど。
ノートを閉じることはなかった。
「それでも」
「調べたいです」
ルシエは。
眼下に広がる街へ、顔を向ける。
今度は。
きちんと、夜景を見ていた。
いくつもの灯り。
そのどこかで。
多くの人々が、暮らしている。
笑い。
働き。
家族と食卓を囲み。
明日も同じ日が来ると信じて、眠る。
けれど。
母エレーヌは。
その当たり前の生活さえ、送ることができない。
魔力回路へ蓄積した魔素に蝕まれ。
寝台の上で、苦しみ続けている。
「知りたいんです」
ルシエは。
研究ノートへ書かれた、『無属性魔法』の文字へ触れる。
「属性を持たない魔法が」
「本当に、存在できるのか」
「そして」
「この魔法が」
「いつか、お母さんを救う力になるかもしれないから」
まだ。
無属性魔法と、母の治療がどのように繋がるのか。
ルシエ自身にも。
はっきりとは、分かっていない。
ただ。
魔剣流の暗黒が。
魔素を、術者固有の魔力へ変換して利用していた。
その事実だけが。
母の病気を治すための、新しい道へ繋がっているように思えた。
ノエルは。
ルシエの横顔を見つめた。
昼間。
大講堂で笑われても。
教授に否定されても。
ルシエは。
もう、疑問を手放そうとはしなかった。
その瞳には。
真理を知りたいという、強い意志が宿っている。
「そっか」
ノエルは小さく笑うと。
ルシエの隣へ、座り直した。
肩が触れそうなほど。
少しだけ、距離を縮める。
「じゃあ、俺も手伝う」
ルシエが、目を瞬かせる。
「よろしいのですか?」
「ああ」
「ですが」
「まだ、研究と呼べるほどのものではありません」
「何を調べればいいのかも、決まってないんだろ?」
「はい」
「だったら」
「そこから、一緒に考えればいい」
ルシエは。
ノエルを、真っ直ぐに見つめた。
「また」
「私と共同研究をしてくださるのですか?」
「ああ」
ノエルは、少し照れくさそうに笑う。
「悔しいじゃん」
「無理だって言われたままだと」
ルシエは。
目を丸くしたあと、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます、ノエル」
「どういたしまして」
結局。
ノエルが期待していた、研究以外の時間は。
ほとんどなかった。
せっかくの夜景も。
二人は、半分も見ていない。
けれど。
同じ研究ノートを覗き込み。
一つの疑問について、言葉を交わし。
分からないことを。
二人で、少しずつ考えていく。
そんな時間も。
ノエルは、決して嫌いではなかった。
「ところで」
ノエルが顔を上げる。
「今からでも、少しくらい夜景を見ない?」
「はい」
ルシエは頷いた。
そして。
研究ノートへ、視線を落とす。
「この頁を書き終えたら」
「それ、いつ終わる?」
「あと少しです」
「さっきから、ずっと聞いてる気がする」
月明かりの下。
街の夜景を背にしたまま。
二人は、再び研究ノートへ顔を寄せた。
それから、しばらくして。
二人は高台を下り、住宅街へ向かった。
ノエルは、ルシエの家の前まで一緒に歩いていく。
「送っていただかなくても、大丈夫でしたのに」
「もう遅いから」
「ですが、ノエルも帰りが遅くなってしまいます」
「これくらい平気だよ」
そう話しているうちに。
見慣れた家が、二人の前に現れた。
窓からは、暖かな明かりが漏れている。
ルシエは玄関の前で足を止め、ノエルへ振り返った。
「今日は、ありがとうございました」
「夜景は、ほとんど見てなかったけどな」
「とても綺麗でした」
「最初の数分しか見てないだろ」
「十分です」
「本当かな……」
ノエルは苦笑した。
その時。
ルシエが、何かを思い出したように家の窓へ目を向ける。
「そういえば」
「今夜、大聖女様が母の治療へ来てくださるそうです」
「大聖女様が?」
ノエルが目を見開いた。
「はい」
「特別講義のあと、学校から知らせを受けました」
ノエルは、家の中へ視線を向ける。
「お母さん、治るといいな」
「はい」
ルシエは。
胸元の研究ノートを、強く抱き締めた。
「大聖女様なら」
「きっと、治してくださいます」
その言葉は。
ノエルへ伝えるというよりも。
自分自身へ言い聞かせているように聞こえた。
ノエルは、しばらくルシエを見つめる。
「ルシエ」
「はい?」
「何かあったら、俺にも教えて」
「ですが」
「共同研究者だろ?」
ノエルは、少しだけ笑った。
「研究以外のことでも」
「困った時くらい、頼ってよ」
ルシエは、目を瞬かせる。
そして。
柔らかく微笑んだ。
「はい」
「ありがとうございます」
「じゃあ、また明日」
「はい」
「おやすみなさい、ノエル」
「おやすみ、ルシエ」
ノエルが、夜道を歩いていく。
ルシエは。
その後ろ姿が見えなくなるまで、玄関の前に立っていた。
こうして。
研究以外の話をするために訪れた高台で。
二人は、新しく生まれた疑問を。
これから一緒に調べる約束をした。
そしてノエルは。
研究以外のことでも。
ルシエの力になりたいと、思い始めていた。




