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無能と呼ばれた私が、世界の魔法理論を書き換えます  作者: Atelier Lotus


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第103話 属性を持たない魔法

 暗黒騎士アデラーンによる演武が終わった。


 十歩以上離れた場所に置かれていた標的は、今も斜めに両断されたまま、壇上へ転がっている。


 炎は生まれなかった。


 水も。


 風も。


 土も。


 属性魔法が発動した痕跡は、どこにも残されていない。


 それでも。


 標的は、確かに斬られていた。


 大講堂の生徒たちは、興奮した様子で隣同士と言葉を交わしている。


「どうやって斬ったんだ?」


「魔力を飛ばしたのか?」


「いや、周囲の魔素へ力を伝えたって……」


「そんなことが、本当にできるのか?」


 アデラーンは騒がしい大講堂を見渡すと、黒剣を背中の鞘へ収めた。


「質問がある者はいるか?」


 いくつもの手が上がる。


 剣術を学んでいる生徒。


 魔法剣士を目指している生徒。


 伝統魔法を研究する上級生。


 多くの者が、魔剣流の技術に強い関心を抱いていた。


 その中で。


 ルシエも、静かに手を挙げていた。


 アデラーンが彼女へ視線を向ける。


「そこの生徒」


 ルシエは席から立ち上がった。


「一年生のルシエ・フローレンスです」


「質問をどうぞ」


 アデラーンに促され。


 ルシエは、一度だけ深く息を吸った。


「先ほど、魔剣流では、自然界から取り込んだ魔素を魔力回路によって術者固有の魔力へ変換し、属性魔粒子を媒体として用いることなく、そのまま肉体や剣へ流すとおっしゃいました」


「そう教わっている」


「そして、その魔力を媒介として、周囲の魔素へ力を伝えている」


「ああ」


 ルシエは、研究ノートへ書き込んだ図へ目を落とした。


 まず。


 通常の属性魔法。


『自然界の魔素』


 そこから、一つ目の矢印を伸ばす。


『魔力回路』


『術者固有の魔力――魔法を動かす燃料』


 もう一つ。


 自然界の魔素から、別の矢印を伸ばす。


『必要な属性魔粒子を選び出す』


『属性魔粒子――干渉する対象と、現象の性質を決める媒体』


 そして。


 術者固有の魔力と、属性魔粒子。


 二つが、魔法式へ繋がる。


『魔力を燃料とし、属性魔粒子を媒体として魔法式を駆動』


『属性魔法』


 一方。


 魔剣流。


『自然界の魔素』


『体内へ取り込む』


『魔力回路』


『術者固有の魔力』


『属性魔粒子を媒体として用いない』


『肉体、剣へ直接流す』


『自身の魔力を媒介として、周囲の魔素へ干渉』


 途中までは同じだ。


 自然界の魔素を体内へ取り込み。


 魔力回路によって、術者固有の魔力へ変換する。


 違うのは、その先。


 通常の属性魔法は。


 術者固有の魔力を燃料として魔法式を動かし、自然界の魔素から選び出した属性魔粒子を媒体として現象を起こす。


 しかし。


 魔剣流は、属性魔粒子を必要としない。


 術者固有の魔力を、そのまま肉体と剣へ利用している。


「人間の魔力回路は、体内へ取り込んだ魔素を、術者固有の魔力へ変換しています」


 ルシエは、ゆっくりと言葉を続ける。


「ならば、その働きを魔法式によって、体外で再現することはできないのでしょうか?」


 大講堂が静まり返った。


 アデラーンも、すぐには答えなかった。


「体外で?」


「はい」


「自然界の魔素を、一度身体へ取り込むのではありません」


「魔力回路と同じ変換を行う魔法式を、身体の外へ構築するのです」


 周囲の魔素を集める。


 その魔素を。


 人間の魔力回路が行っているのと同じように、術者が制御可能な状態へ変換する。


 火の魔粒子でも。


 水の魔粒子でも。


 風の魔粒子でも。


 土の魔粒子でもない。


 術者固有の魔力と、同じ性質を持つ力へ。


「すまない」


 アデラーンは、率直に首を横へ振った。


「俺には、学術的なことは分からない」


 ルシエが顔を上げる。


「俺は、先代宗家から教わったことを、忠実に再現しているだけだ」


 立ち方。


 呼吸。


 身体の使い方。


 魔素を取り込む感覚。


 取り込んだ魔素を魔力へ変換する方法。


 魔力を肉体へ巡らせる順序。


 黒剣へ流し込む量と、その瞬間。


 アデラーンは。


 それらを長年の鍛錬によって、身体へ叩き込んできた。


 だが。


 その技術を、魔法理論として研究してきたわけではない。


「魔法については、専門家に聞いた方がいい」


 アデラーンは、そう付け加えた。


「俺に分かるのは」


「どう動けば、同じ結果になるか」


「それだけだ」


 ルシエは小さく頷いた。


「ありがとうございます」


 答えは得られなかった。


 けれど。


 否定もされなかった。


 ルシエは立ったまま、思考を続ける。


「魔剣流では、自身の魔力を媒介として、周囲の魔素へ力を伝えています」


「ですが、その制御には膨大な鍛錬が必要です」


「姿勢や呼吸、踏み込み、剣筋によって、毎回同じ魔力の動きを再現している」


 魔法式の代わりに。


 身体を使っている。


 それならば。


 身体が担っている制御を。


 数式と魔法陣へ置き換えることができれば。


「魔力回路の変換機能を、魔法式によって体外へ再現する」


「自然界の魔素を、術者固有の魔力と同じ性質を持つ、制御可能な力へ変える」


 ルシエは。


 自分の考えを確かめるように、一つずつ言葉にする。


「さらに」


「変換した力を、別の魔法式へ供給する」


「火、水、風、土の属性魔粒子を媒体として用いることなく」


「術者固有の魔力そのものによって、現象を制御するのです」


 ノエルが目を見開いた。


「魔剣流が、身体と剣で行っていることを」


「魔法式だけで再現するのか?」


「はい」


「でも」


 ノエルは、少し考える。


「物を押したり、引いたりするだけなら、伝統魔法でもできるんじゃないか?」


「伝統魔法とは、少し異なります」


 ルシエは答えた。


「伝統魔法は、自分の魔力を媒介として、体外に存在する魔素へ直接働きかけます」


「魔素を術者固有の魔力へ変換するわけではありません」


 魔素は、魔素のまま。


 術者の魔力によって流れる方向を定め。


 魔素が内包する力を、単純な運動として利用する。


 押す。


 引く。


 浮かせる。


 衝撃を与える。


「ですが、私が考えているものは違います」


「周囲の魔素を、まず術者固有の魔力と同じ性質へ変換する」


「そのうえで」


「変換した力を、魔法式によって制御するのです」


「魔素を、そのまま外側から動かすのではなく」


「魔法として扱える、制御可能な状態へ変える……」


 ノエルが、小さく呟く。


「はい」


「魔剣流の暗黒が、身体の中で行っていることを」


「身体の外で行います」


 アデラーンの暗黒は。


 周囲の魔素を体内へ取り込み。


 魔力回路によって、自分の魔力へ変換する。


 そして。


 属性魔粒子を媒体として用いず、その魔力を肉体や剣へ直接利用する。


 ルシエが考えている魔法は。


 その変換を、身体の外で行う。


 魔力回路の代わりとなる魔法式を構築し。


 周囲の魔素を、術者固有の魔力と同じ性質を持つ力へ変える。


 そして。


 変換した力を、新たな魔法式へ供給する。


 原理は、魔剣流の暗黒に近い。


 だが。


 人間の身体を変換器として使わない。


「そうすれば――」


 ルシエは、一度言葉を止めた。


 火属性への適性がなくても。


 水属性への適性がなくても。


 風属性への適性がなくても。


 土属性への適性がなくても。


 自分自身の魔力さえ持っていれば。


 誰でも使える可能性がある。


「属性を持たない魔法を、作れるのではないでしょうか」


 一瞬。


 大講堂から、すべての音が消えた。


 そして。


「属性を持たない魔法?」


 どこかから、噴き出すような笑い声が聞こえた。


「何を言っているんだ?」


「そんなもの、魔法とは呼べないだろ」


「魔法は、属性魔粒子を媒体として現象を起こすものだぞ」


「人間の魔力回路を、魔法式で再現するなんて」


「できるわけがない」


 笑い声は、次第に広がっていく。


 生徒だけではない。


 教授席に座る一部の教師たちも。


 呆れたように、顔を見合わせていた。


「魔力回路は人体の一部だ」


「何世代にもわたって研究されてきたが、完全な構造すら解明されていない」


「それを一年生が、体外へ再現するだと?」


「空想にも限度がある」


 ルシエの指先が、わずかに震えた。


 まただ。


 既存の理論に存在しない。


 教科書に書かれていない。


 過去に成功した者がいない。


 だから。


 あり得ない。


 壇上の横に座っていたギデオンが、深いため息を吐いた。


「フローレンス君」


 その声に。


 大講堂の笑いが、少しずつ収まる。


「また、君の空想か」


 ルシエは唇を結んだ。


「ですが、魔剣流では実際に――」


「それは、長い歴史を持つ武術流派が積み重ねてきた、特殊な技術だ」


 ギデオンは、ルシエの言葉を遮った。


「魔法式によって再現できるという根拠にはならない」


「人間の魔力回路を体外へ作るなど、現在の魔法理論では不可能だ」


「不可能だと、証明されているのでしょうか?」


 ルシエが尋ねる。


 ギデオンの眉が動いた。


「証明以前の問題だ」


「人体の魔力回路と魔法式は、まったく異なるものだ」


「属性を持たない魔法など、過去に一度も確認されていない」


「存在しないものを前提として理論を組み立てるのは、研究ではない」


 冷たい言葉が。


 大講堂へ響く。


「既存の魔法体系を、きちんと理解してから発言しなさい」


「君は、基礎を無視して突飛な結論へ飛びつく癖がある」


「それでは、研究者にはなれない」


 胸の奥へ、鋭い痛みが走った。


 ルシエは、俯きかける。


 自分の考えは。


 やはり、空想にすぎないのだろうか。


「今の魔法理論が完成形だと、誰が決めた?」


 静かな声が。


 大講堂を貫いた。


 笑い声が止まる。


 ギデオンも口を閉ざし、壇上へ視線を向けた。


 クロエが。


 椅子に座ったまま、ルシエを見ていた。


「クロエ様。しかし――」


「わしは、お主に聞いておるのではない」


 クロエはギデオンへ向けていた視線を外し、ゆっくりと立ち上がる。


「人間の魔力回路を、魔法式によって再現できぬと証明した者はおるのか?」


 誰も答えない。


「属性を持たぬ魔法が、この世に絶対存在せぬと証明した研究は?」


 沈黙。


「過去に確認されておらぬ」


「現在の理論では説明できぬ」


「その二つは」


「不可能であることの証明にはならぬ」


 クロエの言葉に。


 サンセリテが、静かに頷く。


「古代魔術についての講義でも、お話ししたとおりです」


「現在の理論で説明できないことと」


「現象が存在しないことは、同じではありません」


 ギデオンが反論する。


「ですが」


「何の根拠もない思いつきを認めていては、魔法研究は成り立ちません」


「誰が認めろと言った?」


 クロエは首を傾げた。


「この娘の仮説が正しいと」


「わしは一言も言っておらぬぞ」


 ギデオンが、言葉を詰まらせる。


「魔力回路の外部再現など、実現できぬかもしれん」


「属性を持たぬ魔法も、最後まで完成せぬかもしれん」


「調べた結果」


「理論そのものが間違っていたと判明する可能性もある」


 クロエは、淡々と語る。


「じゃが」


「それを確かめるのが、研究じゃろう」


 ルシエが。


 ゆっくりと顔を上げる。


「理解できぬ現象を、存在しないと決めつけるな」


「前例がないという理由だけで、問いを閉ざすな」


 クロエは、大講堂全体を見渡した。


「現在の魔法理論とて、最初から完成していたわけではない」


「土は、ただ固めるだけのものではないと考えた者」


「魔素は、一種類の物質ではないと疑った者」


「目には見えぬ魔力回路が、体内に存在すると仮定した者」


「最初に唱えた時は」


「誰もが、空想だと笑われたはずじゃ」


 今では、常識として教えられている理論も。


 始まりは。


 誰か一人の疑問だった。


 誰も気に留めなかった、小さな矛盾。


 あり得ないと笑われた、仮説。


 それを捨てず。


 調べ続けた者がいたからこそ。


 現在の魔法体系は、存在している。


「疑問とは、真理へ至る最初の扉じゃ」


 クロエは。


 ルシエを、真っ直ぐに見つめた。


「その扉の先に、何があるかは誰にも分からぬ」


「正解かもしれぬ」


「行き止まりかもしれぬ」


「じゃが」


「開ける前から、何もないと決めつけては」


「何も始まらん」


 ルシエの目に。


 少しずつ、力が戻っていく。


「ルシエ・フローレンス」


「はい」


「その疑問を、決して捨てるでない」


「……はい」


 小さな返事。


 けれど。


 今度は、はっきりと声が出た。


「ありがとうございます」


 ルシエは席へ座る。


 周囲からの視線は、まだ消えていない。


 呆れ。


 嘲笑。


 疑い。


 それでも。


 先ほどまでのように、俯くことはなかった。


 ノエルが、ルシエの研究ノートを覗き込む。


「本当に、研究するつもりか?」


「はい」


 ルシエは即答した。


「魔力回路の完全な構造さえ、まだ分かっていません」


「体外で、その働きを再現する方法も」


「周囲の魔素を、術者固有の魔力と同じ性質へ変換する方法も」


「変換した力を、安定して魔法式へ供給する方法も」


「何一つ、分かっていません」


「分からないことだらけだな」


「はい」


 ルシエは、研究ノートの新しいページを開く。


「だから、調べます」


 ノエルは。


 一瞬だけ目を丸くしたあと、小さく笑った。


「そう言うと思った」


 ルシエは、ペンを握る。


 火でもない。


 水でもない。


 風でもない。


 土でもない。


 四大属性への適性を必要とせず。


 自然界の魔素を。


 術者固有の魔力と同じ、制御可能な状態へ変換する。


 そして。


 属性魔粒子を媒体として用いることなく、その力を魔法式によって制御する。


 まだ、理論もない。


 術式もない。


 存在するかどうかさえ、分からない。


 だからこそ。


 研究するためには、まず名前が必要だった。


 ルシエは。


 白紙の中央へ、ゆっくりと書き記す。


『無属性魔法』


 正式な名称ではない。


 あくまで。


 これから調べる、未知の魔法へ与えた仮の名前。


 それは。


 世界のどの魔導書にも載っていない言葉だった。

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