02話 隻腕の魔剣士とレイジア教
低く、唸るような声が森に響いた。
「グルルルル……」
目の前にいるそれは、ただの猪じゃない。
異様に肥大化した体躯。
黒く硬化した皮膚。
筋肉の隆起が、不自然なほど盛り上がっている。
「……ちっ、出やがったか」
あまりに唐突な遭遇だったために俺は思わず
舌打ちをする。
足を止めた瞬間、空気が変わった。
——アンガーボア。
Eランクの魔獣。
小さな村程度なら、単体でも壊滅させかねない
魔獣だ。
「狩りも終わってあとは帰るだけだってのに……
ついてねぇ……」
息を整える。
本来なら、事前準備なしで……
ましてや一人で戦うべき相手じゃない。
だが、この距離、この状況。
逃げきることはできない。
右腕は、ない。
あの日……ネリアを庇って失った。
あれからもう9年。
俺ももうすぐ16歳になる。
それでも——
カルラ・ネメシスは、生きている。
剣を握り。
戦うために。
「来いよ……」
左手で剣を構える。
この世界には前世とは違い、魔術がある。
イメージによって術式を構築し、魔力を消費して
事象改変を起こす技術だ。
誰かから教わってるわけではないが
前世に古本屋でラノベの立ち読みした
影響もあるのか、すんなり使えるようになった。
恐らく無詠唱でも行使可能だが
それは今練習中だ。
…実戦で使えるレベルじゃない。
本来なら火属性魔術で一撃叩き込むのが
手っ取り早い。
だが、森で火は使えない。
引火すれば、山火事になりかねない。
なら……やることは一つだ。
左手に集める魔力。
地面へと流し込む。
「……土よ、弾けろ。石弾!」
地面が砕け、無数の石が弾け飛ぶ。
弾丸のようにアンガーボアへと襲いかかる。
「ブモォッ!?」
石の弾丸はアンガーボアの眉間に命中した。
唐突な頭部への攻撃によって、一瞬怯む。
よし、効いたな。
浅いが、視界を奪える。
それだけで十分。
「ブモオオオォッ!!」
怒り狂ったアンガーボアが突進してくる。
巨体のクセに速い。
正面から受け止めるのは無理だ。
横に飛ぶ。
風圧が頬を切る。
その瞬間…
「はあッ!」
側面へ斬撃。
だが……
ガキン、と弾かれる。
「……硬ぇな」
アンガーボアが振り向く。
赤く濁った眼。
二度目の突進。
今度は真正面。
「っ……!」
咄嗟に足元へ魔力を叩き込む。
「…壁よ、立て。石壁!」
地面が隆起。
分厚い石の壁が出現する。
直後……
衝撃。
ドォンッ!!
石壁が砕ける。
だが、その一瞬で勢いが死ぬ。
「ぐっ……!」
残った衝撃を受けて後ろへ吹き飛ぶ。
背中から地面に叩きつけられる。
重い……!
石壁一枚で完全には止まらない。
だが、それでいい。
“殺す必要はない”
“止めればいい”
立ち上がる。
呼吸を整える。
冷静になれ!
こいつは単純だ。
怒れば、突進しかしない。
三度目。
さらに激昂した一撃。
だが、あえて動かない。
引きつける。
限界まで。
距離ゼロ。
「——ここだッ!!」
身体を流す。
すれ違いざまに首元へ全力で斬撃を叩き込む。
「らああああッ!!」
刃が肉に食い込む。
骨まで届く。
「倒れろ!!」
体重を乗せて押し込む。
アンガーボアが絶叫し——
やがて。
巨体が崩れ落ちた。
「……はぁ、はぁ……」
剣を引き抜く。
血が地面を濡らす。
……きついな。
さすがはEランク。
これが村に来てたら壊滅してた。
「……戻るか」
剣を担ぐ。
報告が必要だ。
◇
「……でかすぎるだろ……」
「これ……アンガーボアか?」
村に戻ると、一瞬で空気が変わった。
ざわめき。
驚き。
そして、わずかな恐怖。
「Eランク魔獣だぞ……これ……」
「1匹で村が潰れることもある魔獣だろ……」
誰かが呟く。
「おかえり、カルラ。お前……これ一人でやったのか?」
低い声。
カイルだ。
「ただいま、親父。運悪く狩りの帰りに出くわしてな…」
簡潔に答える。
「無茶しすぎだ」
カイルは険しい顔をして腕を組んでいる。
でも、その目は完全な怒りじゃない。
ため息。
「お前がやらなきゃ、村が危なかったのはわかるがな……」
「でも、すごいよお兄ちゃん!」
ネリアが駆け寄ってくる。
あの頃より大きくなった。
だが、まだまだ子供っぽさは消えてない。
目を輝かせている。
「ほんとにこれ、一人で倒したの!?」
きらきらした声。
無邪気だ。
「ああ」
軽く笑う。
頭を撫でる。
「すごーい……!」
嬉しそうに笑うネリア。
その反応に、少しだけ肩の力が抜けた。
「怪我はないの?」
レイカが近づいてくる。
真剣な顔で身体を見る。
「大丈夫。ちょっと吹き飛ばされただけだから」
「それは大丈夫じゃないのよ……」
小さくため息。
「ほう……見事な腕前ですね。」
穏やかな声。
振り向くと——
白い衣の神官たち。
レイジア教。
「お怪我はございませんか?」
心配そうに語りかけてくる。
「大したことはありません、お構いなく」
「ほう、Eランクの魔獣を相手に大した怪我も無く単独討伐とは、さすがは村長のご子息」
にこやかに笑う。
「……どうも」
軽く頭を下げる。
この村とレイジア教の関係は良好だ。
少なくとも、今のところは。
「これも瘴気の影響でしょう」
神官が死骸を見下ろす。
「そうでしょうね」
短く返す。
「だからこそ、感情の制御が必要なのです」
「強い感情は瘴気を呼び寄せ、魔人化へと繋がる」
村人たちが、静かに頷く。
「祈りと節制、そして感情を抑えることを忘れぬように。それが救いへと至る道です」
……感情を抑える、か。
レイジア教は感情を抑え込むことを教義とする
宗教団体らしい。
理解はできる。
この世界には、確かに瘴気がある。
魔人も存在する。
間違いではない。
だが、それでいいのか?
胸の奥に、小さな違和感が残る。
正直、胡散臭い…
感情を抑えることが、本当に正しいのか。
でも、仕方ないか。
そうしなければ命に関わる。
現実は単純だ。
生きるためには、折り合いをつけるしかない。
「カルラ」
カイルの声。
「村を守るのが先だ」
「……ああ」
頷く。
どうやら、親父も同じ意見らしい。
やはりな。
親父ならそうだろうとは思った。
念のため、レイジア教には警戒していたほうが
よさそうだ。
何かあっても、俺が家族を守る。
そう決意を新たにした。




