13◇浮雲
リットは、宿のベッドで眠る勇者ゼニスを見下ろす。
部屋には他に、魔法使いレジーナがいた。
レジーナはゼニスに手を翳し、癒しの魔法をかけていた。
ゼニスの身体が淡く輝いている。
残りの仲間はいない。
ゴードンは代わりの鎧が届くまで人前に立てないと部屋に引きこもり、エイリは失ったゴーストシミターの代わりを探している。
魔族にとっての悪夢とまで言われた勇者パーティーが、ひどい有様であった。
リットは思い出す。
グレンに敗北したあと、彼の言葉通り、馬車に載せられたエルフたちが戻ってきた。
解放された彼ら彼女らが言うには、グレンの味方を名乗るコキューリア部隊が、バーンズの部下を倒し、自分たちを救出してくれたのだという。
――グレンスフィオールさんは、約束を守った。
そもそも敵なら、あの時リットたちを殺すことは容易かった筈だ。
彼にこちらを害する意図はなく、ゼニスとの戦いは正当防衛、というのも分かる。
少々やり過ぎにも思えるが、ゼニスの方は彼を殺そうとしたのだ。
生かされただけでありがたいと思うべきか。
そもそもグレンスフィオールと仲間が激突する事態は避けたかったが、だからといって自分が魔王軍四天王と通じているなどと仲間に言うわけにはいかない。
パーティーに入ったばかりの自分がそのようなことを言えば、人類の裏切り者扱いされるのは目に見えている。
「……ゼニスさんはどうですか?」
リットの問いに、レジーナは疲れ切った顔で答える。
「……死にはしないけど、このままだと戦いには戻れないでしょうね。おまけに聖剣も奪われて、勇者資格の剥奪も有り得るわ」
勇者とは、聖剣を振るえる者を指す。あれは使い手を選ぶのだ。
聖剣は現在、各国合わせて二十二本存在し、この国にはその内の五本があるが、適合者が見つかっているのはゼニスの他に二人だ。
ゼニスが資格を剥奪されれば、かなりの痛手となる。
資格だけ維持されたところで、聖剣がなければ結局のところ意味はないのだが。
「これほどの怪我を癒やすには、最高位の白魔導士が必要よ。けどこの街にはそんな人材――」
「失礼するよー」
窓が開き、そこから一人の少女が入ってくる。
ソファーくらいのサイズの雲に腰掛ける、魔人の女性だった。
白い髪の毛は羊のようにもこもこしていて、同じく羊のように湾曲した角が生えている。
レジーナは咄嗟に魔法の杖を構えようとするが、手に取った瞬間に杖が砕け散った。
彼女の杖は樹齢数千年を超える神樹の枝から作成した至高の一品で、魔力を瞬時に圧縮・放出できるといったもの。
人の国で同じものを探すことはもうできないだろう。
「はいはい、悪い魔人じゃないから攻撃しないでねー」
「リット! すぐに増援を――」
「ちょちょいのちょい、って感じで――治ったよ?」
ゼニスが淡い光に包まれたかと思うと、彼の呼吸が落ち着いた。
包帯の隙間から見える肌は、そのハリを取り戻している。
「……嘘。な、治っている」
レジーナは愕然としている。得意魔法ではないとはいえ、天才である彼女が治しきれなかった全身火傷を、この魔人はたった一瞬で完治させたのだ。
「今のグレンくんは、結構好きなんだよね。彼がもっと素敵になる為に、この勇者くんは必要だと思うんだよ」
謎の魔人の声に、二人はぴくりと反応する。
「グレン……グレンスフィオール? 彼の頼みで、ゼニスを治しにきたの?」
レジーナはそう解釈したようだ。グレンに殺意がなかったことを考えると、やり過ぎを悔いて仲間に治療を頼むというのは、考えられることだ。
聖剣を回収したのは、ゼニスのあまりに粗暴な振る舞いに憤り、反省を促す為だろうとリットは考えていた。
魔人は明確な回答はせず、ほんわかした笑みを浮かべる。
「君たちは、今後も悪いやつをやっつけてよ。人だろうと、魔族だろうとね」
「……それが、グレンスフィオールさんを素敵にすることに繋がるんですか?」
リットは問う。
「……君のことは好きじゃないな。魔族にとって害になりそうな気がする」
その魔人がリットを見た瞬間、リットに震えが走った。
――勝てない。
相手は癒やしに特化した魔法使いだと思われる。だというのに、それ以外のどの分野であろうと、自分に勝っている部分があるとは思えなかった。
それくらい、実力差の離れた相手であった。
「でも、グレンくんが生かしたなら、何かいい未来に繋がるのかな。うん、評価は保留にしよう、そうしようー」
先程までリットを押し潰さんとしていた魔力が、フッと消える。
リットは、自分がグレンスフィオールのおかげで命拾いしたのだと自覚する。
「それじゃあね」
「……あ、貴女の名前は」
それでもなんとか、リットはそう尋ねた。
魔人は笑顔で、けれどリットなど歯牙にもかけていないことが分かる無機質な目で、答えた。
「魔王軍『三界』『浮雲』のサクヤリネイル」
三界。特定の部隊に属さない、特化魔法のスペシャリスト。
しかも『浮雲』は、どんな怪我を負った魔族もすぐに治し、戦線復帰させることで有名。
彼女が斃れれば、魔王軍の負傷兵は、人間と同じように復帰に時間を要するようになる。
彼女さえいなければ、とっくに魔王軍の秘宝はどこかの国が獲得している、なんて言葉もあるくらいだった。
だがレジーナもリットも、彼女を攻撃しようなどとは思えなかった。
その選択が破滅を招くと、本能が理解していたから。
「今度こそ、さようなら~」
サクヤリネイルを黙って見送ることが最善の策だった。
◇
朝目覚めると、右隣にコキューリアがいる。
白髮の怜悧な美人である。
魔王軍『四天王』『氷の番』を務める女傑だ。
胸板の上には、ニャルルがいる。
茶髪の健気な猫ミミ美少女である。
グレンのメイドであり、現在は諜報員の任も担っている。
そして左隣には、ミュークルがいた。
金髪碧眼の心優しいエルフである。
エルフの村からきた使節団の長である。
全員裸であった。
前世のイイジママサタカであれば、決してやらない行為だ。
実際のところは、やりたくてもやれなかっただろうが……。
ともかく、かつての自分らしくはない。
周囲から仏頂面で堅苦しいと思われていたイイジママサタカと、今のオレは、地続きではあるが別人なのだろう。
もちろん、マサタカとしての責任感はばっちり残っている。
彼女たちの誰一人として、無責任な気持ちで関わってはいない。
だが、マサタカが持っていた日本での価値観などは、徐々にこの世界に染まっている感があった。
戦いはいまだに怖いが、だからといって足が竦むことはないし、魘される頻度も減った。
故郷は恋しいが、帰れるとは期待しない。
これが長い長い夢である、などという現実逃避もしない。
目の前の現実を受け入れ、グレンとして生存する為、力を尽くすのみだ。
「考えごとですか?」
隣から声。
コキューリアも目が覚めたようだ。
「あぁ……少しな」
「グレン様、最近は根を詰めすぎです。もっと休息をとりましょう」
同じく目を覚ましたニャルルが心配気に言う。
「休息なら昨夜、たっぷりとらせてもらった」
「はぅ……一応、わたしの方が年上なのに、全然グレンさんに敵いません……」
ミュークルはベッドの上での戦いを思い出しているのか、顔が赤い。
こんな美女たちと床を共に出来るのは大変幸福なことだ。
だが、最近、不安も増えた。
元々、ミュークルは原作ヒロインだった。
その彼女がグレンの味方となったのだ。
本格的に、原作から話がズレ始めている。
ここから原作に収束しようと何かしらの力が働くのか。
あるいは、既に死の未来は回避されたのか。
分からないが、一つ言えるのは――原作通りじゃなくても、この世界は普通に死の危機で満ちている、ということだ。
戦いに負ければ死ぬし、グレンを気に入らない魔族もまだまだいるだろう。
油断はできない。
しかし、充実感があるのも確かだった。
最初はどうなることかと思ったが、グレンとして生きるのも悪くない。
よし、今日も仕事を頑張ろう!
オレはそのように己に喝を入れた。
◇
「グレン様、『十二魔将』『紫電』のリライトレイン様より『魔神決闘』の申し込みがありました」
「ヒュールム国の前線都市にて、捕虜となったグレン部隊の配下十六名が処刑されるとのことです」
「『三界』『浮雲』のサクヤリネイル様が……勇者を治療したとの情報が入りました」
おかしいな。
……原作を読んだ筈なのに、一ミリも知らない情報ばかりが飛び込んできた。
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