第24話 神技
館内全体が大きく揺れ、建物が崩壊し始める。本棚と一体化した壁は崩れていき、備え付けの螺旋階段は壊れ、瓦礫とともに無数の本が落ちる。
天井だけが宙に浮いた状態で残り、そこで逆さに立つタルタロスが高みから俺達を見下ろす。
その遥か上の方には…、王都の空を覆うほどの巨大な鋼鉄の門が出現していた。
「おいおい、なんなんだよ…ありゃ…」
「あの巨大な門のようなものから、この世のものとは思えないほどの恐ろしい気配を感じます…。いったい、あれは…」
マルコは上空をを見上げて声を震わせ、アイシアは巨大な扉が放つ気配を感じ取って体を強張らせる。
「あれは…」
漆黒の左目を通して流れてくるベルゼファールの記憶から、俺は巨大な扉の正体を知る。
「…奈落の門だ。」
俺の言葉に視線が集まり、皆が息を呑む。
雷電のミノタウロスが堕とされた黒い空間とは違う。かつて…古の時代に、ベルゼファールが堕とされた奈落の門が、王都の上空に現れたのだ。
「懐かしかろう…、ベルゼファール。貴様はもう一度、この門に放り込まれて奈落に堕ちるのだ。」
ガチャッ…という音を立てて、奈落の門が開く。すると、崖底の暗闇の様な開いた隙間から、奈落の亡者の唸り声が木霊する。苦痛と悲痛が入り混じったような声が、聞く者の背筋を震わす。
――オオ…アアァ…アァ…
さらに、ゴゴゴォオオ…と重そうな動作音とともに、両開きの奈落の門が左右にゆっくり開いていく。完全に奈落の門が開くと、そこには人の言葉では形容し難いほどの、暗黒の世界が門の向こう側に広がっていた。
王都の至る所で聞こえていた戦闘音が鳴り止む。王都にいる皆が、現在起こっている異常事態に気付いたのだろう。
さらに足場が大きく揺れて、地震が激しくなったかと思うと、突然やってきた浮遊感に危うく倒れそうになる。
違和感を感じて再び上を見上げると、ゆっくりとだが徐々に上空にある奈落の門へと近づいて行っていることが分かった。
「まさか、俺達が今いる場所…王都があの奈落の門に向かっているのか!?」
「その通りだ。現在お前たちは奈落へと…堕ちているのだ。」
逆さに立つタルタロスが、己の足の下を指して言う。
漆黒の左目が疼く。ルークスティア王国の広大な大地から、王都『アイギス』だけが抜き取られて浮き上がる様子が視えた。
「そんな…馬鹿な。王都を丸ごと浮かすなんて…」
「そうはさせませんわよ!あの神だという方を倒せば、このふざけた事態も止まりますわ!」
シャーロットさんが閉じた扇子の先を、タルタロスに向ける。
「おくたばりさい!爆発魔法、『爆ぜる惑星』!」
大きな赤い魔法円がタルタロスの前に現れ、大爆発を起こす。
「…無駄だ。」
しかし、直後に赤い爆炎はタルタロスの神気によって凍らされて砕け散った。
「くっ…ですわ。」
「貴様らも、凍り付くがいい…。我が力に囚われ、永久に嘆け。」
開け放った奈落の門から、さらさらとした瞑色の川が滝の様に下降し、上空に広がって流れる。瞑色の川は、そのまま大きく弧を描きながら王都の上を通過し、地平線の向こうへと落ちていった。
漆黒の左目でその先の流れを追っていくと、瞑色の川はさらに、浮き上がった王都の地層の下を上空と同じく弧を描いて流れ、落ちた反対側の地平線から上昇し、上空を流れる上流へと合流した。
(これは…っ)
漆黒の左目を通して視たものに驚愕する。
奈落の門から流れ出た瞑色の川が、浮き上がった王都を丸く囲んでいたのだ。
瞑色の川が流れを止めて氷る。氷り付いた瞑色の川によって王都の地は、硝子玉の中に入った様に氷の球体に閉じ込められてしまった。
「我は、タルタロス。奈落を司る神にして、奈落の番人…そして、奈落そのもの。王都を囲むこの瞑色の川は、我が神気が形を変えたもの」
氷った瞑色の川から暗い冷気が流れ出し、王都のあらゆるものが凍てつき始める。
困惑する人々が冷気に触れ、叫び声を上げながらその体が、クリスタル形の氷に閉じ込められて氷漬けにされていくのを漆黒の左目で視る。
住人、警備兵、王都中央高等魔法学校の生徒や職員、そして暁の福音の団員とその使役している魔物が、冷気の餌食にされて氷に囚われていく。建物も凍らされ、王都全体が氷の世界へと変えられようとしていた。
(くそ、なんてでたらめな力だ…)
俺達の所にも暗い冷気が流れ、皆の体を凍らせようとする。地面が凍り、足下から這い上がるように瞑色の氷が固まる。
「体が氷で固められて…動けねえ!」
「寒い…。冷たくて…怖い…」
「体内を流れる神気まで凍らされたのか、魔法が出せない…っ」
マルコはなんとか俺を支えたままその場から動こうと足掻き、コハルさんは血の気が引いたように顔が青くなって震える自分の体を抱きしめ、ホノカは氷を溶かすために火炎魔法を使おうとするが発動できずに刀を持った手までが凍らされる。圧倒的な力の前に、皆が窮地に陥っていた。
(…っ、みんな!)
「我が神気の川は、神も人も、万物全てを凍て尽くす。そうして我が神気の川によって作られる冷たい地、それこそが――『極寒地界』だ。」
瞑色の川に閉ざされた地に立つ全ての者が、今まさに氷に囚われるその上で、奈落の神の声が重く響く。
「ベルゼファールよ…貴様は二度と逃げられぬよう、念入りに氷に閉じ込めて奈落に堕としてやろう。そして人間たちよ…、嘆きの氷の中で眠れ。」
『う…ああ…っ』
(みんなを…みんなを、守らなければ!)
瞑色の氷に体を囚われそうになるとともに、氷に閉じ込められた王都は徐々に奈落の門に近づいていく。
(…だが、どうすれば…)
【どうすればいいのかなんて、もうとっくにお分かりではないのですか?ベルゼファール様…】
不気味な声が頭の中に聞こえる。そいつはまるで、俺の心の内を知るかのように話す。
【神に対抗するには、人間ではだめです。そうでしょう?神には…神を…。】
(お前が、漆黒の左目を通して俺に王都の様子を見せていたのか…)
【おっしゃる通りでございます。王都にいる人間達の危機を視せることで、貴方様の決断を後押ししたかったのです…。】
不気味な声を聞いている間にも、王都で瞑色の氷に囚われていく人達を視せられている。
【さあ…ベルゼファール様、ご決断を。でないと…貴方様の大切な友達が皆、氷漬けにされてしまいますぞ?…あの、女のように…。】
(…っ!!)
【そして…奈落へと堕とされて行くのです…。それでよろしいのですか?】
凍てつく友達…そして、暗い氷の中に閉じ込められたリリー先生を見る。
(みんな…先生…)
もう誰も失いたくはない…。
(みんなを死なせたくない…。今ここでみんなを救えるのは…――神と戦えるのは、俺しかいないんだ!)
俺は意を決して、自分にかけられている封印魔法に意識を集中する。溢れ出ようとする邪神の神気を抑えつける蓋に手をかけるように。
【そうです、ベルゼファール様…!今こそ完全復活し、貴方様の御威光を示すのです!】
(威光なんてどうでもいい。みんなを守るために、タルタロスを倒す。そのためなら…)
俺のしようとしていることは、かなり危険な賭けだ…。もしかしたら、さらに状況を悪くするかもしれない。だが、躊躇ってる暇はない。賭けの代償が世界の破滅であろうと…
(俺は、邪神になってやる!)
封印を完全に解く。
今までにないほどの邪神の神気が、俺の体を駆け巡る。血液が沸騰し、骨と肉が焼かれるような痛みが俺を襲う。
「うっ…、ぐぁ…っ」
「…っ!トウヤ君!?」
「トウヤ君…、何を!?」
「トウヤ君、まさか君は…止せ、やめろ!」
俺の邪神の神気が強まったことに気付いたアイシアとコハルさんが目を見開き、ホノカは俺を制止しようと叫ぶ。
俺はそんな彼女達に視線を配り、一つの頼み事を言う。
「タルタロスを倒したら、次は邪神を…俺を殺してくれ。」
俺の言葉を聞いたみんなが何かを言おうとする。だが、瞑色の氷が彼女達の言葉を阻み、皆の体を氷漬けにしてその内に閉じ込めた。
「ぐっ…、おおおおお!!」
膨大な力を抑えていた封印魔法という蓋が外れたことにより、邪神の神気が一気に解き放たれる。
熱を帯びた神気の奔流が俺の体から堰を切ったかの様に溢れ出し、黒い炎となって燃え上がる。
焼かれるような痛みの中、俺の両目は漆黒に染まり、そして…その口は――嗤った。




