第23話 秘めた思い
「久しいな、ベルゼファールよ。」
図書館の事務員が、胸に大きな氷柱が刺さったまま立ち、落ち着き払った口調で話す。
刺された胸から赤い血が流れ、ロングスカートの端から真っ赤な滴がポタポタと垂れている。普通の人間ならば絶命しているであろう怪我だが、当人は意に介さず堂々としている。
「およそ十五年ぶりか…。我ら神からすれば刹那の如き時間だが、不思議と永く感じたぞ。」
「お前は…――『タルタロス』!」
俺は事務員の…いや、目の前に立つ神の名を呼んだ。
「ふっ…。どうやら、人間に成り下がった貴様の頭でも、私の事は憶えていたようだな。」
邪神化した漆黒の左目でタルタロスの神気を視たことで、頭の中に激流のようにベルゼファールの記憶が流れる。
(奈落の神、タルタロス…)
地獄の奥底…最下層である『奈落』を司る神であり、神々の世界から堕ちた神達を幽閉する番人でもある。世界の創世紀に書かれた聖典には、タルタロスは奈落を司る神であるとともに奈落そのものだと記されており、他の神に恐れられるほど強力な力を持った神だという。
事実、タルタロスは人の世界を創った『創造の四大神』の一柱であるベルゼファールを永い時に渡り、奈落に閉じ込めていたのだ。
「なぜ神が、ここにいるんだ?」
「愚問だな…。私は奈落を司る神でもあり、番人でもある。こうして貴様の前に現れた理由など、一つしかないだろう。」
「なに?それはいったい…」
「ちょっと待ちなさい!さっきから何の話をしてるのよ。トウヤ君、あの人が神…タルタロスですって?」
「リリー…」
「あの人はお父さんが死んだ後、私を引き取って育て、壊滅寸前だった暁の福音を再興した人…現在の暁の福音の長よ。」
(タルタロスが、暁の福音の長だと!?)
なんということだ…。まさか、暁の福音の真の長が神だったなんて。
「この十五年間、私は偽りの姿でお前に接していたゆえ知らぬのも仕方がない。…リリーよ、ベルゼファールの言う通り、私は奈落の神…タルタロスだ。」
タルタロスの双眸がリリーに向けられる。すると、タルタロスから暗く冷たい威圧感のような気配が、こちらに放たれた。
向かい風を浴びるようにタルタロスの気配に触れた瞬間、俺は内臓が縮むような錯覚を覚えた。リリーも何かを感じ取ったのか、「ひっ…」という短い悲鳴を漏らし、体の芯まで凍らされたかの様に固まる。
「本当に…神なの?」
「ああ…、本当だ。」
真っ青な顔で俺に質問するリリーに、俺は左目でタルタロスを視たまま応える。
(なんてことだ…。あいつに見られただけで、暗く深い底に落とされて、目の前から暗闇が迫りくるかのような恐怖を感じた。)
「さっき、俺の前に現れた理由は一つだと言っていたが…いったい何が目的だ?」
「私の目的は一つ。ベルゼファールよ…地獄から逃げ出した貴様を、再び奈落に堕とすことだ。」
「俺を…奈落に堕とすだと…」
「人間を誑かし、自身を不完全ながらも人間の世界に召喚させて地獄から脱走するなど、神として許されざる愚行。奈落の神であり番人である私が直々に、貴様を捕えに出向いてやったのだ。」
「そんな…っ、嘘よ!」
タルタロスの言葉を、リリーが否定する。
「だって、あなたは私のお父さん…暁の福音の教祖の遺志を継いで、その悲願を成就するために、団体を再興したはずよ!十五年前、団体が聖騎士によって壊滅寸前まで追い込まれ、邪神も連れ去られて、途方に暮れていた幼い私の手を取ってくれた時、そう言ったじゃない!」
「邪神を復活させて、世界を破滅させることで、全ての人間を平等に救済するという教祖の悲願か…。実にくだらんな。」
「…っ!?」
タルタロスの言葉に、リリーは言葉を失う。ショックのあまり、口をパクパクと動かしている。
「私が幼いお前を引き取って育てたのは、貴様が使える駒だと考えたからだ。
広大な王国でベルゼファールを探すには、多くの手駒が必要だった。そこで、暁の福音という宗教団体を利用することを考えた。
当時、聖騎士の襲撃によって団体は虫の息であったが、幸いにも有能な人間が残っていた。そいつらを従わせるためにも、私は教祖の娘であるお前の後継人となり、団体の長を継ぐことにした。」
「ムサシに、ロイ・シペッツェ…ソフィア達、暁の福音の精鋭達を自分の手駒にするために、私を利用ていうの…っ」
「力で無理やり従わせることも出来たのだが…それでは暁の福音の団員全員を納得させることは出来ない。私に歯向かって全員を返り討ちにして殺しては、せっかくの駒が勿体ないからな。
それに、神の力を振るって目立つわけにもいかない。教祖の娘であるお前を隠れ蓑にする方が、私には都合が良かったのだ。」
「…そう。あなたはただ、自分の目的のためだけに私を育て、団体の長になったのね…」
リリーが震える手でこぶしを握り締める。握った拳から、血が垂れ落ちる。
「じゃぁ…、お父さんの…私の…みんなの願いはどうなるのよ?」
「言ったであろう…、実に、くだらないと。」
「…ッ!!」
「私が邪神を探していたのは、再び奈落へと戻すためのみ。お前達の悲願を成就させると言ったのは、暁の福音を動かすための口実でしかない。
最初から、ベルゼファールにこの世界を壊させる気など、私には無い。」
唇を噛みしめて、俯くリリー。自分達、暁の福音の皆がタルタロスに騙されていたのだと気付いてしまったのだ。
「王国に見放され…世界に爪弾きにされた者達の救いが…全て嘘だったなんて…」
「さて、話は終わりだ…」
タルタロスの目が俺に向く。見られただけで、とてつもない威圧感に当てられて全身が硬直し、膝だけが崩れそうになる。
古の預言者が遺した聖典などに、「人は神を見たら生きられない」と記されているのを思い出す。今まさに生きる選択を取り払われ、死が迫ろうとしていた。
(くっ…呑まれるな、動け…抗うんだ)
「ベルゼファール…貴様の体を壊し、その穢れた魂を奈落に叩き堕としてやろう。」
(動けぇ!!)
俺は自分にかけられた封印魔法を緩めて、邪神の神気を抑えている蓋をさらに少し開けた。どす黒く、熱を帯びた邪神の神気が体を駆け巡る。
降りかかる目に見えない威圧感を振り払って、両手の人差し指をタルタロスに向ける。
(火炎魔法、『火炎弾・連』!)
両手の人差し指から火炎弾が連続して放たれる。同時に、キマイラと九尾の緋狐も炎を放射し、俺の援護射撃をする。
猛火が押し寄せる中、タルタロスは静かに手のひらを前に向けた。すると、俺と魔物達が放った炎はタルタロスに到達する直前に凍てつき、ダークブルー色の氷となって空中で止まった。
「な…っ!?」
「なんと、脆弱な力だ。貴様はそれでも神か?」
驚く間もなく凍った炎が粉々に砕かれて、暗い色をした氷の破片が飛び散る。
「氷結魔法か!?」
「魔法…?戯言を。魔法とは、貴様ら人間が神界から漏れた質の薄い神気を使い、神の真似事をして起こす現象。神である私が振るう力は、神技…本物の奇跡だ。」
タルタロスの体から、暗く青みがかった神気が見える。邪神化していない右の目でも視認できることから、実体のある高濃度な神の気であることの証だ。
「私はてっきり、貴様は神々を欺くために、か弱き人間のふりをしているものだと思っていた。奈落を出て姿を暗ました貴様が何を企んでいるか分からなかったゆえ、暁の福音の団員を仕向けて様子を見ていたのだが…どうやら私の考えすぎだったようだ。」
タルタロスの前に、クリスタルの様な六角柱の形をした大きな瞑色の氷が出現する。
俺の漆黒の左目には、それがとてつもない量の神気を圧縮して出来た塊であることが視て解る。
(あれは…、まずいっ!)
「防御だ!キュクロプス、九尾の緋狐!」
「グォオオーッ!」「クォオオオン!」
キュクロプスが俺達を守るように大楯を構えて前に出て、九尾の緋狐がドーム状の炎の結界を作る。
「貴様を見つけた時点で、私が自ら手を下すべきだったなベルゼファールよ…いや、トウヤ・ヘルフィールド。」
クリスタル形の氷が回転して鋭く尖った先端をこちらに向けると、矢の如く高速で飛んできた。
クリスタル形の氷は難なく炎の結界を突破し、そのまま大楯を壊してキュクロプスの強靭な肉体を貫いた。
(っ…!!?)
キュクロプスの背中から出てきた鋭く尖った氷の先端が、目前まで迫りくる。
だが、俺の体は横から引っ張られて倒れ、紙一重の所でクリスタル形の氷を躱した。
クリスタル形の氷はそのまま真っすぐ飛んでいき、本棚を壊しながら図書館の壁に大穴を開けてどこかへと消えた。
キュクロプスが灰に変わってしまうのを見て、次に俺を引っ張った者を見る。
「あんた…」
「何をぼさっとしているの、早く逃げなさい!トウヤ君!」
リリーは怪我した腹部を手で押さえながら、バランスを崩した俺をもう片方の手で引っ張って立たせようとする。
「あれが本当に神なら、人間が敵うはずがないわ。邪神の神気を少し開放したあなたでもね。だから逃げるのよ!」
「リリー…」
「…リリー、何の真似だ?」
平然としていたタルタロスが、怒りを含んだ目でリリーを見る。
「悪いけど、この子を殺させはしないわよ。」
「父を失ったお前を育ててやった恩を忘れたか、リリー。」
「…あなたには感謝してるわ。父の跡を継いで、導いてくれていたあなたを、本当の親のように慕っていた。
でも、あなたが私と暁の福音の団員達を騙していたっていうなら、邪神様を…トウヤ君を殺させるわけにはいかないわ。自分の目的のために私達の悲願を利用したあなたの思い通りになんかさせない!」
「人間の小娘如きが、神に歯向かうか…。」
「トウヤ君、行って!」
「し、しかし…」
(怪我をしたリリーを置いて、俺だけ逃げるには…)
「行かせぬぞ…ベルゼファール。」
タルタロスがこちらに手のひらを向ける。
「グルォオオオ!!」「クォオオン!!」
キマイラと九尾の緋狐がタルタロスの方へと駆け出し、その口と尻尾に炎を灯す。
「邪魔だ、魔物どもめ!」
暗く冷たい神気が吹きすさび、二匹の魔物を凍らせた。
「キマイラ、緋狐!」
タルタロスは、ダークブルー色の氷像となったキマイラと緋狐を、無造作に振るった拳で殴って砕いた。
砕かれた氷から灰が落ち、それを踏みつける。
「逃がさぬ…逃がさぬぞ、ベルゼファール。貴様は、私の…」
タルタロスがこちらへと歩き出す。
凍って停止していたミノタウロスに、リリーの手が触れる。
「今は魔法を使って戦うことは出来ないけど、自分でかけた魔法を解くことくらいは出来るのよ!」
氷結魔法『凍結』を解き、ミノタウロスを氷から解放する。
「ンモォオオオオオオーッ!!」
ミノタウロスはリリーを見た後、タルタロスへと走り出す。その身に蒼い雷を纏って、大きな手斧を握り締めて突進する雷電のミノタウロスに、タルタロスは手の平を向ける。
「上に跳べ、ミノタウロス!」
漆黒の左目でタルタロスの神気の流れを視て、指示を出す。ミノタウロスは指示の通り、壁を蹴って飛び上がり、触れた物を凍らせるタルタロスの神気を回避した。そのままタルタロスへと飛び掛かり、雷の手斧を振り上げるミノタウロス。
「暴れ牛めが…、堕ちるがいい。」
タルタロスの前に、暗闇の空間が開けて広がる。暗闇の空間から、多数の苦しむような呻き声が聞こえ、耳から体中に悪寒が走る。
手斧を振り上げたままミノタウロスがその空間に入っていくと、空間は閉じて消えた。
「なんだ、今のは…」
「奈落へと繋がる門を開けただけだ。神でさえ苦痛を受ける地獄の底。堕ちた貴様の牛は、すぐに死してその形は残らず、魂は奈落を彷徨うだろう。」
「奈落の門を開けるなんて…」
リリーが絶望感を露わにする。俺も創造物した魔物が全て倒され、どうすればいいのか分からなくなっていた。
(違う…。今まで見てきた敵とは、全く違う…次元が違いすぎる!)
もはや、魔法の技量とかどうこうの話じゃない。生物…いや、存在としてのスケールが比べ物にならない。
(これが…神。こんなのどうすれば…)
「…っ!?トウヤ君!」
リリーの声でハッとする。だが、既に遅かった。
クリスタル形の氷が横から飛んできて、片脚を捥がれてしまった。
「ぐああああっ!!」
膝から下を失い、床に体を打ち付ける。
「トウヤ君!」
「がっ…ああっ」
激痛で狂いそうになる気を保ち、両手と残った脚の膝を床に付いて起き上がる。
「これで逃げられなくなったな。元より、例え両脚があろうと、私から逃げることは出来はしないが。」
這いつくばった状態の俺を見るタルタロス。
その双眸はしっかりと俺を見つめ、もはやこの場から逃げる事は出来ないという神の言葉を強く実感する。
――人は神を見たら生きられない。
聖典の一文が絶望的に頭の中で響く。
それは、「神に見られたら生きられない」とも言えるのだと知る。
(ここから、離れなければ…)
残った脚に力を入れ、なんとか立ち上がる。
「貴様の束の間の自由も終わりだ、ベルゼファール。そのか弱き人間の体に神の魂を宿したまま氷に閉じ込めて、堕とすとしよう。」
冷徹にタルタロスは手を俺に向ける。そして、暗く冷たい神気が放たれ、突風の如く迫りくる。
動こうにも、片脚だけではバランスを取るだけで精一杯で、避けることが出来ない。
(くそ…)
「まったく…もう」
ドンッと体を強く押され、片脚だけでバランスを保っていた俺は勢いよく横に転がっていった。
「…世話のかかる生徒だわ。」
「っ、リリー!」
顔を上げると、タルタロスの神気に当てられて体が凍りついていくリリーが、困ったような顔で俺を見ていた。
(俺を、庇って…)
「どうして…。俺が邪神の生まれ変わりだからって、そこまで…」
「邪神だからじゃないわ。…あなたが、私の生徒だからよ。」
リリーはそう言って、弱々しく微笑む。
「こんなことで罪滅ぼしになるとは思わないけど…最後くらい、先生らしく生徒を守りたかったの…」
「リリー…」
「今までごめんね…」
その言葉を最後に、リリーは弱々しい笑顔のままタルタロスの神気によって凍らされ、瞑色の氷の中に閉じ込められた。
「リリー…先生」
瞑色の氷に触れる。冷たい感触とともに、リリーの体に残った僅かな神気が伝わり、俺の漆黒の左目はリリーの過去を視る。
――…父親と手を繋ぎ、前の景色を見つめる幼いリリー。
その目に映るのは、灰色の街並み。
多種多様な文化で活気づき、色とりどりの華やかな街並みで隆盛を極める王都『アイギス』とは真逆に、見渡す限り色が無く、静かで寂れており、世界から忘れ去られたような場所…『名も無き町』。
「ここは世界から爪弾きにされ、他に行くところが無い者たちが行き着く、この世の最果て。」と、リリーの父親は言う。
元教会の高職であったリリーの父親は、名も無きの町の住人を救わない王国と教会に対して常に嘆き、不平等な世界に絶望していた。
「多くの人々は己の愚鈍さを知らない。この町には手を差し伸ばさなければならい人々が多くいるのに、王国の人々はそれに気が付かず、目をそらし続けている。」
さらに、リリーの父親はこうも言った。
「人間が世界を支配するようになった頃、創造の四大神の一柱であるベルゼファール様は大いに怒り、傲慢で愚かな人間達を世界とともに消し去ろうとした。
邪神様が復活なされば、きっとこの非情なる世界を破滅させ、世界から忘れ去られたこの『名も無き町』の住人達と愚鈍な王国人々の、心と魂を救ってくださるだろう。」
幼きリリーは、名も無き町の住人と父親が言う王国の愚鈍な人々……可哀想な人々を憐れむ父親が好きであり、その想いに賛同した。
――…現在より、十五年前。
聖騎士によって、暁の福音の本部が襲撃された。その時、リリーは父親に言われた通り、儀式場の祭壇の幕の中に隠れていた。
最強と名高い聖騎士に追い詰められた父親は、準備段階も不完全なまま邪神の召喚の儀式を行ってしまい、巨大な獣の手によって握りつぶされるのをリリーは目撃する。
そして、聖騎士に邪神の生まれ変わりである赤ん坊を連れていかれるのを、何もできずに見送ったのだった。
しばらく父親の血溜まりの上に座って途方に暮れていたところ…、一人の女性が現れた。彼女は優しく頬笑み、リリーに手を差し伸べて言った。
「私は暁の福音の教祖の想いを継ぎたい。私と一緒に、あなたの父親と団員達の悲願を叶え、可哀想な人達を救ってあげましょう。」
リリーは彼女の言葉に光を見い出し、その手を取った。…それが、奈落の神の偽りだと知らずに。
――…それから、十五年後の現代。
「…邪神様の生まれ変わりを、どうしても殺さなければならないのですか?」
「そうだ。邪神様は、一度殺すことで上書きされた人間としての人格が消え、完全な復活を果たすのだと、お前の父親…教祖様は言っていた。」
「トウヤ君を…、殺すなんて」
「トウヤ・ヘルフィールドという生徒は、邪神様の生まれ変わりである可能性が非常に高い。お前が教師になったおかげで、見つけ出すことが出来たのだ。この機を逃せば、邪神様は再び御身を隠し、我らの手から離れていくかもしれないぞ。」
「でも…トウヤ君は、私の生徒です…」
躊躇うリリーを、タルタロスは後ろから優しく抱きしめる。
「リリー…。お前は、本当は心の優しい子だというのは知っている。しかし、それでもやらなければならないのだ。お前の父と暁の福音の団員達の悲願…世界の全ての人々を平等に救済するために。」
「…っ!」
「生徒に対する情など捨ててしまうのだ、リリー。今まで通り…、団員達に命令をし、邪神様の生まれ変わりの可能性がある者を殺して、私の前にその躯を持ってくるのだ。
もしも、トウヤ・ヘルフィールドが邪神様の生まれ変わりならば、彼は完全なる邪神として必ず復活することだろう。」
「…うん。わかったわ。」
「いい子だ…リリー。」
(きっと…、トウヤ君は邪神様の生まれ変わりだわ。だから…、殺してもきっと復活するはずよ。)
――……(列車を襲撃したことで、多くの死者が出たわ…。しかし、邪神様が完全な復活をすれば、世界は破滅する。そう…世界の破滅こそが、すべての人々に対する平等な救い。邪神様を手に入れるためなら、如何なる犠牲もやむ得ないのよ!)
…もう…いや…人が死ぬのなんて…
(ロイ・シペッツェが、復活した邪神様を見たと言っていたわ!あと少し…あと少しでお父さんの悲願は叶うわ!)
だめ…邪神様が完全に復活したら、もっとたくさんの人々が死んじゃう…
(王都を襲撃するわ。王国の中枢を崩壊させつつ、トウヤ君を殺して邪神様を完全復活させる!遂に、この歪んだ世界を破滅させて、すべての人を救済できるのよ!)
そんなの…救済じゃない。そんなのは間違ってるわ…
(…っっ黙りなさい!!間違ってない…お父さんは間違ってないの。間違っているのは、救われない者と救おうとしない者達であふれたこの世界よ!)
「そうだ、リリー…。内なる心の声に耳を傾けるな。お前は、私の言葉だけを聞くのだ。私の言葉は、お前の愛する父親の遺志であり、人々の救いなのだ。」
(…そうよ。お父さんの遺志を継いだあの人に従えばいいのよ!そうすれば、皆が救われる…。私も、やっと……。だから、トウヤ君を殺さなくちゃ…)
殺したくない…
(殺すのよ…トウヤ君を…)
殺したくない…私の生徒を…
(私の…生徒…………………――したくない。本当は、トウヤ君を殺したくない!もう、誰も死なせたくない!暁の福音も、世界の破滅も…もう嫌!)
…また、みんなと…
(また、みんなと…一人の教師として、みんなと屋上でお昼ご飯が食べたい…)
ごめんさない…お父さん…
ごめんなさい…トウヤ君―――――
「リリー…先生」
俺はリリーの記憶を垣間見るとともに、その秘めた思いを知った。
「…馬鹿な女だ。何も思わず、私に協力していればいいものを。」
タルタロスが心底呆れたように言う。
「父親の想いに囚われ、私の言葉に惑わされたお前が、最期は自分の心に駆られて選択を誤り、育ての親である私の手にかかるとはな。まったく…無様で滑稽だ、リリー。」
「黙れええ!タルタロスー!!」
残った膝を付いて、両手の人差し指から火炎弾を連射する。
「無様な姿で喚くな、ベルゼファール。」
タルタロスが手を前に翳しただけで暗く冷たい神気が吹きすさび、俺の火炎弾を消し去った。
「実に無様だぞ、ベルゼファールよ。貴様といい、リリーといい…」
「リリー先生を語るな、タルタロス!お前が惑わさず、ちゃんと導いていればリリー先生は、真っ当な人生を歩めたんだ!」
「違うぞ、ベルゼファール!貴様が地獄から這い出なければリリーの父親は死ぬことはなく、私に出会うこともなかった。暁の福音が再興し、大勢の人が死ぬこともなかったのだ!」
「……っ」
「すべての不幸の元凶は貴様だ。邪神は、ここで死して奈落に帰らねばならないのだ!ベルゼファール!」
タルタロスから神気が放たれ、吹雪の如く俺へと襲い掛かる。
「トウヤ君!」
凛とした声で俺を呼んで現れた者が、紅蓮の炎を纏った刀を振るう。
「神火清明、劫火滅却、急急如律令!!」
呪文とともに振るわれた刀から紅蓮の大火が放たれ、吹雪の如き神気を打ち払う。
「ホ…、ホノカ!」
「守りに来たぞ、トウヤ君!」
「…邪魔だ、小娘。」
消し切れていない神気の残渣が、クリスタル形の氷となって飛んでくる。
現れたもう一人の人物が両手のひらを前に向け、その前方に大きな円い鏡を出現させる。
「鏡魔法、『写し鏡』!!」
円い鏡から同じ姿形のクリスタル形の氷が飛び出し、タルタロスの氷を相殺した。
「大丈夫ですか!?トウヤ君。」
「コハルさんまで!」
驚いていると、腕を引っ張られて広い肩に支えられる。
「よう、トウヤ!随分な怪我だな。俺のごつい肩を貸してしてやるぜ。」
「マルコ!…みんな、来たのか」
「…トウヤ。リリー先生は…」
俺の腕を肩に回して支えてくれるマルコが、眉間のしわを寄せて聞いてくる。俺はそれに首を横に振る。
「俺を庇って…」
「そんな…リリー先生」
コハルさんは、氷に閉じ込められたリリー先生を見て、目に涙を溜める。
「……みんな、リリー先生を悼むのは後だ。まずは、ここから離れることに全力を尽くそう。」
タルタロスを見据えたまま、ホノカは言う。
「トウヤ君…あれは」
「ああ…。神だ。しかも、奈落のな。」
「そうか…。」
神気を感じ取ることのできる巫女であるホノカとコハルさんは、目の前にいる存在の凄さを理解していた。
「なんだ、ありゃ…やばいなんてもんじゃないな」
マルコも、死んだはずの事務員が生きていることと、タルタロスが醸し出す威圧感から、常軌を逸した相手であると察した。
「人間が増えたところで、何も変わりはしない。」
タルタロスが俺達を攻撃しようと、手のひらを向ける。だがその前に、別の場所の壁が壊されて、何者かがタルタロスの方へ跳び出す。
「雷電魔法、『ミョルニル』!」
仮面を付けた生徒が、白き雷を閃かせた斧槍を振り落とす。雷鳴が轟き、衝撃で空気が震える。
しかし、振り落とされた斧槍は大きなクリスタル形の氷によって阻まれ、タルタロスには届いていなかった。
「むっ…」
仮面の生徒は後方へと大きく跳んで、俺達のいる場所に着地する。
「トウヤ君、皆さん…無事ですか!?」
仮面の生徒が振り返り、俺達を見渡す。
「その仮面…それにその斧槍は…、あなたはあの時のシスターか?」
見覚えのある仮面と武器を見て、ホノカが問う。仮面には、付けた者の正体を隠すための認識阻害の魔法がかかっているようだ。
だが、俺の漆黒の左目にはその認識阻害の魔法は効かず、仮面の生徒が誰かすぐに分かった。
「君が、あの時のシスターだったのか…」
「トウヤ君、その左目…。それに、あなたから感じるその神気は…どうして」
仮面の生徒…アイシアは、俺の変化に酷く動揺していた。真実を知り、それでも信じられないという様子で、仮面の向こうの瞳が揺れ動く。
「トウヤ君が…そんな」
「また人間が現れたか…。だが、私の前では塵が一つ増えただけにすぎないぞ。」
「あら、塵も積もればなんとやら…という言葉をご存知なくて?」
「なに…また人間か」
新たに現れた二人に、タルタロスが眉をしかめる。
「爆発魔法──!」
「影魔法──!」
人の形をした影が数体現れて、槍の様な腕でタルタロスを突き刺すと、その周囲に赤い魔法円が出現して爆発した。
爆風が吹き、黒煙が広がる中、聞き覚えのある笑い声が聞こえる。
「オホホホ!このシャーロットさんが、助太刀に参上いたしましたわ!」
「…皆さん、お久しぶりです。」
「シャーロットさん!エリーさん!」
「…みなさん、お変わりがないようで、何よりです…ってあれ?トウヤ君は印象が変わりましたね。イメチェンというやつですか?」
俺の現状を見て、そう言うエリーさん。
「まあ…いろいろありまして。」
「そのいろいろについて、後でお聞かせくださいね。」
長い前髪から俺を覗く視線が、鋭くなって前方へと移る。黒煙が消えると、何事もなかったかの様に立ち、黙って服についた埃を払っているタルタロスの姿が見えた。
「私とエリーの攻撃をくらっておいて平然としているなんて…とんだ化け物ですわね。」
「気を付けてください。あれは、化け物なんかではありません。あれは…」
「…神、ですよね?トウヤ君。」
エリーさんがそう言ったことに驚きつつ、頷く。
「邪神とは違う…別の神」
アイシアは俺を一瞥した後にタルタロスを見て、ギュッと斧槍を握り締める。
埃を払い終えたタルタロスが、こちらをじっと見る。
「多くの人間が集まったものだな。神の私から見ても、人間としては優秀な才能を持ったものばかりだ。なるほど…それが貴様の手駒というわけか。ベルゼファールよ。」
「ベルゼファール…?」
俺がそう呼ばれたのを聞いて、俺の正体を知らない者達が俺を見る。事情を知るホノカとコハルさんが心配そうな顔をし、アイシアは何か言いたげに俺を見つめる。
だが俺は構わず、タルタロスを睨みつけた。
「お前と一緒にするな…タルタロス。この人たちは手駒じゃない、俺の大切な友達だ!」
「戯言を…。それは貴様がトウヤ・ヘルフィールドとして遺す最期の言葉となるぞ、ベルゼファール!」
タルタロスの体が浮き上がり、図書館の天井にまで達すると、逆さになって両足を天井に付けて立つ。
「貴様の大切な友達、そして王都とともに、奈落へと堕ちるがいい…」
(まずい……何かが、起こる…!)
人間にはどうすることも出来ない…何かが。
心臓の鼓動が早まるように疼き出す漆黒の左目が、タルタロスの中で神気が圧縮されているのを視る。
…そして、それは破裂する様に解き放れた。
「神技…『極寒地界』。」




