第八章 おかしな話
本当に書くのが難しい
斉藤部長との打ち合わせを終えて、俺は会社へ戻った。
時計を見ると、もう夕方になっていた。
そのまま営業部へ戻り、本部長のところへ向かった。
「失礼します」
「おう。どうだった?」
俺は、斉藤部長との話を最初から説明した。
発注を一度見直すことになったこと。
他社からも、もう一度見積もりを取り直すこと。
そして最後に、
「河村本部長からの指示だと言われました」
そう伝えた。
本部長は、黙って俺の話を聞いていた。
俺は、怒られると思っていた。
ここまで詰めてきた案件を、最後の最後でひっくり返された。
俺が何かやらかした可能性だってある。
当然、
「お前、何かしたのか」
くらいは言われると思っていた。
でも、本部長は怒らなかった。
しばらく黙ったあと、
「……おかしいな」
と言った。
「え?」
「いや、おかしいだろ」
本部長は、机の上に置いていた資料を手に取った。
「昨日まで普通に進んでいただろ?」
「はい」
「会食で河村会長からも、かなり前向きに考えていると俺も聞いたしな」
本部長は資料を見ながら、少し考えていた。
「それで今日になって、原価を見直すと言われたのか?」
「そうです」
「しかも、他社からも見積もりを取り直す?」
「はい」
本部長は、資料を机に置いた。
「……さすがにおかしいぞ、これ」
俺も、同じことを思っていた。
しばらく沈黙が続いた。
すると、本部長が言った。
「社長に報告しよう」
「社長ですか?」
「うん。これは俺たちだけで判断する話じゃない」
俺たちは、そのまま社長室へ向かった。
社長に事情を説明すると、社長も黙って話を聞いていた。
そして、
「河村本部長から、そんな指示が出たんですか?」
と確認された。
「斉藤部長からは、そう聞いています」
俺が答えた。
社長は少し考えた。
「では、私から河村会長に電話してみましょう」
そう言って、社長はその場で電話をかけた。
俺と本部長は、少し離れたところで黙って待った。
数回の呼び出し音のあと、電話がつながった。
「河村会長ですか。昨日はありがとうございました」
社長は、まず昨日の会食の礼を伝えた。
「こちらこそ。昨日はありがとうございました」
電話越しの河村会長の声は、昨日と変わらなかった。
穏やかだった。
社長は少し世間話をしてから、本題に入った。
「実は、今日少し気になる報告を受けまして」
俺は、思わず顔を上げた。
「昨日、かなり前向きにお話をいただいていたと思うのですが……」
「ええ」
「今日になって、原価をもう一度見直すという話が出てきまして」
河村会長は、
「そうなんですか?」
と返した。
「はい。こちらとしても、少し急な話だったものですから」
少し間があった。
そして河村会長が言った。
「私は、そういう指示はしていませんよ」
俺は本部長と顔を見合わせた。
社長も少し驚いたようだった。
「そうなんですか?」
「ええ。私は昨日のお話の通りで考えています」
「なるほど……」
社長は一度言葉を切った。
「ちなみに、誰からそのような話が出たのか、分かりますでしょうか?」
社長は、俺たちのほうを一度見た。
そして答えた。
「購買部の斉藤部長からです」
「斉藤さんですか」
「はい。ただ河村本部長からの指示だと聞いております」
電話の向こうで、少し沈黙があった。
「……隆ですか」
河村会長が言った。
「はい」
社長が答える。
「そうですか……」
河村会長は、少し困ったような声になった。
「申し訳ありません。昨日の今日で、こんな話になってしまって」
「いえ、とんでもありません」
「隆も、あれでいろいろ考えているんですよ」
「そうなんですね」
「ええ。営業本部長という立場もありますし、自分なりに会社のことを考えているんだと思います」
社長は、
「なるほど」
とだけ返した。
河村会長は続けた。
「もちろん、昨日のお話については、私としては前向きに考えています」
「ありがとうございます」
「ただ、隆にも立場がありますから。そのあたりは、できればうまく付き合ってやっていただけると助かります」
「はい。承知しました」
社長は、そう答えながら少しだけ眉を寄せた。
俺には、その表情の意味までは分からなかった。
ただ、社長自身も、何か引っかかっているように見えた。
河村会長は、さらに申し訳なさそうな声で言った。
「こちらの都合で振り回してしまって、本当に申し訳ないです」
「いえ、大丈夫です。こちらも改めて確認しながら進めますので」
「ありがとうございます」
「昨日は本当にありがとうございました。引き続き、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そこで電話が切れた。
社長は、ゆっくりスマートフォンを机の上に置いた。
本部長が、
「……どうでした?」
と聞いた。
社長は少し考えてから、
「河村会長としては、昨日の話のままみたいです」
そう答えた。
「ただ、河村本部長の判断については……」
そこで社長は言葉を止めた。
そして、
「まあ、息子さんのことをかなり信頼しているというか……」
苦笑いを浮かべた。
本部長も、
「なるほど……」
とだけ返した。
俺は黙って二人の会話を聞いていた。
会長は、自分は指示していないと言った。
それなのに、息子が独断で案件を止めている。
しかも会長は、それを強く問題にするわけでもない。
むしろ、
「彼にも立場がある」
と言って、こちらに付き合ってほしいと頼んできた。
正直、俺にはよく分からなかった。
ただ一つ。
昨日まで順調に進んでいた案件が、たった一日でおかしな方向へ動き始めている。
そして、その中心にいるのが――
河村隆。
昨日、初めて会った男だった。
読んでいただきありがとうございます!!!




