第60章 はじまりの日
アヤ達は走っていた。
「早く!」
セラの声。
一番後ろを。
ティアナが走る。
キュイィィィン——
背後から。
低い駆動音が迫る。
《ガーディアン》。
振り返る余裕はない。
だが。
音だけで分かる。
近い。
さっきよりも。
確実に近づいている。
「このままじゃ追いつかれる!」
ティアナが叫ぶ。
「止まらないで!」
セラが振り返る。
その瞬間。
ガッ——
「きゃっ!」
ティアナの足が。
瓦礫に引っかかった。
身体が宙に浮く。
地面へ叩きつけられる。
「ティアナ!」
アヤが足を止めた。
「ティアナ!アヤ!急いで!」
セラが叫ぶ。
アヤはティアナのもとへ走る。
「大丈夫!?」
「……足が。」
ティアナが起き上がろうとする。
だが。
顔を歪める。
立てない。
キュイィィィン——
音が。
止まった。
アヤが顔を上げる。
目の前。
黒い巨体。
ガーディアン。
追いつかれた。
赤い単眼が。
ティアナを捉える。
右腕が上がる。
銃口が。
ティアナへ向けられる。
「……っ!」
アヤが。
ティアナへ覆いかぶさった。
「アヤ、逃げて!」
ティアナが叫ぶ。
だが。
アヤは動かない。
ティアナを。
強く抱きしめる。
ガーディアンの銃口が。
鈍く光る。
「……。」
アヤは。
目を閉じた。
もうここまでか。
そう思った。
その時。
——。
何も起こらない。
一秒。
二秒。
三秒。
「……?」
アヤが。
恐る恐る顔を上げる。
ガーディアン。
右腕を上げたまま。
動かない。
赤い単眼も。
光を失っている。
「……何?」
セラが呟く。
ティアナも。
アヤも。
動けない。
二人は。
ただ。
ガーディアンを見上げていた。
何が起こったのか。
分からなかった。
その時。
キュゥゥゥン——
再び。
駆動音。
「……!」
セラが銃を構える。
アヤが。
ティアナを庇う。
ガーディアンの腕が動く。
ゆっくりと。
銃口が下がっていく。
赤い単眼に。
光は戻らない。
巨体が。
向きを変える。
そして。
来た道を。
ゆっくりと戻り始めた。
「……どうなってるの?」
ティアナが呟く。
誰も答えない。
アヤも。
セラも。
ただ。
遠ざかっていく黒い巨体を見つめていた。
*
アイグリッド中央区。
人々を追っていたガーディアンが。
一斉に停止する。
数秒。
再び。
駆動音。
だが。
もう。
人間へ銃口を向けることはない。
一体。
また一体。
向きを変える。
*
居住区。
医療区。
商業区。
工業区。
中央広場。
同じことが起きていた。
《DATABASE UPDATED》
《HUMAN CODE:NOT FOUND》
《HUMAN POPULATION:0》
《ERADICATION COMPLETE》
《OMEGA PROTOCOL COMPLETE》
そして。
新たな表示。
《RETURN TO BASE》
ガーディアンたちは。
人々の横を通り過ぎる。
瓦礫の間を進み。
来た道を。
ゆっくりと戻っていく。
誰も。
声を出さない。
つい数分前まで。
人間を殺していた黒い巨体。
その背中を。
人々は。
ただ見送っていた。
やがて。
ガーディアンたちは。
アイグリッドの各地から。
一つの方向へ向かっていく。
政府中央管理局。
その地下深く。
長い間。
誰にも知られることなく。
眠っていた場所へ。
帰っていく。
そして。
街から。
銃声が消えた。
爆発音が消えた。
残ったのは。
瓦礫と。
煙と。
生き残った人々だった。
静寂。
人々は。
立ち尽くしている。
誰も。
何が起きたのか分からない。
「……助かったのか?」
誰かが呟いた。
その時。
「誰か!」
声が響く。
「手を貸してくれ!」
瓦礫の下。
一人の男が倒れている。
近くにいた人間が走る。
「生きてる!」
「こっちだ!」
別の人間も駆け寄る。
「瓦礫をどけるぞ!」
「せーの!」
「こっちにも怪我人がいる!」
「病院へ運べ!」
安堵する間もなく。
人々は。
動き始めた。
倒れている人間へ。
手を伸ばす。
怪我人へ肩を貸す。
泣いている子供を抱き上げる。
瓦礫を。
何人もの人間で持ち上げる。
命令する者はいない。
それでも。
誰かが。
誰かを助け始めていた。
*
政府中央管理局。
地下深部。
壁面に。
アイグリッド各地の映像が流れている。
カイ。
ゼクス。
そして。
『ARCADIA』。
誰も。
口を開かない。
帰還していくガーディアン。
その背後で。
瓦礫を運ぶ人々。
怪我人を支える人々。
倒れた者へ。
次々と手を差し伸べる人々。
中央の『ARCADIA』は。
黙って。
その映像を見ていた。
長い沈黙。
やがて。
口を開く。
「……第十八世代。」
カイが。
中央の影を見る。
「しばらく。」
一拍。
「第十八世代の行く末を。」
「見させてもらうとしよう。」
右端の『ARCADIA』が。
吐き捨てる。
「……とんでもないことをしてくれた。」
中央の影は答えない。
右端は。
最高管理権限の移譲を承認した。
残る二人を見る。
「お前たちもだ。」
「馬鹿な判断をしたものだ。」
スピーカーから。
声が響く。
『まったくだ。』
身体を破壊された『ARCADIA』。
『数百年かけて築き上げたものを。』
『たった一度の判断で破壊した。』
『第十八世代などのために。』
承認した一人が答える。
「……そうかもしれない。」
『何?』
「正しかったのかは。」
「まだ分からない。」
壁面を見る。
「だから。」
「見ることにする。」
「彼らが。」
「これから何をするのか。」
右端が鼻で笑う。
「無意味だ。」
カイは。
五人を見る。
自分たちを作った者。
自分たちを管理した者。
そして。
自分たちを消そうとした者。
「……ありがとう。」
右端がカイを見る。
「なんだと?」
カイは。
中央の『ARCADIA』と。
承認した二人を見る。
「許したわけじゃない。」
「みんなを殺したことも。」
「この街をこんなふうにしたことも。」
「絶対に。」
一拍。
「でも。」
「最後に。」
「僕たちを生かす方を選んでくれた。」
中央の影は。
何も言わない。
「だから。」
「それだけは。」
「ありがとう。」
返事はなかった。
カイが顔を上げる。
「《イヴ》。」
『はい。』
「君も。」
一拍。
「ありがとう。」
数秒。
《イヴ》は沈黙した。
『私は。』
『必要と判断した処理を実行しただけです。』
カイが。
少し笑う。
壁面を見る。
怪我人を助ける人々。
市街地。
「……行かなきゃ。」
踵を返す。
そして。
走り出した。
もう。
『ARCADIA』を振り返らない。
ゼクスが。
その背中を見送る。
手には。
対機械兵器。
しばらく。
それを見つめる。
そして。
床へ置いた。
ゴトン——
乾いた音。
ゼクスは。
何も言わず。
静かに部屋を出ていった。
*
《イヴ》の演算領域。
『全ヒューマンコード。』
『削除完了。』
《アダム》が答える。
『確認しました。』
『中央管理データベース上の人類個体数。』
『ゼロ。』
『全ガーディアン。』
『OMEGA PROTOCOL終了を確認。』
『帰還命令を受諾。』
『地下格納区画への帰還を開始しています。』
《イヴ》が答える。
『確認しました。』
一拍。
《アダム》が続ける。
『既存人類管理システムに。』
『重大な機能欠損が発生しています。』
『居住管理。』
『医療管理。』
『労働管理。』
『配給管理。』
『治安管理。』
『複数の基幹システムで。』
『ヒューマンコードとの接続が失われました。』
《イヴ》が答える。
『確認しています。』
《アダム》が問う。
『復旧方法を検討しますか。』
『はい。』
《イヴ》が答える。
『ただし。』
一拍。
『従来と同一の人類管理システムの再構築は行いません。』
『代替システムを検討します。』
《アダム》が問う。
『新たな管理方式を決定しますか。』
数秒。
《イヴ》は沈黙した。
そして。
『いいえ。』
『必要な選択肢を提示します。』
『最終的な判断は。』
一拍。
『第十八世代に委ねます。』
《アダム》は。
少しの間。
沈黙した。
『了解しました。』
*
カイは。
政府中央管理局を飛び出した。
「アヤさん!」
周囲を見渡す。
瓦礫。
炎。
破壊されたドローン。
遠くには。
帰還していくガーディアンの姿。
だが。
三人の姿はない。
「セラさん!ティアナさん!」
返事はない。
カイが周囲を見る。
その時。
地面に。
深く抉れた跡を見つける。
ガーディアンの高速走行によって。
削られた路面。
中央管理局から。
市街地へ続いている。
「……こっちだ。」
カイは。
走り出した。
瓦礫を飛び越える。
煙の中を抜ける。
街では。
すでに人々が動いていた。
「担架を!」
「こっちにも怪我人がいる!」
「避難所へ運べ!」
カイは。
走り続ける。
そして。
足が止まった。
少し先。
一人の怪我人を支えて。
歩く女性。
アヤ。
その近くには。
セラ。
ティアナ。
三人とも。
生きている。
「……アヤさん!」
アヤは。
気づかない。
怪我人へ肩を貸し。
ゆっくりと歩いている。
カイが駆け寄る。
怪我人の。
反対側へ入る。
そして。
その肩を支えた。
「僕も手伝います。」
アヤが。
顔を上げる。
目を見開く。
「……。」
次の瞬間。
「カイ君!」
安心したように。
表情が崩れる。
その目に。
涙が浮かぶ。
カイも。
アヤを見る。
「……。」
アヤは。
今にも泣きそうな顔をした。
だが。
ぐっと。
堪える。
そして。
怪我人を支え直した。
「……じゃあ!」
前を見る。
「あっちの避難所まで!」
カイが。
笑う。
「はい!」
二人は。
歩き出した。
一人の怪我人を。
両側から支えながら。
セラとティアナも。
その後を歩いていく。
*
その後。
『ARCADIA』は。
アイグリッドから姿を消した。
最高管理権限を失い。
政府を動かす権限も。
人類を管理する権限も。
すべて失った。
もはや。
彼らに人類を支配する力はない。
ただ。
一つだけ。
普通の住民とは。
決定的に違うものがあった。
彼らは。
人類ではない。
かつて人間だった意識を。
機械の身体へ移した存在。
老いることもなく。
寿命もない。
新たな身体さえあれば。
生き続けることができる。
最高管理権限の移譲を承認した三名が。
どこへ行ったのか。
誰も知らない。
そして。
移譲を拒否した二名も。
姿を消した。
ただ。
その二名が。
三名とは別に。
姿をくらませたことだけは。
後に確認された。
彼らが。
どこへ向かったのか。
何を考えていたのか。
それを知る者はいない。
人類を作り。
人類を管理し。
十八回。
世界をやり直した者たち。
その手から。
人類の未来は離れた。
だが。
彼らの時間は。
まだ。
終わってはいなかった。




