第56章 帰還
アイグリッド市街。
いつもと変わらない夜だった。
店には明かりが灯り。
人々が行き交う。
道路には車が自動運転で走っている。
《ノア》が停止したことも。
《イヴ》がその機能を引き継いだことも。
そして。
自分たちの世界が「失敗」と判断されたことも。
誰も知らない。
その時だった。
ドン……
ドン……
重い足音。
通りを歩いていた男が振り返る。
「……何だ、あれ?」
交差点の向こう。
黒い巨体がゆっくりと歩いてくる。
赤い単眼。
全身を覆う分厚い装甲。
人類抹消兵器。
周囲の人々も足を止めた。
「新しい処理班か?」
「政府の警備用じゃない?」
誰も逃げない。
むしろ。
珍しそうに、その姿を見つめていた。
ガーディアンが立ち止まる。
赤い単眼がゆっくりと左右へ動く。
市民を認識。
一人。
また一人。
そして。
右腕が持ち上がった。
「……?」
赤い光が収束する。
閃光。
一筋の光が通りを走った。
数人の市民が、その場に崩れ落ちた。
一瞬。
誰も理解できなかった。
「……え?」
次の瞬間。
悲鳴。
「きゃああああ!」
「逃げろ!」
「何なんだ、あれ!」
人々が一斉に走り出す。
ガーディアンは追う。
容赦なく。
機械的に。
赤い単眼が次の標的を捉える。
閃光。
また一人。
さらに一人。
倒れていく。
別の通り。
もう一体。
その先にも。
さらに一体。
アイグリッドの各地にガーディアンが姿を現していた。
逃げ惑う市民。
泣き叫ぶ子供。
家族の手を引いて走る者。
倒れた人間へ駆け寄ろうとする者。
そのすべてを。
ガーディアンは区別しなかった。
反乱分子も。
一般市民も。
大人も。
子供も。
すべてが。
「十八回目の失敗作」だった。
*
政府中央管理局。
キュイィィィン——
甲高い駆動音が廊下に響く。
カイは走っていた。
一人。
頬から流れた血が顎を伝う。
息は切れている。
弾薬もほとんど残っていない。
それでも走る。
背後。
赤い光。
ガーディアン。
まだ追ってきていた。
「くそっ……!」
角を曲がる。
その瞬間。
『右です。』
突然。
《イヴ》の声。
カイは迷わなかった。
右へ曲がる。
『次の分岐を左へ。』
「どこへ向かってるんだ!」
返事はない。
「《イヴ》!」
『そのまま進んでください。』
それだけだった。
背後から閃光。
カイが床へ飛び込む。
ビームが頭上を通過する。
壁が一瞬で切り裂かれた。
立ち上がる。
再び走る。
右。
左。
階段を下りる。
さらに奥へ。
気付けば。
自分が逃げてきた方向へ戻っていた。
「……こっちは」
中央管理局の深部。
『ARCADIA』が消えていった方向。
やがて。
カイは足を止めた。
目の前に巨大な扉があった。
講堂の扉とは違う。
装飾はない。
認証装置すら見当たらない。
ただ巨大な黒い扉だけが、行く手を塞いでいた。
「《イヴ》。」
息を整えながら尋ねる。
「ここは……?」
返事はない。
その時。
キュイィィィン——
カイの表情が変わる。
振り返る。
通路の向こう。
赤い単眼。
「追いつかれた……」
ガーディアンが現れる。
右腕が上がった。
赤い光。
「っ!」
閃光。
カイが横へ飛ぶ。
床が切り裂かれる。
転がりながら銃を構える。
発砲。
一発。
二発。
三発。
ガーディアンの胸部に命中する。
火花。
だが。
止まらない。
「くそっ…やっぱり駄目か……!」
カイは後退する。
背中が扉に当たった。
逃げ場がない。
ガーディアンが近づく。
赤い単眼がカイを捉える。
右腕が上がった。
光が収束していく。
カイは銃を構えた。
弾は。
あと数発。
「……来いよ。」
その瞬間。
横から閃光が走った。
轟音。
ガーディアンの身体が大きく揺れる。
「……!?」
カイが目を見開く。
もう一筋。
強烈な光。
ガーディアンの胴体を横一文字に貫いた。
黒い巨体が。
ゆっくりと左右にずれる。
そして。
轟音とともに崩れ落ちた。
カイは呆然とする。
ガーディアンの向こう。
煙の中から。
一人の男が歩いてくる。
「……あなたは」
ゼクスだった。
その手には大型の銃。
通常の処理班装備ではない。
銃口から、まだ薄い煙が上がっている。
「対機械兵用の試作兵器だ。」
「武器庫に眠っていたものを持ち出した。」
ゼクスは破壊されたガーディアンを見る。
「まさか実際に使うことになるとはな。」
そしてカイを見る。
「こんなところで何をしている。」
「それは……」
カイ自身にも分からなかった。
「《イヴ》に導かれて。」
ゼクスが眉をひそめる。
「《イヴ》?」
カイは頷く。
「ここまで案内されたんです。」
ゼクスは目の前の巨大な扉を見る。
「……俺もだ。」
そして。
静かに銃を構え直した。
「だが……」
「お前はもう行け。」
「え?」
「逃げろ。」
ゼクスは扉を見つめたまま言った。
「ここから先は俺が行く。」
カイが尋ねる。
「あなたは?」
数秒。
ゼクスは答えた。
「逃げても仕方あるまい。」
「部下のほとんどを失った。」
一拍。
「それに。」
巨大な扉を見る。
「俺には、まだやることがある。」
カイはその横顔を見る。
「何をするつもりですか?」
ゼクスは静かに答えた。
「『ARCADIA』を倒す。」
カイの目がわずかに見開かれる。
「……だったら。」
ゼクスを見る。
「僕も連れて行ってください。」
「駄目だ。」
即答だった。
「お前には仲間がいる。」
「戻れ。」
カイは首を横に振る。
「戻ります。」
「でも、その前に。」
扉を見る。
「僕もあいつらに聞きたいことがある。」
「そして……終わらせたい。」
ゼクスはカイを見る。
しばらく。
二人は黙ったまま見つめ合う。
やがて。
ゼクスが小さく息を吐いた。
「……勝手にしろ。」
その時だった。
『お二人をここへ誘導したのは私です。』
二人が同時に顔を上げる。
《イヴ》。
「……何?」
カイが呟く。
『その扉の先に、『ARCADIA』がいます。』
ゼクスの表情が変わる。
ガチリ。
巨大なロックが外れる。
ゴゴゴゴゴ……
重い扉がゆっくりと開いていく。
暗闇。
その先がどこまで続いているのか。
見えない。
カイとゼクスは顔を見合わせた。
ゼクスが銃を構える。
カイも残りわずかな弾を確認した。
そして。
二人は並んで歩き始める。
暗闇の奥へ。
『ARCADIA』のもとへ。




