第45章 夜明けの前に
《ノア》停止作戦が決定してから、一週間。
拠点の空気は、それまでとは大きく変わっていた。
誰も無駄話をしない。
誰も時間を無駄にしない。
残された時間が少ないことを、全員が理解していた。
ティアナはオペレーションルームにこもり続けていた。
端末。
予備回線。
認証突破ツール。
ロック解除キーとの接続モジュール。
机の上には無数の機器が並んでいる。
「あと少し……」
目の下に隈を作りながら、ティアナはキーボードを叩き続けていた。
一方、カイたちは訓練を続けていた。
銃の整備。
ナイフの確認。
ドローン妨害装置の動作試験。
侵入経路の確認。
防衛戦になった場合の隊形。
撤退ルート。
何度も何度も繰り返す。
エドは毎日のようにミーティングを開いていた。
「ここで交戦した場合は南側へ退避」
「通信が途絶えた場合は第二ルートへ移行」
「ティアナの防衛が最優先だ」
全員が真剣だった。
誰も失敗できないことを知っていた。
そして——
出発まで三日。
*
深夜。
居住区。
カイは自室で一人座っていた。
眠れなかった。
ベッドに入っても目が冴える。
考えたくなくても考えてしまう。
レオン。
サガラ。
ルキ。
ナッシュ。
失った仲間たちの顔が浮かぶ。
その時。
コンコン。
小さなノック音が響いた。
「……はい」
扉が開く。
アヤだった。
「起きてたのね」
カイは苦笑する。
「眠れなくて」
アヤも少し笑った。
「実は私も。入ってもいい?」
カイが少し慌てて答える。
「もちろんです。散らかっていてすみません」
壁際に並んで腰を下ろした。
しばらく沈黙が続く。
だが、不思議と居心地は悪くなかった。
やがてアヤが口を開く。
「いよいよね」
「はい」
「三日後」
カイは頷いた。
アヤは少しだけ俯く。
「怖い?」
正直な問いだった。
カイは少し考える。
そして答えた。
「怖いです」
嘘はつかなかった。
「失敗したら終わりですし」
「そうね」
アヤも頷く。
「私も怖い」
静かな声だった。
「最後になるかもしれないし」
沈黙。
遠くで機械音だけが響いている。
アヤが小さく笑った。
「こんなことになるなんて思わなかった」
「何がですか?」
「ジェネシスに入った時は、もっと長く戦うと思ってた」
カイも少し笑う。
「僕もです」
「平和になったら何したい?」
突然の質問だった。
カイは考える。
そして答える。
「普通に生きたいです」
「普通?」
「はい」
少し照れくさそうに笑う。
「朝起きて、働いて、誰かとご飯食べて」
アヤが吹き出す。
「ずいぶん普通ね」
「それが一番難しい気がします。
あ!あと、遊園地!一緒に行く約束でしたよね」
その言葉にアヤは何も言わなかった。
ただ静かに頷いた。
その時。
ふと。
二人の手が触れた。
アヤは何も言わず、俯いたままだった。
カイはその手をそっと握った。
アヤは少しカイの方を向いたが、また下を向いた。
離れない。
カイも離さない。
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
アヤもそっと握り返した。
言葉はない。
ただ。
互いの温もりだけがそこにあった。
そして。
二人の目が合う。
どちらも何も言わない。
だが、その沈黙は不思議と心地良かった。
遠くで夜が静かに更けていく。
*
出発前日。
オペレーションルーム。
エドが全員の前に立つ。
「最終確認を行います」
大型モニターに侵入ルートが表示される。
「目的は《ノア》の停止」
「無理な交戦は避ける」
「そして——」
一拍。
「必ず生きて帰る」
誰も返事はしない。
だが全員が頷いた。
ティアナは機器をバッグへ詰めていた。
端末。
予備電源。
認証デバイス。
ロック解除キー接続ユニット。
準備は整っている。
セラがそれを見ながら笑う。
「荷物に背負われてるみたいだよ」
「うるさい」
ティアナが即答する。
その様子に、カイとアヤが思わず吹き出した。
ほんの少しだけ。
空気が柔らかくなる。
それが最後だった。
*
作戦当日。
深夜。
東部拠点。
出入口前。
残留メンバーたちが並んでいた。
誰も引き止めない。
誰も励まさない。
ただ見送る。
エドが先頭に立つ。
セラが銃を確認する。
ティアナがバッグを背負う。
アヤは静かに息を吐いた。
カイは最後に振り返る。
ここが最後になるかもしれない。
だが。
迷いはなかった。
レオン。
サガラ。
ルキ。
ナッシュ。
アリシア。
みんなが繋いだ希望を終わらせるわけにはいかない。
エドが静かに言う。
「行きましょう」
扉が開く。
冷たい夜風が吹き込んだ。
五人は歩き出す。
《ノア》停止作戦。
その始まりの場所へ向かって。




