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ハードボイルド桃太郎  作者: 閃光
犬編
23/24

犬 その7(完結)

 辺りは静けさ満たされていた。チビの口の端からは男の首から湧き出た血が滴り、血にまみれた牙は月明かりに照らされ赤黒く光っている。群れの頭は倒れた男の横に佇むチビに歩み寄り、鮮血に染まった彼の鼻の先に口を当てた。その後、彼はチビの横を通り過ぎ、丘の頂上の山犬達の方へと歩いて行った。



「……いいか、お主ら。決して声を出すでないぞ。」

彼は首を垂れ、小声で山犬達に向かって話し始めた。

「消えた二人の小男らは私達の目を以ってしても見つけ出すことのできない距離から音を頼りに矢を放っていたと見える。思い返せばあの大男の鎚が地を打ち鈍い音を立てる度に青年に向けて矢が放たれていた。そして何より……。」

頭はその先を促すように桃太郎に目を向けた。



「……ああ。ヤツらの矢の狙いは正確ではなかった。仮に視力を頼りに矢を放っていたならば、矢が俺の体ではなく刀の鞘に当たることも、そしてあの大男を突き刺すこともなかっただろう。」

桃太郎は身を屈め囁いた。群れの頭と桃太郎の言葉を聞き、垂れ下げられた山犬達の尻尾は安堵したように持ち上げられた。



「そうとわかれば後は私達の独壇場だ。小男らの匂いが感じられぬと言ったが、恐らくヤツらは火炎を上げた隙にゴン達の血を体に塗りたくったのだろう。戦いの最中では血の匂いに紛れたヤツらの体臭を嗅ぎ分けることは困難だが、あの男が死んだ今、それはそう難しいことではないだろう。」

チビは男の亡骸を背に丘の上へと歩みながら山犬達に小声で囁きかけた。血飛沫に染められた彼の顔は山犬達にある感情を植え付けた。今まで自分達がその存在を蔑ろにしていた者が、仲間の死に恐れをなさず強大な敵を躊躇なく殺めた。その事実が彼らの中に恐れに似た敬意を沸き立たさせた。



 一際小さな体をふらつかせながら山犬達の中心に佇む頭の元へと歩み寄るチビ。彼よりも二回りは大きな体を持つ山犬達は、チビに道を開けるようにその身を退けた。

「……父上。」

「ああ、わかっている。お主ら、ヤツらを確実に仕留める為、二匹一組になりヤツらを探し出すのだ。」

落ち着きながらも威厳に満ちた号令受け、山犬達は丘の麓に向けて四散していった。



「チビ、桃太郎、お主らは私と来るのだ。」

頭はチビに背を向け丘を下り始めた。チビは遠のく背を追うかのように小走りに彼に駆け寄り横に並んだ。



 丘の麓を囲い込む森は、木々に月の灯りを遮られ一寸先の足元さえ確認できぬ程に深い闇に満たされている。森の中に吸い込まれるように吹く風が桃太郎達をその中に誘うように足元の草を靡かせる。



「私が先頭を行く。チビ、お主は青年の後ろを歩くのだ。」

頭はそう囁くと森の中に広がる闇の中へと溶け込むように消えていった。

「桃太郎、父上の指示通り、私はお主の後ろを行く。さあ、行け。」

桃太郎はチビの言葉に促され、暗闇に足を踏み込んだ。



 歩を進めるごとに木々の隙間から覗く薄暗い丘の麓の景色は遠くなり、ついには墨をこぼしたような闇に視界が覆われた。桃太郎は前方から微かに聞こえてくる土を踏む音だけを頼りに用心深く足を進めていった。



 森の中に吸い込まれた風が絶え間なく桃太郎の背に吹き付ける。汗に濡れ背に張り付く服が風に冷やされる。背に冷たさを感じながらも、刀の柄を握る桃太郎の手からは汗が染みだし、高鳴る心拍がその身を火照らせている。



 雨に湿った土を用心深く踏みしめ歩みを取る桃太郎の左手に突如、力強く空を切る音が鳴り響いた。



 直後、鋭い爪が木の皮を剥ぐ音が続いた。低い唸り声が辺りを覆う。



 その唸り声は数秒の後に理性を持った声へと変わった。



「――チビよ、これを見ろ。」

頭の顎が指す先には、木の表面に矢で留められた毛皮の外套がはためいていた。

「ヤツらの匂いを辿ってここまで来たが、この様子だとどうやらうまいこと逃げられてしまったようだ。ヤツらの匂いもこの場所で途切れている。恐らく私達に匂いを辿られぬよう体に泥でも塗って風下の方向へと逃げて行ったのだろう。」

そう言うと、彼はゆっくりと振り返り丘の方へ引き返し始めた。チビは尻尾を垂れ歩き去る頭を横目に、桃太郎の合羽を咥え帰路の方向へと引っ張った。



 丘の上には山犬達が落ち着かない様子で佇んでいた。彼らも同様に男達の匂いを辿ることができず、丘へと戻って来たのであろう。



 丘の頂上に辿り着くと頭は力無く膝を折り、腹を地に伏せた。彼の背を染める血は毛を束にし固まり始めていた。

「お主ら、すまないな。どうやらヤツらには逃げられてしまったようだ。」

桃太郎は耳を垂れ静かに呟いた頭の姿を見て、自らの躊躇が生んだ状況に後悔を感じた。

「俺があの時、あの小男に刀を振り下ろしていれば逃げられることもなかっただろう。お前らの仲間の命を奪った仇を取り逃がすことになってしまったのは俺の弱さのせいだ。」

桃太郎は群れの頭に背を向け、夜闇に広がる森を見つめた。




 ――人を切る。




それが桃太郎の置かれた状況の中で彼自身を守る唯一の手段であったことは間違いない。しかし、彼の中にはその行為に対する背徳感があった。刀に身を切られ血を流しもがき苦しむ姿。例えそれが自身の命を脅かす存在であったとしても、自らの手で傷を負い場合によっては死に至る激痛に苦しむ人間の姿が、桃太郎の中に存在する善の心を鮮明に浮き上がらせ、人を切るというある種の境界を彼に超えさせまいと彼の身を縛り付けた。



「――確かにそうかも知れぬ。」

チビは森を見つめ佇む桃太郎の横に歩み寄った。

「しかしながら、お主が居なければ私は戦うという選択自体をせずに、ただ次々と死にゆく仲間達を横目に逃げ出すのみであっただろう。私は打ち負かされることにより自身の誇りが傷付くことを恐れていた。そして自らの弱さを周囲に見せつけることにより仲間達から見放され孤独に陥る恐怖が、私を抗い戦うことから遠ざけさせていた。私にそれを気付かせ戦いに身を投じる勇気を与えてくれたのは、唯一人で鬼に挑もうとするお主の無鉄砲とも取れる強き決意だったのかも知れぬ。」



 チビの横顔からは、自身を嘲笑するような卑屈な笑いを浮かべていた面影が消え去っていた。風に吹かれ満月に照らされた彼の白い毛は、穏やかに波を立て誇らしげに靡いていた。



 チビは群れの頭に背を向けたまま彼に語り掛けた。

「父上、私は父上との関わりの中で徐々に戦う気力を失っていきました。幼き時分から体の小さかった私は、その劣等感から父上に追いつこうと必死で食らいつくように生きてきました。しかし、私が成犬となった頃からあなたは私を見捨てたかのような態度を取り始めた。」

丘の頂上で身を伏せた群れの頭は、地面を見つめ黙っていた。



「私はなぜ父上がそのような態度を取るのか、頭では理解していました。一人息子である私に期待を掛けたものの、その一人息子が群れの頭としての器を持たぬことを成長と共に証明していった。大きな期待を掛けていたからこそ、父上、あなたはその期待が対面に投げ出される振り子のように失望に変わるのを感じたのだと思います。しかし――」

チビは月明かりに鈍く照らされくすんだ藍色に染められた夜空を見上げた。




「――父上。私は群れの次代を背負う後継ぎとしてではなく、ただあなたの息子として、あなたの隣に居たかった。ただこの存在を認めて欲しかった。」



 頭は物思いに耽るように目を閉じた。暫くの後、彼は矢を受けた足を引き摺りながら、丘の麓へと下って行った。



 チビは身を翻し、去りゆく背中に向けて叫び声を上げた。

「父上……! 私は……桃太郎と共に鬼退治に向かいます!」

頭は歩みを止め、チビに背を向けたまま丘の中腹で立ち尽くした。桃太郎はチビのその予想外の言葉を聞き彼の方へと身を向けた。



「……勝手なことを言ってすまないな、桃太郎。しかし、どうしてもお主と共に行かせてもらいたいのだ。」

チビは驚きの表情を浮かべる桃太郎へ肩越しに視線を向け、再び群れの頭へと視線を戻した。



「父上。桃太郎からは私の中に欠けていた ”何かに立ち向かう勇気” を感じ取ることができます。今までの人生の中で失ってしまったそれがどんなものであるのか、彼と共に旅をすることで知ることができるような予感がするのです。戦いの中での強さではなく、心から湧き出す強さを彼から学ぶことができると感じるのです。」

身を乗り出し切実な思いを語るチビは、頭の答えを待つように微動だにしない彼の背中を見つめていた。




「――そうか、勝手にするが良い。お主が言うように、私はお主に期待を裏切られ、お主に対して失望していた。お主と比べて次の頭により相応しいものならこの群れの中にいくらでも居る。」

彼の声からは如何なる心情をも読み取ることができなかった。彼は冷たく言い放つと振り返ることなく丘を駆け下り、森の暗闇の中へと姿を眩ませた。



 桃太郎は項垂れるチビに歩み寄り、彼の横顔に目をやった。彼の目は旅立つ決意の凛々しさと、群れを去ることへの心残りが混ざり合った憂いを浮かべ足元の地面をじっと見つめていた。

「チビ、俺はお前が俺と共に来ることは一向に構わない。お前が俺の中にある種の強さを見出したように、俺もお前の中に俺が持たぬ躊躇無き闘志を感じた。そのお前が旅の供となってくれると言うのであれば、これ程心強いものはない。だが――」

桃太郎は木々が生い茂る森に目をやった。




「――お前に期待を掛けていた父との間にわだかまりを残したままこの群れを去ってもいいのか? 今晩の襲撃を経験してお前も理解した筈だ。生きてこの場所に戻ることができる保証など一切無いのだぞ。」



 チビは桃太郎の問いかけに目を閉じゆっくりと頷いた。

「それでいいのだ。お主に話した通り、私は一度父上から見放された身だ。それに先程の父上の振る舞いをお主も見たであろう。私は次代の群れを率いる存在としてだけではなく、息子としても父上から見放されていたのだ。そうであればこの群れに残る理由などもはや存在せぬ。」

短く切られた彼の尻尾は物悲しく垂れ下げられていた。



「……そうか。それならばまだ夜中ではあるがここを立ち去ることとしよう。今晩の襲撃から察するに、あの男達は俺の後をつけてきていたようだ。俺の旅の目的が鬼を討つことだということは、まだ母と幼馴染、そしてこの群れの者達にしか話していない。しかしどのような方法を用いたのかは定かではないが、鬼の陣営の者達はその事実を知り、俺への刺客としてヤツらを送り込んできたのであろう。」

桃太郎は自らに対して送り込まれた刺客によって命を絶たれた群れの山犬を思い、心臓を締め付けられるような息苦しさを感じた。



「なるほど。そうとあらばお主の言う通り、私達は早めにこの寝床から去った方が良いだろう。仕向けられた刺客がヤツらだけとは限らぬこの状況で、傷付いた群れに再度の襲撃が齎される可能性は排除せねばならぬ……。」

チビは丘の麓から立ち昇る若き二匹の山犬達の血の匂いに焦燥を感じた。



 桃太郎はチビの言葉に無言で頷くと、身を竦める山犬達の間を縫い民家へと入って行った。





「それでは行くか、チビ。脚は問題ないか?」

桃太郎は笠と振り分け荷物を身に着け、民家の前に座るチビに呼び掛けた。

「ああ、心配要らぬ。幸いなことに関節や骨は外れていたようだ。痛みはするがゆるりと歩く分には問題ない。雨も上がったことだ。一先ずは森を抜けお主が歩いてきた川沿いの岩場へと向かうとしよう。」

二人は丘の麓へと下り、森の中へと進んでいった。



 暗闇に包まれた森の中を抜けるまで、チビは言葉を発することが無かった。彼らの間には風に揺らされる木々の葉と、二人の足音だけが響いていた。



「先に忠告した通り、この辺りでは雨が降ると時々落石がある。私が先導するので落石に巻き込まれる心配はないとは思うが、油断はせぬように。」

チビは横目に桃太郎へ忠告し、雨に濡らされ色合いを濃くした岩場を進んでいった。



 二人の眼下には切り立った岩の壁に挟まれた川が穏やかな音を立てて流れている。その水面には歪んだ月が川の流れに飲み込まれるように映し出されていた。暫し足を止め川の流れに故郷への想いを馳せる桃太郎。彼は腰に提げた巾着袋から黍団子を取り出し口に放り込んだ。柔らかな感覚が頬の内を撫で、ほのかな甘みと穀物の香りが口の中に広がる。昼に握り飯を食べて以来、何も口にしていなかった空っぽの胃袋に落とし込まれた小さな黍団子は、余計に彼の空腹感を際立たせた。



「チビ、お前も暫く何も食っていないだろう。量は多くはないが……お前も食うか?」

桃太郎の眼前の小岩に飛び乗ったチビは、呼びかけに振り返り軽やかにその小岩から飛び降りた。



「ほう、初めて見る食べ物だな。香りから察するに何か穀物を使った甘味と見受けられる。」

チビは桃太郎の手の平に乗せられた黍団子に鼻を近付け、数回ひくつかせた。初めて目にする黍団子を訝しげな表情を浮かべ口にした途端、彼の表情は和らいだ。



「優しい味、と言えばいいのだろうか。どこか、懐かしい味がするな。」

チビは瞼を閉じ、じっくりと味わうように黍団子を咀嚼した。

「それは黍団子と言ってな、俺の母親が作ったものなんだ。俺は母が作る黍団子が幼い時分から好きでな。それで母が旅立つ俺に持たせてくれたんだ。」

満足そうな表情を浮かべるチビを見てそう語る桃太郎は、どこか得意げな様子だった。



「そうか、お主の母親がお主を思って作ってくれたものなんだな。人間というのは……実に多様な愛情の表現方法を持っているのだな。羨ましく思う。」

満足げなチビの表情にかすかな陰りが見えた。



 束の間の休息を切り上げるようにチビは再び小岩の上に飛び乗った。その直後、彼の耳が鋭く立ち上がった。耳を澄ませると、風の音に乗って低く長い遠吠えが聞こえてきた。遠くから聞こえるその遠吠えは、どこか物悲しげに、雲のない夜空に響き渡った。



 桃太郎はチビの視線の先に目を向けた。チビが見つめるその先には、岩の上で背を反らし天に向かって遠吠えを上げる山犬の姿があった。背後に浮かぶ満月の中に映し出された彼の姿は大きく、その場から決して動くことのない大樹の幹のような力強さを感じさせた。



「……桃太郎。私達山犬は遠吠えを上げることによって互いに意思の疎通を図ることが間々あるのだがな。例えば狩りの最中に互いの場所を知らせ会う時や、他の群れに向けて自分達の縄張りを主張する時などだ。大抵はそういった目的で遠吠えを上げるのだがな、極稀にそれらとは異なる目的を持って遠吠えを上げる時があるのだ。」

桃太郎は月明かりに浮かぶ影を見つめるチビの背中を見上げ、彼の次の言葉を待った。




「――それはな、群れを去った愛する仲間のことを想い、寂しがる時なんだ。私は……父上のことを誤解していたのかも知れないな。」




 ――ただ、お前が無事に帰ってくることを祈って待っておるからな。




 桃太郎はチビの背中を見て、集落を離れる時に母から言われた言葉を思い出した。



「……チビ、お前の群れの頭は、確かにお前の父親だったようだな。」



 チビは何も言わずに頷き、ゆっくりと瞼を下ろした。




「桃太郎よ。先程お主に話した通り、私は人間のことを羨ましく思うことがある。だがな、そう思う反面、やはり獣に生まれてよかったと思うこともあるんだ。」

チビはゆっくりと瞼を持ち上げると、再び満月に浮かぶ影に目を向けた。



「――なぜならな、私達獣はどんな時にでも、決して涙を流さずにいられるからだ。」



 そう語る彼の目には満月が映し出されていた。満月の下を、青く光る一筋の軌道を描いて流れ星が落ちていった。

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