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ハードボイルド桃太郎  作者: 閃光
猿編
24/24

交易路

 東の空が白み始める。真夜中に山犬の寝床を後にしてから二人は休むことなく歩き続けた。明け方の空気は昨晩の雨で冷やされ、岩の隙間から生える草々の上には露が滴っている。山の端から漏れ出る日の光に早くも目を覚まし始めた小鳥達のさえずりが、間もなく訪れる新しい一日を予感させた。


 澄み渡った空気とは裏腹に、桃太郎達の足取りは重々しいものになっていた。その起伏を落ち着かせつつあった岩場の地面は、満足に持ち上がらなくなった桃太郎の足先を何度となく躓かせた。


「桃太郎、この辺りでとりあえず休憩とするか。」

チビは地面の起伏に足を取られよろける足音を後ろに感じ、足を止め振り返った。チビの足取りも桃太郎程ではないが、寝床を去った時よりもその速度を落とし始めていた。


 桃太郎は立ち止まり、膝に手を置いて頭を項垂れた。笠の陰から数滴の汗が落ちる。

「ああ……そうしよう。」

彼は膝から手を離し背を伸ばすと、手の甲で額の汗を拭い東の空を見上げた。

「ここまで来れば例え鬼からの刺客がやって来たとしてもお前の群れの者達に手が及ぶこともないだろう。」

桃太郎は笠を脱ぎ、左手の岩に背をもたれ地面に座り込んだ。


「幸い、ここまで来る間に刺客と思われる者達の匂いや足音を感じることもなかった。少々不自然な時間ではあるが、お主は少し眠るがいい。もう丸一日寝ずにいるだろう。お主が眠っている間は念の為、私が起きて見張りをしておこう。」

チビは座り込む桃太郎の横に腰を下ろした。


「……ああ、悪いがそうさせてもらおう。小一時間程眠らせてもらう。追手はいないようではあるが、念の為見張りは頼んだぞ。」

桃太郎は地面に置いた傘を深く被り胡坐をかいた。


 集落を去ってからわずか一日にして彼の疲労は頂点にまで達しかけていた。集落で暮らした十七年の間、彼の生活は平凡ながらも特筆すべき困難や不幸も無く平和なものであった。未だかつてその身に降りかかることのなかった殺意。常に追われる緊張感。そして集落で待つ母と病床の父。それらの全てが重なり合い、彼の胸の内を黒い淀みとなり満たしきっていた。




 桃太郎が目を覚ますと、太陽は既に南の空に浮かんでいた。深く被った傘を持ち上げ横に目をやると、チビが体を丸め地に伏せていた。

「やっと目を覚ましたか。小一時間と言っていたからすぐに目を覚ますものだと思っていたが……。やはり随分と消耗していたようだな。」

チビは脇腹に鼻先を刺したまま、青い瞳だけを桃太郎に向けた。チビの口調からは眠気や疲労は感じられなかったが、左前脚から僅かに滲み出す血が彼にも暫しの休息が必要であるとの事実を桃太郎に悟らせた。


「すまない、思ったよりも長いこと眠ってしまっていたようだな。」

桃太郎はゆっくりと立ち上がり、腰に着いた土を両手で軽く払った。

「川で顔を洗ってくる。俺が帰って来たらお前も少し眠るといい。その間、次は俺が見張りをしておく。」

桃太郎は重い足取りで川の方へと歩き出した。


「いや、桃太郎。お主が顔を洗ったらここを発つことにしよう。以前聞いたことがあるのだが、この岩場を抜ければ人間達が整備した道があり、その少し先に町があるようなのだ。お主も気付いているとは思うが、岩場の起伏も緩やかになってきているだろう。恐らくもう暫く歩けば岩場も終わり道が現れるはずだ。例え今日中に町に辿り着くことができなかったとしても、このように見通しの悪い岩場よりも、見通しの利く道の脇で休息を取った方が近付いてくる刺客にも容易に気付くことができる。」

チビは立ち上がり背を向ける桃太郎に歩み寄った。


「お前、脚はいいのか? まだ血が滲み出しているようだが。お前が言っていたように、時には暇を持つことが一番の近道になることもある。」

桃太郎は振り返り、チビの様子を窺った。チビの脚の白い毛は血と土で茶色く固まっていた。

「ああ、気にすることはない。寝床を去る時に言った通り、痛みはするが歩く分には問題ない。」

チビはそう言い、立ち止まった桃太郎の脇を抜け川の方へと歩いて行った。


 雨を受け流速を増していた川は、一晩を明かし清く緩やかな流れを取り戻していた。桃太郎は川辺に膝を付き、振り分け荷物から取り出した手拭いを水に浸し、顔を拭いた。山の頂上から流れる川は雪解け水のように冷たく、桃太郎の意識を眠りから呼び覚ました。チビは穏やかな川の中に身を放り込み、飛沫を撒き散らしながら大きく身を震わせた。

「桃太郎! お主も水を浴びたらどうだ? さっぱりするぞ!」

川の水に血飛沫を流したチビは、幾分幼さを含んだ声色で桃太郎を促した。

「おいおい、人間がこんなに冷えた水を浴びたら風邪を引いてしまうだろ。それよりもチビ、体を流し終わったならばこっちへ来い。」

桃太郎はチビのはしゃぐ様子に微笑みを浮かべていた。彼の表情を見たチビは足元に水を跳ね上げながら川辺へと走り、桃太郎の前で再び体を震わせ毛を濡らした水を払い飛ばした。


「おい、お前俺の話を聞いていたのか……? 風邪を引いてしまうと言っただろうに……。」

桃太郎は手に握った手拭いで体中に飛び散った水を拭いた。彼は呆れたような表情を浮かべつつも、その口調はどこか幼い子どもを見守るような優しさを含んでいた。

「すまない、どうも水を浴びると心が昂ってしまってな……。これが、本能というやつなのかもしれないな。」

チビの耳と尻尾は水に濡れて下を向いていた。


「まあいい。それより、怪我をした脚を貸してみろ。」

桃太郎は項垂れるチビの前に片膝をついて、右手の平を差し出した。チビは上目遣いに桃太郎を見上げると、彼の右手の平に左足を乗せた。


「まあ、一時凌ぎにしかならないが――。こうしておけばじきに血も止まるだろう。」

桃太郎は立てた右膝の上にチビの左手を置き、傷口に手拭いを巻き付けた。


「……桃太郎。人間というのは怪我をした際にはこのようにするものなのか?」

チビは巻き付けられた手拭いを興味深げに見つめつつ、桃太郎に問いかけた。

「そうだな、軽い怪我ならこうしておいて、後に薬を塗ったりすることが多いな。なんだ、こういうのは初めて見たか?」

桃太郎はチビの左手を地面に下ろし立ち上がった。

「こういうの、というよりも怪我に対して何某かの治療というものを施すことが今までなかったからな。なんと言えば良いのか……。こう、違和感があるな。」

チビの感じる違和感が何を意味するのか、彼の生い立ちを聞かされていた桃太郎にはその想像がついていた。


「まあ、こういった治療は手先が器用な人間ならではの行動かもしれんがな。この先、もしまた怪我をすることがあったら何かしらの治療はする。心配するな。」

桃太郎はチビに背を向けて岩場を進み始めた。彼を追うチビの短い尻尾は上に向けられ、左右に揺れていた。




 日が西に傾き始めた頃、彼らの目の前に突如道が現れた。その道は不自然に途切れた岩場の下から這い出すように前方に伸びており、その場所を境に傍らを流れる川の幅が幾分か広くなっていた。


「やっと道に辿り着いたな。それにしても……なんとも唐突に始まる道だな。」

桃太郎は小さく隆起した岩場の地面から土で固められた平らな道に足を下ろした。岩の上を歩いてきた足が捉える地面の感触は柔らかい。


「確かに、お主の言う通り些か不自然さを感じるな。まるで途中で岩に潰されてしまったような道だ。」

チビは桃太郎の横に並び、肩越しにその道と岩場との境界に目をやった。岩と土との境界からは身を捻り出すように雑草が生えており、その中には紫色の小さな花がひっそりと混じっていた。道の幅は凡そ一丈程で、川に沿ってなだらかな傾斜を描きながら遥か先まで伸びている。道の両端の地面には草が生い茂り、草の足元は薄っすらと苔に覆われている。


「まあとりあえず、町へと続く道に辿り着くことはできた。日も傾きかけてきたことだし、今日はこの辺りで休むとしよう。」

桃太郎は道の横に広がる林の前の倒木に向かって歩いて行った。その倒木の端はまるでへし折られたかのように尖った断面を持っており、そのすぐ横には苔に覆われた木の幹が佇んでいた。


 倒木に腰を掛け、笠を脱ぐ桃太郎。周囲は湿った空気に覆われ、土と木々の香りが漂っている。桃太郎は肩に食い込んだ振り分け荷物を倒木の上に置き背伸びをした。

「周囲に追手の匂いは感じられぬ。もうじき日も暮れる。今晩は早めに食事を済ませて休むとしよう。」

チビは左手の手拭いを揺らしながら倒木の上を飛び越えると、兎でも狩ってくると言い残し林の中へと去って行った。




 夕飯の後、二人は焚火を囲みながら今後の旅程について話し合った。

「チビ、確かこの道のすぐ先に町があると言っていたな。」

「ああ、私も聞いたことがあるだけで定かではないが、私達山犬の足を以ってすれば半時もかからぬ距離にあると聞いている。」

チビは焚火を見つめながら言った。


「だとすると、人間の足だと……明日の日の出の頃にここを発てば昼過ぎにはその町に到着する、ということになるか。」

桃太郎は倒木の横に落ちていた小石を二つ拾い上げ、それらを足元に並べた。

「この石を現在地、そしてこちらの石を目指す町としよう。ここから出発し……明日の昼過ぎにはこの町に到着する。この町でやらねばならぬことがいくつかある。」

桃太郎は町を示す小石を、落ちていた木の枝の先で指しながら話を続けた。


「まず一つ、十分な休息を取り、傷と疲れを癒すこと。そして二つ、医者を探すこと。最後に三つ、刀鍛冶を探すこと……だ。」

桃太郎はチビの顔を見た。チビは遠い記憶を手繰り寄せるように目を閉じ俯いている。


「……桃太郎。これまた定かなことではないのだが、確かその町はここら一帯の集落や町々の交易の要となるそこそこの規模の町だと聞いた覚えがある。この整備された道を見るに商人達の往来の利便が図られているようであるから恐らくこの記憶は正しいだろうとは思うのだが――」

チビは目を開くと岩場の方角へ顔を向けた。

「――この道があの岩場を境に途切れていることがどうも気に掛かる。お主の居た集落の商人達も米の交易を目的にここらを通ることが昔からあったとは思うのだが、それならばなぜあのように足元の悪い岩場がそのまま残されているのか、そして例え岩場が整備されておらずともなぜそれを迂回するような道が今の今まで敷かれずにいるのだろうか。」

チビは訝しげな表情を浮かべて桃太郎の方へ目をやった。


「……確かにお前の言う通り少々不自然な気がするな。しかしまあ、この道の先に町があることは間違いないのだろう? だとすれば俺達がすべきことはただこの道を進んでいくこと、それだけだ。」

桃太郎は手に持った木の枝で足元の小石の間に線を引き、小枝を焚火の中に放り込んだ。


 弾けるような音を上げ燃え上がる小枝。揺れる焚火を眺める二人。暗闇の中に浮かぶ赤い炎が二人の影を地面に映し出す。


 その時、二人の背後の林から木の葉を揺らす音がした。桃太郎は倒木に立て掛けた刀を手に取り立ち上がると、刀の柄を掴み林を睨んだ。


 一方、チビは依然焚火を見詰めたまま地面に体を伏せていた。

「桃太郎、大丈夫だ。周囲からは人間の匂いはしない。先程兎を狩りに行った時にわかったことなのだが、この林には多くの獣達が住み着いているらしい。恐らくあの音も鳥か、それとも狸か。そんなところだろう。」

落ち着いた様子で語るチビに、桃太郎はどこか決まりが悪そうに倒木に腰を掛けた。

「――だが、念の為今朝と同じように交代で見張りを付けて眠ることとしよう。」

桃太郎は倒木に刀を立て掛けチビに目をやった。その様子を見たチビは鼻を鳴らし口角を上げると、体を丸め鼻先を脇腹に差し込んだ。


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