犬 その6
地を打つ音が月明かりに照らされた丘に響き渡った。
松明の火に照らされた男の顔が桃太郎を見上げる。振り下ろされた鎚は桃太郎の足元の地面を抉り取っていた。
男の攻撃を退き免れた桃太郎。刀の柄に手を掛ける彼の右脇腹に鋭い痛みが走る。
「くっ……!」
突然訪れた切るような痛みに歯を食いしばる。大男の斜め後ろの地面には桃太郎の脇腹を掠めた矢が刺さっていた。
「どうよ、青年。見えない敵から襲われるって、中々に恐ろしいもんだろう?」
男は地面にめり込んだ鎚を桃太郎の顎を目掛けて振り上げた。
仰け反り鎚を避ける桃太郎。彼は男の攻撃に押され、怯える山犬達が佇む丘の頂上まで押し戻されていた。
力強く繰り出される男の鎚。矢に倒れたチビ。その光景に恐れをなし細い声を上げる山犬。一瞬の後、その山犬の頬を矢の軌道が貫いた。
叫び声を上げもがく彼に向けて続けざまに矢が襲い掛かった。その矢は無残にも彼の首を貫き、数秒の後に彼は動かなくなった。
肩越しに群れの山犬達の様子を窺う桃太郎。手の平に汗が滴る。辺りに広がる鉄のような血の匂い。
倒れた山犬に気を取られた桃太郎に更なる攻撃が襲い掛かる。
重々しく鈍い音を上げ、地を打つ鎚。桃太郎が腰に提げた刀の鞘に直撃する矢。
矢の飛んできた方向へ目を向ける桃太郎。視線の先に広がるのは丘の麓の奥に口を広げる薄暗い森の入り口のみ。満月の光に照らされているとはいえ、その暗闇の中に人影を見つけることは到底できない。その森の入り口を見て、桃太郎の脳裏にある疑問が浮かんだ。
――なぜ敵は的確に山犬や自分を狙うことができるのか。
周りを見渡す限り、消えた小男達は少なくとも桃太郎の、ひいては暗闇でも目が利く山犬達の視界に入る場所にはいない。そうであるならば彼らも同様に桃太郎達の正確な位置を把握できるはずがない。
考えろ……。桃太郎は深呼吸をし心拍を整えつつ、男から繰り出される鎚に備え重心を落とした。
「――青年よ!」
桃太郎の斜め後ろに佇む頭は、一丈程しかない彼らの間の距離に見合わぬ大声で桃太郎に叫び掛けた。瞬間、頭は身を高く跳ね上げ、丘の中腹に倒れ込んだチビの傍に足を着いた。
風を切る音。桃太郎の斜め後ろの地面を矢が鋭く突き刺した。
桃太郎は頭の行動と地面に突き刺さった矢を見て、全てを理解した。桃太郎の顔に浮かぶ険しい表情の中に、薄っすらと笑みが浮かんだ。
「なんだ、笑ってんのか? 恐怖で頭がおかしく……なっちまったか!?」
勢いよく振り下ろされる鎚。鞘から抜かれ振り上げられた刀が鎚の柄を両断した。
空を切る男の左腕。宙高く投げ出され、男の足元に落ちる鎚。直後、大男の両の脇腹を二本の矢が突き刺した。
男は口に咥えた松明を落とし、その上に倒れ込んだ。松明の火は男の大きな体と雨上がりの湿った地面に挟まれ、暫くの後にその明かりを消した。男の脇腹からは二筋の血が溢れている。
その様子を目の当たりにしたチビは、脚に刺さった矢を牙で挟み引き抜き、ふらついた脚で男に飛び掛かった。
大きく開かれた口に挟まれる男の太い首。その首は一片の躊躇もなく閉じられた牙の間で木の枝が折れるような音を上げて砕かれた。
力なく垂れ下がる首から口を離し桃太郎を見上げるチビの目は、人間の持たぬ善悪を超越した純粋な殺意に満ち、暗闇の中で月明かりを反射させていた。




