動揺
片膝を地面に着き、その体重を竹刀の柄で支えながら桃太郎は荒くなった息を整えた。桃太郎にとって、自身に向けられた明確な殺意を感じるのは生まれて初めてのことだった。そして、同じく殺意を持って他者に対峙するのも初めてのことであった。
桃太郎は動揺していた。
『例えそれが悪人であったとしても、誰かを傷つけることが決して正しいことであるとは限らない。居合というものは防衛の手段であり、自ら進んで他者を切りつける為に存在している技術ではないんだよ。』
師の言葉が頭の中で反響していた。
今は余計なことを考えている場合じゃない。桃太郎は柔らかな師の声を頭から振り払った。地面に横たわる男をうつ伏せにし、着ていた服の袖を千切って男の手首を縛り付ける。竹刀の先で男の顎を突き、男が気絶していることをもう一度確かめると、桃太郎はゆっくりと辺りを見渡した。
――俺”達”はこの集落を暫くの間観察していた。
男の言葉から察するに、彼の他にもこの集落に襲来しているものがあってもおかしくはない。この男の言葉を鵜呑みにするのであれば、今夜の騒ぎを起こした目的は、集落の者達が不測の事態にどのような行動を取るのか、その挙動を探る為であるのは大凡間違いではないだろう。つまりそれは、近いうちに不測の事態が再度引き起こされ、人々の挙動の虚をつく形で甚大な被害をもたらす悪意ある行動が為されるということを意味する。桃太郎は倒れた男に背を向け、川沿いに林の奥へと向かっていった。
暫く歩きふと上を見上げると、木々の枝の隙間から顔を覗かせた月に雲が覆い被さっていた。月の光を遮られ、薄暗い林はその暗さを一層増していた。桃太郎はいつ敵が襲ってくるかもわからない暗闇の中を無策に進むことは自身を意義の無い危険にさらすことになると判断し、来た道を足早に引き返した。
先ほど鉈で襲撃された辺りまで戻ると、倒れていたはずの男の姿は消えていた。暗雲に覆われた空からは、ぽつぽつと雨が降り始めていた。




