鉈
燃え盛る林の周りは野次馬で騒然としていた。赤々と燃え上がる炎は熱気と灰を舞い上げ、暗い夜空に吸い込まれるように渦巻いていた。息を切らしながらその光景を目の当たりにした桃太郎はある違和感を持った。鬼の手下の襲撃であれば林が燃えるだけでは済まない。人々が襲われる地獄絵図が広がっているはずだ。しかしながら桃太郎が目にしたのはただ燃え盛る炎を見上げる人々の姿のみで、中には興奮からか笑い声をあげる者達さえいた。
桃太郎は腰に差した竹刀を左手に握り締め、辺りを用心深く見渡した。この集落の人々の多くは貧しさから、夜間の明かりに用いる油を節約する為に、日が沈むと早い時間に床に就く。今は子の刻。誰もが寝静まっているはずの時間だ。なぜこのような時間に林から火が上がる? 木造の家屋に住むこの集落の者が、自分の住む家への飛び火の危険を顧みずわざわざ近隣の林に火を放つのか? 桃太郎の中には一つの結論があった。
――やはり、集落の外の者が意図的に林に火を放ったに違いない。そして、集落の人々が混乱の最中に身を置く絶好の襲撃の機会にそれを仕掛けてこないということは、単独、若しくは少人数で行動する輩の仕業に違いない。桃太郎は自らの推理に確信を覚えると、人込みをかき分け、燃え盛る林の方へと近づいて行った。
その林には、集落の人々が洗濯をするのに使っている川が流れ込んでいる。桃太郎はまだ火の手が到達していないその川に沿い、林の中へと足を踏み入れた。奥に進むに連れ、人々の騒ぎ声と警鐘の音が小さくなっていく。炎の熱気を感じなくなる距離まで集落から遠ざかったが、桃太郎は更に林の奥へと足を進めていった。
風が木々を揺らす音。虫たちの囁き。川の流れる音。先程までの喧騒が遠くから聞こえてくる。
――おい。
桃太郎は振り返った。風を切り垂直に振り落とされた鉈を、体を横に投げ、避ける。受け身を取り片手を地に着きしゃがみこんだ体勢で、両手で持った大ぶりな鉈を地面から引き抜く小柄な人影を睨みつける。
「……なんだあ、お前。体がデカい割には案外すばしこいじゃあねえかよ。」
男は引き抜いた鉈を左肩に担いだ。にやりと笑う男は動物の毛皮で拵えた分厚い上着を身に纏っており、顔の下半分を泥だらけの手拭いで覆っていた。男の表情は手拭いで隠されていたが、その堂々とした立ち居振る舞いと声色から、彼がにやついていることを桃太郎は直感した。
「あの炎は、お前の仕業なのか?」
「そうじゃねえわけがあると思うか!?」
男はその小柄な体に似合わぬ野太い声で高らかに笑いながら、桃太郎に切りかかった。横から振り抜かれる鉈を体の二寸前に避ける桃太郎。
「おいおいおいおい、どうしたんだよ。避けているだけじゃ、そのうち殺されちまうぞ?」
桃太郎はよろけた体勢を立て直し、左の腰に差した竹刀の柄に右手を掛けた。
「お前は鬼の手下というヤツか。数日前からこの集落に偵察に現れたと見える。」
男は再び鉈を肩に担ぎ、感心した様子で笑い声をあげた。
「ほう、なかなかに鋭いヤツと見えるな。そうだ、既に知られているなら隠すこともないだろう。俺達はこの集落を暫くの間観察していた。人々がどのように生活し、何時ごろに床に就き、そして不測の事態が起こった際にどのような行動を取るのかをな……!」
「しかしながらだ……」
担いだ鉈を両の手に握り、その刃先を桃太郎に向けた。
「予想外だったぞ、お前みたいな頭が切れ、そして屈強な体を持った若造がこの集落に存在していたということはな。だが……」
男は重心を落とし、後ろに引いた足の踵を宙に浮かせた。
――刹那、身を屈めた男の体が桃太郎の懐に入り込んだ。
「殺しちまえば、関係ねえ。」
桃太郎は眼下に潜り込んだ男の腰を目掛けて竹刀を振り下ろした。男は腰骨が砕ける鈍い音と共に、地面に叩き付けられた。
「おい、お前……。あんな隙だらけの立合姿をしていたのに……。」
息を上げ、地面に這いつくばる男からは闘志が消え去っていた。
「生憎、この集落には立合の師となるものは居なくてな。俗世から離れて暮らしているから知らないか? 居合と呼ばれる技術が存在していることを。」
桃太郎は男が気を失ったことを確認すると、竹刀で体を支えながら地面に片膝をついた。




