4潜入
誠は、目を覚ました。
時計を見ると、ほんの三十分ほどの睡眠だった。
えっ、あれは現実ではなかったか?
全く見た事の無い土地の、しかも紛争地帯の出来事だ。
が、老婆の腐敗臭、砂埃の臭い、熱気と嗅ぎ慣れない汗の体臭。
全く自分の経験に無いものを、あれだけありありと体感できるものだろうか。
しばらくぼんやりと夢の余韻に浸っていた誠だが、やがて立ち上がるとパジャマを脱ぎ、シャワーを浴びた。
夢が鮮烈すぎたのか、目が冴えてしまっていた。
誠たちが泊まったホテルは、かなり高級な一流ホテルなので一階には幾つかの商店があった。
その一つでラミールシャツなどが売っていたので今のうちに買おうか、と思った。
誠は、ほぼファストファッションしか持っていなかったので、それなりの衣類を整える必要は自分でも感じていた。
誠が部屋を出ると、ベッドの下から人の顔をした猫のような生物が顔を出す。
オグの分身だ。
もう少し誠が熟睡したら持参したサソリ毒を注射しようかと思ったのだが、うなされるように寝返りをうち、ベッドで暴れまわっている、と思うと目を覚まし、シャワーを浴びて外出してしまった。
まだ午後の早い時間なので、まさかタンカーに潜入する訳では無いだろうが、リは、自分が雇い主だと思ってろくすっぽ仕事をしない。
全く中国人ときたら!
オグは素早く本体に帰った。
「早くここを去るんだ!」
ロトはウサルを急かすが、ウサルは炎上するヘリコプターの中に入り、クーラーボックスを引き摺り出した。
まさか、あの爆発でそんなものが残っているとは思わなかったが、何の補給物資もない彼らには貴重な宝物だ。
ロトも慌ててクーラーボックスを引くのを手伝う。
だが、ウサルは老婆に、貴重な水を飲ませた。
だが老婆には飲む力が無く、皺だらけの頬を伝って喉にこぼれる。
ウサルは、迷わず水を口に含むと、老婆の干からびた口と合わせた。
ぴくん、と老婆は動き。
「偉大なるアッラーに感謝を!
私にこの子らを遣わしてくださったアッラーに、私は残りの命を捧げます!」
老婆はベットから飛び起きた。
ロトは啞然と老婆を見る。
腐敗していたのだ。
ネズミに齧られ、乾いた目には蝿がとまっていた。
それが一口の水で、立ち上がれるほどに回復するのか?
「お婆さん、ヨルダン川へ行こう」
ウサルの言葉に、老婆は大人らしい分別で
ウサルを諭すものだとロトは思った。
だが……。
「おお、母なる川!
あたしゃ、川の側の村で生まれ育ったのさ。
そうさ。
ずっと帰りたかった。
あたしたちの、大昔から、ずっとあたしたちのものであった、あの場所へ!」
言うと、巨体の老婆は、アサルとロトが必死に引っ張ったクーラーボックスを軽々と肩に担ぎ、
「さあ、コメラ婆が案内するよ!
帰ろう、あたしたちの土地へ!」
ヘリの残骸を蹴飛ばすと、コメラは率先して北に歩み出した。
誠には、特に柄物のシャツなどの良し悪しは全く分からなかった。
ラミールシャツは、軽い麻の糸を紡ぎながら独特の柄布を作り、その柄と後からする絵付けによって個性的な一点物の衣類を作ることに特色があった。
女性は民族衣装のサリーにも似た片側の肩を出した可憐な衣装から、現代の若手クリエイターの手になるデザイン性の高いものまで様々ある。
男性のシャツもアロハに近いものや、ベトナムのアオザイに近い涼やかな物まで多様なデザインの柄やデザインがあった。
店のアパレル店員は、まだ子供子供した誠に、女性物の衣装を着せようとする。
流石に、店の並びから女性物と判る誠は断るのだが、似合う、と弾ける笑顔を見せた。
見かねた中村が、ハーフパンツと片肩出しのシャツを合わせ、下にTシャツを着る提案をし、誠も納得した。
誠は髪に美鳥の蝶を髪飾りのように付けているし、首には権現石のチョーカーをつけているため、店員はアクセサリーも勧める。
断る誠だが、一枚の葉に赤い実の付いた小さなピアスが、何故か気になった。
「つけてみるね」
店員が有無を言わさず、誠の左耳にピアスをはめた。
ピアスは、無論穴を空けてから付けるものだが、誠は透過能力があるからか、そのままパチンとはまった。
結構な散財をして店を出た誠だが、部屋に帰ろうとして、
「あれ、エレベーター、こっちじゃ無かった?」
元々、南国を意識して室内に多量の植木が配置されていたが、見慣れない棕櫚の大木の奥には、天然の小川のようなものが流れていた。
戸惑いながらも川を辿って歩いた誠は、石の橋を見つける。
と、赤い花弁、黄色やオレンジの花弁、ピンク色の花弁が突風に舞ったように渦を巻き、誠を包み込む。
あ、と瞬間、花を追った誠の前には巨大な男が立ち塞がっていた。
顔には木の樹皮剥き出しの大きな面を被っている。
上半身は裸で下半身には藁か何かの束をスカートのように垂らしていた。
誠は、男を横切ろうとするが、男は右手を突きだした。
手には、男の身長ほどの槍が握られていた。
左手には円い木製の盾が握られている。
え、戦えって言うの?
男は、影の気配はなかった。
おそらく、妖精、神の部類の戦士のようだった。
と、男が槍を突き出してくる。
誠は慌てて手を挙げると、誠の手に盾が握られていた。
右手には槍を持っていた。
戦うのか……?
おそらく土地の精霊と思われる戦士は、橋を降りながら盾で誠を殴りつける。
どうも戦はなくてはならないらしい。
誠は強力な盾のパワーで身体を飛ばされながら、棕櫚の木の葉陰に飛び込んだ。
が、男は鋭い槍を、連続して誠に突き立てる。
素早い攻撃だ。
そして槍の刃は、殺傷能力のある鋭いものだった。
誠は転がりながら棕櫚の木の太い幹に身を隠しながら立ち上がった。
状況はかなり悪い。
背後は川で、深さは分からないが、幅は五メートル近くある。
もし水深が深かったり、川床が泥だったりしたら、おそらく槍から逃れられないだろう。
無論、透過や影の手を使うことは不可能ではないが、相手が神様なら、怒りを買わないとも限らない。
だから誠は槍と盾を持たされたのだろう。
なんとか力を使わず戦いたいが、誠は槍など扱った事はないのだ。
棕櫚の葉を、槍で薙いで男にぶつける。
男が怯んだ瞬間に、背を丸め、盾を前にして、男に体当たりをした。
槍も突きだして、体ごと刺しにいったのだが、誠はまたしても盾で弾き飛ばされた。
誠は頭から倒れ込むが、そこは乾いた土の大地だった。
美しいタイルを張ったホテルの床ではない。
男は、とにかく凄い腕力だった。
盾の一撃で弾き飛ばされてしまう。
そして盾は幅が広いので、パンチやキックのようには交わせない。
男は身軽に回転し、倒れた誠に槍を突き立てる。
なんとか転がって身を起こし、同時に手に握った土を男に投げつけた。
男は不意打ちを食らい、顔を背ける。
誠は槍を持った右手に、槍を突き出した。
運よく男の腕が数センチ切れて、血が飛び散った。
誠は棕櫚の木の幹を掴んで立った時、木に小型のヤシの実が付いているのに気が付いていた。
ヤシをもぎり、男に投げつける。
木の仮面にヤシが当たり、男はのけぞった。
前蹴りをみぞおちに入れて、盾の横の水平面で男の首筋を叩いた。
ぐらり、と揺れた男の胸に、手にした槍を突き立てる。
鮮血が飛び散った。
と、それは赤やオレンジ、ピンクや黄色の花びらになって周囲に広がった。
は、と気がつくと、誠はエレベーター前の広間に立っていた。
額の汗を拭おうとして、手に持った金属に驚く。
それは丁寧な彫刻のされた、一振りのナイフだった。
ロトたちはコメラ婆さんと共に壁に向かって歩いていく。
子供と老婆、それだけなら怪しまれる要素は無いが、武装した歩兵を殺害した挙句、戦闘ヘリを撃ち落とした一行でもある。
いつ、狙撃されるかもしれず、兵士の小隊や、もしかすると装甲車、戦車などに出くわさないとも限らない。
辺りは、度重なる空爆やミサイル攻撃で虫に食われたような建物の廃墟の並ぶ荒野だった。
「ここには市が立っていたんだよ」
コメラ婆さんが涙ぐむ。
「みんな行っちまった。
なんにもなくなっちまった……」
ロトも気持ちは判る。
子供の頃から親しんだ街が、唐突に崩壊したのだ。
おまけしてくれた菓子屋も、プラモデルを買ってもらったデパートも、全てが瓦礫になり、ロトは兵士になった。
みなとサッカーをした公園は、ゴールポストが倒れているから見分けがつく一面の瓦礫に埋もれた。
歩く三人の頭上を、轟音を響かせて戦闘機が飛んでいく。
廃墟を歩くうち、まだなんとか建っているビルを見つけた。
空には、赤い雲が流れ始めている。
「夜は寒い。
あすこに泊まりましょう」
コメラ婆さんが言った。
中に入ると、まるでつい最近まで生活していたかのように、部屋は整っている。
テーブルと柔らかいソファ。
暖炉に薪も積まれている。
窓に厚手のカーテンもあり、閉めれば火を焚いてもそれほど目立たないかもしれなかった。
コメラ婆さんは薪を手に取るが、ロトは、
「止めろ。
いくらカーテンを閉めても、周りが真っ暗では完全には光は隠せない」
「でも、夜は冷えるよ」
コメラ婆さんは言うが、薪は諦めて元の薪置きに戻した。
三人は椅子に座り、クーラーボックスから出した携帯食を食べた。
闇が深まる中、三人は言葉少なに、かすかに微睡みかけていたが……。
ガチャ、と部屋の戸が不意に開いた。
三人の兵士が、驚いたように戸口に立ってロトたちを見た。
白い肌、敵の兵士だ。
三人とも、ほぼ完全武装していた。
奥の士官らしき男が、
「構わん、殺せ」
と、囁く。
前の二人は自動ライフルを構えたが……。
ゲボ、と二人の兵士は、不意に血を吐いて倒れた。
「なに!」
驚いた士官は背後をみるが、そのまま倒れる。
ロトは二発の弾丸しかないライフルを構えたが。
「おおっ、怖い怖い……。
銃を降ろしてください。
私はあなた方の敵ではありません」
「だが白人だ」
ロトは静かに語る。
「私はカラスと言います。
あ、いえ本名はクロウですよ、英語でカラスだものでカラスと通称しています。
私はあなたたちに同情し、味方したいのです」
だが、ロトもコメラも、厳しい視線を向けていた。
「ああ、まずはこの死体を片付けてしまいましょう。
連中は仲間がひとり殺されたら、百人殺すような奴らです。
あ、片付け方を教えましょう。
まず、これが彼らのGPSです。
こいつを……」
カラスはポケットから薄汚いネズミを取り出した。
GPSをネズミに付けると、防水テープで背中に固定して、ポイ、と闇に放り投げる。
「あんた、いつもそんなの持ってるのか?」
ロトが聞くと、
「そうです。
なかなか便利なんですよ。
いさとなったら非常食にもなりますしね」
同じように兵士のGPSをネズミに付けると、外に放し。
最後に士官の通信機に、
「俺だ。
ちょっと部下が家探ししててな。
いや、別にネズミは関係ない。
多分、犬だと思うが、分かるだろ、たまには肉が欲しいんでな。
俺も探すよ」
言うと無線を切り、GPSを付けたネズミを放した。




