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3世界は紐で繋がっている

痩せすぎた少年を、ロトは背負って歩いた。


彼らは兄弟のように見えたが兄弟ではなく、まして友でも無い。

ただ、ロトに銃口が向けられたとき、少年は立ち上がった。


そして敵兵は干し草のように弾け飛んだのだ。


ロトは黙って、小さな子供、ウサルを背負い、ガザと呼ばれる荒廃した土地を、北北西に向かって歩いていた。


その先にはヨルダン川があるはずで、それは自由の大地のはずだ。


だが悠久の彼らの土地に、イギリスとシオニストたちは白人の土地を人工的に作った。


はるか昔、二十世紀の戦争の時代だ。


オスマントルコを抑えるには、そこに白人がいる必要があったのだ。


「なあウサル。

あそこには壁があるだけだぜ」


ロトは背中の少年に言うが、ウサルは不思議な言葉を呟いた。


「世界は紐でつながっているんだよ、ロト。

だから僕らは紐を辿ればいいんだ」


夢見る子供の妄言だ。

ウサルは、本来ならベッドに寝て優しい母に布団を叩かれているような年頃なのだ。


俺が兵士として一人前ならば、何があっても守らなければならない幼児だ、とロトは思っったが、悲しいことにロトもまだ十二。


家族を失い、兵士に志願したのは数週間前だった。


手にあるのは旧式の自動ライフル。

素人でも扱えるのはいいのだが、弾倉には三発の弾丸があるだけだ。


川よりはガザの西に広がる地中海に向かうべきだとロトには分かっている。


シオニストの土地に向かっても何も益することは無い。


冷徹な拒絶だけが、空にそびえているだけなのだ。


「ロト、北から何かが来るよ」


ウサルの言葉でロトは心の淵から現実に立ち返った。


かすかな、弓を引くような連続音。


シースタリオン戦闘ヘリに新たに装備されたサイレントローターの起動音だ。


「よく気がついたな、ウサル」


日常生活に巧みに消えてしまう、かすかな弓の唸り。


「紐があるんだよ、ロト。

ただ僕らは紐を探ればいいんだ」


少し熱があるのかもしれない……。


ロトはウサルを心配したが、廃屋の陰に隠れるのも忘れなかった。


「大丈夫だよ。

ちゃんと紐が教えてくれるんだ。

大丈夫」


ウサルは、熱にうなされるようにささやき続けた。


破壊されたレンガ塀の陰に入ると、大きなベッドに寝かされた老人が、無残に亡くなっていた。


来るよ。


ウザルは呟き、銃を空に向けるんだ、と囁く。


ウザルの紐が、何かを告げているらしい。


戦闘ヘリに銃口を向ける?


俺は素人で、ランボーじゃ無いんたぞ。


弓の音は近づいていた。





「やれやれボウン君は一人でお客の監視もできないか?」


ボウンの援軍要請でやってきたのは、嫌味なジィクだった。

常に黒のハイネックを着ている。

アメリカの億万長者の真似をしているのだ。

中華系の思想には、姿を真似ることで運が運ばれる、というような道教のまじない思想が残っている。


アホくさいが、彼が一流大学出のキャリアなのも事実だった。


警官には、なるほどキャリアは重要だが、影繰りに必要かは微妙なところだ。


ホワンは、日本人が短期間で彼ららしい勤勉さでスパイの支援組織を作っている、と教えた。


ジィクは中華系独特の世界観で日本人を嫌っている。


彼らはこすっからい簒奪者で、偉大な中華文明を自分のもののように操って、中国人をコケにする。


常々ジィクは言っていたが、日本車にしろ地下鉄にしろ、何が本物なのかはホワンには明白に見える。


彼らは賄賂など使わず、その分精密な仕事で世界に貢献する。


ジィクを横目で睨んだホワンたが、子供らがホテルから出てきた。




「旧市街でお茶をするのよ」


美鳥が、珍しく女子らしいことを言うので誠も飲んでいた水を吹きそうになった。


「そういうの、好きでしたっけ?」


「馬鹿ね。

観光客は、スタンプラリーのように観光名所を回るものなのよ!」


誠の頭には小学生の頃のよしおドールのスタンプラリーで都内を駆け回った記憶が蘇る。


今の誠なら、あの精鋭的な地下鉄駅で1日過ごして、透視で建設ポイントをデッサンしていてもいいのだが、それは夏休みに計画している一人旅に取っておいて、観光客を演じなければならなかった。


カワサキバイクで美しい旧市街地のイギリス建築でアフタヌーンティをするため、ホテルで予約を取り、優雅にバルコニー席で川を見下ろして何段にも積み上げられたプチケーキやクッキーを食べながらお茶を飲む。


「バルコニーって暑いですよね?」


冷房の効いた室内で紅茶は飲みたかった。


「当時は、ここが一番の特等席だったのよ」


海からの風が誠たちを撫でていく。


日差しは席の上のパラソルが受け止める。


気持ちがいい、と言えば確かにそうなのだが、気温はジリジリと誠たちを焼きつける。

まだ涼やかなアイスティーとかならいいのだが本格的なアフタヌーンティには熱々の紅茶と決まっているらしい。


スコーンを割ってクリームを塗る。


海鳥が鳴き、潮騒が奏でる単調に思えて、変化に富んだリズムに、水平線をゆっくりと進む巨船の船影が雲のようなスピードで動いていく。


もう少し………。


海の先から、奇妙な囁き声が聞こえたような気がして、誠は慌てて水平線を見返した。


「どうしたのよ。

蝉が目を覚ましたような顔をして」


美鳥のツッコミに誠は。


「人ではない……。

そんな声が聞こえました……」


「なにそれ。

あんた、仕事のしすぎだから頭の配線がおかしくなるのよ。

夜の仕事の前に寝ときなさい」


いや、そういうのではない。


誠は直感していた。


なにか影繰りよりも、妖怪よりも、大きなものだ。


ただ……。


なにか不安定なものを誠は感じた。

なにか……、怖いものが、未熟なものが、声の中に混じった言葉な気がした。




誠が、やや無口になった頃、オグは盗聴器から聞こえたことを太めのチャイニーズ、リに教えた。


「声だと。

どういうことなんだ」


リは酔い冷ましのつもりかパパイヤを買って食べながら聞いた。


「娘の方にも聞こえなかったようだな。

間違いじゃないか、と疑っている」


「まだ待て、というのはスパイ行為の事か?」


「そうと思うが、餓鬼も考え込んでいるようだな」


オグの分身は小さいので、バザールに二人が迷い込んだとき、バナナの身に隠れて、さりげなく豆粒大の盗聴器を少年の服に着けたのだ。


あの大混乱の雑踏だから、うまく行った。


多分、連中は注意深く、優秀でもあるが、歳が若いので、トラブルにあって混乱しているときなどなら、暗殺も仕掛けられそうだ、とオグは思った。


「お前、本当に日本語が分かるんだろうな」


リが訝しむが、オグは、


「俺はこう見えて、筑波大学に六年、日本に留学していたんだ」


えっ、とリは驚き。


「お前、それなのに影繰りなんかしてるのか?」


中国人なら、それなりの企業に入るだろう。


「ま、給料はいいし、さほど危険もないんでね。

今のところは研究に戻るつもりもないよ。だが、毒はよく知ってる。

その辺は任せとけ」


オグは胸を張った。





誠は、夜の仕事に備えて睡眠をとることになった。

さほどの時差もないのだが、ベッドに横になってみると、今までの疲れからかすぐに睡眠に落ちた。




ひゅん、ひゅん、ひゅん…、と細い棒を振り回したような音がする。


だが、それは巨大なヘリコプターの頑強なローターなのだ。


ロトは死んだ老人の眠るベッドの影に隠れて、ライフルを虚空に向けていた。


ウサルは、ベッドの奥に押し込んでいる。


流石に距離が近くなると、弓のようなローター音に混じって、ドッドッドッと、まるで機械の心臓音のような音が混じるのだが、普通はこれが聞こえたら命はない、と先輩兵士たちには教えられていた。


「ねえ、ロト?」


ウサルが囁く。

こういう時のウサルの声は、紐がどうのと話す時のように確信に満ちておらず、普通の幼児だ。


「ねぇ、ロト……」


「しゃべるなウサル。

奴らは高性能な集音器を持っていて、内緒話も聞こえちまうんだ」


本来は恋人の睦み合いの言葉も、だがウサルには話せない。


「でもロト。

このお婆さん、生きてるよ」


隣にゾンビがいる、と聞いたようにゾッとした。


「ほら、少し指が動いている……」


こんな廃墟に一人で放置されて、濃厚な腐敗臭まで漂わせながら、それでも生きている……。

それも驚きだが、ロトは一見して、それは男だと思っていた。


背も高いが、肩幅も広い、たくましい女性だった。


生まれながらの農夫であるロトたちの民族には、男をねじ伏せるようなたくましい女性もわりといた。


そんな眩しい女性の最後に居合わせたとは、流石にロトも思わなかった。


ひゅん…ひゅん…ひゅん…、と巨大な戦闘ヘリが、さっきからロトの頭上で止まっている。


全てを砕く大口径の機関砲を撃ち込むつもりなのだ。


見逃したって良いはずだ。


もし、生きていたとしても、あと数時間の命の老婆と、十二の少年兵と幼児なのだ。


が、連中はアブラムシを見つけた如く執拗に殺戮を繰り返す。


民族浄化、と言うらしい。

白人以外の人間は全て、奴らにとってはアブラムシも同じなのだ。


誠はいつからか、彼らを眺めていた。


夢だからか、考えていることも判る。


「まだだよ……」


アサルの言葉が誠の脳内に響く。


あの海から聞こえた、その声だった。


ドッドッドッ、と鉄の鼓動が頭上で止まっている。


誠は、夢を見ながら汗をかいていた。


部屋の、破壊された壁からは、ギリギリ見えない位置にヘリはいる。


いっそ、すぐに殺せばいい。


誠は思ったが、それは戦場を知らない誠の甘さかもしれない。


戦場では、仕事はつまり人殺しなのだ。

それを、精密に行うためには、ヘリも、そしてライフルを構える少年も、かすかなミスも許されない繊細さが必要となるのだ。


ひゅん…ひゅん…、ローターが回る。


「来るよ」


アサルが囁く。


さん……。


にぃ……。


ひゅん…、という弓の音が、唐突に部屋に飛び込んでくる。


瞬間、巨大な機関銃を構えた白人の、眼差しまでが飛び込んでくる。


ロトは、引き金を絞った。


ライフルの弾丸など、戦闘ヘリは跳ね返す。


だからカマキリが戦車を威嚇するように、それは意味のない行動のはずだった。


だが……。


唯一、弾丸が戦闘ヘリの内部に入り込んだ場合、冗談ごとでは済まなくなる。


跳弾。


時に音速を超えるというフルメタルジャケットの弾丸が、ヘリの内部で無数に跳ね返り続けるのだ。


狂ったように弾ける弾丸は、操縦士の喉を貫通し、天井に跳ね、機関銃手の後頭部を吹き飛ばした。


ヘリは斜めに傾き、瞬間、命を失った機関銃手が、頭を吹き飛ばされた反動で握られた引き金により、ヘリの内部に一発が数キロの重みのある対物用の弾丸を、自らのヘリ内部に撒き散らした。


ロトは、そしてアサルは、紅蓮の炎を見た。


老婆の、何も見えないはずの濁った目から、涙が流れた。

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