1エアポート
翌日、誠は羽田にいた。
美鳥を影の手に乗せて飛んでもいいのだが、かえって目立つ、らしいので直行便がある羽田に来たのだ。
出発は数時間先の予定だったが、屋上へ出たり、売店を見たり、最近勉強を始めた建築学の観点から見たりして羽田空港を楽しんでいた。
レストランがあったりガチャポンがあったり、コンビニもあるし数時間は楽しめる作りだった。
とくに飛行機に興味は無かったが、屋上で飛行場を見ると、ジェットエンジンの轟音や東京湾の美しさなどもあって、かなりしみじみと景観を楽しんだ。
「全く、あんたときたら、すっかりバカンス気取りなんだから」
後ろから急に声がして、誠は驚いた。
「美鳥さん、やめくださいよ。
僕は弱虫なんで、驚いて転落でもしたらどうするんですか?」
「何が弱虫よ。
桃源郷を半壊させといて!」
「あれはアクトレス教官が居たから出来た事ですよ」
「ま、元々、心が強いとは思ってないけど、エースなんだから強くあろうとぐらいしなさい」
「臆病な猫の方が獰猛な狩猟犬より長生きなんですよ」
「少なくとも、あたしを守るぐらいはして欲しいわね」
美鳥とはポンポンと会話が弾む。
「でも、速かったじゃないですか?
どうしたんです」
「バイクを持っていくのに手続きがあるのよ」
「え、あのカワサキバイクを空輸するんですか?
レンタカーみたいなの、無いんですか?」
「馬鹿ね。
ボルネオ人の整備したバイクなんて実戦で使えるわけないでしょう!」
いや、今回は戦わないはず、と思ったが、確かに何処で戦闘になってもおかしくは無かった。
誠たちは今回、守る側ではなく、潜入して情報を盗む側なのだ。
早めに通関を済まし、二人は乗機ロビーで座った。
「いい。
ペラペラ仕事の話をしちゃ駄目よ。
あたしたちは観光客。
ラミールのビーチや観光のために来た旅人なのよ」
「判りました。
でもバイクは大丈夫なんですか?」
「カワサキ愛用者は何処へ行くにも愛車を手放さないものなのよ」
と美鳥は大きく頷いた。
当時にカバンから旅行雑誌を取り出すと誠に渡した。
「あ、僕はスカイモスクが見たいです」
「それはラミールに行く全ての人間が言うに決まってるから、名物の食べ物とか、この雑誌に載ってるものは一通り頭に入れなさい」
食べ物などマックやピサで構わないのだが、仕方ないので雑誌を開いた。
海産物や独特なハム的な保存肉などが有名らしく、チャーハンに似たものや日本では食べないニシキエビやオマール海老の料理などがバエると書いてあった。
誠は海老よりシャコ派なのだが、立派な海老にキャアキャア言った方が観光客らしいだろう。
「あ、水族館が有名なんですね。
シロイルカがいるらしいですよ」
「イルカなんて、みんな白っぽい気もするわね」
言われてみれば真っ黒なイルカでもいたら相当に目立ちそうだ。
「乗馬がとても盛んらしいですよ。
乗馬体験も出来るらしいです」
「まーいちいち報告はいいから熟読しなさい」
ビーチリゾートが定番なのだが、ヨットの体験もできるらしい。
ラミールは元々、英国領でその古い英国風都市が今も残っており、食べ物も他のボルネオ島よりもお茶やお菓子の英国風文化が色濃く残っているのだという。
クッキーや小さなケーキ、紅茶もラミールの特産物らしかった。
早めに搭乗手続きを済ませ、広大な乗機ゲートから、ラミール直行便の場所を見つけ、美鳥と共にソファに座った。
日本領海から僅かに離れた公海に、中程度の大きさのコンテナ船がゆっくりと進んでいた。
「これから通るラミール航空の飛行機に、日本の諜調の影繰りが乗ってるのか」
甲板で痩せ過ぎな男が呟いた。
海の男らしく日に焼けてはいたが、目の下には日焼けより濃いクマが陰鬱に刻まれていた。
隣の、色白な東洋人はケケと笑い。
「大人しく本土の蝿でも叩いてりゃ海の藻屑にもならないで済んだのになぁ。
九時二十分の便だから、見えてくるのは十時前ってとこか」
と、またケケと笑う。
「全くお前の影能力ってやつは便利だよな。
お前の分身が飛行機に乗り込むと、手に持った物質を見えないように手荷物に紛れ込ませて、そのまま爆発しても、お前本人は全くの無傷なんだからな」
「目に見える距離じゃないと使えないけどな」
痩せ過ぎの男は、もそりと反論した。
もっと派手な能力なら出世も出来るのだろうが、目視を必要とするなど制限も多いため、仕事は選ばれてしまう。
今のようなお誂向きの仕事は、年に数度、あるかないかだ。
無論、分身に戦わして自爆するとか、危険物を処理するなど応用してこなせる仕事を増やしてはいるが、体質的に身体は強くはないので限界はあり、あまり出世は出来ない。
せめて、もう少し腕っぷしが強ければ分身に格闘をさせたりできるのだが、男は自爆覚悟で相手にしがみつくのがやっとだった。
「お、見えてきたぞ」
色白な東洋人が笑うように言う。
男はズーム機能付きの望遠鏡でジェット機を見つけると、分身を飛ばした。
国際線のエコノミー席では、誠は美鳥のファッションチェックを受けていた。
「だいたい熱帯の島にバカンスに行くのに、無地のポロシャツってどうなのよ」
「忙しくて買う暇が無いんです。
現地でそれらしい……、ラミールシャツを買いますよ」
「せめてズボンだけでもハーフパンツとかに出来ないの?
それとも忙しくて処理が間に合わないのかしら?」
「僕は元々そういうの無いんですよ。
ハーフパンツはまだ衣装ケースにしまってたんで、これもシャツに合わせて買いますよ」
「確かめるわ!」
誠が止める間もなく、美鳥が誠のグレーのチノパンをめくり上げた。
たが、そこには毎日真子が手入れを欠かさないツルツルの足と短いソックスがあるだけだった。
「さすがわ芸能人ね……」
美鳥は唸った。
「止めてくださいよ。
今はメークしてないんだから。
でも、似てる、とか言われちゃうんですよ」
眉毛を書き足して印象を変え、目は影の力で一重にする。
肌の色などは少し影をまとう事で白くも黒くもできるため、誠は一見すると普通の小柄な少年だが、一瞬でUにする事も可能だった。眉毛を描いた皮膚ごと変形させられるようになっているのだ。
幽霊たちは好き勝手に飛行機を楽しんでいたが、星輝が、
「誠!
天井になんか変な生き物がいるよ!」
大きさは子猫ぐらい。
グレーの皮膚が天井と完全に一致して保護色になり、目立たないが、掌で天井に張り付いている。
だがこの生物、子猫程の顔は、中年の男の鬱屈した姿なのだ。
妖怪!
誠はおぞけるが、今の誠は妖怪と仲良しと言ってもおかしくなかった。
大地母神が、誠との連絡係りに小さなトカゲを渡してくれたのだ。
これは人間にも変身でき、信と名乗っている。
いつもは幽霊同様、自由に過ごしていた。
「いや、あれは影繰りだぜ」
信は教える。
「どうやら情報が敵対機関に漏れていたようだな。
奴は小型の爆弾を持っている。
高度一万メートルで爆発すれば、この手の旅客機なんかはバラバラだ」
幽霊で取り囲むと、影繰りは爆弾を床に転がし、消えた。
(透過したのか?)
誠は驚くが、信は、
(外に出たってお前じゃないんだ、死ぬだけだよ。
多分、お前のダチの筋肉少年の兎みたいなものなんじゃないか)
影の動物よりははるかに鮮明に実体化し、しかも物を運ぶことが出来る。
これはなかなか強い能力だが、誠には透過があった。
小型爆弾は即座に空中に落とされた。
コンテナ船では、期待を込めてラミール航空のブルーの機影を痩せ過ぎの浅黒い男と色白の東洋人が眺めていたが、爆発は飛行機のはるか下で起こった。
「参ったな。
多分、透過能力を持つという餓鬼の仕業だろう」
東洋人はしかし明るく言う。
「これはやはり、餓鬼を暗殺するのが先のようだな」
「暗殺か。
それなら得意だが、まさか失敗したからサービスで暗殺しろ、なんて言わないよな?」
フリーの影繰りはランクが上がらない限り、安い賃金でこき使われる。
「心配するな。
餓鬼はランクAの賞金首だ。
うちからはギャランティはないとしても、あの餓鬼を殺せば3億ドルの賞金が手に入る。
悪くないだろ?」
影繰りには色々なランクがある。
軍師的に大きな仕事をする奴は、無論、大きく名を上げるが、高い賞金首を取った物も、暗殺者として名を上げられる。
痩せた小男は、細いために余計に長く見える手足を震わせて、
「中抜きなんてするなよ」
東洋人を睨み、太った東洋人が慌てて首を振るのを見ると、キキキと歯軋りをするような音を立てた。
どうやら、笑ったらしかった。
諜報調査室になった途端、こうなるんだな。
と、誠は初の海外勤務に身を竦ませた。
もう既に、誰かが誠たちを狙っているのだ。
周りを幽霊たちに調べてもらっても、得に怪しい物は、空にも海にも無かった。
さすがに潜水艦までは分からないが、敵はとんでもない長い射程を持った影繰りらしかった。
射程が長いほど敵を発見しづらい事を考えると、やはり敵のレベルが世界クラスになっている、と誠は実感した。
「美鳥さん……」
誠は、今の事を美鳥に話した。
「この飛行機、どのくらいの高さをとんでいるのかしら」
「さっき機長が三万五千フィートと言ってましたから、一万数千メートルですね」
美鳥は眉間に皺を寄せ。
「周囲に飛行物体は無いのね」
「探した限りでは」
「もし船からの攻撃だったら射程が一万メートルよ。
どこかのミサイル並みの射程だわ」
現代のミサイルはその十倍ぐらいは平気で飛ぶが、影能力の射程としては、おそらく魔弾の射手よりも上だろう。
ただし確実に仕留める、という能力は無いようだが。
しかしホテルで寝込みでも襲われたら、かなり恐ろしい。
また、相手はどんな物でも持って来られるため、毒ガスなどの誠の苦手な攻撃を仕掛けられたら逃げ切れるとは限らない。
しかも敵本体は一万メートル先にいるのだ。
探りようが無かった。
「まあ、蝶である程度は感知できるかもしれないから目立たないように着けておきましょう」
黒い蝶をブローチのように誠の髪に付ける。
美鳥も同じようにした。
敵が影繰りなら影は分かるが、全く動かない小さな物なら、余程繊細な感知能力の持ち主でなければ見過ごす可能性が高い。
飛行機は、あと数時間でラミール国際空港へ到着する。




