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ヘレナおばあさまはお見通し ~この婚約破棄、得したのは誰?~  作者: ソーカンノ


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9/12

第9話 『決心』

 ……デッドロック家に送還されたときのことは、あとになってマーキスおとうさまから聞かされた。


 様子を見に戻ってくれた門番がいなければ、わたしの命は危なかったらしい。彼は自らの立場を顧みずわたしを宿に運んでくれ、デッドロック家へと伝令を走らせてくれた。


 低体温症による衰弱が快方に向かい始めた頃、宿におとうさまが到着した。寝たきりでまだ意識がぼやけていたわたしは、おとうさまが宿の主人と話し合う姿をうっすらと覚えている。


 ここはユースティー領の街で、わたしの身を長くは残しておけなかったのだろう。重病人を移送するための馬車が手配され、寝たきりのわたしはベッドごと故郷へと運ばれることとなった。


 帰郷から三日後、ようやくわたしは意識を取り戻した。


 傍らではマーキスおとうさまが椅子に腰かけていた。けれど、お産のときとはすべてが違っている。無言でわたしを抱きしめて、部屋を出てゆく。なにも訊かないのは、おとうさまなりのやさしさに違いなかった。


「…………」


 わずかに残った希望の火が搔き消えた、そんな心地がした。


 窓から外を見ながら療養に努めた。ユースティー領とは違い、ここは真冬でも雪が降らない。あの子が雪に凍えている姿を心に描きにくいだけ、まだしも救いになっていたのかもしれない。


 体調が戻ると、外に散歩に出かけた。冬枯れの季節が終わり、春めいた陽気が顔を出し始めても、凍てついた心の氷まで溶かしてはくれない。


 あれから、カイルのことをずっと考えている。たぶん予感があったからだ。あの日に使用人頭がいっていたこと。館の中にカイルはいたはずだ。わたしの手紙に帰郷を促されて。でも出てきてはくれなかった。その理由がきっと存在する。


 真実は空気に滞留していた。巡り巡ってわたしの耳にも届いた。


 とある春の日、カイルについてのうわさを耳にした。悲しさより先に、納得があった。


 風は凪いだ。カイルという羅針盤も失ってしまった。だだっ広い人生という大海原の真ん中で、わたしは迷子になってしまったのだ。後にも先にも、やりたいことはなにもない。無為に流れてゆく時間を、惜しいとさえ思うこともない。


 ただ、ときおり想像することはあった。

 カイルと、わたしと、わたしたちの赤ん坊が過ごす幸福な日常を。


 それはかつて手の届く場所に置かれていたのものだ。わたしが無事にお産を終えてさえいれば、絵空事でなく今も存在していたはずのものだった。



(カイル……あなたの夢を踏みにじってしまってごめんなさい。あなたからまた家族を奪ってしまってごめんなさい)



 心の中で何度謝ったって、許しを乞う相手には二度と会えないかもしれない。だけど――。



(ごめんね、丈夫に産んであげられなくて。至らないお母さんでごめんなさい)



 ふたりを想って涙を流すことくらいしか、わたしにできることはなかったのだ。


 時は巡る。無情にも。がらんどうになったわたしも季節の変化とともに新たに年を重ね、大人への階段を確実に登ってゆく。


 このままじゃいけないと思ったのは自発的な発想ではなかった。おとうさまや周囲の人たちのやさしい眼差しは、きっといつまでだってわたしをこの場所にいさせてくれる。けれど彼らは暗にずっと心配してくれてもいた。死産を経験し、婚約者を失ってしまったわたしのことを。


 証明しなければならないと思った。たとえそれが嘘であったとしても。前を向き、歩き出す姿を見せなければ、きっとみんなの心はわたしから解放されない。


 やきもきとした気持ちを抱えていた。そんな矢先の出来事だった。出向先の仕事場で、ヘレナおばあさまがケガをされた。階段でつんのめった際にお膝を痛められ、しばらくは寝たきりで過ごさなければならないほど症状は重いという。療養のためにデッドロック家の館に戻り、介助人の手助けが必要であるとのことだった。


 ――考えるより先に、わたしは名乗りを上げていた。


 今になって思い返せば、当時のわたしは良い子ぶろうとしていたのだと思う。規則正しい生活に戻り、明るい笑みを絶やさず、口調も改める。ヘレナおばあさまのおケガはそんなわたしを作るための千載一遇のチャンスだった。


 当人はどう思っておられたかはわからないし、最初はつっけんどんにあしらわれもした。ひょっとしたら内心でわたしの意図を悟っていらっしゃったのかもしれない。けれどわたしはひたむきに、甲斐甲斐しくお世話を続けた。良い子の役を演じ続けたのだ。


 そのお蔭かはわからないけれど、ヘレナおばあさまの態度は徐々に柔らかくなり、ぽつぽつと出向先でのお話をわたしにしてくれるようになった。


「これはあたしが見てきた話だけどね、カーノース家の当主争いってのは……」


 ……そのお話は、わたしにとって衝撃だった。


 ヘレナおばあさまの舌はいつだって真実を語る。事件の皮相に隠された、真実の姿を暴き立ててくれる。介助のリップサービスのつもりの裏話が、いつしかわたしが離れに通う本当の目的になるまでに、大した時間はかからなかった。


「リラ……あんたは本当にうわさ話が好きだねえ」


 はいヘレナおばあさま。わたしはうわさ話が好きです。手が届かないくらい高貴な人たちですら、薄汚い隠しごとを持っているのを教えてくれるから。


「そんな話ばかり好むのは、趣味がよろしくないんじゃないかい」


 でもねヘレナおばあさま。リラ・デッドロックは性根がひん曲がっているんです。その娘はきっと知りたがっています。絶望はこの世界のどこにだってある。苦しいのは自分ひとりなんかじゃないって。だからリラは、ヘレナおばあさまが語ってくださるお話が、とってもとっても大好きなんです。


 しあわせになれなかったわたしに最後に残った、唯一の救いなんです。


 ヘレナおばあさまのいる離れは、さながら大海原の小さな孤島だった。漂流者であるわたしは流されないよう、そこに必死にしがみ付いている。手を離さずにいれば、波に飲まれさえしなければ、身の安全だけは保証されているから。


 祈りと手紙の日々を送るうち、だんだんとわかってきたことがある。


 わたしは今までヘレナおばあさまの身の回りのお世話をしてきたんじゃない。その身にずっと縋りついていたんだと。助けている振りをして、自らが生きる意味や役回りを、すべて押し付けていたんだと。


 けれど――そんな生き方、もう終わりにしなくちゃいけない。


 今のわたしに必要なもの。それは掴んだ手を離す勇気だ。果ての見えない大海原に再び身を委ねなければ、本当の意味での人生は始まってくれない。


 わたしは足を持っている。自由に動く二本の足を。立ち上がらないのは臆病だからだ。前を向けないのは先を見るのが怖いからだ。けれどもう終わりにしよう。これ以上この場所で、自分の人生の時間を無駄にしてはいけない。だから――。


 わたしは、わたし自身の絶望と今度こそ向き合うことにする。





 ――両手を合わせ、顔の前に掲げて、あなたの無事を祈る。


 血と土煙の吹き荒ぶ戦場に、あなたは立っている。敵との果てなき戦いに消耗し、身も心も疲れ果てて。わたしはただ瞼を閉じ、そんなあなたの姿を想像する。そして願っている。どうかその身に災いが訪れませんように。あなたのふるさとに、無事に帰りつくことができますように。


 あなたの未来を、あなたのしあわせをただ願っている。


 でも、ときに魔が差すことがあった。わたしは想像した。あなたの隣にわたしがいる未来を。あなたはわたしに微笑みかけ、わたしもあなたに微笑みを返す。そんな幸福な日常の、ほんの些細な一幕を。


 カイル、今だからいいたいことがあるの。わたしはもう一度あなたに会いたかった。あなたと話したかった。あなたに微笑んで欲しかった。あなたに触れたかったし、わたしに触れて欲しかった。でも、それはもう願ってはいけないこと。


 手紙には、わたしの近況を書いた。最後に必ずあなたの無事を祈った。けど、本当はわたしの気持ちも伝えたかったんだよ。あなたがいなくなってどんなに寂しかったか、どんなに悲しかったか、慰めて欲しかったのか。でも、それはわたしのわがままだから。今のあなたに願うことは許されていないことだから。


 わたしの思い描いた未来。それはもう、わたしの前にはない。戦場から無事に帰ってきたあなたの隣には、わたしとは違う女性がいる。彼女はきっと、あなたに贈り物をくれるだろう。新しい家族という、至上の宝物を。


「……でも、それでいいの。ううん、そうでなくちゃいけない」


 わたしは瞼を開けた。静謐な礼拝堂にひとりごとを残し、立ち上がって前を見た。今日捧げた祈りにも、わたしは自分の願いを混ぜたりしなかった。


 館を出て、渡り廊下を歩く。この先に待っているのは、ずっとわたしの味方でいてくれた人。わたしの止まり木であってくれた場所。でも、それももう終わり。わたしは、わたし自身の意志と足で歩き出さないといけないから。


 扉を開けたとき、その女性は少し驚いた顔をした。けれどすぐに微笑みを浮かべる。きっとずっと前から、今日のような出来事が起こるのを待ち続けてくれていた。


「なんだい。今日の分の世話なら、さっき終えたばかりじゃないか」

「ヘレナおばあさま……今日は、どうしてもお話したいことがあって」


 やさしい笑みを浮かべ、ヘレナおばあさまが自らのベッドを叩く。

 わたしは指定席の椅子ではなく、その場所へと腰かけた。


「いろんな話ができるよ。王侯貴族の恋愛話、政争劇、金銭騒動、決闘問題、遺産相続の揉めごとだって……今日はどんな話が聞きたいんだい。リラ、いってごらん」


 わたしは俯き、小さな子どもがそうするように大仰に首を振った。


「ヘレナおばあさまはなにも話さなくていいんです。今日お話するのは、わたしの方だから」

「リラが? どんな話だい?」

「わたしとカイルの話」


 俯いて、わたしは自分の膝に語りかけるように声を出す。


「やっとわかったんです。ヘレナおばあさまが、どうしてわたしに祈りと手紙の日々を教えてくださったのか。その、本当の意味が」


 首を捻り、ヘレナおばあさまのお顔を見る。やさしい眼差しが、わたしの言葉を待ってくれている。


「すべてはカイルのためじゃない……わたしのためだったんですね」


 ヘレナおばあさまは小首を傾げる。肯定にも、否定にも取れる曖昧な所作。でも迷うことなんてない。答えはもう導き出しているのだから。


「わたし、ずっと思ってきました。カイルはわたしの運命の人だって。一緒に未来を紡いで、家族になる相手なんだって。でも、一心に祈って、祈り続けて、その時間の流れの中にい続けてやっと理解したんです。カイルはわたしの半身じゃない。わたしとは別の考えを持った、自律した別の人間なんだって」


 祈りとは、カイルの無事を願うこと。

 でもそれはことの本質じゃなかった。


 カイルを思い浮かべることで、そしてなにも求めないことで、カイルがわたしとはまったく別の人間だと認識するための行為だ。おかしな考えかもしれないけど、その時間はわたしにとっての『癒し』だったのだ。


「……手紙を、書きました。カイルに今のわたしのことを伝えたくて。わたしはここでも、カイルになにも求めませんでした。ヘレナおばあさまのいいつけを守って、その身の無事を願っていただけ。でもそのお蔭で、バラバラだった心の中身を整理することができたんです」


 カイルはもう、わたしの隣にはいない。

 その身は遠く離れた南の戦場にある。


 わたしの眼の届かない場所で、自分の運命と必死に対峙している。その意志に、決定に、わたしが介入することなんてできない。


「カイルは、わたしと赤の他人です」

「そう……やっと受け入れることができたんだね」


 やさしい声音の持ち主に、わたしは眼を見てしっかりと頷きを返す。


「つらかったろうね、その事実を認めることは」

「はい……でも、いつまでもこのままじゃいられないから」


 頭を上げて、周囲を見渡す。離れにヘレナおばあさまが来られてから、どのくらいの時が流れただろう。


 わたしは、自分がヘレナおばあさまのお世話をすることで役割を得たつもりになっていた。けれどそれは違っていた。迷子の子どもがそうするように、一番近くにいる大人に必死にしがみ付いていただけ。


「前に、おっしゃっていましたよね。わたしには自由になる足があるって。その通りです。今のわたしは健康そのもので、自分の足でどこへだって歩いて行ける。なのに、どこにも行こうとしなかった。きっと怖かったんです。この離れから出てゆくことが。カイルのいない、わたし自身の将来を考えることが……でも、もう大丈夫」


 ――そう、大丈夫よね、リラ。


 わたしは自分に言い聞かせて、力強く頷いて見せた。

 そしてヘレナおばあさまのお顔を直視する。


「ヘレナおばあさま。ひとつお願いごとがあるの」

「なんだい? 私にできることならなんだって叶えようじゃないか」


 その声の響きには慈愛があった。わたしの意思を見通して、あえていってくれたのだとわかる。いつだってそこに戻ってこられるように。でも、もう振り切らなきゃいけない。これ以上誰かに縋って生きるわけにはいかないから。


「……わたしのこと、もう心配しないで欲しいんです」


 一瞬だけ、眼を細める。それからわたしを見守る薄笑み。


「こんなおばあちゃんに、可愛い孫娘のことを心配するなというの?」

「ずっと迷惑をかけてきました。でも、わたしはもう大丈夫だから」


 ……ああ、なんて情けないんだろう。


 大丈夫だって宣言したその口で、わたしは逆のことをいいたがっている。迷惑をかけてきたってわかっていながら、眼に涙まで溜めている。なんて弱くて、勇気のない娘なんだろう。


 程なく決壊して、ぽろぽろと流れ始めた涙を、わたしは手の甲で何度も何度も拭い上げた。


「ずっと心配させてごめんなさい。カイルのことを忘れたくなかったの。立ち上がるのが、ここから出て行くのが怖かったの。ひとりぼっちになったって認めたくなかったの……」

「リラ、おいで」


 小さな子どもみたいに泣きじゃくるわたしの頭を抱き寄せ、ゆっくりと撫でてくれる。


「人は簡単に強くなれないもんさ。でも、あんたは勇気を出したね」

「ごめんなさい……こんなはずじゃ……」

「いいよ。いい。あんたは前進した。一歩前に進んだんだよ」


 ヘレナおばあさまの背に両手を回して、わたしは声を上げて泣いた。ケガのせいで同じ体勢を維持するのもつらかったろうに、ヘレナおばあさまはそんなわたしの頭を抱えて、ずっと撫でていてくれた。


 ひとしきり泣き終えたわたしは、ベッドから起き出したヘレナおばあさまと並んでベッドの縁に腰かけた。


「……ヘレナおばあさま」

「なんだい」

「わたし、これからいろんなことをしてみようと思うの」

「良い心がけだね」

「残念だけれど、ここにもあまり来れなくなると思う」

「良いさ。こんな年寄りに、孫娘といる日々なんて過ぎたご褒美だったんだ」


 白い指。ヘレナおばあさまの肩に頭を預けたわたしの髪を、やさしく解きほぐしてくれる。


 その心地良さに浮かされて、つい甘ったるい声を出してしまう……。


「あのね、ヘレナおばあさま」

「なんだい……いいにくいことかい」


 少し口を噤んでから、思い切って言葉にした。


「もういなくなってしまった人に心を残すのは、愚かなことなんでしょうか」

「そいつは、ちと難しい質問だね」

「ごめんなさい、でも……ヘレナおばあさまの答えが聞きたくて」

「そうだねえ」


 ヘレナおばあさまは焦らず、時間をたっぷりと使って考えを纏め上げてくれた。


「決して叶わない望みを願い続けるのは、そりゃあ苦しいもんさ。きっとこの世界にあるどんな苦しみよりも苦しいだろう。けど、費やした時間はムダにはならない。そいつは自分自身と向き合い続けることと同じなんだ。自分を知り、自分の痛みと向き合い、受け入れる。それができたら、きっと誰にだってやさしくできるようになる」


 覗き込むようにして、ヘレナおばあさまがわたしの顔を見た。


「だからね。リラ、あんたはこの世界の誰よりも素敵な女の子になれるんだよ」

「わたしが?」

「そうだよ、可愛い孫娘。これから私の自慢になってくれるかい?」


 面と向かって訊かれても、自信なんて持てない。持てっこない。だけど――。

 わたしは頷いた。何度も何度も頷いた。そうしてヘレナおばあさまの顔を見た。


「……わたし、なります。ヘレナおばあさまが胸を張れるくらいの、自慢の孫娘に」

「約束だよ」


 差し出された小指を、じっと見る。それからわたしは服の袖で眼元の涙を拭い、決意とともに自らも小指を差し出す。


 子どもの頃にした、ゆびきりげんまんの約束。大人になった今やるのは少し気恥ずかしい気がするけれど、わたしはきっとなってみせる。ヘレナおばあさまが自慢することのできる、立派な孫娘に。


 お互いに深く頷き合い、実際に指を絡めようとした、その矢先だった。


 乱暴なノック音が響き、蝶番が回ることを確認するやいなや、捻って室内になだれ込んでくる人影があった。


「リラお嬢様!! 良かった!! ここにおられ……うおあぁっ!?」


 などと大声を張り上げて、入り口で固まる人影。真っ赤に眼を腫らし、鼻を啜り上げているわたしに先んじて、ヘレナおばあさまの容赦ない怒号が飛んだ。


「ちょいとあんた!! いったいどんな了見があって断りなしに室内に乗り込んできたってのさ!! 今私と孫娘で睦み合ってる最中じゃないか!!」


 がるる、と猛犬もかくやの勢いで牽制してくれたところ申し訳ないのだけれど、わたしからヘレナおばあさまにいっておかなければならないことがある。


「ヘレナおばあさま、レオナルドです」

「レオナルド? ……じゃあ、あんたが郵便馬車の?」

「も、申し遅れました。以前よりリラお嬢様のお手紙を配達させていただいておりました、レオナルドでつっ!!」


 ブンっと頭を振り下ろしながら思いっきり噛んでる……けど、今はいじっていいような空気じゃない。


「そのレオナルド某が、血相変えてどうしたってんだい」

「はあ、それが……まだうわさを耳にしたばかりで、確定段階ではないのですが……」

「はっきりしない男は嫌いだよ!! リラの顔見てしゃきっとしゃべりな!!」


 シュバっとこちらに手を伸べたヘレナおばあさまに促され、わたし? といった感じで自分で自分を指差すわたしへと、レオナルドが佇まいを正した。


「北西の領境の街道で、馬を駆る騎士らしき男性の姿を見た者があると」

「それ、きっとカイルだわ……そうなんでしょう?」


 問い返すわたしへと、力強く頷くレオナルド。


「馬車の準備は整っております。お望みであれば、今からでも探しに行けます」


 咄嗟に立ち上がりかけて、後ろ髪を引かれた。わたしが今やろうとしてることは、これまでの自分の想いや、ヘレナおばあさまのお気持ちを裏切るものではないだろうか?


 不安は、大きく広がる前に解消された。わたしの背に、温かなヘレナおばあさまの手が添えられている。そして、ポンと背中を押してくれたのがわかる。


「決着を付けてきな。きっともう、チャンスは巡らないよ」

「ヘレナおばあさま……はい!! わたし行ってきます!!」


 ベッドから飛ぶように降りて、扉へ向かう。指で帽子の鍔を下げ、踵を返すレオナルドの背に続き、午後の陽光が満ちる外の世界へと。


 離れのベッドに腰かけたまま、きっとヘレナおばあさまはわたしのことを見守ってくれている。そんな確信があった。


 だけどわたしは前だけ見ていた。決して後ろは振り返らなかった。

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