第8話 『モルテム・ユースティーの理』
風とともに聞こえてくる、南の戦況は思わしくなかった。
南方遊牧民の侵入は頻度と激しさを増し、国境防衛部隊は苦戦を強いられている。絶えざる波濤が堤防を徐々に削り取るように、最前線で戦う一般兵のみならず、方々から募った勇士たちの中にも死者が出始めた。
その知らせは、南方から帰ってきたレオナルドの口からもたらされた。
「それ、本当なの……カイルが亡くなったって……?」
足元で、買ったばかりのりんごが割れていた。わたしが籠ごと落としてしまったものだ。
レオナルドは眼を伏せ、否定のために首を振った。
「……それらしき勇士の亡骸が出たと」
「じゃあ、カイルじゃない可能性は」
「もちろん存在します。ですが、先の作戦以降、カイル様のお姿を見た者がいないそうなのです。亡骸はユースティー領にご移送され、ご家族立ち合いの元、身元確認のための検分が行われます」
頭を殴られたようなショックだった。けれどまだ、首の皮一枚で繋がっている。
亡骸はカイルの可能性が高いだけで、そうと決まったわけじゃない。
自分でも不思議なのだけれど、ここでわたしは皮肉げな笑み浮かべた。
今のお話の、あまりにも不自然な点に気づいたからだ。
「あの人は見たの?」
「あの人……どなたでしょうか?」
「モルテム様よ。カイルの父親なのだから、息子かどうかくらいわかるはずでしょ」
心情的な道理なら通っている。愛する息子の死に顔なのだ。
たとえ傷ついていたって、父親ならば確認しようとするはず。
ひょっとすると、わたしの顔に尋常ではない色を見たのかもしれない。レオナルドは一歩退いて生唾を飲み込むと、言葉を選ぼうとした。
「顔面部の損傷は、特に激しかったらしく」
「事実を答えて欲しいの。あの人は見ようとした?」
「それは……戦闘での疲れを理由に、あとのことは家の者に任せると」
やはりそうか――わたしの胸に、氷のように冷えた納得が生まれる。
「そうなのね」
「リラ様……?」
気の毒なことに、レオナルドを少し怖がらせてしまったかもしれない。
わたしはいったん首を振り、笑顔に戻って努めて明るい声を出した。
「ごめんね、変なこと訊いて」
「いえ……それよりカイル様のことですが」
「わたし、あきらめないよ」
しゃがんで、まだ無事な分のりんごを拾って、再びレオナルドに向き直る。
「カイルが死んだって確定しない限り、わたしはあきらめない。これまで通り女神様に祈りを捧げるし、手紙だって書き続ける。例え返事がこなくたって構わないの。自分にできることをやるだけだよ」
籠を腕にかけると、ポケットから今日の分の手紙を取り出して渡す。
「戦火が激しくなれば、これまで通りにはいかないかもしれない。手紙を届けられる頻度も少なくなるかも。無理をいうつもりはないわ。けれど、もうしばらくの間だけ、あなたの力を貸して欲しいの」
レオナルドは手紙と、そしてわたしの顔を見比べた。感極まったようなその眼の縁に、水気がじわりと滲んでゆく。
「お強くあられるのですね……私も、カイル様のご無事を願っております」
「あなたにはお世話になりっぱなしね」
「もったいないお言葉です。今後も力になれることがありましたら、どのようなご用命でもお申し付けください」
両手を使って手紙を拝領し、わたしに向けて恭しく一礼すると、レオナルドは自身の持ち馬車へと乗り込んだ。
去ってゆく馬車の背を見送りながら、わたしはひとりごちずにいられなかった。
「本当に、わたしは強くなんてないのよ……」
◇
祈りの時間は、わたしになにを与えてくれたのだろう。
早朝に加え、午後にも祈りを捧げ始めてしばらく経つ。無心に祈っていると、意識の底から鮮明に甦ってくるものがある。それはまだ幸福だった時間。わたしの隣にカイルがいた頃の、遠く甘やかな記憶。
どれほどしあわせな時間にも終わりはやってくる。
だからこそ、わたしは今祈りを捧げているのだから。
主治医と別れてからきっかり三日後、意外な人物の訪問を受けた。ノックもそこそこに入室してきたのはマーキスおとうさまで、ベッドにいるわたしの元へと一目散に駆け寄って、その身を抱きしめてくれたのだ。
「リラ……ひとりにしてすまなかった!! つらかったろう!! 寂しかったろう!!」
先に泣き始めたおとうさまに当てられて、わたしもまた泣きながらその背に腕を回した。抱擁を交わしたまま泣き疲れると、身を離しておとうさまの方から切り出してきた。
「外に馬車を回してある。これから私と一緒にここを出よう」
「ここを……? でも、ここはもうわたしの家でもあるはずです」
返答しづらい箇所に切り込んでしまったのかもしれない。
おとうさまは一度口を噤むと、わたしの顔から少し視線を逸らした。
「詳しいことは馬車の中で話す。それじゃあダメかい」
「でも、わたしまだカイルにも会えていません」
そうだ。カイルとは約束がある。生きて、また会うという大事な約束が……。
「カイルとは会えない」
「どうして……」
「悪いが説明はあとだ。私が支えになるから、馬車まで歩こう」
含みのある言い回しに、心のどこかで悟るものがあった。わたしは差し出された手を取って立ち上がると、おとうさまに身体を支えてもらって、お産以来となる部屋の外へと足を踏み出した。
わたしを取り巻く世界は変わり、二度と元には戻らない。
人生のターニングポイント。それはいつだって唐突にやってくる。
「……どうか冷静に、気を強く持ってね」
馬車内にて、気構えを作る時間ならあった。それにうっすらと勘付いてもいた。ユースティー家に嫁入りを果たしたわたしが、家の者に誰にも会えないまま家族の元へと帰される。その理由なら、痛いほど胸に沁みていた。
話の最中も取り乱さずに済んだ。悲しみはじわりと、遅れてやってくる。話を負えたあと、口を引き結んだまま涙が溢れて、わたしは両手で顔を覆った。
隣に座るおとうさまがわたしのことを抱きしめてくれて、存分に涙を流すための胸を貸してくれた。
「力になれずすまなかった……私は、父親失格だ」
「ううん、そんなことない!! わたしが悪いの!! わたしがカイルとの結婚を早めてしまったから……!!」
首を大きく振って、今にも感情を決壊させそうになりながら、わたしはおとうさまへと何度も謝った。
「リラ……いじらしい我が娘……お前に涙を流させる私が憎いよ。すべてはカイルのことを思いやっての行動だったというのに」
わたしの頭を掻き抱いたまま、おとうさまが天を仰いだ。
「健気な娘の一途な願いを、どうして聞き届けてくださらなかったのか……天におられる我らが女神も、それにモルテム殿も!!」
準男爵家と子爵家には、歴然とした家格の差がある。辺境の田舎貴族に出自を持つデッドロック家と違い、ユースティー家は名の通った騎士の家系だ。その権威も、名声も、隣に並び立つようなものではない。本来なら、わたしが嫁入りできるような家系ではなかったのだ。
モルテム様のご判断は、鶴の一声だった。おとうさまは何度も直談判の機会を持とうとされたらしい。その都度すげなく断られ、ついに決定は覆ることがなかった。わたしは、ユースティー家から離縁されてしまったのだ。
実家に戻り、カイルのいない生活が始まる。思い描いた未来絵図が搔き消えてしまったあとの、ぽっかりと空いた空白の時間。
なにもすることがなかった。おとうさまを含めた周囲もわたしを咎めない。いつもやさしく声をかけてくれたけれど、どこか腫れ物に触るような緊張感もまた存在していた。
「カイル……あなたに会いたいよ」
夜空を見上げて、涙を流す。わたしの心は死んではいなかった。なぜなら、いつだって夜は夜明け前が一番暗い。カイルとの再会の機会はきっと訪れる。その希望だけを胸に、やりすごすように日々を重ねていた。
やがて時が満ちた。
貴族学院時代の友だちから便りがあったのだ。
一家の所領のすぐ近くの施設に、カイルらしき人物が逗留しているとの報告だった。わたしは急いで友だちと連絡を取り、そしてカイルに取り次いでもらえるよう手紙を書いた。
マーキスおとうさまに隠れて、ユースティー家にも手紙を送った。
内容は面会の機会を得たいということと、都合のつく日程について。
色よい返事は期待できなかったけれど、意外なことにモルテム様直筆の返信があった。わたしの希望する日時を教えろとのことだった。
「随分と、とんとん拍子に話が進むのね……」
不審に思う気持ちもないではなかった。わたしに芽生えた希望がそれを打ち消した。窓の外には雪がちらついている。赤子を亡くしてから季節が巡っていた。
約束の期日が迫り、ひとり旅支度をする。家の者には気分転換のための旅行だと偽っていた。楽しそうな素振りを見せると、マーキスおとうさまが安心したような笑顔を見せる。「楽しんでおいで」と声をかけられたとき、返事とともに良心が痛んだ。だけど、これで良いとも感じていた。わたしが丸く収めさえすれば、すべてそそがれる程度の、些細な罪だと思ったから。
「……行ってきます」
事前に雇った偽りの従者と別れ、わたしは小高い丘の上からデッドロック家の館を振り返った。ユースティー領までの旅路は短くない。女ひとり旅の不安だってある。でもわたしはやり遂げてみせるんだ、絶対に。
当初の心配とは裏腹に、旅は順調に進んだ。行商人の振りをしていたが、貴族のお忍び旅行だとバレていたのかもしれない。出会う人たちはみんな親切にしてくれたし、こちらを欺こうともしなかった。
唯一気がかりなのが、北進するとともに強まる寒さで、わたしは何度も衣服を買い足さねばならなかった。吹雪が特に強い日は宿で足止めを食い、予定していた旅程が遅れることもあった。
新雪に馬の足跡を残しながら、わたしは北へ、カイルのふるさとへとただひたすらに進んでいった。最後の宿駅で一泊し、わたしはとうとうユースティー領へと入った。
ユースティー領最大の街。ここまで来れば、わたしとしても勝手知ったる風景が広がっている。
かつておとうさまとおかあさま、それにわたしとでカイルに会いに何度も往復した思い出が残る道を行き、やがて一際大きな館の門が見えてくる。
「ここにカイルと、モルテム様が……」
大きな館を見上げたとき、強い北風が吹いた。ここに至るまで、積もった雪に足跡を残し続けてきた。本格的に吹雪き始める前に、暖を取らなければ。
門の前まで歩くと、不審に思った門番が声をかけてきた。
「貴様、何者だ」
わたしは被っていたフードを捲り上げ、面通しするように門番の顔を見た。
「デッドロック家がひとり娘、リラ・デッドロックといえばおわかりでしょう。本日はご当主様との面会のために来ました」
「そのような話は聞いておらん」
話が通っていない……?
そんな、日取りを間違えてなどいないはず。
「ならば確認を。リラが来たと伝えればおわかりになるはずです」
「確認を取るまでもない。帰れ」
「そんな……ここまで何日もかけて旅をしてきたのですよ!? いいから伝えてください!!」
頭にきたわたしが躍起になっても、門番の態度は頑ななままだった。暴力にこそ訴えなかったが、ともかく帰れの一点張りでお話にならない。
「……なにをしている」
騒ぎを聞きつけて、門脇にある小さな扉から別の人物が出てきた。口論になっている門番より二十は年上に見える。
「使用人頭ですか。実はこの女が意味不明なことを申していまして」
「中に入れてください!!」
「あ、コラ!! 騒ぎ立てるなというに!! ……それでまったく引き下がる様子もなく難儀しておったわけでして」
ほとほと困り果てた様子で門番が使用人頭を振り返ると、この壮年の男性は右眼にあるモノクル越しにわたしのことをまじまじと見た。
「ふむ……リラ・デッドロック様ですね」
「は? この不審者がカイル様の元婚約者様ですと!?」
「さっきからそういっているでしょう!!」
ここぞとばかりに壁になっている門番を回り込むと、わたしは話のできそうな使用人頭に向けて語りかけた。
「モルテム様に会わせてください!! アポイントメントなら事前に取ってあります!! 話し合いにはカイル様もご同席なさるはずです!!」
息せき切って捲し立てたものの、使用人頭に動じた様子はない。わたしの爪先から頭の天辺まで、舐めるようにじろりと一瞥しただけだ。
「そのような話、当主からは伺っておりません。どうかお引き取りを」
「そんな……!? な、ならばカイル様に取り次いでください!! きっとわたしと話したいとおっしゃるはずですから!!」
断言したものの、線の細い賭けだった。デッドロック領からカイルの逗留地へは、距離の都合上返事を待つことができなかったのだ。
その主張のもろさは、使用人頭も熟知していた。
「はて? カイル様が当館にお帰りになっていると、どこでお聞きになられたのですかな。そのような事実を触れ回った記憶はありませんが……」
「そんな」
口の前で手を開き、言葉を失うわたしに、しかし使用人頭は――。
「ですが肯定いたしましょう。数日前、たしかにカイル様は当館へご帰還なされました。今はご自室にて、旅の疲れを癒していらっしゃいます。ですが私どもの立場としては、リラ様のご用命を叶えるわけにはまいりません。その唯一にて最大の理由として、あなた様はもうユースティー家の一員ではないからでございます」
急所を突かれてなにもいえなくなる。呆然と立ち尽くすわたしに、使用人頭は背筋を伸ばし、恭しく別れの一礼を行った。
「これ以上は尽くす言葉の不毛となりましょう。速やかにお引き取りを」
「ま、待って……!!」
「お前も通常業務に戻れ。リラ様はこのままお帰りになる。なにもせずとも構わん」
会話を打ち切った使用人頭が、門脇にある小さな扉を潜る。そこから施錠の音が響くより前に、指令を受けた門番も無言で自らの詰所へと戻っていった。
大粒の雪が降りしきる中、わたしの身だけを門の前へと残して――。
自らを立たせる力を失って、わたしはその場に腰から崩れ落ちた。空からは無数の雪片が舞い降り、わたしの身体を含めたあらゆるものの上に降り積もる。眼前にある鉄格子の扉は、わたしとカイルとの間を阻む高い壁のように思えた。
いったい何時間そうしていただろう。気づけば水気と泥が混ざって茶色く変色していた道が、絶え間なく降り注ぐ新雪で白く覆われていた。わたしの身もまた、同じく白く上書きされているに違いなかった。
どこか現実離れした意識が、ある声らしき音を捉えた。
「……貴様、まだいたのか」
声の方向に首を巡らせると、詰所から出てきた門番の姿があった。うわごとのように、自動的に口が開いた。
「お願い……カイルに会わせて……」
その要請に答えず、門番がこちらへ歩み寄ってくる。携帯していた武器らしきものをわたしに突きつけたと思うと、それを天に向かって開くのを見た。
「傘くらい差せ。身体に雪が積もっているぞ」
「あ、ありがとう……」
「放り置けといわれたというに、まったく俺も人に甘い」
兜で眼元は見えなかったけれども、彼ははあっと自分に呆れたような溜息を吐いた。わたしの傍らにしゃがみ込む。
「馬はどこに繋いでいる? まさか完全な手ぶらで来たわけでもないだろう。案内すれば、街の外までは連れて行ってやる。デッドロック領までひとりでは厳しいというなら、従者の手配もやってやる。立てるか?」
片手に傘を差したまま、もう一方の手でわたしを立たせようとするが、首を振って断った。
「帰れない……わたし、どうしてもカイルに会わなきゃ……」
「使用人頭の物言いを聞いただろう。粘っても無駄だ」
「お願い、あなたの口からカイルに伝えて。できないなら、モルテム様にでも」
顔を見ると、門番はぎょっとしたあとで眉根に皺を刻んだ。
困り切ったように頭を振ってから、兜越しだというのに頭を掻く。
「あんた、俺の立場わかってものいってるか? そんなことしたら減給ものだ」
「ごめんなさい。でも、もうあなたしか頼る人がいないの……」
「あーもうわかった!! わかったからそんな眼で俺を見るな!! 泣くな!!」
どやされて初めて気づいた。さっきからずっと泣き通しだったことに。
頬に触れる涙が大気に冷やされて、体感としてわからなかったのだ……。
門番は立ち上り、門へ向けて歩く途中でこちらを振り返った。
「先に断っとくがな、どんな結果になっても恨みっこなしだぞ。半刻待って誰も現れないようなら、今度こそあきらめて故郷へ帰れ」
「うん、どうもありがとう」
「ったく、これでしばらく黒パン生活だな……」
ぶつくさと文句をいいながらも、門番は門脇の小さな扉から館の敷地内へと入っていった。
その姿を見てほっとしたからかもしれない。わたしの身に雪に冷やされ続けた凍えが生まれ、思わず両手で自分を掻き抱いて震え始めた。
それから、またどのくらい時間が経っただろう。白く残る息を吐きながら震え続けるわたしの耳が、新雪を踏みしめる圧縮音を耳にした。
顔を上げ、前を見る。鉄柵を挟んだ向こう側に、久しく見ることのなかった面持ちの壮年男性が立っていた。
「モルテム、さ、ま……!!」
その場から立ち上がろうとして、足が縺れた。新雪が降り積もった前方の地面に頭から突っ込んでしまう。凍えた身体が上手く動かなくなってしまっている。
「無様だな、デッドロックの娘よ」
高圧的なその声が、押し潰すように頭上から届けられる。
「門前払いを受けた身で、惨めったらしく居座った気分はどうだ? 門番の膝にまで泣きついて、衆目に情けない醜態を晒した気分は」
わたしは答えない。その質問に答える意味はないから。
雪に埋もれた顔を上げて、モルテム様の巨躯を眼に入れた。
「なぜ約束を破ろうとなされたのですか……書簡の遣り取りでは、会うとおっしゃってくださっていたではありませんか」
恨みがましい視線を受けても、眉ひとつ動かす気配はない。
そもそも、悪いとなどとは毛ほども思っていないのだろう。
「そうだな、それで?」
「それでって……」
「私が素直に貴様の思うようになると信じたのか?」
それは、たしかに話が上手く転がりすぎていると思ったけれど……。
「勘違いしているようだから補足しておく。私が貴様の訪問に許可を出したのは、今後二度とこのような真似をさせないためだ」
このような真似? わたしがいったいなにをしたというの? お産のあと一度も見舞うこともなく、カイルとの離縁を突きつけられたというのに。
武芸に身を捧げた者として、こちらの敵意には敏感だったのだろう。ここで初めて、モルテム様の表情が変化した。
「……私が悪いとでもいいたげだな」
「約束を違えておいて、恨むなというのは筋違いではありませんか」
「道理まで持ち出すか。やはりマーキスは娘の教育を間違えたようだ」
おとうさまを虚仮にされて、わたしはきつくモルテム様を睨んだ。
「あなたこそ、いつも一方的で、傲慢で……!!」
「立場を弁えた発言をしろ。デッドロックの娘」
「わたしを一度も見舞うこともなく、カイルと引き離したではありませんか!!」
倒れ伏した姿勢からの精一杯の叫びだったが、声は掠れていた。きっと体力の限界も近いのだろう。でも構うものか。
「なんの説明もなしに離縁されて、質問すら許されないというの。そんなのバカげてる。わたしとカイルはずっとに一緒にいたのよ。夫婦に、家族になるって、そのための婚約者でしょう!!」
わかっている。わたしの声は負け犬の遠吠えだって。倒れて、凍えて、動けなくなっている女がなにを叫んだって、誰もこわいなんて思わない。ましてや、幾つもの戦地を渡り歩いてきたモルテム様になんて――。
だが、ここでモルテム様が動きを見せた。右腕を上げると、わたしから見て左側前方にある物体を指で指し示した。
「いったいなにを……?」
「落ち度か。娘、貴様は私の過失ばかりを責め立てる。だが貴様にはないのか。今の立場が、大いなる裏切りの代償だと考えたことすらないのか」
大いなる裏切り……わたしが?
「ユースティー家の跡継ぎを殺しておいて、のうのうと生きている。あまつさえその当主にまで盾突く。これが裏切りでなくてなんなのだ、石女」
言葉を失ったのは、モルテム様の発言が罵倒の域を越えていたからじゃない。その指差す先にある無骨な石の正体に、やっと気が付いたから……。
「まさか、あそこにある石って……!?」
「貴様とカイルの子の墓石だ」
自分のものとは思えない力が出た。疲れて、凍えていた身体がまるで嘘のように俊敏に動き、気づけばわたしとモルテム様を隔てる鉄柵を両手で掴んでいた。
「なんてことなさるんですかっ!! どうか、お願いですから墓地で眠らせてあげてくださいっ!!」
血相を変えて、わずかに残った冷静さも投げ捨てたわたしを、鉄柵を挟んで正面に立つモルテム様が睥睨する。
「誉れ高きユースティー家の墓地に、あのような出来損ないを混ぜろというのか」
「で、出来損ない……!?」
掴んだ鉄柵ががしゃがしゃと音を立てている。
歯の根が合わぬわたしの震えに連動して。
壊れるくらい奥歯を噛みしめてから、声を放った。
「あの子はあなたの孫だったんですよ!!」
「孫になれなかったものだ。弱く生まれて、耐えられず死んだ」
「どうかしてる……こんなの……お願いだから、わたしを中に入れて……!!」
見ていることすら耐えられなくて、わたしは鉄柵を掴んだまま俯いて懇願した。
真新しい新雪が、わたしの涙滴で窪んでゆく様が見える。
「あの子はわたしに触れられたまま息をしなくなった……わたしの手の中で冷たくなっていったの……これ以上凍えさせないで……お願い、どうかお願いします……二度とここには訪れないって誓います……だから中に入れて……あの子に積もった雪をどうかこの手で払わせてください……どうか……!!」
涙を流しながら、急激にわたしの身から力が抜けてゆく。
鉄柵を掴み続けることすら叶わず、地べたへとずり落ちてしまう。
へたりこんで見上げることしかできないわたしを、周囲を満たす雪よりよほど冷たい眼でモルテム様が見下ろした。
「出来損ないでも、貴様にとっての薬くらいにはなったらしいな」
「…………」
睨みつけても、もう意味なんてないのかもしれない。
ただ、わたしにはそうすることしかできなかった……。
「ユースティー家にとって、惰弱とは罪だ。弱く生まれて勝手に死んだ者にはそれなりの報いを。立派な墓など必要ない。館の片隅から、当家が栄華を極めていくさまを延々と見つめ続けるがいい。そして後悔するのだ。その身の弱さのせいで、誉れ高きユースティーになれなかった己の失態をな」
刺すような視線を最後に送って、踵を返して去ってゆく。
モルテム様の背に伸ばしたわたしの手が、力なく萎れてしまう。もはや立ち上がることも、その場から動く力すら残っていない。
瞼が落ちてきた。わたしはユースティー家の館の前で、まるで行き倒れるように意識を手放してしまったのだった……。




