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ヘレナおばあさまはお見通し ~この婚約破棄、得したのは誰?~  作者: ソーカンノ


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第4話 『降りかかる災禍』

 午後、お茶の時間を終えると、ヘレナおばあさまはお昼寝の時間を取られます。今日はそうではありませんでした。ティーカップをソーサーに戻すと、出て行こうとしたわたしのことを呼び止めたのです。


「……なんでしょうか、ヘレナおばあさま?」


 ティーセット一式が載ったお盆を持って振り返るわたしに、ベッドの上のヘレナおばあさまが眉根を寄せてしかつめらしい顔をしています。


「正直なところを聞いておきたいと思ってね」

「というと?」


 こてっと首をかしげる孫娘、きっと可愛くないはずがありません。

 ですがヘレナおばあさまは表情をそのままに真面目な声音を出します。


「今日の話、あんた楽しめたかい」


 ああ、なんだ孫娘の心配だった。館の離れでヘレナおばあさまをお世話するわたしのことを、気の毒に思ってくれてたんだ。


「大いに楽しみましたよ? でもどうして?」

「あんたのその上機嫌、わたしの話由来かと思ってね」


 おっと鋭い。その通りです。ティーセット一式を手に持ってさえいなければ、両手を挙げて驚きを表現したことでしょう。


「ヘレナおばあさまとお話するの、いつもとても楽しいですから」

「そりゃ結構……けどね、あたしが今日したのはやるせない話だったはずさ」


 んん? どういう意味だろう? いったんティーセットをテーブルに置いて、わたしはヘレナおばあさまに向き直ります。


「誰もしあわせにならないような話で、そんな満面の笑顔になられるのは気味が悪くてね」


 辛口の冗談の線を疑いましたが、ヘレナおばあさまの表情は固いままです。真面目に返事をしろということなのでしょう。


「不幸な話でも、自分ごとじゃなければ楽しめませんか? うわさ話にはそういう側面があると思いますけど」

「それにしたってさ……今日の話は何人か破滅してるわけだろ」


 そりゃあまあそうだけど。それで心が痛むかといえばそうでなく。


「王子も高位貴族令息も、最初から雲の上のお人ですからね。今後のわたしの人生で一目も見ないような方々のことでいちいち心を揺らしたりしませんよ。それより、そんな縁遠い人たちにもいろんな側面があることを知れるのが、この上なく楽しいって思いますね」


 素直な気持ちを吐露して、ニッコリと笑みを送ります。この至高の体験は、ヘレナおばあさまの存在なくして実現しないものですから。


「人の暗部を覗き見るのがあんたの趣味だってのかい」

「ひどいなあ、その言い方……ひょっとしてヘレナおばあさま、わたしとお話するの楽しくないんですか?」


 煙管はもう吸ってない。ヘレナおばあさまは俯き、静かに首を振った。


「そんなことない……あんたがいてくれてうれしいよ」

「なら、これからも一緒にお話ししましょうよ!! 実は明日もとっておきのお話があるんです。今度こそ、きっとヘレナおばあさまも気にいるはず……」

「リラ!!」


 きつく名を呼ばれて、わたしは言葉を引っ込めました。

 眼前にはヘレナおばあさまの厳しく、悲しそうなお顔がある。


「あんた、いつまでこんなことしてるつもりだい」

「こんなことって……だって、誰かがヘレナおばあさまのお世話をしなくちゃ」

「そうじゃないんだよ。あたしのことなんざ放り置いてくれていい」


 なんで? なんでそんな突き放したようなことをいうの?


「ひょっとしてご迷惑でしたか。足のおケガに、わたしお役に立ててなかったですか……」

「甲斐甲斐しいあんたの世話にはいつも感謝してる。けど、そうじゃないんだ。あたしが今問題にしてることは」


 いやだ……いやだ!! 聞きたくない!!

 スカートの前できゅっと掌を結び、わたしは声を張っていた。


「いさせてくださいっ!! せめてヘレナおばあさまのおケガが治るまで!! わたし、どんなことでもしますからっ!!」


 はあ、はあ、と自分の息が上がっているのがわかる。胸の奥にある心臓が、ぎゅっと掴まれたように痛い。無言の時だけが流れる。その間もお互いの主張が鬩ぎ合っている。表に出ないまま、この空間の圧力を高め続けている。


 先に根負けしたのはヘレナおばあさまの方だ。好天の昼下がりに似つかわしくない影のあるお顔で、独りごちるようにいった。


「悪かったね、世話になってる人間にいうことじゃなかった」

「いえ、そんな……わたし、明日もここにきて構いませんか」

「もちろんだよ。毎日孫娘の顔が見れるなんざ、死に損ないの婆にはもったいないくらいの幸福だからね」


 嘘じゃないとは思うけれど、アフターフォローのつもりなのだろう。

 その証拠に、ヘレナおばあさまは少し早口で捲し立ててきた。


「けど、ひとつだけ忠告させとくれ。さっきの話、あんたはまったくの他人事のようにいってたけど、決して無関係なわけじゃない。王族や高位貴族は、いわばあたしらの頭上を旋回する巨鳥なんだよ。もし連中の身になにかあれば、その災禍は下々にいるあたしらにまで降り注いでくるものなのさ」


 ……そのお話は、わたしにはピンとこないものだった。


 暖かな陽光が差し込む館の離れ。窓の外はこんなにも良い天気で、楽しそうな小鳥の鳴き声が響いて、豊かな花木の合間を蝶が舞っている。


 こんな辺境の田舎領地にまで火の粉が及ぶようなら、それこそ国とか世界の一巻の終わりなのではないだろうか。


「き、気には留めておきます……」

「うわさ話もほどほどにってハナシだよ」

「わかってますって」

「本当かい?」

「本当です……ほら、眼! 眼見ていってる!!」


 カッと見開いた眼を人差し指で差して強調すると、しかつめらしいヘレナおばあさまのお顔に一瞬だけ笑みがよぎりました……よし、上手く誤魔化せたみたいだぞ。この調子で、明日には忘れてくれていると助かるんだけど。


「やれやれ、随分と長話して疲れちまったよ。あたしゃそろそろ昼寝としけこもうかねえ」

「でしたら、わたしは一度本館に。今朝方、おとうさまに村へ買い出しを頼まれていたので」

「へえ? あんたも精が出るね」

「おとうさまには置いてもらっている身ですからね」


 ふふっと笑むと、わたしはテーブルに載せていたティーセットのお盆へと手を伸ばします。


「おとうさまねえ……まったく、マーキスが変な気を起こさないでくれて助かったよ。何事も平和には代えられないもんさ。モルテムみたく、一時の気の迷いで南の国境へってなったら、あたしもこんな呑気にしてらんなかったろうしねえ」


 ガタッという音がした。お盆の取っ手から指が滑り落ちたのだ。


 愕然としたヘレナおばあさまの瞳がそれを見る。いや、これは主客が逆だ。ヘレナおばあさまの表情は、わたしの表情を反射しているにすぎない。鏡越しに、わたしはわたしの表情を見ている……。


 ヘレナおばあさまはとても聡明なお人だ。だから一瞬で自分が口を滑らせてしまったことに気づいた。


「迂闊……あんた、まだ知らなかったのかい……!!」

「どうして今、モルテム様の話を? ううん、そうじゃない。カイルのことですよね」

「…………」


 視線を逸らして口ごもった。こんなの、関係してないはずがない。


「答えてっ!!」


 遠慮容赦のない叫び声が部屋中に響いた。脅すような物言いにも、ヘレナおばあさまはピクリとも動じていない。ただ激昂するわたしの顔をじっと見つめて、諦めたように引き結んだ口元を開く。


「拒んだってすぐ調べがつく……ここで意地張る意味はない、か」

「ヘレナおばあさま!!」

「わかってるよ。隠し立てなんざしない。冷静に話を聞いてもらいたいだけだ」


 ベッドに入りかけた姿勢からひとりで身を起こす。左膝の痛みは相当なものだろうに、おくびも出さなかった。


「約束しとくれ。短慮は起こさないって」

「……わかりました」


 椅子を運び、ベッドの傍に腰かける。くしくもさっきお話したときと同様の位置取りだ。その内容もまたさっきの続きに当たる。


「モルテムのことを話す前に、ガストン兄妹の顛末に付け足すことがある。ふたりの処遇については、王宮騒乱罪が適用された」


 王宮騒乱罪。文字通り王宮に対し、貴きその場に好まざる出来事をもたらしたかどで突きつけられる罪状だ。


 決闘で未来の宰相を斬り殺したイバン侯爵令息にも、王太子たる身に婚約破棄を突きつけたミネルヴァ侯爵令嬢にもふさわしい処遇といえるだろう。


「ミネルヴァともかく、イバンに関してはエルドレ王子は不問にするつもりでいた。ただ本人が頑固でね。神聖な決闘を無用な死で穢した罰として、妹と同じ処罰を望んだんだ。そうまでされれば、エルドレ王子にも立場ってものがある。無理に取り消すことはできなかったんだよ」


 ふたりはかつて『真実の愛』で結ばれた関係だった。

 けれど、きっとその道は別たれてしまったのだろう……永遠に。


「ガストン兄妹は」

「南方の要衝へ向かった。表向きは国境防衛の任に就く態でね」

「でも南は危険なんでしょう」

「南方遊牧民の間欠的な侵入がある。厄介なことに、連中は練度が高い」


 誰でも常識として知っていることだ。小さな頃には乳母にだって聞かされた。南は危ない。お嬢様は平和なご領地に生まれ育ってしあわせだったんですよ、と。


「生き死にが懸かる場所だからこそ、赴任が罰になる。身ひとつで向かうのは自殺と変わらない。だからイバンは密かに勇士を募ったのさ」

「勇士……どういうことですか」


 高位貴族であるなら、遠征へ連れ立つのは手持ちの騎士団や家臣のみのはず。なぜ外から募るようなことを。


「イバンは剣士としてだけじゃなく、戦術家としても才があった。自他の戦力を分析したんだろう。あちらにあってこちらに欠けているもの、それは優秀な弓手だ。こいつは一朝一夕で手に入るものじゃない。才能のある者が幼少期から訓練して初めて、一角以上の弓の腕が手に入る」


 幼い頃から弓を射る経験を積める環境は、誰にでも用意されているわけじゃない。だから環境に恵まれた貴族に声をかける必要があったのか。


「それに案外、あんたのいった通りかもしれない。死地に追放された妹の命を救うために、イバンは生き残る手段を選ばなかったのかもしれない」

「自分を陥れても、妹は妹だと」

「それが理想のお兄ちゃんだろう」


 そうかもしれない……だけど今はカイルのことだけが気にかかる。


「モルテム様は、その招集に参加したんですね」

「生存のあかつきに約束された巨額の報酬、それと名誉に眼がくらんでね」

「それはとても、あの人らしい」


 ふっと口元がほどける感覚がした。嘲りの笑みはモルテム様へのものなのか、それとも自分を笑うためのものなのか、定かではなかったけれど。


「それで、カイルは」

「…………」

「あの人が息子を連れて行かないはずがない。教えて」

「いくさをやるなら、騎士は弓手と同じくらい必要だよ」


 最後まで聞き終えるまでもなく、わたしは椅子から立ち上がっていた。ティーセットをテーブルに置いたまま、急く気持ちに相応の速度で踵を返す。


「リラ!! どこいくつもりだい!!」


 背中からヘレナおばあさまの声が降りかかる。扉の前に立ち、だけど後ろは振り返らない。


「ごめんなさい。わたし、やっぱりカイルのところに行かなきゃ」

「短慮は起こさないって約束だよ!!」

「考えたって結論は同じなんです。だって……だってカイルのことなの!! さようなら、ヘレナおばあさま……!!」


 わたしがドアノブに手をかけると、後方から棒のようなものが飛んできて扉に突き立った。ヘレナおばあさまの愛用している煙管だ。驚きで気勢を削がれてしまい、反射的に振り返ってしまった。


「邪魔、しないでっ……!!」


 口にして気づいた。声がしわがれている。頬を伝うあたたかなものはわたし自身の涙なのだろう。もう枯れたと思っていたのに。


 右手を前にし、ベッドの上から煙管を投擲した体勢のまま、ヘレナおばあさまがわたしを見ていた。


「女は剣を振れない、そんな野暮なことを言うつもりはないよ。あんたがカイルを連れ戻すってんなら、命を捨てる覚悟でいってるのはわかる」

「だったら……!!」


 どうして止めようとするの。


「わかっとくれ。あんたにはもうなにもする資格がないんだ」

「けど、カイルは……」

「わかってる。あんたの婚約者だった……だけどもう違う。赤の他人なんだよ」


 知っていた。知っていて見て見ぬふりをしてきた。

 あの人はもういない。永遠に近づくことすら叶わないって……。


 全身から力が抜けきって、膝からその場に崩れ落ちる。身体が糸の切れたように動かなくなる。なのに心の中は違う。今この瞬間も噴き上がるマグマのように、わたしになにかをさせずにはいられない。


「悪かったよ……近頃は笑顔を見せていたから、吹っ切っているとばかり思ってた。けど、そうだね。あんたにとってカイルは、人生の半分以上をともに歩んできた男だ。そう簡単に、気持ちを捨てることなんてできなかったんだね」


 涙を流して、わたしはヘレナおばあさまを見上げる。

 深い同情心が、そのお顔に兆しているのを見る。


「じっとしていられないの。カイルのことを思うと、わたし……」


 きゅっと服の胸元を掴む。その奥にある心臓が張り裂けてしまいそうだ。


「……本当に、なにもできることはないの」

「遠征に参加した時点で、カイルも覚悟を決めている。仮にあんたが辿り着いても、男の顔に泥を塗ることにしかならない。それに帯同を命じたモルテムに睨まれれば、マーキスやあたしの立場も危ういものになる」


 いくらカイルのためだって、家族の身まで危険に晒せない。

 そのくらいの節度はわたしの中にだってあった……。


「わたし、無力なのね」

「残念ながらね……だけど、己の無力を受け入れた人間だけがやれることだってある」


 はっと顔を上げた。気づけば叫んでいた。


「教えてヘレナおばあさま!! わたし、なんだってします!!」

「先に断っておくよ。あんたのすることは、カイルの力の足しにはならないかもしれない。なぜならこれは、人の身に許された最後の悪足掻きなんだから」


 しっかりと頷いた。それでも構わない。


「……教えて」


 そう告げたとき、きっと涙は止まっていた。


 緑豊かな辺境のうららかな昼下がり。窓の外には戦場の匂いすら届いていないのに、わたしの心は既にそこにあった。


 高く、遠く、膨大な時間のかかる長い旅路すら飛び越えて、ただひたすらに、世界で一番大切な人の無事を、心から願わずにはいられなかった。

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