第2話 『王宮愛憎劇の真相 その② ~考察編~』
それから、わたしたちはお互いに気分を取り直しました。ヘレナおばあさまはベッドの上に身を起こし、わたしはその傍らで太腿に手を置いて自分の椅子に座っています。それがわたしたちの、長話をするときに決まってする位置取りなのです。
「それじゃ、最初から順を追って見てみようか」
ヘレナおばあさまの申し出に、こくんと頷きを返します。まずは、エルドレ王子がミネルヴァ侯爵令嬢に婚約破棄を宣告したところからですね。
「この婚約破棄だけど、あんたはどう思う?」
「特に不審な点は。強いていうなら、やや唐突感はありますが……」
話に聞くところによると、とても長い婚約期間だったようです。わたしが五歳に満たないうちからうわさが立っていたほどには。
貴族学院時代には学院随一の美男美女カップルとして、わたしたちもよく話の種にしていましたっけ。
「学生の頃も、特に仲が悪いという感じではなさそうでしたよ」
「なら、『真実の愛』のお相手は、世に出てから見つけたのかねえ?」
うーん、とわたしは頭を悩ませます。時折こういうことがあるんです。ヘレナおばあさまは既に答えを知っているのに、孫娘である私に考えさせようとする。そして、自分で答えに行きつくよう、サポートに回ってくれるんです。
「そんな時間なさそうですけど?」
「第一王太子はいずれ王位に就くからね。覚えなきゃなんないことがたくさんある。あんたの見立ては間違っちゃいないよ」
となると、不貞の相手は身近にいた……? こっち方面からは攻めにくいな。なにせわたしは学院卒業以降、ほぼ片田舎のデッドロック男爵領に引きこもりっきりなんですから。
「王太子殿下の新しい出会いとなると、情報が足りませんね」
「お相手はともかくとして、婚約破棄の宣告に不審な点は?」
「それはないです。公衆の面前で宣告することで、公に効力を持つものとして知らしめることができるので」
基本的に、公衆の面前での婚約破棄宣告は愚策といわれています。けれどメリットも存在する。それは事後のリカバリーが効かないこと。良かれ悪しかれ、宣告した時点で健全な婚約関係はぶっこわれてしまうので、関係者全員もう先に進むしかなくなるんですよね。
「エルドレ王子の行為についてはいったん置いておきましょう。その次に起こった剣呑な出来事についてですが……」
「ああ、イバンの決闘申し込みだね」
こっくりと頷いて肯定してから、用意していた文言を続けます。
「立場は置くとして、心情としてならわたしも理解できます。イバン侯爵令息といえばガストン侯爵家の跡取り。ミネルヴァ侯爵令嬢とは実の兄妹の間柄に当たる関係ですから」
一般的に婚約期間が長ければ長いほど、解消されたあとの女性の立場は悪くなります。理由は山ほどつけられますが、一番の問題は元婚約者にお手付きにされたと考えるからでしょう。
「妹を見捨てた上、公衆の面前で恥を掻かせた。これで怒らなきゃお兄ちゃんじゃないです」
自信満々にいいましたが、ヘレナおばあさまは眉をしかめます。
「……相手は一国の王太子だよ?」
「それでも、怒りに任せて決闘を申し込むくらいしますよ。妹のためなら」
「とんだお兄ちゃん信仰だねえ」
鼻息荒く断言するわたしに呆れるものの、なにか考えがあるご様子。
「けどま、エルドレ王子とイバンくらいの仲なら逆にあり得るともいえるねえ。なにせ、幼少の頃から互いを高め合った竹馬の友なわけだし」
補足しておきましょう。エルドレ王子とエバン侯爵令息は、わたしの通っていた貴族学院では超のつく有名人でした。お二方ともお顔が美しく、その美しさが対照的であったことから、令嬢たちの人気を二分していたのです。
当時、令嬢たちはそれぞれに派閥を作り、どちらの美貌が勝るかでギスギスしていたものですが、当人たちの仲は極めて良かったことは有名な語り草です。いずれ王たる身とその片腕として、幼い頃からともに剣の道へと邁進した無二の親友だったのです。
とはいえ、気心の知れた幼馴染みだからこそ許せないこともあります。イバン侯爵令息の瞳には、親友であるエルドレ王子が妹との婚約を破棄することが、これまでに育んだ友情への手ひどい裏切り行為に見えていたのではないでしょうか。
「それにしたって決闘とは剣呑すぎる」
「そうですか? 男性は拳で語り合うものと聞きますが」
「どこ情報だい……そもそも、今回向け合ってるのは拳じゃなく剣だ。当たりどころが悪くなくても相手の命を奪っちまうだろ」
おっと、そうでした。女の園にこもりきりだったせいか、わたしにとって暴力は縁遠いもの。その危険性に関する感度もまた、鈍りに鈍っています。
「未来の主君に剣を向けた、それでもあんたは不思議じゃないってのかい」
「そうですね……軽挙だと思いますが、道理は通っているものかと」
今さらヘレナおばあさまに念押しもなにもないのですが、決闘に際してイバン侯爵令息はエルドレ王子に口上をあげていたそうです。曰く。
『俺が勝ったら妹への婚約破棄をなかったことにしろ』と――。
「あくまで妹想いの兄なわけだね」
「……わたしの理想ですけどね」
それに、謎の霧が色濃くなるのはこの次に起こった出来事からなのです。
突如持ち上がったエルドレ王子のミネルヴァ侯爵令嬢への婚約破棄。それにミネルヴァ侯爵令嬢の実の兄であるイバン侯爵令息からエルドレ王子への決闘申し込み――晴天の霹靂ともいえるショッキングな出来事が連続して巻き起こったあと、これに手を伸べた人物もまた意表を突くお人でした。
「代理闘士について理解は?」
「さわりくらいなら……たしか、決闘を肩代わりする人のことをそういうんでしたっけ?」
自信がなかったので疑問形の返答でしたが、案の定というべきか、渋い顔が返ってきました。
「女や子どものような戦う力のない者が決闘を吹っかけられた場合、別の者が代理として決闘を受けられるって制度だよ。貴族学院でも学んだろ?」
「遠い昔の古の知識のように……煙みたいにうっすらと……」
「リラは成績悪かったもんねえ」
貴族学院でのわたしの悲惨な成績を知るヘレナおばあさまは、もはや残念がってもくれません。
「あれ? でもそう考えると……だからエルドレ王子は一度断ったんですか?」
ヘレナおばあさまが、手元でくるりと煙管を回転させました。言下に当たりだとおっしゃっている様子。
「挑まれた決闘から逃げるのは恥。それと同じくらいに、戦う力を持ちながら他人に任せるのも恥ってことさ」
無二の親友から決闘を申し込まれたエルドレ王子は、困惑のご様子を見せられていたそうです。沈痛な面持ちでいったん口を閉じられると、その間に後方から歩み出る人影がありました。
『いずれ王たる御身を危険には晒せません。この決闘、私が受けましょう』
『アベル……これは私とイバンの問題だ』
『ミネルヴァ嬢も、でしょう。代理闘士を拒むとは古式ゆかしいのですね』
『決闘なら私自らが買って出ると言っている』
『あなたが良くてもハーツ王国の民草が良くありません。イバン、君はどうだ?』
煽り立てるような言葉を並べるアベル公爵令息は、飄々として不敵な笑みを浮かべていたそうです。エルドレ殿下のお傍に忠実な近衛騎士としてはべりながら、千載一遇、ずっとこの機会を待ってでもいたかのような。
『誰が相手でも構わん。妹への婚約破棄を取り消せるならな』
『決まりだイバン。君は剣を取り、剣士らしく正々堂々と私と戦いたまえ』
『勝手に話を進めることは許さんぞ』
エルドレ殿下の怒りは当然のものです。相手と互角以上の剣の腕を持ちながら、決闘を取って代わられるなど屈辱以外の何物でもありません。ですがここで、じっと沈黙を守っていた人物が口を開きます。
『アベル様、あなたがお兄様と決闘してください』
『おやこれは……とんでもないところから追い風が吹きましたね』
『決闘なら、勝つ見込みの高い相手との方がいいですから』
『やれやれ、であれば私は、せいぜい麗しの姫君の期待を裏切るとしましょうか』
婚約破棄を一方的に宣告して罪悪感を覚えていたのでしょうか。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべつつも、エルドレ王子は事態を静観することに決めたようでした。
「……そして惨劇が起こったわけです」
一部始終をご存知のヘレナおばあさまにはいうまでもありませんが、わたしは念押しのために強調しました。
「随分と血なまぐさい現場だったらしいねえ。怒りのままに暴れたような」
まるで直に見てきたようなおっしゃり様ですが、ショッキングな出来事ゆえに、もっとも多くの情報が出回った部分です。わたしが伝え聞いた分だけでも、酸鼻極まる状況であったと記憶しています。
「決闘の場に血が流れることは珍しくない。けど、対戦相手への礼儀くらいは残すもんさ。正々堂々とした戦いであったことの証明のためにね」
剣才の差は歴然でした。一太刀で勝負は決していたでしょう。見開いた瞳孔の持ち主は、己の敗北を悟っていたはず。しかし降参の合図を送ることは叶いませんでした。続く第二撃、第三撃が王宮に血の花を咲かせたのです。
「アベル様!! アベル様!! ……あぁ、なんてこと……!!」
火花散る剣呑な雰囲気が、一転して愁嘆場へと変わりました。
仰向けに倒れたアベル公爵令息の肉体から、おびただしい量の血が床に広がっていきます。慟哭の主は死体の傍に屈み込むと、首を捻って自らの兄へと射竦めるような視線を投げかけたのです。
下げた剣先からしたたる血を振り払いもせず、イバン侯爵令息は妹の怒りを甘んじて受けました。
「あんたもおかしいと思うかい?」
おばあさまの質問に、わたしは深い頷きを返します。
「ミネルヴァ侯爵令嬢の婚約が懸かった決闘でした。兄であるイバン侯爵令息が勝てば続行、対するアベル公爵令息が勝てば破談なのですから、ふつうに考えるならミネルヴァ侯爵令嬢にとって喜ぶべき状況です」
決闘で死者が出ることはままあります。命が散って、悲しみに暮れることだってあるかもしれません。
しかし今回、アベル公爵令息の代理闘士を後押ししたのはミネルヴァ侯爵令嬢その人なのです。
「自分で招いた状況ですよね、これって」
「相手をそそのかして目論見通り弱体化させたんだから、予想できる結末ではあるかねえ」
アベル公爵令息といえば名うての剣士です。その実力は、今のハーツ王国でも十指に入ります。けれど貴族学院生時代から王国最強の座を競い合ったエルドレ王子とイバン侯爵令息には、及ぶべくもなかった。
「ここまででも十分に不自然です。けれど最大の問題はこの後の出来事の方でした」
「ミネルヴァからエルドレ王子への逆婚約破棄だね」
ヘレナおばあさまの指摘に、わたしは頷きで応えます。
「自身の立場は担保されたのに、ミネルヴァ侯爵令嬢はどうして台無しにするような真似をしたんでしょう」
「リラはどう思う?」
水を向けられたので、少しの間考えてから。
「そうですね……エルドレ王子と元鞘に戻れることは確定しているのだから、損はしてないはずですよね。だとすれば、別に失った利得があるとか……けどこの状況でそんなものってあります? そもそも、お兄ちゃんであるイバン侯爵令息に敵意満載の視線を投げかけてる時点でおかしいですし」
兄の勝利は自らが誘導したものだ。決闘相手の弱体化にも成功した。もしこの場に勝者がいるのなら、ミネルヴァ侯爵令嬢こそが勝者であったはず。
けれどその立場をなげうった。その理由はなに?
「最初にあんたがいってたところに戻ってくるわけだ」
「はい。この婚約破棄、いったい誰が得したんでしょうか」
顔を上げて、ヘレナおばあさまに興味津々のまなこを向けます。
「その様子だと、随分と考えてみたようだねえ」
「でも答えが出せなくて」
「それであたしの出番ってわけかい」
「毎日のマッサージのお礼くらい、孫娘にしてくれていいと思うんですけど」
じーっと見つめていると、そこは眼に入れても痛くない孫娘のお願い、ヘレナおばあさまはふはあっと溜息を吐いてから、渋々といった風情で折れてくれました。
「あたしに訊いた時点で、あんただってわかってる。事件の真相を掴むためには、絶対的に情報が不足してるってことをね」
心中を見透かされることは珍しくありません。ヘレナおばあさまの洞察力は、生半な探偵のそれを圧倒的に凌駕するものですから。
「それじゃあ、真相究明編といこうじゃないか……この事件のキーポイント、それは我欲さ」




