第1話 『王宮愛憎劇の真相 その① ~出題編~』
「……あたしゃなにも話す気はないよ」
その一声に、わたしは指圧のために込めた力を緩めてしまいました。ベッドの端から顔を上げると、とても不機嫌そうなヘレナおばあさまのお顔が見えます。
「わたし、まだなにもいってませんけど?」
「眼は口ほどに物をいい、だよ。猫みたく爛々と輝かせて、よくもまあこっちが気づいてないなんて言えるねえ」
そうでしょうか。まあそうなのでしょうね。ヘレナおばあさまはいつだって、わたしの考えはなんだってお見通しなんですから。
というわけで、わたしは観念しました。マッサージの手を止めると、ベッドに足を伸ばしたままのヘレナおばあさまへと向き直ります。
「ちょっとわくわくするお話を小耳に挟みまして」
「聞きたくないねえ……でもするんだろ?」
「はい。ヘレナおばあさまのお気持ちがどうあろうと、今日はそのお話をしたくてここにきたので」
しゃきんと背筋を伸ばすと、ヘレナおばあさまがただでさえ細い瞳を眇めました。睨みつけられてる感がありますけど、平常運転です。そっけない口振りは生来のもので、こう見えてわたしのことを可愛い孫と思っているので。
「今度はどんな四方山話を耳に挟んだやら」
「とっても興味深いお話ですよ。ヘレナおばあさまも気に入るかと」
「あんたのいう興味深い話が、あたしにとってもそうであった試しがないねえ……」
遠い眼をしながら、ヘレナおばあさまがプカプカと煙管を吹かします。部屋中に広がる紫煙に涙が出るほどむせたのも昔の話。わたしの肺ももう、ヘレナおばあさまと同じで、すっかり真っ黒になってしまったのかもしれません。
お話の順序を考えている間に、ざっと紹介しておきましょう。ここはわたしの実家であるデッドロック準男爵家が所有する館の離れで、ゆえあって今は、ヘレナおばあさま専用の寝起きする場所になっています。
「実はつい先日、王都でとんだ王宮愛憎劇が演じられたらしく」
「またその手の話かい……手、動かしな」
「おおっと」
どうやら、仕事をこなしながら雑談せよというお達しです。わたしは少し腰を折ると、ヘレナおばあさまのお膝の縁周りに親指を沿わせました。上から指圧しながら続きを語ります。
「今回は、前みたいに、デマとかじゃ、ないですよ。ちゃんとした、筋からの、情報なので」
「切れ切れにしゃべってるんじゃないよ。聞き取りにくいったらありゃしない。で? その王宮愛憎劇がどうだってんだい」
一通りツボを刺激し終えたので、足の筋肉の揉みほぐしにかかりましょう。こっちなら変なブレスとか挟まりませんから。
「それがどうも、婚約破棄から始まる大騒動だったらしくて」
「へえ……婚約破棄。いつの時代も似たような出来事は起こるもんだねえ」
懐かしむ口調もむべなるかな。ヘレナおばあさまはかつて、準男爵令嬢ながら時の前王妃様から特別なご寵愛を賜った身なのです。話を聞くところによると、とても美しい銀髪の持ち主であった当時のヘレナおばあさまを見初めて、実の妹のように可愛がってくれたとか。
そんなわけで、ヘレナおばあさまにとってこの手の話題は実際に間近で見聞きした出来事なのです。以前のわたしのように、高位貴族令嬢の取り巻きをしながら夢見ていたものではありません。
掌で足の筋肉の状態を確認し、凝っている箇所を探します。そこを重点的にマッサージすれば痛みが和らぐと、経験として学んだからです。作業に没頭しているうち、ヘレナおばあさまが先に声を出していました。
「エルドレ王子、イバン侯爵令息、ミネルヴァ侯爵令嬢、アベル公爵令息……役者は、こんなところだったかねえ」
「なんだ、知ってるじゃないですか」
「小鳥がピーチクさえずるんだよ……まったく、あたしゃもう現役でもなんでもないってのにさ」
時の前王妃殿下は、お飾りでヘレナおばあさまをはべらせていたわけではありません。独自のネットワークを持ち、情報収集能力にかけては右に出る者のいないヘレナおばあさまの能力を当て込んでそうされたのです。
「前々から思ってましたけど、いつ情報を仕入れているんですか? わたしがお世話しているときには、それらしき人の姿を見たことありませんけど」
「ふん、影は察知されないからこそ影なんだよ……それよりあんた、話の腰を折りたいのかい?」
おっと、そうでした。本命の興味ごとを優先せねば。
「実は今回のスキャンダル、いろいろと腑に落ちない点がありまして」
「だろうね」
説明の段取りを飛ばして本題に切り込んだつもりでしたが、ヘレナおばあさまは驚いた風もありません。やはりすべてお見通しということなのでしょう。
「どこまで知ってる?」
「それは、ええと……大まかな経緯くらいなら」
「じゃ、ミネルヴァが叩きつけた逆婚約破棄についても知っているね?」
「あれはとても不可解な出来事でした」
答えながら、わたしは事件の概要を思い返します。始まりは本当によくある話。『真実の愛』なんて曖昧なものを根拠に、エルドレ王子がミネルヴァ侯爵令嬢に婚約破棄を宣告した。要は不貞行為の婉曲な告白。
「王宮愛憎劇……なるほど。起こったことを考えれば、あんたの表現は正しいねえ。で、あたしにその真実を教えてもらいたいってわけだ」
「はい。こたびの事件、ただの婚約破棄騒ぎにしては不審点があまりにも多すぎるので」
「不審点、ね」
指に挟んだ煙管を引き寄せ、優雅な所作でご一服。じっくりと時間をかけて味わってから、わたしの顔を直視します。
「ちなみに、どの辺が不審だと?」
「それは、ええっと……この婚約破棄、誰が得したんでしょうか?」
再び煙管を口に運び、じっとわたしを見続けます。どうやら、わたしが話す番はまだ終わっていないようです。
「というのも、結末が理解できないんです。婚約破棄はふつう、男性が婚約者である女性に吹っかけるものじゃないですか。その裏には真実の愛というか、要するに他の女性の影が潜んでいるわけでしょう。なのに今回、エルドレ王子殿下側からはそういった話がなにひとつ浮上してこなかったんです」
ちょっと熱が入ったかもしれませんが、おかしなことはいってないはず。その証拠に、ヘレナおばあさまも表情筋を動かさず、いつもの調子を崩していません。しばらく待って、覚悟を試すようにこう言います。
「本当に知りたいのかい?」
「はい、是非に」
すぐさま返答しましたが、ヘレナおばあさまは浮かない顔で。
「あんたの同世代で、同窓生だろ……貴族学院時代にはしゃべったこともあるんじゃないのかい?」
「お言葉ですけどヘレナおばあさま、わたしみたいな下級貴族令嬢に縁やゆかりのある方々ではありませんよ」
そう、わたしはいつだって雲の上の人々を見上げる側だった。ヘレナおばあさまのように特別なご寵愛を受けた記憶もない。真っ向堂々、胸を張って心配無用の太鼓判を捺したのですが、ヘレナおばあさまときたらそれはそれで複雑な心境のようでした。
「あんたさ、あたしがミネルヴァの家庭教師やってたことも知ってんだろ?」
「もちろん、それを当て込んで聞きにきているわけですから」
「まったくこの娘はもう……一体全体誰に似たのやら」
などと心痛を忍ばせますが、無類のうわさ好きというなら、似ているのはやはりヘレナおばあさまになるんじゃないでしょうか。
「話するならちゃんと腰を起こさなくちゃね……っと、いたた」
上半身側に傾斜をつけたベッドに横たわった状態から、お膝を動かさぬように身を起こそうとされます。階段を降りる際につんのめって痛めた左膝の様子は、いまだ芳しくないようです。
「無理しないでください。わたしが補助しますから」
ヘレナおばあさまの背中へ手を添わせに行くと、藪睨みの視線とぶつかってしまいました。
「孫の手まで借りるようになるなんて……長生きはしたくないねえ」
「まだまだお若いじゃないですか。きっとまた歩けますよ」
「心にもないこというんじゃないよ。マーキスだって、実の母親をこんな部屋に押し込めて厄介払いしてるっていうのに」
マーキスというのはデッドロック準男爵領の現当主であるおとうさまの名前です。いわずもがな、ヘレナおばあさまにとって最初の息子に当たります。
「それをいうなら、わたしも似たようなものなので」
「ふん……あんたとあたしは全然違うよ。あんたはその自由になる足で、どこへでも歩いていけるじゃないのさ」
どこへでも、本当にそうなのだろうか?
いけない……この先を考えるのはよそう。
「あたしの世話なんて、そこらの村で雇った村娘にでもやらせときゃいいんだよ。わざわざ孫娘の女ざかりを浪費してまでさせるもんじゃない」
「あ、その言い方、ちょっとひどいです。別に強要とかじゃなくて、わたしがしたいからヘレナおばあさまの身の回りのお世話をしているんです」
本音を口にしたというのに、ここでヘレナおばあさまは片目を眇めて。
「なおさら悪いよ。こんな死に損ないの婆さんのために、孫娘が自発的に貴重な時間を割いてるってんならさ。女の花盛りは短い。悠長にしてたらすぐにとうが立っちまうんだよ……あんた、もう二十三だろ?」
「二十二ですっ!!」
女性の年齢はひとつ違いでも大違いだ。わたしは声を荒らげた。しかし長い人生で多くの齢を重ねたヘレナおばあさまはそう思わないらしく……。
「どっちでも変わんないよ。こんな湿気た部屋で時間を無駄にし続けるつもりならね」
「い、いわせておけば……ヘレナおばあさまがそういうつもりなら、わたしにだって考えがあります。もう、お膝のマッサージしてあげませんから!!」
すると風向きが変わった。ヘレナおばあさまは口元からだらしなく紫煙を噴き出すと、満月のようにまんまるく見開いた眼でわたしを見ました。
「ちょいと待ちな、そいつは困る……あんたはまだ若くて壊れた膝の痛みを知らないからそんなことをいえるんだよ。どれだけつらいか……」
「同情を誘おうとしてもダメです。さっきの言葉を撤回しないと、今後一切膝のケアはしてあげませんから!!」
断固としていった。そう、これは老人いじめではないのだ。対等な関係として、相手へのリスペクトを回復するために必要な手続きなのだ。
意地を張ってると、困り切った様子のヘレナおばあさまが頭を垂れて、泣きつくようにいってきました。
「わかった、わかったよ……さっきのはいいすぎた。あたしだって、リラのことは憎からず思っているんだからさ」
「わかってくれたらいいです。わたしがヘレナおばあさまをお世話したいって気持ちにも、嘘なんてありませんから」
「それもわかったよ……やれやれ、孫の機嫌を損ねると後がこわいねえ」
しみじみと呟いて、ヘレナおばあさまは気分にリセットをかけて。
「それじゃひとつ、ここいらで世話人のご機嫌取りといこうじゃないか」
ここまでお読みいただきありがとうございました。
本作は一挙投稿にて、既に完結まで投稿しております。
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