第9話。ご挨拶は大事です。
内扉が開いて入ってきた客を見て、店長・芦澤みのりの目が点になった。
「え? どうしたんですか、中側さん?」
「今日は優子と約束しててね。ちょっと時間までお邪魔しちゃって大丈夫?」
「叔母さんと?
あ、どうぞどうぞ。いらっしゃいませ」
カウンターに近付いて来た中側に、みのりが頭を下げる。中側は時計を見、「んー……1時間……かな? 飲み物はコレで」とドリンクメニューを指さした。
中側がぐるりと店内を見回し、「あら」と声を上げた。
「かえでとふゆきも出してくれたのね。どう? 慣れた?」
「うちの猫たちにはだいぶ。お店は今日デビューなんです」
「あら、そうなんだ。良い日に来たわねぇ」
中側がクッションの上にいるふゆきに近付き、指を嗅がせる。ふゆきがクンクンと匂いを嗅ぎ、その指にスリ……と身を寄せた。中側の手が、優しくその背中を撫でる。
他の猫たちがそろそろと近寄って来たのを見て、中側が指を嗅がせて挨拶した後に優しく撫でていた。
……朔夜以外の猫たちはすべて、中側が代表を務める動物保護団体『うちの灯』から引き出してきた子たちだ。匂いに覚えがあるのだろう。普段なかなか人に近付かない黒猫のノアや三毛猫のつむぎも中側に近付き、スリスリと身体を擦りつけている。
一通り近付いて来た猫と挨拶を終えた中側が、ヨイショと声を上げて立ち上がった。向かう先にはキャットツリーのハンモックでくつろぐキジトラのかえでがいる。
「あんたはホントに高いところが好きねぇ……」
指の匂いを嗅がせてから顎の下を撫でてやれば、かえでが気持ちよさそうに目を細めている。リラックスしたその様子に、ふぅ、と中側が息を吐いた。
「ありがとうね、みのりちゃん」
「いえ、私はなにも。こちらこそありがとうございます」
そう言って頭を下げるみのりに、中側が手を振る。
「かえでは警戒心が強いから、やっぱり心配だったのよ。
……気に入った場所だからか、だいぶ落ち着いてるみたい」
その時だった。
「みのりー? 晴子来てるー?」
内扉が開き、スーツを着た女性が入ってきた。
「叔母さん!」
「優子、もういいの?」
「いや、やっぱり時間通りかな。
たまたま近くを通ったから来てるかどうか見に来たのよ」
叔母・芦澤優子は笑いながらゆるく頭を振り、カウンターに乗ってきた朔夜の頭を撫でた。
ふと、その手が止まる。
「あれ、猫増えてない?」
1、2、3……と数えていく叔母に、みのりは「前に中側さんから預かった子たちを出したからね」と答える。
「そうなんだー……」
フラフラ……と優子がまずふゆきに近付き、屈んで「こんにちは」と言いながら背中を撫でる。立ち上がり、今度はかえでに手を伸ばすと……
「シャーッ!」
かえでがその手をペチンと払った。
優子が痛っと叫び、自分の手とかえでを交互に見る。かえでは耳をそらし、警戒するように優子を見ていた。
「もう。いきなり撫でようとしたらダメだって、前に言ったじゃない」
つむぎにも猫パンチされたでしょと言えば、「だってぇ……」と優子が自分の手をさすさすと撫でる。
「上から手が来たら誰だって怖いでしょ。
もうアンタってばまったく……ん?」
あきれたようにため息を吐く中側が声を上げる。
中側の見ている方を見れば、ふゆきがとてとてと歩いていた。キャットツリーを軽やかに上がり、ハンモックにいるかえでを舐め始める。ピクピクとしばらく耳を動かしていたが、やがてかえでもこちらを見るのを止め、ふゆきの首元をペロペロと舐め始めた。――どうやら機嫌が直ったらしい。
ふぅと中側とともに息を吐き、ふと時間を見た。
「叔母さん、そういえば大丈夫なの?」
「あ、戻らないと!
じゃあ晴子、また後で!」
「はいはい、気をつけて」
みのりや朔夜に「じゃあね!」と言って優子が内扉から慌てたように出て行く。それを見送り、中側と二人でやれやれと首を振った。
「まだもうちょっとかかるみたいだし。
もう少しお邪魔してるわね」
「……はい。ごゆっくり」
そう答えると、中側が猫じゃらしを手に取り、兼用棚の上にいたサバトラのしずくの前で動かし出す。しずくが目で追う様を見てから、みのりはテーブル席の方に頭を下げた。
「……身内がうるさくしてすみません」
それにパソコン作業をしていた金橋が笑みを浮かべて首を振る。
静かになった室内で、時折中側が上げる「ほらっ」という声と金橋が打つキーボードの音が響いていた。




