第2話。鬼瓦と保護猫カフェ
今日はいつも通り最悪で、でもいつも以上に泣きたい気分になった日だった。
頼まれた書類を総務に届けると、不備があったらしく「確認してから持ってこい!」と怒られた。
気付いてしまったミスを親切心で告げたら、これ見よがしにチッと舌打ちされた。
元々人付き合いも口もうまい方ではない。気まずくなって、逃げるように飲み物を買いに行った。戻ってくる時に給湯室から「うるっせぇっての、あの鬼瓦!」と罵る声が聞こえてくる。
やることなすことうまくいかない――いつものことだ。
何かした覚えもないのに。いつも人から避けられる。
人より大きな身体が悪いのか。
どうしてもぶっきらぼうに聞こえるらしいしゃべり方が悪いのか。
いや――それよりも、『四天王像に踏まれる鬼のようだ』と言われる顔が悪いのか。
……悪口には慣れている。だが理不尽だった今日のは、少し堪えた。
そして今、場所を変えても俺は一人だ。
「はぁ……」
逃げるように定時で上がった。トボトボと歩いていると、いつも看板とシャッターしか見ていない場所から明かりが漏れていた。『保護猫カフェ』が、営業していたのだ。
暖色系の柔らかい光と、窓から見える猫の姿に吸い寄せられるように店に入る。だが……それが間違いだったようだ。
顔を上げて店内を見るが、猫が近寄ってくる気配もない。こちらを気にする様子はあるが、立ち上がって近寄ろうとすると逃げられた。あまりのかわいさに入ってすぐ手を伸ばしたのがまずかったらしい。シャーッ! と威嚇されてからは、猫も人も誰も側に来てくれない。
(何してるんだろうな、俺)
金を払って猫カフェに入ったのに、猫にも逃げられている。
入店時に頼んだペットボトルを開けて、ひとくち飲む。
店内には他に何人か人がいるが、彼らの近くには猫がいて、一緒に遊んでいたり、撫でたりしていた。
(うらやましい……)
机に置いて再びため息を吐くと、視界の端に猫の足が見えた。顔を上げると、入店時に近寄って来た毛の長い猫が数歩の距離にいる。
立ち上がった瞬間、猫はふいっと向こうにいった。
(もう帰ろうかな……)
ペットボトルを持って立ち上がりかけた時に、「お客様」と声をかけられた。
見れば入った時に対応してくれた店員さんが側に近寄ってくる。少し強ばった顔を見て、何か文句を言われるのかと身構えた。――また何か言われるのか?
店員さんが側で膝をついた。そして、少しこちらに近づく。ドキッとした。
「お客様、上から手を出されると猫は怖がるんです。
差し出がましいのですが、猫のペースにあわせて動いてみませんか?」
「ね、猫のペース?」
驚いて声に出すと、店員さんが頷いた。
「まずは家具になったつもりでじっとして……あ、猫じゃらしをゆっくりと動かすのもいいですね。
そうすれば遊び好きの子が近寄ってくると思うので、その子に合わせて遊んであげてください。
あ! あといきなり触ろうとするのはダメですよ? まずは指のにおいを嗅がせて挨拶しないと……って、
ご、ごめんなさい! 私ったら……!」
突然頭を下げられ、店員さんはバタバタと去っていく。
呆然と見送った後、言われたことを思い出した。
家具になったつもりでじっとして……いや、猫じゃらしをゆっくりと動かしてみる、か。
机の上のペン立てにささっている猫じゃらしを手に取り、少し動かしてみる。……誰も来ない。
(やっぱりダメじゃん……)
がっかりしたが、ふと他のお客さんの姿が目に入った。彼らはみんな猫と向かい合っていて距離が近い。それに比べると……
(椅子に座ってたら猫には届かないか?)
そろそろと椅子を降りて床に座ってみた。
改めて他のお客さん――特に手元――を盗み見る。……見よう見まねで猫じゃらしを床近くで動かしてみると、こちらを見た小さい猫の首が動いていた。ジリジリと近づいてくるその姿を固唾をのんで見ていると、猫がバシッと猫じゃらしにパンチする。
「おお……!」
おもわず声を上げながら猫じゃらしを動かせば、その動きを追うように猫の首や手が動いた。
(これがよくテレビで見る……!)
「おー……!」
聞こえた声に顔を上げると、店員さんや店内にいた他のお客さんが満足そうにこちらを見ている。
おもわずペコペコと頭を下げて、目の前の猫の動きに注目した。猫は猫じゃらしに夢中だ。次はどう動かせば……
(あ、テレビではサッと素早く動かしていた!)
じっと待って、サッ! そんな風に動かしてみると、猫がバッと飛びついてきた。
(やった……!)
俺にもできた! うれしい、可愛い……!
一通り夢中になって動かしたが、慣れない動きに疲れてきた。猫じゃらしを置くと、猫が足先でちょいちょいとまだじゃれついている。それに手を伸ばそうとして、思い出した。
(まずは指のにおいを嗅がせて挨拶……)
指先を猫の鼻先にゆっくり近付けると、猫がクンクンと匂いを嗅ぐ。そろりとそのまま手を伸ばせば、威嚇されることなく撫でることができた。
(ああ……)
温かい。柔らかい。
その背や頭を撫でていると、他の猫が近寄ってきた。指を差し出すと、その猫も威嚇せずに触らせてくれる。
両手に猫。手のひらから伝わるその温かさに、涙が出そうになった。
ありがとう――そう思いながら撫でていると、毛の長い猫が近寄って来た。しっぽが膝をふさっと撫でて、「にゃ」と鳴いて去って行く。
……何故だか褒められたような、認められたような気がした。
猫を撫でながらその姿を追いかけていると、「あの、お客様……」と申し訳なさそうに声をかけられた。
振り返ると、本当にそんな顔をした店員さんが近寄ってくる。
「申し訳ございません。
営業終了時間となりまして……」
時計を見れば19時になろうとしていた。
そういえば「19時閉店なので、延長はできない」と入る時に言われたのだっけ。
(しょうがないな……)
猫をひと撫でして立ち上がる。ロッカーから荷物を出し、「ありがとうございました」と店員さんに礼を言った。
店員さんはにっこり笑って「よろしければまたお越しください」と頭を下げてくれる。店員さんの横にいた毛の長い猫がこちらをじっと見ていた。
なんとなく頭を下げて、店を出た。
歩き出すと、足の軽さにビックリする。
(駅から出た時には最悪の気分でトボトボしていたのに……)
店を振り返り、頭を下げた。
(また来よう……!)
じんわりと胸に広がる温かさに、そう思った。




