プロポーズと最後の事件(1)
「エステル、婚約を前提に付き合ってもらう」
◇◇◇
セシリア妃の事件も終わり、あっという間に春も終わる。気づくと学年も上がり、うっかり学級委員に選ばれたりして忙しい。
「ロージー先生、プリントやお知らせのファイリングはこんな感じでよろしいですか?」
今日は放課後、担任のロージー・パール先生に頼まれて雑用中だった。先生と二人でファイリングもしている。放課後の教室は静かで集中力も高まる。このおかげで探偵事務所には最近行けていなかったが。
「あら、エステル。ありがとう。それにしても仕事が早いわね」
ロージー先生に褒められた。メガネ、暗めの茶髪、背も小柄で地味な先生だった。確か独身の上、庶民出身なのでうっすらと下に見られていたが、こんなふうに褒めてくれる。私はロージー先生のこと好きだった。
「それにしてもファイリングが手慣れた様子ね。伯爵令嬢のあなた、どこかでやったことある?」
意外とロージー先生、鋭い。メガネの奥に見える目もキリッとしている。
「い、いえ。そんなことないです」
一方、私はしろどもどろ。ファイリングは探偵事務所の仕事で何度もやっているから手慣れている。たぶん、普通の令嬢よりは上手いはず。
それでも探偵事務所に働いていたことは秘密だった。理由は二つある。そもそも校則ではアルバイトは禁止だったから。もう一つは探偵事務所の守秘義務のせいだ。この学園では貴族の子息や令嬢も多く通う。探偵事務所では貴族の秘密も握っていたため、私がそこで働いているとバレるのは色々と面倒らしい。カミルにも口止めされていた。
いくら優しそうに見えるロージー先生にも、探偵事務所のことは言えない。私は慌ててロージー先生に挨拶し、学園を去る。
「そういえば、最近は探偵事務所行っていないなぁ」
学園の門を出た瞬間、急にそんなことが気になる。時計を見るとまだ夕方という時間でもない。少し探偵事務所による時間はある。
それに……。
なぜかカミルの顔が頭に浮かぶ。いくら追い払っても消えない。なぜか最近、こんなことが多々あったりする。宿題をしている時、風呂に入っている時など、ふと瞬間に訪れ、戸惑うというのを繰り返していた。
「なんなの、これ?」
自分でもよくわからないが、マーサや猫のミルクに会いたいことは事実だ。そうだ。その理由の方が大きいはずだ。
ということで、学園から探偵事務所に向かった。
季節はもう初夏だ。街路樹の緑も濃く、木漏れ日も爽やかだった。風も爽やかに吹き抜け、最近衣替えしたばかりでよかったと思う。
こうして初夏の道を歩き、探偵事務所のあるビルに到着。一階の喫茶店のマスターにも軽く会釈をすると、急いで二階に駆け上がり、探偵事務所の扉をあける。
「ニャーオ!」
扉をあけた瞬間、猫のミルクが飛びついてきた。同時にマーサやカミルの嘆きも聞こえる。しかもカミルは猫用の爪切りを持っていたが、頬に引っ掻き傷まで作っていた。
この状況、何があったか察した。猫のミルクの爪切りをしようとしたら、大暴れされて失敗したのだろう。前にもあった。三人で猫のミルクの身体をおさえ、ご機嫌をとりながら爪を切ったが、半日以上かかり、へとへとになった記憶がある。
そして今日も探偵事務所の休憩室で猫のミルクと格闘する羽目になってしまった。
「ミルク! お願いだから大人しく! 大人しく!」
カミルは大声で叫び、マーサが爪切りを構え、私は猫の猫のミルクを抱き上げ、どうにか爪切りミッションは終わったが。
「あぁ。つかれた……」
カミルはぐったり。最近は貴族関連の探偵依頼があり忙しそうだ。冬や春は暇だったが、ここにきて依頼も多いとか。もっとも相談内容自体は簡単なものが多く、潜入調査などはないが。
「カミル、おつかれ様」
「おぉ、エステルか」
声をかけただけなのに、カミルは表情を変えた。無理矢理つかれた表情を隠し、いつも通りに見せている。この姿にマーサはニヤニヤと笑い、猫のミルクは優雅に欠伸をしていた。
「何?」
謎だ。意味がまったくわからなかったが、この時、探偵事務所のベルがなった。来客らしい。急いで応接室の準備を整え、マーサもお茶の準備をしに行った。
「こんにちは」
来客は丁寧に挨拶した。六十代ほどの夫人だった。身なりがいい夫人だ。バイオレットカラーのドレスはグレイヘアともマッチし、雰囲気は優雅なマダムといった感じ。おそらく貴族だ。本人も男爵夫人のオドレイ・オラールと紹介していた。言葉遣いも丁寧で腰も低く、カミルや私に対しても無礼な態度を一切取らない。猫のミルクも膝に乗せると、可愛がっていた。オドレイは猫好きらしい。
「で、オドレイ夫人。今日は何のご用で?」
カミルはすぐに話題を切り出す。オドレイは言いにくそうだったが、猫のミルクのおかげか事情を語り始めた。
「元魔術師のカース・キューデが逃げたって話題、ご存知?」
オドレイはカース・キューデに騙された被害者。カースは人々を騙す詐欺師で、ちょうど春頃逮捕されたが、初夏に入ったころ警察から逃げて逃走中だという。警察の落ち度も叩かれていた。このことで王都の空気は不穏になったし。
「娘があの男の被害者だったんですよねぇ。もちろん、娘にも落ち度はあったけれど、まさか逃げてきたとは……。娘もすっかり怯えて引きこもっているし、探偵さん、あの男がいる場所を調査してくださらない?」
隣のカミル、微妙な表情だった。こんな相談、聞いたことない。これは警察の仕事だ。
「警察は娘が悪いって言ったの。騙される方にも落ち度があるって。だからもう警察には頼れない」
オドレイ、自身の手を握りしめ、苦しそうだ。さっきまでは優雅なマダム風だったのに。
カミルは渋っていたが、私はオドレイの力になりたいと思う。こんな一方的に被害者が悪いと言われるなんて可哀想だ。
「いや、しかし探偵事務所でできることは上限がありましてね……」
カミルの態度は煮え切らない。
「確かカースは浮気性だと聞いたわ。浮気相手を渡り歩き匿われているんじゃないかしら? 浮気調査のプロのカミルさんなら、もしかしたらカースを捕まえられるんじゃない?」
オドレイは必死だ。警察に頼れないし、娘の被害だけでなく、新しい被害者がでないか心配で仕方ないらしい。
「ねえ、探偵さん。あの男を捕まえてよ」
「オドレイ様の言う通りですよ! カミル、カースを捕まえてください!」
二人でワイワイ騒いだせいだろうか。カミルもついに折れた。と言うかヤケクソという感じだったが。
「わーかったよ! 調査するよ! ただしうちは探偵事務所だ。警察みたいな調査はできないがそれでいいか?」
カミルは頭を掻きむしり、ヤケクソだった。
それでもオドレイは笑顔で帰っていくし、私も燃えてきた。劇の探偵みたく犯罪者を捕まえられたら、面白そう?
「まったくエステルはお嬢様らしく世間知らずだな。そんな簡単にはいかない」
カミルは呆れてつつも、早速調査計画に乗り出していた。
「フミャー」
猫のミルクはあくびをし、そんなカミルを見つめていた。




