ダイヤモンド令嬢の浮気事件(9)
「へぇ、そうですか……。やっぱりマリエは浮気していたんですね」
ユリウスの声、ブラックコーヒーよりも苦かった。あの後、調査報告をしていたが、探偵事務所の応接室は重い空気。今日も天気が良く、雪も溶けてしまっているのに。
「フミャー」
猫のミルクだけが呑気だ。今日もユリウスの膝の上に鎮座している。我が物顔だ。さすが野良出身の猫だが、今日のユリウスは猫のミルクにも興味を示さなかった。テーブルの上のお茶やクッキーも同様に。
「まあ、俺はユリウスの気持ちだけは分かる。あんな女はすぐに忘れて、良い女を探すことだな」
カミルは優しく励ましていた。ユリウスはちょっと目が潤んでいたが、心はここにあらず。カミルが作成した調査報告書を眺めながら、ぼんやりしている。
「そ、そうですよ。ユリウスさん、マリエと離れた方がきっと幸せになれます。お仕事も順調なんですよね?」
私もこの空気、どう対処していいかわからず、ユリウスを励ます。一般的なことしか言えない。もどかしい。
「そもそもあの女、一体何がしたいんだ? バルテルが好きだったら、あの男をずっと想っていればいい。それなのにうちに依頼したり、ユリウスと婚約したり、行動がブレブレだ。他人に流されて生きてるようにしか見えない」
カミルの言葉は辛辣だったが、ユリウスは力無く首を振っていた。こんな形で裏切られたとはいえ、マリエの悪口は聞きたくないらしい。
「マリエの母親はだいぶ癖の強い方でね。なんでも娘の人生をコントロールしてしまう人。進路はもちろん、服やアクセサリー一つまで母親が選んでいたらしい。まるで着せ替え人形だ。さからマリエでも自分の気持ちがよくわからないんだろう」
ユリウス、なんか弁護士みたい。マリエを擁護していた。
「そんな状況でバルテルは唯一、自分から好きになれる人だったんでしょう。あ、ちなみに俺はマリエのお母様には大層好かれています。結婚相手として相応しいって太鼓判押されてますねぇ。つまりそういう面でも俺は結婚相手としてちょうど良かったんだろう。はは、利用されたんかな。母親や世間体の為、あるいはバルテルの当てつけだったのかね。都合の良い男だったわけか、俺は」
弁護している上、自虐まで言ってる。これには私もカミルもどう反応して良いか分からない。
「へぇ、マリエ。バルテルにはあなたが一番好きって言ってたのか。俺にも言ってたな。棒読みだったけど」
調査報告書を見ながら、ユリウスの自虐は全く止まらない。
「まあ、ユリウス、本当にこの件は忘れていいから。うん、忘れろ」
もうカミルはそれしか言えない様子。
こうしてユリウスはマリエと婚約破棄したという知らせを聞いた。バルテルは相変わらず女遊びを続け、マリエも懲りずに彼の別邸に通っているらしいが。
「なんか後味悪いですね。マリエの事情も分かるけど、結局、ユリウスを傷つけただけじゃないの」
学校の帰り、また探偵事務所へ。相変わらず依頼はなく、休憩室でお茶を飲んでいた。カミルは新聞をバサバサとめくり、実に退屈そう。マーサは買い物に出かけ、猫のミルクは毛糸のおもちゃで遊んでるいた。
「そんなもんだ、浮気調査なんて」
カミルは新聞をめくり、あくびもしながら言う。
「この仕事は人間の闇を見るからな。実は浮気なんてしていませんとか、そういう都合良い話はないから」
「そうだけど……」
カミルの声を聞きながら、誰ひとり幸せになっていない結果に、さらに消化不良だったが。
「ただいま戻りました」
ちょうどそこにマーサが帰ってきた。買い物かご片手に、にんじんを安く買えたと喜んでいたが。
「そういえば金物屋でユリウス様にお会いしました」
マーサは買ってきたものをまとめつつ、ユリウスに会ったという。
「何か包丁とかご覧になっていましたよ。お料理されるんですかって聞くと、逃げていましたけど。ユリウス様、何かちょっと様子が変でした」
マーサの声を聞きながら、突然、カミルの表情が変わった。さっきまで呑気に新聞を読んでいたはずだったが、バサリと机に投げた。
「やばい。ユリウス、マリエに復讐するかもしれない?」
「え?」
カミルの言っていること、すぐに理解できなかったが、マーサも何か察したらしい。二人とも急いで金物屋へ向かう。もちろん、私も後をついていくが、これって何?
まさかユリウス、包丁を買ってマリエに……?
それ以上、想像するのも怖くなってきたが、金物屋の主人に聞くと、確かにユリウスは包丁を購入したという。しかも目はぼーっとした雰囲気で、様子がおかしかったという。
「これはやばい! とにかくバルテルの別邸近くに向かうぞ!」
カミルは汗だくだ。慌てながら馬車を呼び、私もマーサも乗り込む。
馬車に揺られながら、最悪な想像が止まらない。確かにユリウスがマリエを恨んでも仕方ない。思い詰め、復讐に走ったとしても違和感が全くない。もやしみたいな男性だったが、女に不慣れで恋に不器用。思い詰めてしまったのだろうか。
普段冷静なカミルも話さない。マーサからも笑顔が消えていたが、どうにか別邸近くにつき、走りながら湖の方へ。
こんな全力で走るのは久々だ。マーサも私も息が切れていたが、カミルの足は早い。羽根が生えているみたうだ。
カミルからだいぶ遅れをとったが、どうにか追いつき、マーサと共に湖の側についた。
気づくともう夕方だ。湖の周辺は薄暗く、空には一番星が浮いていたが、今は景色を眺める余裕なんてない。
湖の側には包丁を手にしたユリウスがいたから。目は死んだように色が消え、包丁を握る手も強張り、血管が浮いていた。
「マリエに復讐するんだ!」
そのユリウスの叫び声と同時に、野鳥が飛び立ち、バサバサと響く。
「やめろ!」
カミルは力ずくでユリウスを止めていた。無理矢理包丁を奪い投げる。包丁はマーサが確保し、これで最悪な結末は回避できた。
それでもユリウスはずっと泣いていた。自分でも何をしているのかよくわかっていないのかもしれない。とにかくカミルと一緒に落ち着かせることしかできないが。
「あんな女のために人生を棒にふるとかやめろ。もったいない」
カミルの声にようやくユリウスも頷いていた。
「そ、そうだといいが……」
ユリウスの目、少しずつ涙が止まっていた。
「そうだといいけど……。本当にそうなら……」
ユリウスの声、風の音にかき消さされていた。




